A Translation of Hojioki
K.NATSUME
8th December, 1891
【原文】
ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世の中にある、人と栖と、またかくのごとし。
玉敷の都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、賤しき、人の住ひは、世々を経て、尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家は稀なり。或は去年焼けて、今年造れり。或は大家亡びて、小家となる。住む人もこれに同じ。所も変らず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかに一人二人なり。朝に死に、夕に生まるるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。
知らず、生れ死ぬる人、何方より来りて、何方へか去る。また、知らず、仮の宿り、誰が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その主と栖と、無常を争うさま、いはば朝顔の露に異らず、或は露落ちて、花残れり。残るといへども、朝日に枯れぬ。或は花しぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、夕を待つことなし。
【漱石英訳】
Incessant is the change of water where the stream glides on calmly: the spray appears over a cataract, yet vanishes without a moment's delay. Such is the fate of men in the world and of the houses in which they live. Walls standing side by side, tilings vying with one another in loftiness, these are from generations past the abodes of high and low in a mighty town. But none of them has resisted the destructive work of time. Some stand in ruins; others are replaced by new structures. Their possessors too share the same fate with them. Let the place be the same, the people as numerous as before, yet we can scarcely meet one out of every ten, with whom we had long ago a chance of coming across. We see our first light in the morning and return to our long home next evening. Our destiny is like bubbles of water. Whence do we come? Whither do we tend? What ails us, what delights us in this unreal world? It is impossible to say. A house with its master, which passes away in a state of perpetual change, may well be compared to a morning-glory with a dew drop upon it. Sometimes the dew falls and the flower remains but only to die in the first sunshine: sometimes the dew survives the drooping flower, yet can not live till the evening.
GS'sQuestion(以下GSQ)
漱石は「うたかた」にthe sprayを宛てています。うたかたは泡ということは漱石十分わかっているはずですが、どうして「しぶき」としたのでしょうかね。またそれが、over a cataractですが、これだと滝壺のしぶきになってしまいませんか。よどみに浮ぶ、というのとちょっと違って感じます。
US'sAnswer(以下USA)
cataractは大川の白く泡立つ急流を意味しますから、原文の「よどみ」とはだいぶイメージが違います。しかし、原文も「ゆく川」つまり流れる川に対し「よどむ」と対照的です。これは一つの川の姿じゃありませんね。流れる川と結んで消える泡の二つのイメージで「久しくとどまりたる例なし」となるわけですが、漱石は流れる川のイメージを重視したのでしょうかね。この部分は冒頭で、しかも方丈記の「思想」を端的に示すところですから、重要です。なお、この部分については以下の訳もあります。”The river never stops running(flowing), and the water is never the same as before. The bubbles are floating on the pool; some bubbles are disappearing, and some are coming up; they will never be the same.” まさに逐語訳ですが、漱石の訳はかなり短いものになっており、簡潔で、なんとなく、漢詩を思わせるじゃありませんか。
GSQ
誰の訳ですか。
USA
Keene氏です。Anthology of Japanese Literature の中に入っています。
GSQ
読んでみます。漱石訳と比較すると面白いかも。
次のところですが、単純にrareなどを使わず、意味をとってthe destructive work of timeとしています。うまいものですね。しかし、「これをまことかと尋ぬれば~住む人これに同じ」まではSome stand in ruins; others are replaced by new structures.と実に大胆に簡略化しています。訳し難いということもないと思うのですが。
SUA
”But none of them has resisted the destructive work of time. Some stand in ruins; others are replaced by new structures. Their possessors too share the same fate with them.“はなかなか簡潔にして要を得た訳です。「時に抗すること能わず」は長明の言いたいことでもありますし。
GSQ
morning-gloryは昼顔、morning gloryが朝顔と辞書にあります。まあ、大したことではないですが。
SUA
昼顔はCalystegia japonicaで日本原産だそうですが、morning-gloryでもOKだそうで。所詮同じ仲間なのだから。
GSQ
冒頭の段落で、大体漱石の翻訳姿勢が見えますね。日本文の構造は大胆に変更、意味・ニュアンスをしっかり移すという姿勢だと言っていいですか。
SUA
前述したように、和の文というより漢詩のイメージがありますね。声に出せばわかりますが、強弱が弱く流れるような日本の古語のリズムではないです。
【原文】
予、ものの心を知れりしより、四十あまりの春秋をおくれる間に、世の不思議を見る事、ややたびたびになりぬ。
去安元三年四月廿八日かとよ。風烈しく吹きて、静かならざりし夜、戌の時ばかり、都の東南より、火出できて、西北にいたる。はてには、朱雀門・大学寮・民部省などまで移りて、一夜のうちに、塵灰となりにき。
火元は、樋口冨の小路とかや。舞人(他本病人)を宿せる仮屋より出で来りけるとなん。吹き迷ふ風に、とかく移り行くほどに、扇をひろげたるごとく末広になりぬ。遠き家は煙にむせび、近きあたりはひたすら焔を地に吹きつけたり。空には、灰を吹きき立てたれば、火の光に映じて、あまねく紅なる中に、風に耐えず、吹き切られたる焔、飛ぶが如くして一二町を越えつつ移りゆく。その中の人、うつし心あらんや。或は煙にむせびて、倒れ伏し、或は焔にまぐれて、たちまちに死ぬ。或は身ひとつからうじて逃るるも、資財を取り出づるに及ばず。七珍万宝さながら灰燼となりにき。そのつひえ、いくばくぞ。そのたび、公卿の家十六焼けたり。まして、その外、数え知るに及ばず。すべて都のうち、三分の一に及べりとぞ。男女死ぬるもの数十人、馬牛のたぐひ、辺際を知らず。
人のいとなみ、皆愚かなる中に、さしもあやふき京中の家をつくるとて、宝を費し、心を悩ます事は、すぐれてあぢきなくぞ侍る。
【漱石英訳】
More than forty years of existence have rewarded me with the sight of several wonderful spectacles in this world. On the 28th of April in the 3rd year of Angen (1177) when the wind was raging and the night was boisterous, a fire broke at eight o'clock in the south-eastern part of the city and spread towards the north-east. The Sujakuden, the Daikyokuden, the Daigakurio, and the Mimbusho were all reduced to ashes in one night. A temporary structure at Tominokoji in Hinokuchi where the sick were lodged, was said to be the starting-point of the winged conflagration. Caught by the wind hovering around, the fire soon proceeded thence in the form of an open fan. It enveloped distant houses in smoke, and licked with fiery tongues the neighbouring ground. Sparks scattered on high, blazing with dazzling light, presented a brilliant glow of immense dimension. Amidst this red chaos, the flames driven by the wind, flew over the distance of one or two cho and found their new home in another quarter. The inhabitants were of course out of their wits. Some fell choked with smoke, others died in the conflagration. Those who fortunately escaped with their lives, lost all their property. No estimate could be formed of the treasures and riches that perished. One third of the city was left a wilderness. Thousands of people together with an immense number of cattle, fell victims to this merciless conflagration. Of all human contrivances which prove fruitless, the feeblest is that effort of theirs to reside in cities which are so dangerous.
