The Narrow Road to Oku
Translated by Dnald Keene
Part Ⅱ 「松島」まで

 

十二 須賀川

 

とかくして越え行くままに (英訳 144ページ)

とかくして
in this manner

GSQ
「と・かく」で前の白川の関の章で述べたいろいろなことをしつつ、という意味ですね。

SUA
その通りですね。このようにあれこれとしながら超えて行った、ということですかね。

 

かげ沼と云ふ所を行くに(英訳 144ページ)

かげ沼
Mirror Marsh

GSQ
山などが映るから「かげ」沼ですね。なるほどmirrorですね。

SUA
空曇りて物影うつらず、ですからね。原文のひらがなの「かげ」を、その後の文の繋がりできちんと「影」と読み取っています。「陰」が物にさえぎられて光が当たらない暗い部分目立たない部分を指すのに対し、「影」はできる「かげ」の像・形に注目し、「姿」という意味を持つという違いがあるとのこと。

 

「長途のくるしみ、心身つかれ、且は風景に魂うばゝれ、懐旧に腸を断ちて、はかばかしう思ひめぐらさず。 
        風流の初めやおくの田植ゑうた
無下にこえんもさすがに」と語れば……(英訳 143ページ)

長途のくるしみ………思ひめぐらさず。
風流の初めやおくの田植ゑうた
The hardship of our long journey had exhausted me physically and spiritually, and I had been so captivated by the view, so profoundly moved by memories of the past it awakened, that I had been unable to formulate my thought. But as I mentioned to Tokyu, it would be a pity if I allowed my crossing to go uncelebrated.
        The true beginnings

        Of poetry――an Oku
        Rice-planting song.

GSQ
ここは芭蕉が等窮に答えた文と、地の文がわかりにくいところですが。

SUA
これはキーンさんが実に巧妙な訳をしていますね。原文で「長途の……思ひめぐらさず」は等窮への答えとして「」がついていますが、これは地の文として読めばそう読めます。Keene訳ではこの感じを残していますね。上から読んでくると、The hardshipからmy thought.までは地の文のように読むということもあり得ます。そこでBut as I mentioned to Tokyuとして、前の文が等窮への答えであることをはっきりさせているわけです。

GSQ
意図してそうしているのかわかりませんが、原文の曖昧さをそのまま残す英訳というのも素晴らしいですね。「無下にこえんもさすがに」は、it would be a pity if I allowed my crossing to go uncelebrated、こう訳してますね。さすがに「場所ほめ」のcelebrate が使われているので、「無下」の意味がよりはっきりしました。原文よりわかりやすいですね。
もうひとつ、「風流の」はOf poetryですが、ここでは風流=俳諧・句作、その最初のものという意味だけでなく、「風流なこと」そのものの意味もあるのではないでしょうか?

SUA
Poetryには、歌心詩情、そして詩的感興の意がありますので、Keene氏はその意味で使っていると思います。

 

十三 あさか山

 

此のあたり沼多し(英訳 142ページ)


此のあたり沼多し
What with admiring the marshes and asking people……

GSQ
ここは意訳なのかなと思いますが、特別困難でもないところをどうして意訳するのでしょうか?What withという慣用表現、時々見かけますが、どういう使い方なのですか?

SUA
What withで、理由あるいは何々しているうちにと訳し、つまり、「沼を尋ね、人にとひ」たりしているうちにということで、意訳ではなく、そのままの訳です。。

 

十四 しのぶの里

 

遥か山陰の小里に(英訳 141ページ)

遥か山陰の小里に
in the little village some distance away shaded by distant mountains

GSQ
原文の「遥か」が小里と山、両方にかかっているような訳ですが、どうなんでしょう。

SUA
直訳すれば、遠くの山の陰になっている少し離れたところにある小里となります。山は遠くにあるが、小里はそのやや手前にあるという感じですね。

GSQ
訳では山陰は山によって陰になっている、と読めますが、「殺生石」での山陰の英訳ともまた違っているように思えますが?

SUA
Shaded by distant mountains、つまり、「遠くの山の陰になっている」と訳しています。これは完全に「影になっている」との意味ですね。

 

行き来の人の麦草をあらして、この石を試み侍るをにくみて(英訳141ページ)

行き来の人の麦草をあらして
……trample down the barley going back and forth to the stone

GSQ
「行き来の人」は通りがかった旅人のような意味で理解していました。文字摺り石までを麦畑を踏み荒らして行き来する人だったんですね

SUA
別にどのような人々かは特定していないので、芭蕉のように石を見に来る旅人も含まれるはずです。

 

早苗とる手もとや昔しのぶ摺り(英訳141ページ)

昔しのぶ
Deft hands that now pluck
Seedlings, once you used to press
Patterns from the stones.

