The Narrow Road of OKU 改訂の跡をたどる
PART Ⅲ(松島~尿前の関)
23. Matsushima 松島
【原文】
■抑〔そもそも〕ことふりにたれど、松島は扶桑第一の好風にして、凡そ洞庭、西湖を恥ぢず。
【第二訳】
No matterr how often it has been said, it is none the less true that Matsushima is the most beautiful place in Japan, in no way inferior to Tsug-t’ing or the Western Lake in China.
【最終訳】
No matterr how often it has been said, it is nonetheless true that the scenery at Matsushima is the finest in Japan, in no way inferior to T’sug-t’ing or the Western Lake in China.
GSQ
none the lessとnonethelessは全く同じですか。辞書には同じだとかかれていますが。同じなら何故わざわざ改訂しているのですか。
SUA
もちろん同じです。3語を1語にしてnʌ̀nðəlésと短くしたとしか言いようがありませんね。
GSQ
第二訳の松島がthe most beautiful place in Japanという表現を、最終訳ではthe scenery at Matsushima is the finest in Japanに改訂されています。前者のただのplaceではやや概念が広すぎると思ったのでしょうね。
SUA
あくまで景観の事を述べているのですから、sceneryが適訳であることは間違いないです。
【原文】
■東南より海を入れて、江の中三里、
【第二訳】
The sea curves in from the southeast forming a bay three miles across.
【最終訳】
The sea flows in from the southeast forming a bay seven miles across,……
GSQ
前稿でThe sea flows in from the southeastという表現のすばらしいさを見たところですね。第二訳のcurves inだと地形的な感じになるのですか。私は最終訳の海の水が流れ込んでいるような動きの表現の方がすきですが、ひょっとすると、原文の「海を入れて」は却って第二訳の方が原文に近いのではないか、という気もしますが。
SUA
Curve inは「海などが弓なりに陸地に入り込んで、湾や入り江を形成していること。」ですから、地形的な表現としてはこちらの方が適切かもしれません。しかし、flow inの方が「海を入れて」の訳としては適切で、こちらを取るべきでしょう。
GSQ
第二訳の「三里」をthree milesにしているのは、微笑ましい間違いですかね。
SUA
こういうミスはよくあることで、邪馬台国に関する魏志倭人伝の距離の表現も厳密に採るべきではないと思わせますな。
【原文】
■浙江の潮をたゝふ。
【第二訳】
The tides flow in with great beauty.
【最終訳】
……and the incoming tide surges in massively, just as in Che-chang.
GSQ
第二訳のwith great beautyは原文にはないですね。最終訳ではそれを省き、かわりに「西湖」を復活させています。第二訳はそれをgreat beautyとしていたのですね。
SUA
beautyなどと形容詞で済ませず、情景をきちんと述べるべきです。
GSQ
前の訳文にflow inを使ったので表現を変えていますが、このsurges in massivelyがまたすばらしい訳だと思います。前稿で触れた通りです。
SUA
光景をイメージさせる良い表現です。surge in massivelyは「たたふ」よりさらに動的な表現ですが、感じは伝わってきます。
【原文】
■島ゝの数を尽くして、欹つものは天を指し、ふすものは二重にかさなり、三重に畳みて、
【第二訳】
There are islands piled on one another or even stacked three high.
【最終訳】
There are islands piled double or even stacked three high.
GSQ
二重だからdoubleなのでしょうが、第二訳の方がいいように感じるのですが。それでは何かまずいところがあるのでしょうか。
SUA
Pileで重なるの意味ですから、さらにon one anotherと続けた第二訳はくどくなります。
【原文】
■島左にわかれ右につらなる。
【第二訳】
To the left the islands stand apart, and to the right rise linked together.
【最終訳】
To the left the islands stand apart; to the right they are linked together.