GSQ
More than forty years of existence have rewarded me withという訳は本当にうまいな、と感じます。
SUA
この部分もいろいろに訳せますが、頭の文として簡潔で力強いです。
GSQ
the winged conflagrationのwingedは、炎の勢いを比喩しているのでしょうか。次のhoveringと呼応しますが、無くても十分原文の意味は伝わるように思えますが。
SUA
Wingedは「たちまち広まる」ですから、「飛ぶがごとくして…うつりゆく」に対応しているわけです。Hoveringは炎ではなく、「吹き迷う」風です。
GSQ
licked with fiery tongues、普通なかなかこういう風にはいかないですね。何かこの表現を読んだことがあるのでしょうかね。
SUA
これは絵画的な表現で、例えば、伴大納言絵巻とか平治物語絵巻などを見ると、まさにこのイメージの炎が出てきます。漱石はどこかでこれらの絵巻を見たことがあるのだろうか、当時これらが公開されていたかどうかはわかりません。さらには江戸(東京)では火事が多く、いろいろ目撃して、そのイメージが強いのかも。
GSQ
「そのたび、公卿の家十六焼けたり。まして、その外、数え知るに及ばず。」を訳していませんが、どうしてでしょうね。
SUA
”No estimate could be formed of the treasures and riches that perished“がこれに当たるのでしょう。
GSQ
原文を引用したのは角川文庫版ですが「数十人」です。Thousands of peopleは十と千の読み違いでしょうか。他の本も調べてみます。……岩波文庫を見てみましたが、やはり数十人でした。しかし注に「多くの諸本が数千人とする」とありました。漱石はどんな本を使ったのでしょうね。しかしよく考えてみると、火事で数千人も死にますかね。ちょっと多すぎるように思えます。
SUA
火事で焼けたのが数十人では、災害が日常茶飯事の当時では、人の記憶にも残らないでしょう。関白九条兼実の日記「玉葉」によれば、「京中人民多く焼亡」とあり、「公卿の家は関白・内大臣以下十四人(の邸宅が)焼失(方丈記は十六邸)、殿上人以下はその数を知らず」。市街地は「およそ東は富小路、南は六条、西は朱雀(門)以西(まで)、北は大内(裏)合わせて焼亡」で、およそ洛中の三分の一、三百八十町、二万余家が焼失、です。
GSQ
最後の一文は、大胆にカットして、危険な京に住むことに対するコメントになっています。ちょっと文意が違ってきませんか。
SUA
「宝を費し、心を悩ます事は」をthat effort of theirsと簡潔に処理しましたが、文意は十分伝わります。
【原文】
また、治承四年卯月のころ、中御門京極のほどより、大きなる辻風おこりて、六条わたりまで吹ける事侍りき。三四町を吹きまくる間に籠れる家ども、大きなるも小さきも、ひとつとして破れざるはなし。さながら平に倒れたるもあり。桁・柱ばかり残れるもあり。門を吹きはなちて、四五町がほかに置き、また、垣を吹きはらひて、隣とひとつになせり。いはんや、家のうちの資財、数をつくして空にあり、檜皮・葺板のたぐひ、冬の木の葉の風に乱るるが如し。塵を煙の如く吹き立てたれば、すべて目も見えず、おびたたしく鳴りとよむほどに、もの言ふ声も聞えず。かの地獄の業の風なりとも、かばかりにこそはとおぼゆる。家の損亡せるのみにあらず、これを取り繕ふ間に、身をそこなひ、かたはづける人、数も知らず。この風、未の方に移りゆきて、多くの人歎きをなせり。
辻風はつねに吹くものなれど、かゝる事やある。ただ事にあらず。さるべきもののさとしかなどぞ、疑ひ侍りし。
【漱石英訳】
On the 29th of February in the fourth year of Jisho (1180), a whirlwind arose in Kiogoku and rushed toward Rokujo with terrible vehemence. Travelling three or four cho in one gust, it wrecked all the houses standing in its way. Some were thrown down flat upon the ground; others stood only with their pillars. The roofs of gates were blown off, fences were broken and neighbours found their mansions without any boundaries. Articles of furniture were whirled up into the sky; the bark and thatch which had covered the roofs looked like leaves before a wintry wind. The dust which, like thick smoke, blinded our eyes, the raging of the gale which drowned all human voices, reminded one of the Go wind of Hell. The wind destroyed not only houses, but maimed people who were engaged in checking its work. It travelled toward the south-west much to the grief of people living there. Though a whirlwind usually springs up, such a violent one is indeed an exception. I could not help thinking then that it was meant for a warning from the Unseen.
GSQ
門はThe roofs of gatesと厳密に訳し、「四五町がほかに置き」はカットしています。
SUA
“Blown off”と「吹き飛んだ」だけで済ませていますな。また、吹き飛んだのは門ではなく、roofsとしていて、この点はかなり厳密です。門は倒れることはあるでしょうが、遠くまで吹き飛ぶことはないでしょうからね。
GSQ
checking its workは辻風のなした事を指しているのですか。原文とはニュアンスが違いますね。
SUA
辻風の被害を「防ごうとした」(取り繕ふ)人々の「身をそこなひ、かたはづける」です。取り繕ふは「うまくその場をおさめる」の意ですが、あたふたとした感じがありますが、漱石の訳にはこうしたニュアンスはないです。
GSQ
「さるべきもののさとし」をa warning from the Unseenと訳していますが、欧米人を読者と考えた訳なのでしょうか。
SUA
「さるべきもののさとし」の「さるべきもの」は神仏ではない何かとされていますので、「目に見えない何物か」の訳は適切だと思います。治承四年ですから、平家打倒の機運が高まるキナ臭い時期です。
(Several paragraphs which follow are devoted to an account of the removal of the capital to Setstsu in 1180, of the famine during Yokwa (1181), of the pestilence in the same year, the earthquake in the second year of Genreki. All these however are not essential to the true purport of the piece, so that we can dispense with them with little hesitation.)
