A Short Essay on Hojioki
K.NATSUME
8th December, 1891
【漱石原文第1段落】
The literary products of a genius contain everything. They are a mirror in which every one finds his image, reflected with startling exactitude; they are a fountain which quenches the thirst of fiery passion, refreshes a dull, dejected spirit, cools the hot care-worn temples and infuses into all a subtle sense of pleasure all but spiritual; an elixir inspiring all, a tonic elevating all minds. The works of a talented man, on the other hand, contain nothing. There we find fine works, finely linked together and fine sentiments, also finely interposed. But then they are only set up for show. Like a mirage, they strike us for a moment with astonishment, but soon slip out of our mental vision because of their unsubstantiality. We may be amused by them just for an hour or so, then dispense with them forever without incurring any loss to our intellectual storehouse.
GS'sQuestion(以下GSQ)
最初の段落ですが、特に難しいところはありません。ひとつ「才長けたる者の作品では、fine works, fine sentences, fine sentimentsが綯い合わされ、織り込まれているとされていますが、最初のworksは、彼等の作品と言う時のworkとは違うと思いますが、このworkは何で、どう訳すべきなんでしょうか。
SU'sAnswer(以下SUA)
workではなくworksで、複数であることに留意してください。つまり作品と解すべきです。fine works, fine sentences, fine sentimentsはいわゆる並置ではなく、fine sentences, fine sentimentsがfine worksを説明しているわけです。しかし、ここで、fineという言葉が続けて4回も使われているのは感心しません。英語は繰り返しを嫌い、また語彙も豊かなため、重複を避けるのがルールですから。
GSQ
なるほど、並置ではないのですね。わかりました。後ろの方にあるmental vision, intellectual storehouse。これいいですね。英語では一般的に使われる言葉ですか、それとも漱石の造語でしょうか。
SUA
mental visionはあまり使われないでしょう。しかし、visionのみでは洞察力あるいは夢、幻影とされかねないし、また、漱石の意図は「精神の視野」でしょうから、これが相応です。一方で、intellectual storehouseはあまりお目にかからない言葉ですが、漱石の造語とまでは言えないでしょう。漱石の日本語は融通無碍でしたが、英語の教師としては普段の用法にない言葉遣いは避けるべきと考えたはずです。
GSQ
翻訳ですが文語体を書いたのは初めての経験です。しかし英語を訳すのに文語体は意外に楽ですね。「〇〇するところの」とか「〇〇するの愚」などという表現は口語ではまどろっこしくなります。明治の文語体自体が、翻訳調で成立しているのでしょうか。漱石の文語体の独特な点などがあるのでしょうか。
SUA
文語体はスタイルが確立していると言っても良いですからね。ここに漱石独特のスタイルがあるわけではないでしょう。ユニークネスは言葉(漢字)の選び方にあるのでは。文語体はスタイルを頭の中にインプットできれば、案外すらすらと書ける。一方で、口語体は明治以来のもので、小説どころか論文、新聞記事にまで幅広く使われ、この期に及んでもスタイルが出来ていないと言っても良い。何をしてもいいわけではないと思いますが、自由度が高いことが一種の難しさになり、漢学の素養がないと、文章にしまりがなくなります。
【初期漱石風試訳】
天才の成せる文学作品 1 「文藝」案もあるが、literatureを学問とするために漱石は「文藝」よりあえて「文学」を多用しているため、「文学」を採用した。は、其処にすべてを内包せるものなり。其れは鏡にして読む者はそこに己の姿をまさに見出すなり。其れは泉にして熱き情熱の渇きを安らげ、鈍き消沈せる精神を覚醒し、悩み疲れ熱あるこめかみを冷まし、霊的とも言ふべき精妙なる歓喜の感覚を注ぎ込むものなり。又其れはすべてを鼓舞する仙薬にして、すべての心意気を高揚するところの強壮剤なり。能才ある者の作品は、それらに比すれば、其処に何ものも包含せざるなり。吾等は其処に、結構なる2 fineは「巧妙なる」が初案であったが、組み立て、構成の良さを表現するので、「結構なる」が適切かと考える。また、手放しで褒めていない感を出したくこの訳語を採用した。作品が巧妙に繋ぎ合はされ、微細なる情緒が同じく精緻に織り込まれたるを見る。されども其れらは、ただ見せんがために作られたるものに過ぎぬ。蜃気楼の如くそれらは吾等の心を打ち驚かせもするが、それも束の間にて、実体なきがゆゑにやがて吾等の精神の視野から消え去るものなり。その楽しみはひと時にて、それを長しへに失ひても、吾等の智力の庫は何らの損害も被ることなし。
【漱石原文第2段落】