GSQ
これも何の必要があって改訳されているのか、よくわかりません。
SUA
セミコロンで二つの文章を緩く繋げるほうが、andで文章を切るより良いと見做したのでしょう。
【原文】
■負へるあり抱けるあり、児孫愛すがごとし。
【第二訳】
Some look like mothers withe babes on their back, and some as if the babes were at their breasts, suggesting all the affection of maternal love.
【最終訳】
Some look as if they carried little islands on their backs, others as if they held the islands in their arms, evoking a mother’s love of her children.
GSQ
前稿では問題がなかったので取り上げていないところです。第二訳を大幅に原文に近づけています。motherはevokeされる形に変えていますね。
SUA
第二訳はbabeが繰り返されたりして非常にくどい。最終訳の描写はより具体的に島の情景を描写し、最後に母の愛をイメージさせると結んでいて、原文の流れに近い。
GSQ
原文は「児孫」で、かならずしも母親が子をというだけではないですね。しかしそこまで訳すと、煩雑だと判断されたのでしょうね。それでなくても原文の短さに比して長文ですね。
SUA
日本で短詩形が発達したのも当然ですね。a mother’s love of her childrenは 第二訳のmaternal love(すなわち母性愛)で良かったのでは。
【原文】
■其の気色窅然〔ようぜん〕として、美人の顔〔かんばせ〕を粧〔よそほ〕ふ。
【第二訳】
The scene suggests all the mysterious charm of a beautiful face.
【最終訳】
The scene has the mysterious charm of the face of a beautiful woman.
GSQ
確かに第二訳のsuggestよりも、直喩的な最終訳がいいように感じますね。
SUA
もちろん、第二訳の「思い起こさせる」も悪くはないですが、最終訳はダイレクトですね。「窅然〔ようぜん〕として」はやはりthe mysterious charmとしか訳せないのでしょうね。mysteriousには「甚深」という意味もありますから。
【原文】
■ちはや振る神のむかし、大山ずみのなせるわざにや。m
【第二訳】
Matsushima must have made by the God of the Mountains when the world was created.
【最終訳】
I wonder if Matsushima was created by the God of the Mountains in the age of the Gods?
GSQ
確かに第二訳では原文の意味とは違っているように思います。旧約のような天地創造かと思われそうですね。
SUA
この「にや」は疑問の意ですから、I wonderで正しいです。
【原文】
■造化の天工、いづれの人か筆をふるひ詞を尽くさむ。
【第二訳】
What man could capture with his brush the wonder of this masterpiece of nature?
【最終訳】
What man could capture in a painting or a poem the wonder of this masterpiece of nature?
GSQ
筆と詞、第二訳はキーンさんの見落としですか。それともbrushだけで両方が表せるという判断ですか。最終訳は正確ですね。
SUA
それこそ筆一つ、brushのみで表現できると思ったのでしょう。しかし、伝わりませんね。
【原文】
■雄島が磯は地つゞきて海に出でたる島也。雲居禅師の別室の跡、座禅石など有り。
【第二訳】
On Ojima, an island which thrust out into the sea, are found the remains of the Zen master Ungo’s hut, and the rock upon which he used to meditate.
【最終訳】
On Ojima, an island connected to the mainland that thrust out into the sea, are the remains of the Zen master Ungo’s hut, and the rock upon which he used to meditate.
GSQ
最終訳と較べ第二訳で十分ではないかと思いましたが、よく読むとislandなのにthrust out into the seaと変なことになります。やはり改訂が必要だったのでしょうか。
SUA
最終訳では、「海に突き出した陸地に繋がっている島」ということで、これも違うのではないかと。芭蕉の意図は、「雄島は浜辺が陸地と繋がっている海に突き出た島である」ではないかと思います。これは芭蕉の勘違いで、実際は陸地と直接つながってはおらず、橋がかかっているのです。
GSQ
最終訳ではfoundを削除し、areだけになっています。存在していることだけを行っているわけですが、わざわざ改訂の必要がありますか。
SUA
are foundは基本的に「見つけ出す」、「出てくる」の意ですから、おかしい。もともとそこに「あり」、誰の目にもわかるのですから。
【原文】
■将、松の木陰に世をいとふ人も稀ゝ見え侍りて、
【第二訳】
Even now I could see under the pine trees a few priests who has abandoned the world.