GSQ
you を使ったことで、早苗とる乙女が昔の乙女に幻視されている訳になっています。手つきが昔を、というより、こちらの解釈の方がいいですね。

SUA
ここでのYouは人を特定しているわけではありませんね。

GSQ
このyou は、田植えをしている乙女たちを漠然と指していると思っていいですか。「昔しのぶ」は掛詞ですが、この主語は芭蕉、Iと読んでいいと思いますが、キーンさんはこの部分をそういう風には訳していませんね。

SUA
少なくとも、英文には「乙女」を連想させるものはなく、deft hands, 手際よく田植えを行う人しか登場しません。Youは相手を特定しているわけではなく、漠然と人を指すもので、日本語では訳さないのが決まりです。

 

十五 佐藤庄司が旧跡

 

「佐藤庄司が旧跡は、左の山際一里半に有り。飯塚の里鯖野」と聞きて(英訳140ページ)

「佐藤庄司が旧跡は、左の山際一里半に有り。飯塚の里鯖野」と聞きて
The old ruins from Sato Shoji’s time were about three miles to the left, at the edge of the mountain. I was told that they were at Sabano in Iizuka Village

GSQ
「佐藤庄司が旧跡は、左の山際一里半に有り」をキーンさんは原文では会話文として、英訳ではどう読んでも地の文としているようですが。そう読めますか?

SUA
尋ね歩いているわけですから、左の山際一里半などといったことは、地元の人間に聞いてわかることでしょうから、ここは当然、会話文として扱うべきでしょうね。

 

「是れ庄司が旧館也。麓に大手の跡」など、人の教ゆるにまかせて泪を落とし(英訳140ページ)

「これ庄司が旧館也。麓に大手の跡」など、人の教ゆるにまかせて泪を落とし
This was where the remains of Sato Shoji’s residence stand. I wept when people told me that what was left of the Great Gate of the castle was to be found at the foot of the mountain.

GSQ
ここでも「これ庄司が旧館也。麓に大手の跡」をキーンさんは原文では会話文として、英訳ではどう読んでも地の文としていますが。

SUA
「」の中の前の文はあきらかに地の文だと思います。後の文は語りと地が溶け合った文になっているので面倒ですが、英訳の方が正しいと思います

GSQ
「」の最初の文も語りと地が溶け合っていて、そもそも「」などなければいいのではないでしょうか。麓の大手の跡だけに泪を流すように感じますが。

SUA
I wept when people told meですから、人々が芭蕉に語った時に泪を流したわけです。しかし、昔の人はよく涙を流しますな。江戸は平安時代ほどではなかったでしょうが。

堕涙の石碑も遠きにあらず(英訳140ページ)

堕涙の石碑も遠きにあらず
One need not go to China to find a gravestone that induces tears

GSQ
堕涙の碑というのが中国にあるそうですね。補足説明を付けたわけですが、面白い訳ですね。

SUA
湖北省襄樊(じょうはん)市の峴山にあるそうで、Keene氏も調べたのでしょう。調べたからには中国と付け加えないといけません。

 

十六 飯塚

 

持病さへおこりて、消え入る計になん。(英訳139ページ)

持病
usual complaint

GSQ
愁訴という感じですか

SUA
Chronic illnessという言葉もありますが、これは慢性の病気ですからね。Usual complaint、「いつものやまい」は好い訳です。芭蕉の持病とは切れ痔だったそうで、消え入るほどひどい症状が出るではさぞかし大変な旅だったでしょうな。

 

遥かなる行く末をかゝへて、斯かる病覚束なしといへど、羇旅辺土の行脚、捨身無常の観念、道路にしなん、是れ天の命なりと(英訳138ページ)

遥かなる行く末をかゝへて……これ天の命なりと
I reasoned with myself that

GSQ
ここのところの英訳はすばらしいように感じます。reasonedですので、病の覚束なさあっても自らにいい聞かせ、合理化するというところがよく出ています。原文は軽く読み飛ばしていました。

SUA
確かに、自分に言い聞かせています。

 

気力聊かとり直し、路縦横に踏んで(英訳138ページ)