Again there is a third class of literary production which stands half-way between the above two and which will perhaps be most clearly defined by the name 'works of enthusiasm'. Books of this class are not meant for all men in all conditions, as are those of a genius, nor are they written from the egotistic object of being read, nor as a pastime of leisure hours, as those of a talent, but they are the outcome of some strong conviction which satiating3 下のSUAに記すように、ここはsaturating が適切ではないかと考える。 the author's mind finds its outlet either in the form of a literary composition or in that of natural eloquence. They are not the result of forced labour or of deliberate artifice, but are feats accomplished, so to speak, spontaneously. At their best where the conviction is so profound as to be raised to the level of truth itself, and the passion attains a white heat, they are in no wise separated from the works of genius. Even in the worst, they cannot fail to attract some readers whose view of life runs in the same groove as the author's, nor can they cease to be a source of pleasure to those whose temperaments happen, in certain points, to sympathize with his. For whether they be short or long, elaborate or succinct, they are invariably earnest in tone. And earnestness is that quality which carries us along with it, whether we will or not.
GSQ
'works of enthusiasm' をどう訳せばいいでしょうね。enthusiasmは普通「情熱」と訳されますが、情熱の作品では天才の作品もそうだと言えるでしょうし、この第三の部類の特性が言い表せません。「酔狂」では広辞苑では「酔っ払い」「物好き」という意味です。しかし「酔う」は必ずしも酒でなくとも、ひとつのことに「酔う」と考え、それに「狂う」として「酔狂」です。どうでしょうか。
SUA
「酔狂」は風変わりなことを好むの意ですから、違いますね。ここのenthusiasmは現代日本語で言えば「エンスー」が近い。いずれにしてもenthusiasmの意味は限られていますので、ここは「熱情」の方が適切かな。漱石の『写生文』という文章の中に「前後も弁えぬほどの熱情をもって文をやる」との言葉があります。それより、satiatingが解せません。これは十分に満足する、あるいは飽き飽きするという意味で、満足してしまっては外に流れ出ませんので、文脈から言えばsaturatingが適切かと思いますので、そのように解釈しました。
【初期漱石風試訳】
さらに亦、上述せる二者の中間に位置したる第三の部類の文学作品あり。其れは恐らく「熱情の作」なる名によりて、尤も4 「道理にかなう」の意味では「最も」より「尤も」が適切と考える。 明瞭に定義さるべきものなるべし。この部類の作は、天才の作の如く、あらゆる階級5 all men in all conditions であるが、明治であり「階級」と解した。のあらゆる人間に向けたるものにあらず、また読まれんがためとの利己心の目的より書かれたものにもあらず、才長けたる者の作の如く余暇の慰みとせんがためのものにもあらず。其れは著者の強烈なる確信がその心に満ち溢れ6 satiatingでなくsaturatingと解した訳である。 、文学的構築物として或るひは巧まざる雄弁となりて、其のはけ口を見出したる産出物なり。其れらは強ゐられたる労働の作物7 result、「作物」としたが、これには漱石の使用例がある。にもあらず、意図的に細工されたものにもあらず、言はば天然自然の業8 直訳すれば「自発的に遂行されたるもの」であるが、featsのニュアンスを意識して「天然自然の業」と訳した。なり。その最善なるに於ては、筆者の信念が真理其のものの次元まで高めらるるほど深遠にして、熱情が白き熱を帯びるほどになれば、天才の作とさへ截然と区別のできぬもの9 漱石が実際に使用した言葉である。なり。最も劣りたるに於てさへ、人生観が著者と調和せる幾足かの読者を引きつけ能わざることなく、其の性分のとある部分に於て著者にシムパシーを感ずる10 日本語における「共感」は 1885 年が初出である 者の喜びの源泉たること常ならん。かく言ふは、其れらの長き或るひは短き、入念或ひは簡潔たりとて、如何なるに於きても、その語調の真摯なること変わらざればなり。望むも望まざるも、真摯さこそ吾等を惹き付くる11 carriesは「運ぶ」ではなく「惹き付ける」の意である。特質なり。
【漱石原文第3段落】
Writers of this class are however subject to a certain disadvantage from which the other two are generally free. When their thoughts are too uncommon or too abstruse, they cannot, as a matter of fact, have many readers. The intellectual flames, too fine and subtle to catch, the average mind, have12漱石原文ではhas。全集ではsicであるが、ここでは正しいhaveに改めた。 no power, in this case, to kindle a spiritual fire in it, the appeal to whose common sense is a decided mark of popularity. In such cases, they are generally superseded by transient luminaries of minor dimensions and doomed to sink into oblivion, hiding that one talent "lodged in them useless".
