ドナルド・キーン英訳『おくのほそ道』を読む 

ドナルド・キーン訳『おくのほそ道』
講談社学術文庫

 

■なぜ英訳で読むか

 ドナルド・キーン氏は、『日本の文学』(吉田健一訳・中公文庫)の緒言1原著 Japanese Literatureの緒言(Preface)はもっとは簡潔なものであり、この引用を含め、日本語翻訳時に日本の読者向けに加筆されたものである。で次のように述べています。

……その文学(日本文学)を子供の時から知っている日本の読者にこういう本を提供するのは筋違いかもしれない。しかし日本の友達が私に語ったことによれば、前にも外国人が日本の美術とか、劇とかについて発表した意見が(何かの形での)刺激になり、日本の文明の伝統について新たな検討が行われるきっかけを作ったことが何度かある……

このことは、個別の文学作品についても同様に言えることでしょう。特に古典作品の場合「読む」ということは、それに伴う「解釈」という行為が大きな意味を持ってきます。晩年に日本に帰化されとはいえ、その基盤に欧米文化を身につけたキーン氏の「解釈」には、我々日本人には思いもよらなかったものがあるはずです。さらに日本語と英語、その基底にある文化差などが、どのように翻訳という行為の中で処理されているか、これをこそ読み取らなければなりません。
 また、これほどの古典となれば、繰り返し読むうちに固定した解釈を何の疑問も持たず、表面をなぞるような「慣れ」の読み方に陥ってしまうこともありがちなものです。英語訳を通してそれを読むことで、自らの読みについて再認識をすることがあるかも知れません。

■このQ&A集について

 このQ&Aは、英語にあまり堪能ではないGSが、英語に堪能なUSに質問し、答えてもらうという形をとっています。我々は芭蕉についてはあくまで「アマチュア」です。キーン氏が英語にどう訳しているか、それは何故かといった、翻訳に関する議論の範囲を越えない節度を保つよう努めたつもりです。
 キーン氏の『おくのほそ道』はすばらしい英語による名訳です。Q&Aは、原文と英訳を最小限抜きだしてその解釈を見ようとしていますが、前後の文脈を切り捨てて取りあげるということは、この名訳に対しては、失礼なことなのかもしれません。ぜひ、講談社学術文庫版をお手もとにご用意のうえでお読みいただければ、と思います。

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