道縦横に踏んで
with greater assurance

GSQ
「道縦横に」は上で自己納得した結果の気持ちのとり直しだったんですね。その結果の様子がassuranceという語ですね。文字通りに読んで済ませていました。

SUA
「縦横」には「思いのまま」という意があり、With greater assurance「しっかりと、自信を持って」は適切な訳です。

 

十七 笠島

 

山際の里を、みのわ・笠島と云ひ(英訳138ページ)

みのわ・笠島
Raincoat Wheel and Rainhat Island

GSQ
みのと笠が「雨」縁語なのに気付きませんでした。だから、五月雨の折にふれるんですね。読みのいいかげんさ反省です。

 

箕輪・笠島も五月雨の折にふれたり(英訳138ページ)

五月雨の折にふれたり
are names well suited to the early summer rains

GSQ
こう訳してあって初めて「みのと笠」に気づきました。五月雨だから「みのと笠」にふれるんですね。

 

十八 武隈

 

代ゝ、あるは伐り、あるひは植え継ぎなどせし(英訳1376ページ)

あるひは植ゑ継ぎ
only to be replaced by another grafted onto the original trunk

GSQ
「植え継ぎ」は植えかえていくことだと理解していました。それが一般的な解釈だと思いますが、キーンさんは接ぎ木のこととしています。私の手元の数冊の注釈書には、注釈さえついていません。

SUA
私の考えでは、原文の「植え継ぎ」、は「植え」と「継ぎ」ではありませんかね。「植え継ぎ」の後に「など」がついているので、「植え替えたり、接ぎ木などしながら」と考えたらどうでしょうかね。

GSQ
先年鎌倉の鶴岡八幡宮の大木が台風で倒れた後、もとの幹に接ぎ木したり挿し木をしたりしているのを見ました。元禄時代は園芸技術が大発展したと聞いています。調べる価値ありですね。

 

武隈の松みせ申せ遅桜(英訳136ページ)

見せ申せ
Let him see at least

GSQ
at least は何故入っているのでしょうか? 武隈を通るころ遅桜はもう散っているだろうが、少なくとも、武隈の松だけはみせなさいよ、ということですか。

SUA
at leastは「せめて」という意味で、「せめて見せなさいよ」と言うことでしょう。

GSQ
at leastなしでも直訳にはなりますが、これで「思い入れ」のようなものが強く出てきますね。
余談ですが、あれほど桜を愛した西行を敬愛しているにも関わらず、芭蕉にはいい桜の句はないように感じますね。「さび」や「しおり」などの芭蕉の美意識からすると、桜はちょっと相性が悪いのでしょうか。

SUA
「さまざまの事おもひ出す桜かな」があるじゃありませんか。まさに俳諧的桜の取り上げ方。Keene氏の「芭蕉は自然の美にも敏感であったが、出会った人々も温かく描写した」の後半の文章が実感できる句じゃないですか。

 

桜より松は二木を三月越シ(英訳136ページ)

松は二木を
I’ve pined; now I see a twin pine

GSQ
『奥の細道』で一番の駄句の言葉遊びだと思います。キーンさんも、pinedとpineで言葉遊びをしていますね。

SUA
これは何とも言えませんな。

 

十九 宮城野

 

聊か心ある者と聞きて(英訳135ページ)

聊か心ある者
a person of some taste

GSQ
少々失礼ですね。

SUA
A person of some tasteですから、「いささか風流の心を持つ者」としています。むしろ、褒めているわけです。

 

宮城野の萩茂りあひて(英訳135ページ)


clover

GSQ
萩はbush clover らしいですが、訳文上 bush を取ったのですか。どうもあの四つ葉のクローバーに感じてしまいます

SUA
親切に言うなら、Japanese cloverでしょう。

 

「みさぶらひみかさ」とはよみたれ。(英訳135ページ)

みさぶらひ
Samurai

GSQ
従者の意味でしょうが。

SUA
元は「さぶらふ」が「さぶらひ」、「さむらい」に転訛したと注でも付けないとねえ。

 

風流のしれもの、爰に至りて其の実を顕す(英訳1354ページ)

其の実を顕す
Those gifts showed him to be a person of exceptional taste.