GSQ
"lodged in them useless" は引用のようですが、有名な言葉ですか。
SUA
ミルトンの"On His Blindness"(彼の失明)という詩の一節の中に "Lodg'd in me Useless"((才能が)無駄に私に預けられている)があり、出所はこれでしょう。漱石であればミルトンを読んでいて当然でしょう。Lodgeは一時的に宿るの意です。
【初期漱石風試訳】
されど此の部類の著者は、他二者が被ることなき或る不利益を被らざるを得ず。彼等の思想が非常或るひは荒唐無稽に過ぐれば、実際多くの読者を得ること能はざるなり。またここに於て其の知性の炎が繊細に過ぎ、微妙で捉えがたきものなれば、並みの知性は己の心中に霊的な炎を灯すこと能わず。並みの知性の常なる感覚に訴ふること、是れ人気の明らかなる印なり。斯様なるに於ては、概ね低次元なる光輝13光輝、luminariesには 作家という意もある。 に取って替はられ、「彼等に宿る無駄なる」ひとつの才能を秘したまま世に忘れさらるる定めなるべし。
【漱石原文第4段落】
Still popularity does not make a poet or an author, any more than the average sentiment for the beautiful would make aesthetics. Paradoxical though it may seem, an author's real power is sometimes in inverse ratio with his popularity. For if he fails to appeal to mankind at large, he may still appeal to a select few whose opinion is far more valuable than the applause of the multitude. As in the case of intellect where to recognise a truth is not the lot of every man, though he be endowed with the same faculty of reasoning and the same form of understanding as others, just so in the province of literature, it does not lie within every man's power to appreciate a work of high merit which seems at first sight to be meaningless or even repulsive. We may safely lay down the proposition that no one will deny the simple truth that two and two make four, but we doubt whether there is one in every ten who will consent to the statement that the world's onward course consists of the gradual unfolding of the Mundane Spirit. Nor would any one except the cultured acknowledge the truth that space and time are not objective realities but only the necessary forms of subjective cognition. This difference between common sense and philosophy, may, to a certain degree, be stated as existing between common sense and literature. For, as M. Taine wisely remarks, under every literature lies a philosophy and a philosophy which is a mere skeleton, becomes a literature when clothed with flesh and blood. Common people who look only at the outward semblance are struck dumb with admiration, where it is shaped with such a skill as in the case of a great artist, and stand gazing on, until they forget to consider what a grim ungainly bony case is concealed within. But where both flesh and blood are scantly in quantity and are subordinated in treatment to the structure of the skeleton, so that its ugly frame may be seen through the skin, people are generally scared and will soon take to their heels. Only firm and robust minds can resist the momentary shock and find there something attractive; or persons with a peculiar bent of mind who find their likenesses reflected there, can truly sympathize with those seeming apparitions.