GSQ
地震の話も訳してもらいたかったですね。本筋に関係ないとはおもえませんが。
SUA
with little hesitation「躊躇することなく」カットしたわけです。
【原文】
すべて、世の中のありにくく、わが身と栖との、はかなく、あだなるさま、また、かくのごとし。いはんや、所により、身のほどにしたがひつつ、心をなやます事は、あげてかぞふべからず。もし、おのれが身、数ならずして、権門のかたはらにをるものは、深くよろこぶ事あれども、大きに楽しむにあたはず。なげき切なる時も、声をあげて泣くことなし。進退安らからず。立ち居につけて、恐れをののくさま、たとへば、雀の鷹の巣に近づけるがごとし。もし、貧しくて、冨める家の隣にをるものは、朝夕、すぼき姿を恥じて、へつらひつつ出で入る。妻子・童僕のうらやめる様を見るにも、福家の人のないがしろなる気色を聞くにも、心念念に動きて、時として安からず。もし、狭き地にをれば、近く炎上ある時、その災をのがるる事なし。もし辺地にあれば、往反わづらひ多く、盗賊の難はなはだし。また、いきほひあるものは貪欲ふかく、独身なるものは、人にかろめらる。財あれば、おそれ多く、貧しければ、うらみ切なり。人を頼めば、身、他の有なり。人をはぐくめば、心、恩愛につかはる。世にしたがへば、身、くるし。したがはねば、狂せるに似たり。いづれの所を占めて、いかなる業をしてか、しばしもこの身を宿し、たまゆらも心を休むべき。
【漱石英訳】
Such are the evils of the world, the instability of life and of human habitations. Still greater is the distress which we experience through the shackles of social bonds. Those who enjoy the favor of the great may for a moment be steeped in pleasure, but can not enjoy permanent happiness. Like a sparrow close by the nest of an eagle, they live in a state of perpetual fear. Poor folks, on the other hand, are vexed with their wretched condition, are forced to look on the impotent envy of their wives and children, and to put up with the insolence of their rich neighbours. They too are unable to enjoy even a moment's peace of mind. Again those who live near thoroughfares can never escape the fury of conflagration when it rages. Let them reside in the country; they are then subject to no small disadvantage of bad roads, not to speak of an occasional attack from burglars. The strong knows no content, the single is the object of contempt; wealth brings with it an equal amount of care; poverty always goes hand in hand with distress; wealth brings with it an equal amount of care; poverty always goes hand in hand with distress; reliance makes one another's slave; charity fetters the mind with affection; to act exactly like others is intolerable; not to act as they do seems to be madness. In what place shall we settle and with what occupation shall we amuse ourselves?
GSQ
「身のほどにしたがひつつ」をthrough the shackles of social bonds としていますが、原文は身分の高低に関わっての悩み、漱石訳では社会関係、人間関係にからむもので、もう少し広い意味になるように感じます。
SUA
“social bonds”と片づけずに、もう少し具体的でも良かったのではと思います。この英語を訳すと「しがらみ」になるでしょう。また、この時代のことにsocialはいささか違和感があります。
GSQ
「大きに楽しむにあたはず。なげき切なる時も、声をあげて泣くことなし。進退安らからず」を漱石はbut can not enjoy permanent happinessだけで片付けています。かなり乱暴じゃないですか。
SUA
「大きに楽しむあたわず」までしか訳していません。ちなみに「切なる」は「せちなる」と読むそうですが、この部分は訳しても良かったでしょう。その場合は、「あまりに嘆きが深いので、涙も出ない」というようなニュアンスかと。
GSQ
near thoroughfaresで「狭き地」の意味になりますか。
SUA
「主要道路の傍に住む者は」ですから、「狭き地」の意にはなりません。しかし、実際には大きな道路の傍らに庶民が住んでいたようで、鎌倉の若宮大路では三十三メートルの道路端に庶民の住居が多数発掘されているようです。漱石はこのことを知っていたのでしょうかね。
GSQ
poverty always goes hand in hand with distressのhand in handをなぜ入れているのでしょうか。
SUA
これは成句です。「まずしければ、うらみ切なり」つまり「貧困は常に嘆きを伴う」で、「うらみ」は恨めしいではなく、悲嘆です。
【原文】
わが身、父方の祖母の家を伝へて、久しくかの所に住む。その後、縁かけて、身衰へ、しのぶかたがたしげかりしかど、つひに、あととむる事も得ず。三十余りにして、さらに、わが心と、一つの庵を結ぶ。これをありしすまひにならぶるに、十分が一なり。ただ、屋根ばかりをかまへて、はかばかしく屋を造るに及ばず。わづかに、築地を築けりといへども、門を建つるたづきなし。竹を柱として、車を宿せり。雪降り、風吹くごとに、危ふからずしもあらず。所、河原近ければ、水の難も深く、白波のおそれもさわがし。
すべて、あられぬ世を念じ過しつつ、心を悩ませる事、三十余年なり。その間、をりをりのたがひめに、おのづから、短き運をさとりぬ。すなはち、五十の春を迎へて、家を出で、世に背けり。もとより妻子なければ、捨てがたきよすがもなし。身に官禄あらず。何に付けてか、執を留めん。むなしく大原山の雲に伏して、また、五かへりの春秋をなん経にける。
【漱石英訳】
Inheriting my paternal grandmother's estate, I lived long there. Bereft of my family, however, and having lost vigour through a series of misfortunes, I was at last compelled to forsake the paternal estate, when I was thirty years of age and to inhabit a hut with no other companion than my own mind. When compared to my former residence in extent, it was scarcely more than one-tenth. A room there was indeed, but a house it was not in the proper sense of term. No gate adorned the poor hedge. Bamboo pillars supported the roof: the floor rested upon a wagon. When the wind blew hard or a snow-storm set in, the hut was in constant danger of being swept off or of falling down. Moreover, being situated near the river bank, a flood could easily wash it away. Thus overtaxed with earthly cares, my mind fell an easy prey to despondency. In the meantime, however, changes in physical surroundings and the vicissitudes of fortunes, reminded me of the ephemeral character of human destiny. The time came at last when I left the house and left the world altogether. Bound by no family ties, I left no yearning toward what I had left; being no pensioner, why should I long for my former position? Many springs and summers were spent among the clouds of Mount Ohara.
GSQ
Bereft of my familyはどういう意味で、原文ではどこに対応しているのでしょうか。
SUA
強いて言えば「縁かけて」ですね。Bereft(bereave(死に別れる)の過去分詞形) of my familyは「家族を失いて」で、「家族との縁を失って」ということになりますかね。
GSQ
「屋根ばかりをかまへて、はかばかしく屋を造るに及ばず」をa house it was not in the proper sense of termと訳しています。気づいたのですが、「屋根だけ」は日本語では本当に屋根だけではないボロ屋のニュアンスになりますが、それを英語に直訳すると本当に屋根だけ、という意味になりそうです。そうではありませんか。
SUA
“a house it was not in the proper sense of term”は「家というほどのものでなく」という意味ですね。その前の文は「確かに部屋と言うべきか」ですから、「屋根のみ構えて」という部分はありません。ある意味正しい解釈と言えるのでは。
GSQ
「築地を築けりといへども、門を建つるたづきなし」は、No gate adorned the poor hedgeです。うまいですね。
SUA
「貧弱な築地を飾る門もなき」ですね。
GSQ
「車を宿せり」がthe floor rested upon a wagonと訳されていますが、原文は長明がどうして車など持っているのか不思議、漱石訳は意味不明、どう読んでこんな訳をしたのでしょうか。
SUA
牛車を持っているような人間が貧乏なわけありません。彼の住処は自分で選んだもので、どうしようもなくてぼろ屋に住んでいるわけではありません。しかし、漱石のここの訳は変で、「車の上に床を架ける」とはどのようなことですかね。
GSQ
「五十の春を迎へて」がありませんが、うっかりですかね。無くてはならないと思いますが。
SUA
これはミスですね。他では四十、六十などきちんと訳していますから。
【原文】
ここに、六十の露消えがたに及びて、さらに、末葉の宿りを結べる事あり。いはば、旅人の一夜の宿を造り、老いたる蚕の繭を営むがごとし。これを、中ごろの栖に並ぶれば、また、百分が一に及ばず。とかく言ふほどに、齢は歳歳にたかく、栖はをりをりに狭し。その家の有様、よのつねにも似ず。広さはわづかに方丈、高さは七尺がうちなり。所を思ひ定めざるがゆゑに、地を占めて、造らず。土居を組み、うらおほひを葺きて、継目ごとに、かけがねを掛けたり。もし、心にかなはぬ事あらば、やすく他へ移さんがためなり。その、改め造る事、いくばくの煩ひかある。積むところ、わづかに二輌、車の力を報ふ他には、さらに、他の用途いらず。
【漱石英訳】
Now when the dew of sixty years was on the point of vanishing, once again did it condense upon a tiny leaf. You might compare it to a night's shelter for a belated traveler or a cocoon inhabited by an old silk-worm. In extent, this new hut of mine could not claim even one-hundredth of the former. You see, my life was declining, and the house was reduced along with it. In structure it resembled no ordinary house. The room was ten feet by ten; its height was less than seven. It occupied no permanent site, because I had no mind to settle in a definite place. A clay-built floor, a thatched roof, and planks linked together with hooks, so that they might be removed easily if necessary, constituted my abode. What expense was I liable to in changing my home? Two carts were enough to carry the house itself. Only the little hire for them, nothing more!