GSQ
some tasteがexceptional taste、ずいぶん評価が上がりましたね。

SUA
それより、「しれもの」ですよ。痴れ者だといけませんが、その道に打ち込んでいる者を言うのでしょうが、a person of exceptional tasteですな。餞別をもらったので、評価が上がったのでしょう。

 

二十 壺の碑

 

苔を穿ちて文字幽か也(英訳134ページ)

苔を穿ちて
I scraped away

GSQ
手元の注釈書でも「指でほじくって」とありますが、本当に本文にあるような多くの文字の苔をはがしたのでしょうか。私は「苔を穿ちて」というのを、苔が文字を覆っているが、文字の部分に凹みがあり、そこを読んでいった、と理解していました。英語の問題ではないですが、「穿ちて」の解釈は間違いなんでしょうかね。

SUA
穿つはあきらかに「掘る」動作で、大体苔に覆われていたら、はがさないと字は読めませんよ。

 

むかしよりよみ置ける歌枕、おほく語り伝ふ(英訳133ページ)

むかしよりよみ置ける歌枕、おほく語り伝ふ
Many are the names that have been preserved for us in poetry from ancient time

GSQ
preserves in poetry、ため息が出ますね。

SUA
この文を含む全体の文章はリズムがあっていいです。「山崩れ川流れて道あらたまり、石は埋もれて土にかくれ、木は老いて若木にかはれば」”but mountains crumble and river disappear, new roads replace the old, stones are buried and vanish in the earth, trees grow old and give away to saplings.”と原文のリズムを生かした訳ですが、ストレートな訳だとも言えます

 

二一 末の松山

 

末の松山英訳133ページ)

末の松山
The mountain called Pine-to-the-End

GSQ
「末の」がto-the-endになっていますが、これは波の裾がここで終わり、すなわち「波が越えない」という意味ですか。津波がここまで来たという碑文などが東北に残されているという話を聞いたこともあります。

SUA
「契りきな かたみに袖を 絞りつつ 末の松山 浪こさじとは」ですが、貞観地震(869年)のシミュレーション結果では、「末の松山」は津波で陸の孤島状態になっただろうということです。

   

はねをかはし枝をつらぬる契りの末も(英訳132ページ)

はねをかはし枝をつらぬる契り
the most enduring pledge of devotion between husband and wife

GSQ
仕方ないでしょうが、ここまで現実的に訳されると、ありがたみが減少します。

SUA
はねをかわし枝をつらねる、つまり比翼の契りということでしょうが、これはね、英文でも似たような形容がありますが、同じことです。

 

塩がまの浦に入相のかねを聞く(英訳132ページ)

入相のかねを聞く
the vesper bell toll its message of evanescence

GSQ
前の章の末の松山が墓場に化しているので、ここでの「入相のかね」は、平家風なかねの声なんだと初めて気づきました。

SUA
終にはかくのごときと悲しさも増りて、そこでかねの音を聞くので、「無常」を感じるのは無理がありません。また、ここでevanescence「はかなさ、無常」という言葉を補わないと、英語国民には日本人が鐘の音に感じるものがわからないでしょう。

 

蜑の小舟こぎつれて(英訳132ページ)

こぎつれて
fishing boats being rowed towards the shore

 

GSQ
確かに浜辺に向かってですが。

SUA
日本語は動きの方向性が曖昧なんです。英語ではそうはいかない。

GSQ
原文を読むと、全体的な状況から浜辺に向かってであることは、おのずから分かりますが、英文でtowards the shoreを取ってしまうと、ちょっと変に感じますね、確かに。全体的状況は同じなので、日本文と同じように受け止められるはずなんですけれどね。ところで、このrowは、「こぐ」ですか、それとも「つれて」の意味の「並んで」ですか。それとも両方の意味をかけているのでしょうか。

SUA
Rowは動詞で「こぐ」です。Row, row, row your boatです。

 

「つなでかなしも」とよみけん心知られて英訳132ページ)

 「つなでかなしも」
“ when rowboats are pulled to shore is most wonderful of all”

GSQ
原意はここまで強いでしょうか?