GSQ
最後のthose seeming apparitions は骨格が透けて見えるようなものを「幽霊のごときもの」と言っていると見ていいでしょうか。
SUA
具体的には、皮膚を通して見えるugly frame(醜い骨組み)のことですね。こちらは単数ですが。
GSQ
それにしても文芸の話から哲学の骨格の話に展開するのに、ヘーゲルの世界精神、たぶんW.ジェームスだと思うのですが、認識の形式論、これらはちょっと大げさですね。論がちょっと飛躍するように感じますが。
SUA
この部分は、方丈記を論じる上でのイントロダクションで、重要な部分と言えます。骨(哲学、思想)が透けて見えるのが方丈記であると続くわけですから。漱石とW.ジェームスの関係はかなり深いとも言え、彼の蔵書にはジェイムズの著作が三冊(『心理学原理』、『宗教的経験の諸相』、『多元的宇宙』)あったとのこと。漱石は大学時代にヘーゲルの『精神現象学』を原文で読んで『老子の哲学』を書き、『三四郎』の中にも「余程ヘーゲルの好きな男と見える」という箇所があります。明治のインテリはあくまでもインテリです。しかし、漱石が何度読んでもわからないものもあったようで、その例としてEdmund Burkeの本を挙げています(漱石が読んだ可能性のあるものは“A Philosophical Enquiry into the Origin of Our Ideas of the Sublime and Beautiful” でしょうかね)。
【初期漱石風試訳】
されど人気が詩人や作家を作るものにあらず、況や並みの美への情操から美学は生ぜず。逆説的に見ゆるも、作家の真の力量は、時に其の人気とは比例せざるものなり。彼が大なるところ人類に訴ふること失すること有らんも、依然選ばれたる少数に訴ふること有りうべく、其の少数の意見は大勢の喝采よりも遥かに価値有るものなり。智力におきては、人並みの推理力と理解の仕方を有したりとも、真理を解することは全ての人間の定めならず。文学の領域に於ても同じことにて、初見にては無意味、さらに嫌悪を感ずとさへ見ゆる作の高尚の美点を賞する力は、万人の及ぶところにあらず。二足す二は四であることを誰も否定せずと主張して何ら差し支えなきも、今後の世界の趨勢は世霊14ヘーゲルの世界精神のこと。漱石は『文学論』の中で「形而上学者が所謂Mundane Spirit(世霊)と名づくるもの、あるいは宇宙即神論者が形而下の物体に漠然たる霊を想像し」と述べている。の徐なる展開より成るとの言説には賛同せる者、十人中に一人居るや否や。更に言はば、空間と時間は客観的実在に有らずして、主観的知覚に必要なる形式に過ぎぬとの真理は、相当なる教養人以外は誰も認識できぬ。コモン・センスと哲学との斯様なる差異は、幾分コモン・センスと文芸の間にも存すと言えるやも知れぬ。M. テエン氏15テーヌのこと。明治時代は「テエン」と言っていたそうでである。の言ふ如く、あらゆる文学作品の内には哲学が存し、骨格たる哲学は其れに血肉を与へた16clothe withは「に○○を与える」の意。もちろん、纏わせるニュアンスもあるが。時に文学となるがゆゑなり。外界の上辺しか見ぬ並の人間も、偉大なる芸術家の如き技量によりて其れらが形づくらるれば、感服のあまり言葉を失ひ立ち止まりて凝視し、終には如何に醜悪なる骨格がその中に隠され居るかを考ふることさへ忘るべし。されど血肉の量が少なくして、骨格構造に付随するがごとき扱ひを受くるば、おそらく醜悪なる骨格が皮膚を透して見え、あまねく人々は恐れをなし、一目散に逃げ去らん。唯確固たる堅牢なる精神のみ一時の衝撃に耐え、其処に魅力的なる何物かを見出得るものなり。或は一風変はりたる精神の傾きを持つ者がそこに己と似たるものを見出し、これらの亡霊の如きものに真にシムパシーを感ずる17前述したように、日本での「共感」初出は1885年であり漱石がこのエッセーを書いた時にはその言葉は存在していない。 ものなり。
【漱石原文第5段落】
An apparition, possibly, the following piece may seem to most of us, inasmuch as only a few can nowadays resist its angry isolation and sullen estrangement from mankind, still fewer can recognise their own features reflected in it. Philosophical arguments too may be urged against the author's narrow-minded pessimism, his one-sided view of life, his complete renunciation of social and family bonds. With all that, the work recommends itself to some of us for two reasons: first for the grave but not defiant tone with which the author explains the proper way of living, and represents the folly of pursuing shadows for happiness, secondly for his naive admiration of nature as something capable of giving him temporary pleasure, and his due respect for what was noble in his predecessors.