GSQ
「露を結ぶ」のcondense、よくこの単語のこの意味を知っていたものですね。
SUA
漱石の英語勉強法は第一に、わからなくても辞書など引かずそのままとにかく読み進み、多読することであったらしい。辞書を引き引き英文を読むと、読書が非常に滞ります。漱石はとにかく多読を旨としていたようで、とにかく読む。意味は文脈で理解する、これじゃないでしょうかね。
GSQ
「土居」をA clay-built floorとしています。土居は家屋の周囲を囲む盛り土と見た方がよいのではないでしょうか。
SUA
これは漱石の誤訳です。土塁と言うか住居の周囲を囲む土壁で間違いないです。土間の上に住むのは長明くらいの育ちの人間にとって耐えられないでしょう。
GSQ
前に長明は車など持ってるはずがないと質問しましたが、ここでは車の力、それをhireとはどういうことなのでしょうか。長明は車をもっておらず雇うのか、あるいは車の力を借りる、という意味か、どちらなのでしょうか。
SUA
Cartは荷物(この場合は家の建築材)を運ぶための「荷車」で、「荷車の借り賃を払う以外には何の出費もない。」ですから、車を雇うが正しいです。
【原文】
いま、日野山の奥に、跡をかくして後、東に三尺あまりの庇をさして、柴折りくぶるよすがとす。南に竹の簀子を敷き、その西に閼伽棚をつくり、北によせて、障子をへだてて、阿弥陀の絵像を安置し、そばに普賢をかけ、前に法花経をおけり。東のきはに蕨のほどろを敷きて、夜の床とす。西南に竹の吊棚を構へて、黒き皮籠三台を置けり。すなはち、和歌・管絃・往生要集ごときの抄物を入れたり。かたはらに、琴・琵琶おのおの一張を立つ。いはゆるをり琴・つぎ琵琶これなり。かりの庵の有様、かくのごとし。
【漱石英訳】
Here during my seclusion in the innermost recesses of Hino, I added a temporary blind on the southern side of the hut with a bamboo mat under it: an akadana (water-shelf) along the western wall, has become the sacred place for putting the image of Buddha so that his brow may be lit up by the mellow beams of the setting sun. On each of the door leaves, I have hung a picture of Hugen and Hudo. On a little shelf above the northern door sash, are placed a few trunks of black leather, containing some poetical extracts in Japanese, songs, Ojio-yoshu and the like. Close by, against the wall, you will find a koto and a biwa to which I gave the name of 'Ori-goto' and 'Tsugi-biwa' respectively. On the east side, a bed consisting of old fern leaves scattered about and a mat of straw, a writing desk below the window a brazier beside a pillow, completed its furnishing. A little patch of ground to the north of the hut, was laid out as my garden where I planted several medicinal herbs, enclosed by a broken hedge. This is the condition of my temporary abode.
GSQ
最初の「いま」は場所Hereではなく時間の「今や」Nowではないでしょうか。これまでずっと時系列で、ついに六十になって、と言った直後ですから。それとも、「二輌の車に積んで」引っ越した、そのここはでHereなのでしょうか。それとも前段がNowで始まるということもあるのでしょうか。
SUA
この後に続く文章は基本的に住居の説明ですから、場所のhereは当を得ていると思いますね。
GSQ
庇が「柴折りくぶるよすが」であることが漱石訳では抜けてますね。
SUA
もしかすると、庇と柴を折ってくべる行為の関係がわからなかったのでは。家の真中で火をくべるわけにもいかないので、端で、その上に庇を設けて雨よけにするということなんでしょう。
GSQ
an akadana~Hugen and Hudoまで、その他のところで角川文庫の原文とは大きく違っているようです。漱石の使った本は違った伝本だったのでしょうね。漱石の使った本はやや描写が雑ですが、仏陀の目に西方の光が、というのはいいですね。そのためには仏陀の像は東になければならないのですが、原文では東ではないようですね。
SUA
上の原文では、「落日を請て眉間の光とす」が抜けていますね。仏陀の目に光は、「絵の後ろから夕日が差して眉間の光にした」とする解釈があります。
GSQ
をり琴・つぎ琵琶のことをto which I gave the name of 'Ori-goto' and 'Tsugi-biwa'と長明が命名しているように訳していますが、これは一般名詞なのではないでしょうか。
SUA
折り琴(折り畳み式)、継琵琶(柄が外せる)ですね。共に携帯用の楽器で、これは一般名詞で、漱石くらいのアタマの持ち主でもこういう初歩的間違いがあるのですな。
GSQ
On the east side~ enclosed by a broken hedge. までは原文にありません。伝本によって相当違うものですね。
【原文】
その所のさまをいはば、南に掛樋あり。岩を立てて、水を溜めたり。林、軒近かれば、爪木を拾ふに乏しからず。名を外山といふ。まさきのかづら、跡を埋めり。谷しげけれど、西晴れたり。観念のたより、無きにしもあらず。春は、藤波を見る。紫雲のごとくして、西方に匂ふ。夏は、郭公を聞く。語らふごとに、死出の山路を契る。秋には、ひぐらしの声、耳に満てり。うつせみの世を悲しむかと聞こゆ。冬は、雪をあはれぶ。積り消ゆるさま、罪障にたとへつべし。もし、念仏ものうく、読経まめならぬ時は、みづから休み、みずから怠る。さまたぐる人もなく、また、恥づべき人もなし。ことさらに、無言をせざれども、独り居れば、口業を修めつべし。必ず禁戒を守るとしもなくとも、境界なければ、何につけてか破らん。もし、跡の白波に、この身を寄する朝には、岡の屋にゆきかふ船を眺めて、満沙弥が風情を盗み、もし、桂の風、葉を鳴らす夕には、潯陽の江を思ひやりて、源都督の行ひを習ふ。もし、余興あれば、しばしば松の韻に秋風楽をたぐへ、水の音に流泉の曲をあやつる。芸はこれ拙なれども、人の耳を喜ばしめんとにはあらず。独り調べ、独り詠じて、みずから情を養ふばかりなり。
【漱石英訳】
As to its surroundings: in the south, there is a pipe conducting water to a reservoir made of piled stones. Woods being near in the vine-clad Toyama, there is plenty of fruit and of logs. Though the valley is dark with thickets, it opens towards the west and thus offers much help to meditation. In spring, my sight is attracted by the wavy clusters of the Fuji (Wistaria chinensia) which sends its fragrant odour out of its purple clouds. In summer, the cuckoo with its doleful note puts me in mind of 'the mountain path of Death'. Autumn fills my ears with the shrill chirps of cicadas which I interpret as the dirge for life as empty as their cast-off shells. In winter I sympathize with snow because of its semblance to human sins, accumulating in depth and then melting away. If indisposed, I freely neglect to say prayers or to read sacred books (Kyo), without being admonished by any one for the omission. Nor have I any friend before whom I might feel ashamed for this negligence of duty. Though not specially inclined to observe the 'discipline of silence', I am always observant of it, for I have no companion to enter into conversation, and thereby to break the discipline. Being out of the reach of any temptation, I have no chance of breaking the canons of Buddhism. When in the morning, I chance to come to the river's side, and behold boats sailing in it, I feel that I am just in the same mood and position as Man-shami. When the cinnamon wind rustles among the leaves, I imagine the scene in Junyo-Bay and begin to play upon the biwa in imitation of Cinamon Dainagon. A performance of the 'autumnal wind' may vie with the echoes from the pines: the song of the 'flowing fountain' is tuned like the murmurs of water. I do not profess any skill in the art, but then I do not play for other's enjoyment. I croon for myself, thrum for myself, only to refresh my mind.