【最終訳】
I caught glimpses here and there under the pine trees of priests who has abandoned the world.
GSQ
「将」は「また」くらいの意味なのでeven nowはややはやや訳しすぎなのでしょうか。省略されています。
SUA
「また」ということであれば、「未だに」は強すぎます。
GSQ
第二訳のa fewがhere and thereに変更されています。a fewだと同じところに数人いるように感じますが、here and thereだと、それぞれがばらばらに座禅しているように感じます。正しいですか。
SUA
「ここかしこに」で、点在している感じが出ています。「世をいとふ」ので世捨て人だろうと思いますが、そうだと、hermitで、priestすなわち僧侶ではないと思いますがねえ。
【原文】
■落穂、松笠など打ちけふりたる草の庵閑に住みなし、
【第二訳】
They live in peace in the little thatched huts from which the smoke of fallen leaves and pine cones was rising.
【最終訳】
They live quietly in thatched huts from which even at that moment smoke of fallen leaves and pine cones was rising.
GSQ
そもそもこういった隠棲の人々はin peaceに暮らしているのでしょうか。単にquietlyなだけなのでしょうね。鴨長明などは、どうもquietlyではあってもin peaceではなかったように感じましたが。
SUA
「平穏に暮らす」は言い過ぎです。「密かに」の方が適切です。鴨長明の暮らしは「平穏に」でも「密かに」でもなかったでしょう。そうありたいと思っていたことは事実でしょう。
GSQ
最終訳にeven at that mometが付け加えられています。これはどういう意味で追加されているのでしょうか。文の流れがよくわかりません。
SUA
even at that momentで「この時であっても」と強調する必要は感じられませんね。
【原文】
■いかなる人とはしられずながら、先づなつかしく
【第二訳】
I did not know who they were, but I felt drawn to them.
【最終訳】
I did not know what manner of men they might be, but I felt drawn to them.
GSQ
これは前稿でmannerの意味を教えてもらっています。第二訳のthey wereが、they might beになっています。これは重要な変更ですか。
SUA
mightは不確実の意を強める「一体だれが」ということです。第二稿だと、単に「だれが」ということになります。
【原文】
■立ち寄るほどに、月海にうつりて、昼のながめ又あらたむ。
【第二訳】
As I walked in their direction I could see the moon shining on the sea, and Matsushima bathed in a beauty unlike that of the day.
【最終訳】
As I walked in their direction I could see the moon shining on the sea, and the scenery of Matsushima quite unlike what it had been during the day.
GSQ
第二訳の方も訳として変ではないと思いますし、却ってその方が簡潔でいいようにも思うのですが。キーンさんの改訂の意図は何なのでしょうか。「ながめ」を重視したのですか。
SUA
第二稿は簡潔というよりぞんざいです。最終稿はbeautyなどという形容詞を安易に使わずに、情景をきちんと描くことで読者のイメージ喚起を意図したのです。
【原文】
■江上に帰りて宿を求むれば、
【第二訳】
I returned to the beach and took a room in an inn.
【最終訳】
I returned to the shore and took a room at an inn,……
GSQ
beachをshoreに変更していますが、それほど大切な変更ではないように感じるのですが。
SUA
beachは砂、小石の海岸です。まあ、夏の海水浴でイメージするビーチです。shoreはもっと一般的な岸辺、浜辺を意味しますから、浜辺、岸辺の宿という意味ではshoreの方が適切でしょう。
【原文】
■窓をひらき二階を作りて、
【第二訳】
My room was on the second floor, with an open window looking out on the bay.
【最終訳】
……a two-story building with open windows looking out over the bay.