GSQ
ここから漱石の方丈記解説、漱石の鴨長明理解に入りますが。冒頭の漱石の方丈記観は、現代の我々から見ると、ちょっと極端ですね。これは漱石自身の理解でしょうか、明治ではこれが一般的な方丈記観、鴨長明観、あるいは隠者観だったのでしょうか。それとも現代の方丈記観が、少々文芸趣味的に変わってきたのでしょうか。翻訳の問題からは離れますが……。
SUA
この論考は外国語教師M.ディクソンに依頼されたものですから、まず、ディクソンを読者と想定、あるいは広く英国人が対象で、当然、彼らにどのように理解させるかを考えたはずです。したがって、これが日本人一般(どの程度の範囲を指すかはわかりませんが)の認識と多少ずれがあっても致し方ない。むしろ、西洋(欧米)文学をある程度理解した日本人が展開する比較文学論の嚆矢かもしれない。方丈記は、当時の世相や天変地異を記録した歴史的資料として重宝されたこともあったようで、いろいろな読み方ができたから今まで読み継がれてきたのでしょうな。
【初期漱石風試訳】
以下なる作品〔方丈記〕は、恐らく吾等大半にとりて其れは亡霊の如きものと思はるべし。今日、其の人間世界からの怒れる孤立と不機嫌なる離脱に耐へうる者は極少数にして、また其処に反映せる己の姿を認むる者はさらに少数なるがゆゑなり。作者の狭量なる厭世観、其の偏したる人生観、社会及び家族との絆の徹底せる放棄を難ずる哲学的議論も又必要なるやも知れず。さはあれどこの書は吾等の或る者に自らを推奨する二個の理由あり。第一に、著者が正しき生き方を説き、幸福を追い求むるの愚を表するの重厚にして挑まざる其の語調のゆゑなり。第二に著者に束の間の喜びを与へ得るものとしての自然への素朴なる賞賛、又先人達見ゆる高貴さへしかるべき敬意を払うゆえなり
【漱石原文第6段落】
It is an inconsistency that a man who is so decidedly pessimistic in tendency should turn to inanimate nature as the only object of his sympathy. For physical environments, however sublime and beautiful, can never meet our sympathy with sympathy. We can not deny that we are sometimes inspired by her grandeur, --- which however is not the case with Chomei ― but the inspiration comes only through some mechanical influence as in the case of an electric shock acting powerfully upon our system, and not through anything like spiritual communication which may exist between man and man. After all, nature is dead. Unless we recognize in her the presence of a spirit, as Wordsworth does, we cannot prefer her to man, nay we cannot bring her on the same level as the latter, as our object of sympathy. Man with all his foibles and shortcomings, has still more or less sympathy for his fellow creatures. Granting that love deepens where sympathy is reciprocal, we find no reason why we should renounce all human ties and sullenly fly to cold, unsympathetic nature as the only friend in the world, who is really harmless. Harmless she may be, but can never be affectionate!
GSQ
前の段落にthe work recommends itself to some of us for two reasonsとあり、次の段落の冒頭In the second placeです、この段落が第一の理由に対応しているのでしょうか。第一の理由と漱石が述べるのはthe grave but not defiant tone with which the author explains the proper way of living, and represents the folly of pursuing shadows for happinessですが、この段落は自然観を述べているだけで、齟齬があるのではないでしょうか。
USA
次の段落のところで述べますが、In the second placeは「第2」ではなく「さらに言えば」です。厳密に第一、第二の理由に対応させて語ってはいないようです。
GSQ
nature is deadというのも、すごいですね。漱石の自然観は、畢竟のところがこれですかね。漢詩などでは、自然を詠んで、死物相手だったんでしょうか。それともワーズワースなどに対して、意図的にそう書いたのでしょうか。
SUA
『英国詩人の天地山川に対する観念』の中で、「アヂソン」が挙げる自然と人巧の関係、
第一 天無意、人無意
第二 天無意、人有意
第三 天有意 人無意
第四 天有意 人有意