GSQ
藤がsends its fragrant odour out of its purple cloudsとしています。原文の「紫雲のごとくして、西方に匂ふ」を簡単にしたのでしょうね。
SUA
odourはかなり強い香りです。なにしろ、脱臭剤のブランド名にも使われているほど(Odor Eater)。藤の香りは嗅いだことがありませんが、強いのでしょうかね。
GSQ
郭公の声をdoleful noteとしています。伝統によってでしょうか、死出の山路からのイメージでしょうか。
SUA
郭公としていますが、実はホトトギスなんですな。ホトトギスの声が死を思わせる不吉なものというコノテーションはないようです。余談ですが、漱石の友人である子規が、喀血した(血を吐いた)ことから、「鳴いて血を吐く」と言われているホトトギスと自分を重ね合わせ、ホトトギスにちなむ句を一晩で数十も作ったという。そして、ホトトギスの漢字表記のひとつの「子規」を自分の俳号としたのですが、方丈記の訳はそのかなり前の話です。
GSQ
as empty as their cast-off shellsは驚きます。苦労してますね。「うつせみ」の原義、蝉の抜け殻とも掛けていると読めますが。
SUA
その通りですね。しかし、「空蝉」は当て字ですね。
GSQ
「跡の白波に、この身を寄する朝」は白波のはかなさにわが身をなぞらえているわけですが、漱石はただの朝に訳しています。「岡の屋にかふ」も略しています。
SUA
ここは、「世の中を何に譬えむ朝ぼらけこぎ行く舟の跡の白浪」(満沙弥)から引用ですから、ここをきちんと訳していないと、“I feel that I am just in the same mood and position as Man-shami.”の部分が生きないですね。
GSQ
源都督、Cinamon Dainagonって誰ですか。
SUA
「げんととく」で、平安時代の公卿、源経信(みなもとのつねのぶ)のことですね。詩歌・管絃に秀で、有職故実にも通じていた人物で、長明の歌の師匠俊惠の祖父で、百人一首にも歌があります。「桂大納言」と呼ばれていたので、Cinamon(桂) Dainagonとなるわけですが、その前にcinamon wind(桂の風)があるから、敢えて使ったのでしょうが、cinamon windとは乱暴な訳ですな。英語国民にはさっぱりわからないでしょう。
GSQ
「秋風楽をたぐへ」は松の韻とvie with、「流泉の曲をあやつる」は水の音にtuned like the murmursと訳しています。苦労したでしょうね。
SUA
結構楽しんでやっているのでは。やはり、漱石は、漢詩をやり、英語では詩を音読していますから、韻文になれているのです。ポイントを定めたら、結構すらすらとできたのではないかな。
GSQ
「情を養ふ」はto refresh my mind、なるほど「養生」はto refresh my lifeなのですね。
SUA
“to refresh my life”と言って通じないことはないでしょうが、生活をリフレッシュすると取られるでしょう。refreshする対象は精神あるいは体が主で、養生の意味なら、”to refresh my body”になりますが、これでもややおかしい。”to take care of my body”の方が間違いはない。
【原文】
また、ふもとに一つの柴の庵あり。すなはち、この山守が居る所なり。かしこに、小童あり。時時来りて、あひ訪ふ。もし、つれづれなる時は、これを友として、遊行す。かれは十歳、これは六十、その齢、ことのほかなれど、心を慰むる事、これ同じ。
【漱石英訳】
At the foot of the mountain, there is a little cot in which the keeper of the mountain lives. His boy visits me now and then and is my companion in leisurely strolls. He is sixteen years of age and I am sixty. This difference of age, however, does not cause any difference of pleasure which we equally share.
GSQ
ここあたり、私の好きなところです。原文ではこの子供は十歳となっています。漱石訳はsixteenですが、十六歳では当時ならさすがに大人でしょうね。次の遊山の話の感じからも、これは子供ですよね、だから好きなのですが。
SUA
10歳でしょう。漱石はsixteenとsixtyが面白いと感じて、筆が滑ったのでは。
【原文】
或は茅花を抜き、岩梨をとり、零余子〔むかご〕をもり、芹をつむ。或はすそわの田居にいたりて、落穂を拾ひて、穂組をつくる。もし、日のうららかなれば、峰によぢのぼりて、はるかに故郷の空を望む。木幡山・伏見の里・鳥羽・羽束師を見る。勝地は主なければ、心を慰むるに障りなし。歩み煩ひなく、心遠く至る時は、これより峰つづき、炭山を越え、笠取を過ぎて、或は石間に詣で、或は石山を拝む。もしはまた、粟津の原を分けつつ、蝉歌の翁が跡を訪ひ、田上河を渡りて、猿丸太夫が墓を尋ぬ。帰るさきには、をりにつけつつ、桜を狩り、紅葉をもとめ、蕨を折り、木の実を拾いて、かつは仏に奉り、かつは家土産とす。もし、夜しづかなれば、窓の月に故人をしのび、猿の声に袖をうるほす。草むらの蛍は、遠く槙の島篝火にまがひ、暁の雨は、おのづから、木の葉吹く嵐に似たり。山鳥のほろほろと鳴くを聞きても、父か母かと疑ひ、峰の鹿〔かせぎ〕の近く馴れたるにつけても、世に遠ざかるほどを知る。或はまた、埋み火をかきおこして、老の寝覚の友とす。恐しき山ならねば、梟の声をあはれむにつけても、山中の景気、折につけて、尽くる事なし。いはんや、深く思ひ、深く知らん人の為には、これにしも限るべからず。
【漱石英訳】
To collect cranberries, to gather kaya-flowers, to fill our basket with the fruits of the yama-imo, to pick parsley, to weave a mat of the fallen ears of corn -- such are our diversions. In fine weather I climb up mountain peaks, to behold my native province in the distance: and enjoy the surrounding scenery to my heart's content. I can do that, because nature is not the private property of particular individuals. Long excursions are also undertaken. Then I go over Sumiyama. pass Kasadori, bow before the shrine of Iwama, make a pilgrimage to Isiyama: or I visit the ruins of the cottage of the old Semimaru, far in the moor of Awazu, linger about the grave of Sarumaruau, on the further side of the Tagami river. On my way home, I am often rewarded for my walk with a bough of cherry, a branch of maple, a bunch of ferns or a basket of fruit, which I offer to Buddha or keep for my own use. The bright moon in the calm night recalls to me the men of old; the cries of monkeys moisten my sleeves with tears; fire-flies in the sward gleam as if they were torchlights of Magijima; a morning shower is an exact counterpart of the wind rustling through the leaves; the notes of a wild bird make me curious to know whether it is male or female; the bold appearance of a hart reminds me of the wide gap existing between the world and me; the bold appearance of a hart reminds me of the wide gap existing between the world and me; the ash-covered charcoal newly stirred up, is an old man's delightful companion, in his midnight awaking from sleep; the moping voice of owls fills my mind with pity. Scenes like these are indeed inexhaustible here. Those who are profounder in reflection, and quicker in perception than I, cannot fail to find many other things which may likewise attract their attention.