GSQ
確かに最終訳は、簡潔で余計な意味がなくなっています。
SUA
onがoverになっていますが、onだと湾に接している感じで、overは見渡す感じとなり、窓から見える景色が大分違います。
【原文】
■松島や鶴に身をかれほとゝぎす 曾良
【第二訳】
第二訳では Matsushima yaの句は省略
【最終訳】
Matsushima ya At Mstushima
tsuru ni mi wo kare Borrow your plumes from the crane
hototogisu O nightingales!
Sora
GSQ
第二訳ではなぜこの句を省いたのでしょうか。非常に大切な意味のある句だと思うのですが。
SUA
確かに第二稿は『奥の細道』の紹介のようなものですから、ここまで訳す必要はないと見做したのでしょう。
GSQ
plumeというのは羽ですが、原文で「身」とは飛ぶ姿を言っているのでしょうか。またyourは必要ですか。
SUA
「鶴の衣をまとって」という意味ですから、羽でいいのです。Yourとしたのは、ホトトギスに呼びかける形を取っているからです。
【原文】
■予は口をとぢて眠らんとしていねられず。
【第二訳】
I lay down without composing any poem, but could not sleep.
【最終訳】
I lay down without composing a poem, but was too excited to sleep.
GSQ
最終訳がちゃんとニュアンスを伝えているように思います。
SUA
anyをaとして、「一つも」句を作らなかったと強調しています。
【原文】
■旧庵をわかるゝ時、素堂、松島の詩あり。原安適、松がうらしまの和歌を贈らる。
【第二訳】
I remembered that when I left my old cottage I was presented with a poem in Chinese about Matsushima Island.
【最終訳】
I recalled that when I left my old cottage I was presented by Sōdo with a poem in Chinese about Matsushima, and with a tanka by Hara Anteki on Matsushima Island.
GSQ
rememberよりrecallの方がいいですね。第二訳は具体的なことは全部省略しています。このアンソロジー向けの訳だったのでしょかね。
SUA
recallとrememberの意味はほぼ一緒ですが、recallの場合過去の事柄に限定されます。意味をより限定的したのでしょう。
GSQ
最後のMatsushima Islandですが、松島という「島」はないので、複数形にした方がよくないですか。大した話ではないですが。
SUA
確かにそうですが、islandは余計で、Matsushimaだけでも良いと思います。
【原文】
■袋を解きて、こよひの友とす。且、杉風・濁子が発句あり。
【第二訳】
I opened my knapsack and made the poems my companions for the night.
【最終訳】
I opened my knapsack and made these poems my companions for the night. There were also hokku by Sanpū and Jokushi.
GSQ
ここでも省略されたものを復活させていますね。出発が杉風の別宅で、ここで杉風が出てくるのは意味があるわけですので、削除できませんね。アンソロジー向けではどうでもいいのでしょうが。
SUA
これは文脈から言って、オミットする理由がありませんから、単純に訳し忘れたと見るべきでしょう。
【原文】
■十一日、瑞岩寺に詣づ。
【第二訳】
On the eleventh we visited the Zuigan Temple.
【最終訳】
On the eleventh we visited the Zuigan-ji.
GSQ
アンソロジー向けにはtempleがあった方がわかりやすいのでしょうね。
SUA
ここはMatsushima Islandと同じで、Zuigan-jiとすれば、templeは余計です
【原文】
■当寺三十二世の昔、真壁の平四郎出家して入唐〔につとう〕、帰朝の後開山す。
【第二訳】
This temple was founded many years ago by the thirty-second Zen abbot, when he returned Japan after study in China.
【最終訳】
Many yuars ago, the thirty-two generations before the present abbot, Makabe no Heishirō entered Buddhist orders, went to China for study and founded this temple after his return to Japan.
GSQ
正確、詳細に訳しなおした感じです。
SUA
その通りで、まさに逐語訳の典型ですが、正確です。
【原文】
■其の後に、雲居禅師の徳化に依りて、七堂甍改まりて、
【第二訳】
The seven halls of the temple now shine in gold and blue splendor worthy of Buddha’s own dwelling in Paradise.