を挙げ、第三と第四は採用しがたいと述べています。天に意識あり、自然に意匠ありとは常識の許さざる処、です。Nature is deadは強い言葉ですが、「自然は生き物にあらず」というところでしょうか。これはきわめて西洋的な考え方ですが、上で「自然に意なき」とも言っていますから、当時そう思っていたことは確かでしょう。
GSQ
ワーズワースについては本論では詳しく触れていませんが、本当に自然の中に魂の存在を認めていたのでしょうか。レトリカルな、比喩的なものではないのでしょうか。
SUA
上記の論の中に、「然らば、「ウォーヅウォース」の自然を愛するは山峠ち雲飛ぶが為にあらず、……其の内部に一種命名すべからざる高尚な純粋の霊気が、人間自然両者の底に潜むが為めのみ。」とあり、spiritは魂ではなく霊気で、明らかに霊気の存在を認め、「山は固より山、水は固より水」と考える「バーンス」と一線を画すとしています。
GSQ
WORDで書いていると、繰り返しcan not にスペルチェックが入ります。cannotにしろ、と言うのです。この使い方はまずいのですか。
SUA
canの否定形としては、cannotあるいはcan’tの二つが一般的で、後者は口語的、前者はフォーマルで、can notは現在ではあまり使われない(○○しなくてもよい)意味もあり、今では一般的に使わないとされています。まあ、スペルチェックを入れないためには、can notを「辞書」に追加するしかないでしょう。
【初期漱石風試訳】
断固たる厭世的性向の者が、その情の唯一対象なりとて命無き自然へと向かふは、矛盾有るやうに思ふ。かく言ふは、物的環境は如何に神々しく美しくも、吾等の与ふる情に情を持ちて答ふることありうべからず。自然の壮大に霊感を享ることあらんも、長明に於てはさにあらず――されど霊感は吾等の身体に強烈に作用する電気ショックの如き力学的作用として訪るるものにして、人間間に存する精神的交信の如きものに依りて来るものにあらず。詰まる処自然は死せるものなり。ウォーヅウォースの成せる如く自然の中に霊気の存するを認むるにあらざらば、吾等は人間よりも自然を選ぶこと能はず、否、吾等は自然を情念の対象なりとて人と同次元に置くこと能はざるなり。人は各々欠点、短所あれども、多少なりとも仲間に情を抱くものなり。情は交わすことによって深まるなり、これを認むるならば、人との絆を全て捨て去り、この世で唯一の悪意なき友として、冷たく情なき自然へと鬱勃として逃避する18 flyには出奔する、逃げる意である。理由を見出すことはできぬ。自然は悪意なきやも知れぬ、されど情とは縁なき者なり。
【漱石原文第7段落】
In the second place, Chomei forsook the world, because, he tells us, all earthly things are precarious in state, fortuitous in nature and therefore not worth while aspiring after. Why then did he look so indulgently upon nature which is not a jot less subject to change? Why did he not renounce her in the same breath with which he renounced life and property? It is still more unaccountable that such a professed misanthrope as Chomei should find any interest in some particular individuals who had gone before him. Be that as it may, however, we are not concerned merely with his inconsistencies, of which he has many.
GSQ
冒頭のIn the second placeですが、これは前々段のsecondly for his naive admiration of nature as something capable of giving him temporary pleasure, and his due respect for what was noble in his predecessors、に対応していると読んでいいですか。
SUA
このIn the second placeは、「さらに言えば」、「次に」という風に訳すべきです。「第二に」ではありません。
【初期漱石風試訳】
さらに言へば、長明はこの世を棄てしが、其の言に依れば、総てこの世のものはその有様移ろひやすく、当てにならぬものにて、求むる価値なきなり。さらば何故に少しも劣らず移ろひ易き自然に斯くまで傾きたるか? 何故に生命及び財を棄てたると同時に自然をも棄てざるか? 長明が如き公然たる厭世者が、己に先立つ幾人かの者に、心引かれたること、これは更に解き明かし難きことなり。さはさりながら吾等は彼の数多き矛盾点にのみ関心を抱くにあらず。
【漱石原文第8段落】
In spite of all these drawbacks, the author is always possessed with grave sincerity and has nothing in him, which we may call sportive carelessness. If he can not stand critical analysis, he is at least entitled to no small degree of eulogy for his spotless conduct and ascetic life which he led among the hills of Toyama, unstained from the obnoxious influence of the Mammon-worshipping, pleasure hunting ugly world.