GSQ
「零余子をもり」の「もる」は、ねじって取る、もぎ取る、もぐ(広辞苑)の意ですね。角川文庫版でもそう註がついています。漱石訳は「盛る」の意でto fill our basket withとしています。原文が変わってしまいますが、漱石の訳は面白いですね。長明と子供とでもいだ零余子を半分ずつ分けて、それを食用にしている感じです。
SUA
たとえ漱石でも「もる」がねじって取るとは知らないでしょう。しかし、あの小さなむかごを山盛りにすることも考えにくい。漱石は都会人だから、この辺のことには詳しくなかったのでしょう。
GSQ
「落穂を拾ひて、穂組をつくる」はto weave a mat of the fallen ears of cornです。穂組を落穂でつくるのはちょっとおかしい気がしますが。
SUA
それより、ears of cornだと、「雑穀の穂」になります。その前の文章が「或はすそわの田居にいたりて」ですから田んぼのある所まで行って落穂を拾ってくるわけですが、それが必ずしも稲であるとは考えていないようです。稗とか粟の場合もある。それで穂組(mat)を作るわけですが、穂組とは「刈り取った稲穂を乾かすために、組んで積んでおくこと」で、本来は稲なのですがね。穂組といっても編み込んだような手の込んだものでなく、敷き詰める程度じゃないですかね。
GSQ
「木幡山・伏見の里・鳥羽・羽束師を見る」はカットしています。
SUA
名詞の羅列は知らない人にとっては退屈ですから、長明の行動に関わる部分を除いてはカットしても良いと考えたのでしょう。
GSQ
「田上河を渡りて」はon the further side of the Tagami riverと、渡るという行為ではなく位置で示しています。
SUA
動詞が重なってくどくなるのを避けるためで、「粟津の原を分けつつ」、「田上河を渡りて」は蝉歌の翁が跡、猿丸太夫が墓がある場所として処理しています。田上河については、on the further side of the Tagami riverとして、渡ったという行為を示しています。
GSQ
「山鳥のほろほろと鳴くを聞きても、父か母かと疑ひ」を漱石はthe notes of a wild bird make me curious to know whether it is male or femaleと訳していますが、これは山鳥に亡き父、亡き母の魂が転生しているか、と疑ったのでしょう。漱石自身、註に行友(?)の詩を引用して「父か母か」と分かっているはずです。ということは、わざわざオスだったら亡き父、メスだったら亡き母かと疑ったと面か倒な訳をしたことになりませんか。
SUA
「山鳥のほろほろと鳴く声聞けば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ」は行基の歌(伝)です。漱石は長明がそのまま引用していることに違和感があり、そのまま「父か母か」はないだろう、せいぜい、あれは雄か雌かと思う程度にとどめたのでは。
GSQ
鹿にhartという単語を宛てていますが、この単語が私の辞書にはありません。
SUA
“A male deer, especially an adult male red deer”、ですから牡鹿ですね。英国のみの使用に限定されるようです。
【原文】
おほかた、この所に住みはじめし時は、あからさまと思ひしかども、今すでに、五年を経たり。仮の庵も、やや故郷となりて、軒に朽葉深く、土居に苔をむせり。おのづから、事の便りに都を聞けば、この山に籠り居て後、やんごとなき人の隠れた給へるも、あまた聞こゆ。まして、その数ならぬ類、尽くしこれを知るべからず。たびたびの炎上にほろびたる家、また、いくばくぞ。ただ、仮の庵のみのどけくして、おそれなし。ほど狭しといへども、夜臥す床あり、昼居る座あり。一身を宿すに、不足なし。寄居〔がうな〕は小さき貝を好む。これ、事知れるによりてなり。鶚は荒磯に居る。すなはち、人を恐るるが故なり。われまた、かくのごとし。事を知り、世を知れゝば、願わず、走らず、ただ、静かなるを望みとし、愁へ無きを楽しみとす。すべて、世の人の栖を造るならひ、必ずしも、事の為にせず。或は妻子・眷属の為に造り、或は親昵・朋友の為に造る。或は主君・師匠および財宝・牛馬の為にさへ、これを造る。われ今、身の為に結べり。人の為に造らず。故いかんとなれば、今の世の習ひ、この身の有様、ともなふべき人もなく、頼むべき奴もなし。たとひ、広く造れりとも、誰を宿し、誰をかすゑん。
【漱石英訳】
Five years have elapsed since I first settled here. The temporary shed has now been reduced to an all but dilapidated condition. Deep under the eaves, the fallen leaves have accumulated, being left to moulder there. Moss too has grown upon the floor . Occasional tidings from town have announced to me the death of many noble persons there. And I can easily calculate the number of the humble people who have also been similarly overtaken. Many houses too, must have been burnt in the frequent fires. Only this humble cot of mine is safe and quiet. However narrow, it has been a bed by night and a seat by day, and is enough to shelter me. The gona likes its little shell because he knows content: the fish-hawk inhabits a rough beach because he is afraid of men. Like them I think of myself alone in this world. I cherish no objects, seek no friendship. Tranquility is my sole desire, to have no trouble is my happiness. Others do not build their houses for themselves; their houses are either for their families or for their friends or for their tutors and lords, or even for their oxen, horses and treasure. But I have built mine for my own sake, because I have no companion, no friend to live with me.