【最終訳】
Later, the seven halls of the temple were rebuilt as the result of the virtueous effort of the Zen monk Ungo.
GSQ
第二訳では、仏陀の極楽の栄光の如く輝く、といったような意味だと思うのですが、原文には全くないものだと思うのですが。
SUA
「七堂甍改まりて」をより具体的にビジュアルに表現したのでしょうが、余計でしたね。Splendor worthyは次の文に生かしたわけです。
【原文】
■金壁荘厳光を輝かし、仏土成就の大伽藍となれりける。彼の見仏聖の寺はいづくにやとしたはる。
【第二訳】
以下第1稿では省略
【最終訳】
Now the temple has become a great hall of worship, the golden walls shining with splendor worthy of Buddha’s paradise.
I wondered where the temple of the Holy Man Kenbutsu might be.
GSQ
ここあたりを読むと、第二訳はこの部分も併せて、簡単に訳したということなのでしょうか。荘厳光、仏土といった語のイメージが前項の訳につながっているようにも感じます。
SUA
第二稿は前の文章で簡単に済ませたということで、最終稿ははじめからきちんと訳しなおしました。しかし、「慕わる」すなわち、なつかしく思うまでは訳せなかったと思います。wonderは「思いを巡らす」で、近いと言えば近いですが。慕うと英語にすると、yearnとか long forになり、強すぎるのです。
24. Ishinomaki 石巻
【原文】
■十二日、平泉と心ざし、あねはの松・緒だえの橋など聞き伝へて、
【第二訳】
On the twelveth we set out for Hiraizumi by way of the pine of Anewa and the bridge of Odae, names familiar to me from poetry.
【最終訳】
On the twelveth we set out for Hiraizumi by way of the Pine of Anewa and the Bridge of Odae, names familiar from poetry.
GSQ
松も橋も、固有名詞の一部なので大文字に直したのでしょうか。
SUA
その通りですが、橋に関しては現在の地名表記のようにOdaebashi Bridgeとすることも可能ですが、Anewa Pineなどと書くと、松の種類のようでもあり、このように統一したのでしょう。
GSQ
最終訳ではfamiliar to meのto me を省いています。歌枕なので、自分にだけfamiliarなわけではなく、一般的に、という意味でそうしたと理解していいですか。
SUA
ここは一般論ではなく、「自分が伝え聞いていた」ということでしょう。familiar name from poetryをname familiar from poetryとしたのです。
【原文】
■人跡稀に雉兎蒭蕘の往きかふ道、
【第二訳】
The coutryside was deserted, and the road no better than a trail that hunters or woodmen might follow.
【最終訳】
There was hardly anyone on the road, which was no better than a trail hunters or woodcutters might use.
GSQ
第二訳でも悪くはないように思えますが。改訳の必要は何なのでしょうか。
SUA
woodmanをwoodcutterにしたのは、「森の住人」では曖昧なので、はっきり「木こり」としたこと、followをuseにしたのは、その道は猟師や木こりが「使う」道であること明確にするため。follow roadは「道を辿る」とか「道なりに進む」という意味になります。
【原文】
■そこともわかず終に路ふみたがえ〔へ〕て、石の巻といふ湊に出づ。
【第二訳】
We lost our way, and finally took entirely the wrong road, to emerge at a harbor called Ishinomaki.
【最終訳】
Not knowing where we were, we ended up by taking the wrong way and emerging at a port called Ishinomaki.
GSQ
最終訳の方が、迷ってとまどっている雰囲気を感じます。
SUA
Not knowing where we wereとして「そこともわかず」をより正確に訳したのです。
GSQ
harborとportはどう違うのですか。
SUA
portは港町のことですから、石巻に関しては、船の停泊地のみをさすharborより適切です
【原文】
■数百の廻船入り江につどひ、
【第二訳
Hundreds of merchant ships were gathered in the bay.