SUA
「かなし」もなかなか他言語では表現しにくい言葉ですね。注では詠み人知らずになっていますが、源実朝の歌なんですね。かなしもの「も」は詠嘆の終助詞だそうですから、かなり心が揺さぶられると読んでもおかしくはないです。

GSQ
もうひとつ、ここでrowboatsと使うと、前の質問でのfishing boatsも浜辺に手綱で引かれているという意味がでてきませんかね。前のものは漁船なので手漕ぎだと思いますが。

SUA
それまで漁師が漕いできた漁船が綱で浜辺に引き上げられるわけです。

 

その夜目盲法師の琵琶をならして(英訳132ページ)

盲目法師
a blind magician

GSQ
これはさすがに、musician の間違いではないでしょうか。琵琶法師ですから。目くらの魔術師で、外国人は(外国人でなくとも)どんな人間か迷いそうな気がします。

SUA
それが正しいと思います。マジシャンでは法師でなく、傀儡師になっちゃいます。ちなみに琵琶法師はbiwa-playing minstrelという英語があります。吟遊楽人ですな。いずれにせよ、法体ですが、僧侶ではないので。

 

二二 塩竃

 

石の階九仞に重なり(英訳131ページ)

石の階九仞に重なり
flight upon flight of stone steps

GSQ
うまいですね。

SUA
この辺の表現は英語の強みですね。

 

二三 松島

 

東南より海を入れて、江の中三里、浙江の潮をたゝふ(英訳130ページ)

潮をたゝふ
the incoming tide surges in massively

GSQ
水が massive なんて、こんな英語の表現があるのかと、はっとしますね。

SUA
これはKeene氏のうまい所で、非常に絵を感じさせる表現ですね。

GSQ
この松島の情景描写は、芭蕉の原文もキーンさんの英訳も、ともにほれぼれしますね。

SUA
情景描写は才能が必要です。原文が良ければ翻訳が良くなるというわけでもなく、Keene氏の文章力も大切です。

 

松の緑こまやかに(英訳129ページ)

松の緑こまやかに
The green of the pine is of a wonderful darkness

GSQ
wonderful darkness がどういう状態かよくわかりません。こまやかは、濃やかですので、普通よりも緑が濃く感じられるということでしょうか。

SUA
これは松の葉っぱまでイメージするか、緑の全体像をイメージするかの違いかな。西洋人にとっての緑は日本人のイメージとは違いますね。もう少し暗い感じです。

GSQ
ということは、キーンさんは濃い緑を、欧米人の感じる「暗めの緑」と読んだだけの話ですね。

SUA
やはり、wonderfulがポイントじゃないですか。濃い緑に「驚き」というか感動しているのではないでしょうか。そこを訳している。

 

枝葉汐風に吹きたはめて、屈曲をのずからためたるがごとし(英訳129ページ)

をのづから
belong to the nature of the trees

GSQ
今まで何の気なしに読んでいましたが、汐風に吹かれてだけど、その木の本来の性質からそうなっているようにたわんでいる、と言っているのですね。

SUA
説明的ですが、たしかにそうですね。非常に厳密です。

 

造化の天工、いずれの人か筆をふるひ詞をつくさむ(英訳129ページ)

造化の天工
masterpiece of nature

GSQ
いいですね

SUA
その通りの訳です。

 

落穂・松笠など打ちけふりたる草の庵閑かに住みなし(英訳129ページ)

落穂・松笠など打ちけふりたる草の庵閑かに住みなし
They live quietly in thatched huts from which even at that moment smoke from the fallen pine needle and cones they use as fuel was rising.

GSQ
外国の人には生活が理解できないでしょうから非常に説明的なのでしょうね。そのせいか、fromが二重になり、少々、まどろこしいですね。仕方ないでしょうが。ところで、even at that momentはなぜ入っているのでしょうか。原文からそれが必要な理由がわからないのですが。

SUA
これは、落穂、松笠などを燃料として燃やすと相当に煙いはずで、そんな状態の時でも閑に暮らしていると解釈したのでしょう。

 

いかなる人とはしられずながら(英訳129ページ)

いかなる人
what manner of men

GSQ
manner は特別な意味はないのですか。

SUA
これはこの通りの訳ですが、勿論、現在の言い方ではなくマナーというものが人を判断する重要な基準であった時代の言葉です。単純に訳せば「どういう人なのだ」ですから、全く同じですね。
          what manner of man, He is?
という文を見つけました。Heで大文字ですから、イエスは一体どのような人であったのかという問いですね。

 

金壁荘厳光を輝かし、仏土成就の大伽藍とはなれりける(英訳131ページ)

金壁荘厳光を輝かし、仏土成就の大伽藍とはなれりける
the golden wall shining with a splendor worthy of Buddha’s paradise

GSQ
苦労していますね。

SUA
Golden wallと伽藍のアソシエーションの問題ですね。芭蕉が金ぴかをイメージしていたかどうか。寂びた御堂だったか。やはり金ぴかが近いか。

 

ドナルド・キーン訳『おくのほそ道』を読む Part Ⅲ「象潟」まで

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