GSQ
「おほかた、この所に住みはじめし時は、あからさまと思ひしかども」は大胆にカットしています。すでに述べていることと判断したのでしょうか。
SUA
「一時的なことだと思っていたが」をカットしているわけですね。五年も経ってしまった、とのニュアンスが伝われば問題ないと思ったのでしょう。五年も経ったを強調していますから、確かに問題ない。
GSQ
「故郷となりて」はbeen reduced to an all but dilapidated conditionでしょうか。故郷は「古郷」でもあり、その意で訳しているのでしょうか。
SUA
「故郷」すなわち荒れ果てた古い土地の意で、「うさぎおいし」の故郷ではありません。ここでは荒れ果てた住居を指すのでしょう。漱石の訳はストレートです。
GSQ
漱石は前に「土居」floorとしていましたが、ここでも「土居に苔をむせり」をMoss too has grown upon the floorとしています。屋内の土間に苔がむしたのでしょうか。やはりこれは家の周囲の盛り土と考えた方がよくないでしょうか。軒と土居、セットです。
SUA
土塁の他に建物や家具などの土台を指す場合もあるようです。いずれにせよ、床ではないので、これをfloorとするのは漱石の誤訳でしょう。床に苔が生えちゃあ、いかに長明さんでも居住不可能でしょう。
GSQ
「数ならぬ類、尽くしこれを知るべからず」なのでI can easily calculate the number of the humble people who have also been similarly overtakenは反対ではないですか。can notが正しいように思います。それとも、公卿でこれだけだから、一般人の死者の数は簡単に想像できる、と考えたのでしょうか。
SUA
その通りです。公卿の難儀から一般人のそれはかなりひどいと想像できるわけです。
GSQ
「ほど狭しといへども、夜臥す床あり、昼居る座あり」はmy cot has a bed云々と訳すのが普通ですよね。漱石はHowever narrow, it has been a bed by night and a seat by dayと訳しています。狭いので、家自体が夜のベッド、昼の座だと言うのでしょうね。ちょっと驚く訳です。
SUA
Cotは簡易ベッドのことではなく「囲い、粗末な家」ですが、囲い程度の家屋ですからそれが昼は座で、夜は寝床になるというのは,むしろその通りの訳だと思います。狭いところにベッドは置けません。
GSQ
「事を知り、世を知れゝば、願わず、走らず」をI cherish no objects, seek no friendshipとしてますが、これは意訳でしょうか、伝本の違いでしょうか。どう思いますか。
SUA
「走らず」ではなく「わしらず」で、あくせくしないの意です。漱石の訳は「わしらず」を中心に訳していますね。「願わず」を訳すと、何も期待しないというような英文が来るのでしょうが、これは省略しないほうがいいです。
GSQ 「事の為にせず」というのはわかりにくいですが、漱石のdo not build their houses for themselvesと訳されるとよくわかりますが。
SUA
「事のため」を「身のため」とするものもあるようで、こちらのほうがわかりやすいですな。とにかく、「必ずしも自分のためでなく」ということでしょう。
GSQ
最後の「人の為に造らず。故いかんとなれば、今の世の習ひ、この身の有様、ともなふべき人もなく、頼むべき奴もなし。たとひ、広く造れりとも、誰を宿し、誰をかすゑん。」、漱石はI have built mine for my own sake, because I have no companion, no friend to live with meと大胆に簡略化しています。確かに長明はくどいですね、漱石はそれを嫌ったのでしょうか。
SUA
漱石の訳で、長明の言いたいことは全て伝わっていますから、これで十分でしょう。
【原文】
それ、人の友とあるものは、冨める尊み、懇なるを先とす。必ずしも、情あると、すなほなるとをば愛せず。ただ、糸竹・花月を友とせんにはしかじ。人の奴たるものは、賞罰はなはだしく、恩顧あつきを先とす。さらに、はぐくみあはれむと、安く静かなるとをば願はず。ただ、わが身を奴婢とするにはしかず。いかが奴婢とするならば、もし、なすべき事あれば、すなはち、おのが身を使ふ。たゆからずしもあらねど、人を従へ、人を顧みるよりやすし。もし、歩くべき事あれば、みづから歩む。苦しといへども、馬・鞍・牛・車と、心を悩ますにはしかず。今、一身を分かちて、二つの用をなす。手の奴、足の乗物、よくわが心にかなへり。身、心の苦しみを知れれば、苦しむ時や休めつ、まめなれば、使ふ。使ふとても、たびたび過ぐさず。ものうしとても、心を動かす事なし。いかにいはんや、常に歩き、常に働くは、養性なるべし。なんぞ、いたづらに休み居らん。人を悩ます、罪業なり。いかが、他の力を借るべき。
【漱石英訳】
What is friendship but respect for the rich and open-handed and contempt for the just and kind? Better to make associates of music and nature! Our servants only care for rewards and punishments and estimate our favour by the amount of largesses given them. We throw away kindness upon them who never require it. Let us rather be our own servants. To use our own hands and legs, if somewhat irksome, is much easier than employing others. Let us employ our bodies in a double way. Our arms are our servants, our legs are our vehicles. The mind which knows how it goes with the body, may use the latter if fresh, allow it to rest if tired. Let the mind take care not to overtax the body with labour, not to grant the latter's disposition to be idle. To take exercise is healthy: why then should we sit and do nothing? To trouble others is a sin, why should we ask others for help?
GSQ
「恩顧あつきを先とす」はestimate our favour by the amount of largesses given themです。厳密ですね。
SUA
「人の下僕になる者は、恩賞を多く与えてくれて待遇がいいことを一番に思っている」という箇所で、その前の文章を含めて丁寧な訳です。
GSQ
We throw away kindness upon them who never require itは「はぐくみあはれむと、安く静かなるとをば願はず」の訳ですか。原文、漱石訳ともによく分かりません。
SUA
漱石の解釈は、「親切を求めない者に親切にしても無駄である」ですね。長明は、「人の情とか、安らかで静かにくらせることなどは願っていない。」と言っていますので、この個所の訳ではない。「恩賞を多く云々」は、“Our servants only care for rewards and punishments and estimate our favour by the amount of largesses given them.”とそれなりに訳していますから、「はぐくみあはれむと」の部分をそのままは訳せず、長明が言及しなかった結論的なことを補っている感じです。
GSQ
「もし、歩くべき事あれば、みづから歩む。苦しといへども、馬・鞍・牛・車と、心を悩ますにはしかず。」はカットですね。ちょっとくどいですからね。
SUA
“Our arms are our servants, our legs are our vehicles.”と言っていますからね。これで十分だと考えたのでしょう。
GSQ
「身、心の苦しみを知れれば」とその訳、The mind which knows how it goes with the bodyはニュアンスが違いませんか。何が違うと感じるのでしょうね。
SUA
英訳ではmindが主語になっています。しかし、長明は体が心の苦しみを知ると言っているので、違和感があって当然。「身」と「心」を離さないで、「身心」とする場合もあるようです。
【原文】
衣食の類、また同じ。藤の衣、麻の衾、得るにしたがひて、肌をかくし、野辺のほおき、峰の木の実、僅かに命をつぐばかりなり。人に交わらざれば、姿を恥づる悔いもなし。糧ともしければ、おろそかなる報をあまくす。すべて、かようの楽しみ、冨める人に対して、いふにはあらず。わが身一つにとりて、昔と今とをなぞらふばかりなり。
おほかた、世をのがれ、身を捨てしより、恨みもなく恐れもなし。命は天運にまかせて、惜まず、いとはず、身は浮雲になずらへて、頼まず、まだしとせず。一期の楽しみは、うたたねの枕の上にきはまり、生涯の望みは、をりをりの美景に残れり。
【漱石英訳】
As to diet and clothes, I observe the same principle. A garment of 'fuji' and a bed-quilt of hemp are sufficient to cover my body. The kaya-flower, which flourishes in the wilderness, some fruit scattered about the mountain side may very well sustain my life. The poor figure so thinly clad, is no object of ridicule here in solitude. Meals so scanty have still a relish for me. I do not intend those remarks as a sermon for those in easy circumstances, but I want only to compare my former days with the present. Envy and fear have been expelled from my mind since I renounced the world's pleasure. Without regret and without reluctance, I follow my fortune as Providence leads me. Regarding self as a floating cloud, I do not rely on it, nor, on the other hand, am dissatisfied with it in the least. Temporary pleasure has dwindled into nothing over the pillow of the dreamer: his life-long wish still finds its satisfaction in the beautiful in nature.