【最終訳】
Hundreds of merchant ships clustered in the bay.
GSQ
「つどひ」を訳しなおしています。両者はどう違うのですか。似たようなものに感じますが。
SUA
単に集まっているとするよりも、clusterの方が「つどひ」には正確ではないかと。小舟が群がっているさまがよく表現されています。和船は小さいですからね。
【原文】
■人家地をあらそひて、竈の煙立ちつゞけたり。
【第二訳】
In the town the houses fought for steps, and smoke rose continuously from the salt-kilns.
【最終訳】
In the town the houses fought for space, and smoke rose continuously from hearth fires.
GSQ
「地をあらそう」は第二訳のstepsだと、立錐の余地もないといった感じです。
SUA
人間ならともかく、家ですからね。stepsは明らかにspaceの誤訳です。
GSQ
kilnは大きな辞書でやっと見つけました。あまり使われない語のようですね。Hearthは暖炉で竈というより、家庭団欒のイメージのようですが。第二訳は塩竃だからsaltとしたのでしょうが、やはりこれは誤訳だったのでしょうね。芭蕉たちの旅の困難に対し、夕食を準備している家庭の暖かさのようなものを示したのでしょうか。
SUA
kilnはそう珍しい言葉でもなく、私が時々利用する鎌倉の陶器屋の名前が「KIln」で、つまり、陶器を焼く窯の意味ですから、煮炊きをする時に使うものの訳としては不適切で、hearthは「囲炉裏」さらには「家庭」の意もあり、日本の民家についてはこちらのほうが良いと思ったのでしょう。
【原文】
■漸うまどしき小家に一夜をあかして、
【第二訳】
Finally we found a miserable little hut where we passed the night.
【最終訳】
Finally, we found a wretched little hut where we passed the night.
GSQ
両者はどう違うのでしょうか。改訳の必要はありますか。
SUA
miserableは「可哀想な」という同情の気持ちが含まれ、主に人に対して使いますが、wretchedは単に惨めな、ひどいということで、物体である建物に対しての表現ではこちらが適切。
【原文】
■袖のわたり・尾ぶちの牧・まのゝ萱はらなどよそめにみて、遙かなる堤を行く。
【第二訳】
As we traveled over a long embankment we could see in the distance Sleeve-Crossing, the Colt Pasture, the Vine Fields of Mano, and other places famous in poetry.
【最終訳】
As we traveled over a long embankment we could see in the distance Sleeve-Crossing, the Horse Pasture, the Vine Fields of Mano and other places.
GSQ
第二訳のColtも変ですが、最終訳の訳もどうして「尾ぶち」を略したのでしょうか。
SUA
日本の馬は小さいとのイメージがあって、coltすなわち若駒と訳したのでしょうが、大小にかかわらず馬は馬で、horseでいくのが当然です。尾駮の牧は固有名詞ですから、訳して然るべきです。
【原文】
■その間廿余里ほどゝおぼゆ。
【第二訳】
We had covered over forty miles, I believe.
【最終訳】
We had covered over fifty miles, I believe.
GSQ
40か50か、どちらにすべきか、はっきりしませんね
SUA
一里は2.44マイルですから、廿余里、つまり、二十里ちょっとで、50マイルちょっとで正しいと思いますね。
25. Hiraizumi 平泉
【原文】
■大門の跡は一里こなたに有り。秀衡が跡は田野に成りて、金鶏山のみ形を残す。
【第二訳】
The ruins of their Great Gate are two miles this side of the castle; where once Hidehira’s mansion stood are now fields, and only the Golden Cockerel Mountain remains as in former days.
【最終訳】
The ruins of their Great Gate are two miles this side of the castle. Where once Hidehira’s mansion stood there are now fields, and only the Golden Cockerel Mountain remains its old appearance.
