漱石の『方丈記』英訳について

■夏目漱石の『方丈記』英訳

 漱石は明治24年(1891年)12月、東京帝国大学2年の時、教師ディクソンの依頼により『方丈記』を英訳しました。それは、『方丈記』に関する漱石のエッセーと『方丈記』本文の英訳の二部立てとなっています。岩波書店の漱石全集(昭和42年版)では「A Translation of Hojioki with a Short Essay on It」と題され、前半がエッセ ー、後半が翻訳の形で収録されています。
 本サイトでは、エッセーと翻訳を別ページで扱い、前者を「A Short Essay on Hojioki」、後者を「A Translation of Hojioki」と、個別の標題を付しました。また数か所ある漱石の英語上の「間違い」は全集ではsic表記がありますが、ここでは正しい英語に改めました。また漱石自身がつけた注は、我々日本人には必要ないものが多いため省略しました。

■「A Short Essay on Hojioki」について

 エッセーは漱石の鴨長明観、『方丈記』観を手短かに述べたものです。本サイトでは、各段落ごとに、GSがSU氏に質問するQ&Aを、それに基づきエッセーの翻訳を掲載しました。この翻訳は、もし漱石が日本語で書いていたら、どのような文を書いただろうか、という問題意識から、初期漱石風文語体で訳してみました。もちろんこれは我々アマチュアの「遊び」に過ぎません。我々が最も困難に思えるのは、漢語です。漱石が使った用語が判明したところはその用語を使いましたが、基本的には我々の力の及ぶところではない、というのが現実です。
 なお、岩波の新全集では、専門家によるこのエッセーの現代語訳が併載されているとのことです。

■「A Translation of Hojioki」について

 『方丈記』英訳では、まず『方丈記』の原文を、次に漱石訳、漱石訳についてのQ&Aの順に掲載しています。段落は漱石英訳の段落を基準としましたが、原文(角川文庫版を使用)で設定されている段落はそのまま保持しました。

■我々の取り組みの姿勢について

 前述のように我々はアマチュアです。しかし現在の我々には、漱石の時代にはなかった詳細な注釈書や研究成果を利用することが可能です。漱石のエッセーや英訳が、いかにすぐれたものであろうと、それは明治時代の、大学生によるものです。自ずから限界があるのは当然のことです。現在の知識を振りかざして、漱石英語の上げ足取りのようなことをしても何の意味もないことでしょう。敬意を持って接するという姿勢を保ち、これらのエッセー、翻訳を通して、漱石独自の日本文化観、自然観などをくみ取れればと思っています。

 

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