GSQ
翻訳の話ではありませんが、鴨長明という人にはどうしても、ちょっとばかり俗っぽさを感じてしまうのですが。
SUA
欲を出していろいろやってみたが、どれもこれもうまく行かずというイメージですで、長明は出家したとは言っても実社会との関わりを持ち続けていたし、外面的には完全なる出家ではなかったらしい。だが内面的には、そこらの坊主よりもずっと求道的で自分に厳しくまじめだったという評価もあります。
GSQ
前々段、前段の論を踏まえてcan not stand critical analysisと言っていますが。
SUA
文学的批評の対象にはなりにくいと漱石は述べているわけで。つまり、装飾(血肉)がなく、思想(骨格)が透けて見えるようなものは文学とは言い難いとの主張ですから、批評の対象ではなくなるわけです。
【初期漱石風試訳】
斯様の欠点あるも、著者は常に厳粛なる真摯さを保ちて、其の身に戯れにも無分別の行いなし。斯の者、批評分析に耐えずと雖も、其の汚点なき行ひと、拝金主義と享楽追求の汚き世界の不愉快な影響に染まることなく外山の丘陵にて送りし禁欲生活は、少なくとも聊かの以上の称賛に値せり。
【漱石原文第9段落】
Chomei's view of life which has been implicitly mentioned above, may well be illustrated by a quotation from Shakespeare:
"The cloud-capp'd towers, the georgeous palaces,
The solemn temples, the great globe itself,
Yea, all which it inherit, shall dissolve
And like this insubstantial pageant faded,
Leave not a rack behind. We are such stuff
As dreams are made on and our little life
Is rounded with a sleep."
GSQ
ここは特にわからないところはありません、
SUA
ShakespeareのTempestの一節です。
【初期漱石風試訳】
以上それとなく述べたる長明の人生観は、シェークスピアからの引用に依りてより明らかになるべし。
雲を頂きたる塔、豪奢なる宮殿
荘厳なる神殿、偉大なる地球そのものも
さよう、この地にあるすべては溶け去って
さありてこの空虚なる見世物が跡形もなく消え去り
其の後に雲ひとつ19 舞台上の作り物の雲をrackと称したものである。 さへも残さぬ 吾等は夢の如きものにて作られ
しかして吾等がささやかな人生は
眠りの内に幕を閉じぬ
【漱石原文第10段落】
Considering the particular social circumstances under which he lived, his peculiar turn of mind much hardened by his personal experiences as well as the strong influence which Buddhistic theology exerted upon his thought, it is not surprising he was irresistibly driven into an ethereal region where eternal mind calmly sits by itself, emancipated from all objects of ephemeral nature. Thus to him, to be up and doing, still achieving, still pursuing, seemed the greatest folly of all follies. Rather like 'the hermit of the dale' he might invite others: —
"Then, pilgrim, turn, thy cares forego;
All earth-born cares are wrong:
Man wants but little here below,
Nor wants that little long."
GSQ
the hermit of the daleも有名な言葉なのでしょうか。
USA
オリバー・ゴールドスミスの“The Hermit”からの引用です。ゴールドスミスはジョンソン博士のサークル(The Club)の一員で、ウエストミンスターに葬られ、彼の墓碑銘はジョンソン博士が書きました。今の時代の日本人には馴染みがありませんが、漱石の時代は読むべき著者と見做されていて、その主著である『ウェイクフィールドの牧師』はドイツの文豪ゲーテをして「小説の鑑」と言わしめたそうであります。
GSQ
この詩hシェークスピアからの引用ではないのですか。
USA
ゴールドスミスの”The Vicar of Wakefield”からの引用です。
GSQ
後半の2行は命令形なのでしょうか。その読まないと、巡礼者は煩悩を持ち下界の人はそれが無い、という風に読めてしまいますが。
USA
命令形ではなく、「人は・・・するものだ」ということで、訳のままでいいと思います。
【初期漱石風試訳】
彼の生きたる格別なる社会環境を考へるに、仏教の教へが其の思想に及ぼしたる強き影響に加へ、己の経験によりて其の生来持てる気質がさらに強まりぬ。彼が、儚き性の総てのものから解き放たれ、永遠なる心が静謐に座す処の、幽玄なる世界へと自ずから導かれたるは驚くに当たらぬ。斯くして長明にとりて、立ちて行ひ、更に成し遂げ、更に追ひ求めんことは、愚行中の最愚行と思へたるなり。むしろ「谷間の隠遁者」の如く彼は他の者を招きたらん—
しからば巡礼の者よ、汝煩ひごとを捨てよ
地上に生まれし煩ひごとは悪なり
人はここ下界にてはわずかしか欲せず
そのわずかも、長しへには欲せず
【漱石原文第11段落】
Deeply impressed by the insecurity of life and property, he fled to nature. There among flowers and rocks, he quietly breathed his last. Let a Bellamy laugh at this poor recluse from his Utopian region of material triumph; let a Wordsworth pity him who looked at nature merely as objective and could not find in it a motion and a spirit, rolling through all things; let all those whose virtue consists of sallying out and seeking his adversary20 Miltonの詩の一節である。 turn upon him as an object of ridicule: for all that he would never have wavered from his conviction.