GSQ
第二訳はremainが自動詞で、山が残っている。最終訳は他動詞で、山はその古い姿を残している、となるのでしょうが、原文は最終訳が近いものの、第二訳でもいいように感じます。
SUA
それより、セミコロンで緩く文章を繋げることを止めて、二つの文にわけたことが大切です。「秀衡が跡は」すなわちwhere onceで始まる文には特別な感慨があるので、わけなくてはいけません。Remainを他動詞にしたのは「形を残す」を正確に訳すためです。
【原文】
■先づ高館にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河也。
【第二訳】
We first climbed up to Castle-on-the-Heights, from where we could see the Kitagami, a large river that flows down from the north.
【最終訳】
We first climbed up to Palace-on-the-Heights, from where we could see the Kitagami, a big river that flows down from Nambu.
GSQ
CastleとPalace, とう違うのでしょうか。
SUA
Castleは城ですよ。Palaceは豪華な館。高館は義経の居館で、城ではない。義経といえども客人ですから、藤原氏の領地に城を構えるわけにはいきません。
【原文】
■衣川は和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落ち入る。康〔泰〕衡等が旧跡は、衣が関を隔てて、南部口をさし堅め、夷をふせぐとみえたり。
【第二訳】
この文、第1稿で省略
【最終訳】
The Koromo River circles Izumi Saburō’s castle, then flows into the big river below Palace-on-the-Heights. The ruins of Yasuhira’s time are on the other side of the Koromo Barrier, seemingly to protect the Nambu gateway from intrusion by Ainu.
GSQ
第二訳、外国の読者には説明が過剰に感じたのでしょうね。
SUA
この辺の描写は芭蕉が隠密であったことをうかがわせるものがあります。地形からいろいろなことを読み取っています。
【原文】
■偖〔さて〕も義臣をすぐつて此の城にこもり、功名一時の叢となる。
【第二訳】
Here Yoshitsune once fortified himself with some picked retainers, but his great glory turned in a moment into this wilderness of grass.
【最終訳】
It was at Palace-on-the-Heights that Yoshitsune and his picked retainers fortified themselves, but his glory turned in a moment into this wilderness of grass.
GSQ
第二訳は義経が、最終訳では義経と義臣が籠城決定の主体になりますが、意味は同じなので、第二訳でもいいかと思いますが。
SUA
高館をPalace-on-the Heightsと訳していますね。芭蕉は城と言っていますが、キーン氏は正確に捉えていて、それを強調したのだと思います。
【原文】
■「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」
【第二訳】
“Countries may fall, but their rivers and mountains remain. When spring comes to the ruined castle, the grass is green again.”
【最終訳】
“Countries may fall, but their rivers and mountains remain; when spring comes to the ruined castle, the grass is green again.”
GSQ
両者、違いはないように思えます。改訳の必要はあったのでしょう
SUA
最初の訳は二つの文章に切れており、「国破れて山河がある。城は春にして青みたる。」という具合で、対句ですから、最終訳はセミコロンで二つを軽く繋げることで原文の意に沿っているわけです
【原文】
■卯の花に兼房みゆる白毛かな
【第二訳】
第二訳ではunohana niの句は省略
【最終訳】
unohana ni In the verbena
Kanefusa miyuru I seem to see Knefusa――
shiraga kana Behind his white hair!
GSQ
省略されていた句が復活しています。第二訳の場合、兼房の説明もできないので、やむを得なかったのでしょうね。
SUA
確かに、Kanefusaって誰ということになるでしょう。この辺が詩の翻訳の難しいところでしょう。俳句だから、情報を補うこともできない。
【原文】
■兼ねて耳驚かしたる二堂開帳す。
【第二訳】
The holy images on display in the two halls of the Chūson Temple, known to me already by tales of its wonders.
【最終訳】
The two halls of the Chūson-ji, whose wonders I had heard of and marvelled at, were both open.