GSQ
「ほおき」はThe kaya-flowerなのですが、広辞苑で調べても出てませんでした。
SUA
この点、野辺の「おはぎ」というものもあり、「おはぎ」は「よめな」のことだそうで、若芽を摘んで食べる。古くは万葉集の時代から使われていたようで、オハギ、あるいはウハギと呼ばれているとのこと。茅だとイネ科ですが、これは専ら屋根をふく材料で、牛の餌ぐらいにしかならないので、違うでしょう。
GSQ
「おろそかなる報を」を省いていますが、これを訳し入れると結構厄介なことになりそうですね。
SUA
“Meals so scanty have still a relish for me.”がここに当たるのですが、「報い」は授かりもので、漱石の訳は「少ない食いものだが、それだけにご馳走である」ということで、意味としては大して変わりません。
GSQ
「恨みもなく恐れもなし」でWithout regret and without reluctance、なぜ恐れをreluctanceとしているのでしょうか。
USA
恐れをfearとすると、ちょっと強すぎると思ったのでは。ここの「恐れ」は漠たる不安感(sense of insecurity)のことでしょうが、そうであれば、reluctanceは適訳ではない。
GSQ
「一期の楽しみは、うたたねの枕の上にきはまり」をTemporary pleasure has dwindled into nothing over the pillow of the dreamerとすると、少々意味が違ってきませんか。原文ではうたたねの枕が最高の楽しみ、漱石訳だと、うたたねの間に束の間の楽しみは消えてしまう、というふうに読めるのですが。
SUA
dwindleは「減衰する」で、into nothingで無くなってしまうわけで、「転寝の枕の内に一時の夢は消え去ってしまう」ことになり、適訳ではありません。
【原文】
それ、三界は、ただ心一つなり。心、もし安からずは、象馬・七珍もよしなく、宮殿・楼閣も望みなし。今、さびしきすまひ、一間の庵、みづからこれを愛す。おのづから都に出でて、身の乞匃となれる事を恥づといへども、帰りてここに居る時は、他の俗塵に馳する事をあはれむ。もし、人このいへる事を疑はば、魚と鳥との有様を見よ。魚は、水に飽かず。魚にあらざれば、その心を知らず。鳥は、林を願ふ。鳥にあらざれば、その心を知らず。閑居の気味も、また同じ。住まずして、誰がさとらん。
【漱石英訳】
The three worlds consist of only one mind. Treasure, horses, oxen, palaces, towers, what are they, if the mind is uneasy? I enjoy the peace of mind in this lonely place, in this small cottage. In town I might be ashamed to become a beggar; settled here, however, I pity those who toil and moil in the dusty highway of the world. He who doubts what I say, need only look at fishes and birds. Fishes never get weary of water: none but fishes knows their motive. Birds are fond of woods: none but birds may tell you why. The same may be said of seclusion. Its pleasure can not be understood by one who has not led such a life.
GSQ
特に分からなかったところはありません。実にわかりやすく訳されていますね。
SUA
この原文がわかりやすいのですよ。乞匃は、食を人に乞うて生活する人の意ですが、長明が食を人に乞うたかはどうでしょうか。結構知り合いも多く、届け物もいろいろあったと思いますよ。
【原文】
そもそも、一期の月影傾きて、余算の山の端に近し。たちまちに三途の闇に向はんとす。何の業をかかこたんとする。仏の教へ給ふおもむきは、事に触れて、執心なかれとなり。今、草庵を愛するも、とがとす。閑寂に着するも、障りなるべし。いかが、要なき楽しみを述べて、あたら時を過ぐさん。
【漱石英訳】
The lunar course of my life is fast declining and is getting every moment nearer to the peak of death. If the time comes when I make a sudden start for the darkness of 'the three ways', of what use would it be to trouble my mind with earthly cares? Buddha teaches us to love no earthly things. To love this mossy hut is still a sin: tried tranquility is certainly an obstruction to salvation. Woe to them! who indulge in useless pleasures to while away time.
GSQ
「閑寂」がtried tranquilityですが、このtriedは何ですか。
SUA
努力する、試す、で、無理やりではないですが、形だけでもひっそりと落ち着いた様をするということですかね。
【原文】
静かなる暁、このことわりを思ひつづけて、みづから心に問ひて曰く、世をのがれて、山林にまじはるは、心を修めて、道を行はんとなり。しかるを、汝、姿は聖人にして、心は濁りに染めり。栖はすなはち、浄名居士の跡をけがせりといへども、保つところは、僅かに周利槃特が行ひにだに及ばず。もしこれ、貧賤の報のみづから悩ますか。はたまた、妄心のいたりて、狂せるか。その時、心さらに答ふる事なし。ただ、かたはらに舌根をやとひて、不請の阿弥陀仏、両三遍申して、やみぬ。
時に、建暦の二年、弥生のつごもりごろ桑門の蓮胤、外山の庵にして、これを記す。
月影は入る山の端もつらかりき
たへぬ光を見るよしもがな (和歌:原典版本不明)
【漱石英訳】
One still morning after those reflections, I began to ask myself: "The object of escaping from the world and of living among woods and mountains is nothing but to tranquillize your mind and to practise your principles. But your mind is soaked in impurity, though your appearance resembles a sage. Your conduct even falls short of Shuri-bandoku's though your hut is like that of Jiomio-Koji. Is it the effect of poverty or is it the influence of some impure thought?" No answer did I give to this question but twice or thrice repeated involuntary prayers.
The last day of March, the 2nd year of Kenreki (1211). Monk Renin at the hut of Toyama.
"Alas! the mountain peak conceals the moon;
Her constant light's denied to me a boon."
GSQ
「時に、」以下最後まで、角川文庫版にはないもので他の伝本からのものです。Monk Reninは桑門蓮胤だそうです。他の伝本にはまた別の歌がついています。どうも他人が加筆したものではないでしょうか。南無阿弥陀仏の後ですから無くもがなですね。