GSQ
a Bellamy、a Wordsworthですが、ベラミもワーズワースも個人名です。どうしてa がついているのですか。
SUA
固有名詞の前に付けて、「のような人」という意です。この場合、「ベラミならば」「ワーズワースならば」という感じかな。ここは「」を付ければいいのでは。
【初期漱石風試訳】
生活と財産の安定ならざるを痛感せし彼は自然へと逃避せり。其処にて花や岩に囲まれて、静かに息を引き取りたり。「ベラミ」よ、物質的勝利のユートピアの世界よりこの貧しき世捨て人を笑はば笑え。「ウォーヅウォース」よ、自然をただ客観物として見、其処に生動と霊気の万物の中を輪転せるを見ざりし彼を、憐れまば憐れめ。打ち出でて己の敵を探すを徳となすすべての者よ、彼を嘲りの的となせ。如何なることがあろうとも彼は己の確信を揺るがすことあらざらん。
【漱石原文第12段落】
Of Chomei's life a few sentences suffice to tell you all. He lived in the latter half of the twelfth century, and was the son of the rector of the Kamo temple in Yamashiro. His solicitations to succeed to his father's position being refused, he shaved his head in vexation and retired to the sequestered village of Ohara. At the invitation by Sanetomo, he went to Kamakura and was a guest of that prince for a time. He spent in seclusion the remainder of his life in Toyama.
【初期漱石風試訳】
長明の生涯は数語でその総てを語るに足れり。彼は十二世紀後半に生きたる山城加茂神社の禰宜の子息たり。父の地位を継がんとの請願が拒まれしかば、無念のあまり法体となり、大原の人里離れたる村に隠棲せり。実朝に招来せられて鎌倉に赴き暫し実朝の客人たりし。その余生を、外山に隠遁して過ごせり。
【漱石原文第13段落】
He was well acquainted with the art of composing Japanese verse. Many pieces of his are found in a collection called Choku-sen (Imperial selection). Besides the Hojoki, he wrote the Ei-gioku-shu, the Mumyo-sho, Hosshin-shu, Shiki-monogatari and others.
【初期漱石風試訳】
彼は和歌の道に通じたり。彼の作の多くは勅撰集なる和歌集の中にあり。方丈記の他、英玉集、無明抄、発心集、四季物語等を著はせり。
【漱石原文第14段落】
In rendering this little piece into English, I have taken some pains to preserve the Japanese construction as far as possible. But owing to the radical difference both of the nature of language and the mode of expression, I was obliged, now and then, to take liberties and to make slight omissions and insertions. Some annotations have also been inserted where it seemed necessary. If they be of the slightest use in the way of clearing up the difficulties of the text, my object is gained. After all, my claim as regards this translation is fully vindicated, if it proves itself readable. For its literary finish and elegance, I leave it to others to satisfy you.
5th December, 1891
K.NATSUME
GSQ
最後は謙遜でしょうが、それにしても明治の帝国大学生の英語力というのは大したものですね。漱石は大学時代英語はあまり得意ではなかったという話を聞いたことがありますが、どうしてどうして、ですね。
SUA
英語が大の苦手とされていた正岡子規ですが、ドナルド・キーンによれば実際にはかなりの英語力があったそうです。やはり、明治のエリートには漢文の素養という大きな武器があります。
【初期漱石風試訳】
この小編を英語に移すに、可能なる限り日本文の構造を保つにいささか心を悩ませり。されど両言語の特性と表現様式の根源的なる差異に依り、時に意の儘に、又若干の省略、挿入を余儀なくされたり。必要なる箇所には注釈を加へたり。其れがテクストの難しさの解消に聊かなりとも役立たば、我が目的は達成されん。最後に、この翻訳に関する我が望みは、これが読むに値せば其れにて十分ならん。読者を満足さす文としての完成と洗練は、余人に委ねん。
1891年 12月5日
夏目金之助