GSQ
第二訳は完全な間違いですね。「耳驚かしたる」が主文ではなく「開帳す」が主でなければならないですね。最終訳では改めています。
SUA
直訳すると、「かねてよりその不思議により知られている聖なる像が開示されていた」ということで、誤訳とは言えません。
GSQ
The holy images on displayはどこから来ているのでしょうか。原文にはそのような意味のものは無いように思えますが。
SU
「開帳」されるものはthe holy imagesなんですよ。最終訳では「二堂が開かれる」に留めたわけですが、第二訳はより突っ込んだ訳なわけです。
【原文】
■経堂は三将の像をのこし、光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。
【第二訳】
The Sutra Hall contains statues of the three generals of Hiraizumi; in the Golden Hall are their coffins and an enshrined Buddhist trinity.
【最終訳】
The Sutra Hall contains statues of the three generals of Hiraizumi; the Golden Hall has their coffins and an enshrined Buddhist trinity.
GSQ
ほぼ同じでしょうが、ニュアンスは違いますか。
SUA
だいぶ違います。第二稿では、光堂に棺と仏が「置いてある」(are)という程度の訳ですが、最終稿では、「光堂のものである」すなわち「光堂の一部である」との感じが伝わります。
【原文】
■七宝散りうせて、珠の扉風にやぶれ、金の柱霜雪に朽ちて、
【第二訳】
The “seven precious things” had been scattered and lost, the pearl-inlaid door were broken by the wind, and the pillars fretted with gold were flaked by the frost and snow.
【最終訳】
The “seven precious things” were scattered and lost, the jem-inlaid door were broken by the wind, and the pillars fretted with gold were flaked by the frost and snow.
GSQ
had beenがwereの単なる過去に改訳されています。違いはどういうことでしょうか。
SUA
過去形で、「かなり昔に」失せてしまったと強調しているわけです。目の前には何も残っていないのですから、過去形が適切だと思います。
【原文】
■既に頽廃空虚の叢と成るべきを、四面新たに囲みて、甍を覆ひて風雨を凌ぐ。
【第二訳】
Just as I was thinking that soon the temple would crumble and dissolve into grass, I noticed that it had recently been enclosed, and the roof tiled to withstand the wind and rain.
【最終訳】
The temple would surely have crumbled and turned into an empty expanse of grass, had it not been recently been strengthened on all sides and the roof tiled to withstand the wind and rain.
GSQ
第二訳は少々時制が変に感じます。さすがに最終訳はすっきりとわかります。
SUA
一番の違いは、主語がIからtempleになったことでしょう。別にここで芭蕉の存在を感じさせなくても良いのです。そのために、原文の意によりちかくなりました。
【原文】
■暫時〔しばらく〕千歳の記念〔かたみ〕とはなれり。
【第二訳】
A monument of a thousand years will be preserved a while longer.
【最終訳】
A monument of a thousand years has been preserved a while longer.
GSQ
前の文で修理されたこと自体が過去です。Will beだと現在からの「これから」で少々変です。has beenでいいのですか。
SUA
「しばらくの間は千年の昔をしのぶ記念物として残っているのである」ということで、修理されてから現在に至るまで残っているのですから、最終訳が適切だと思います。将来もというニュアンスはないのでは。
【原文】
■五月雨の降りのこしてや光堂
【第二訳】
Samidare no Have the rains of spring
Furinokoshite ya Spared you from their onslaught
Hikari-dō Bright hall of gold?
【最終訳】
Samidare no Have the rains of spring
Furinokoshite ya Spared you from their onslaught
Hikari-dō Shining Hall of Gold?
GSQ
似たようなものに感じます。Shiningの方がより光っていますか。
SUA
Brightは「明るい」で、輝きを強調したいのなら、shiningでしょう。
26. Shitomae Barrier 尿前の関
【原文】
■南部道遙かにみやりて、岩手の里に泊まる。
【第二訳】
We lingered to look at the road stretching far off to the north, then stopped at the village of Iwate.
【最終訳】
Turning back to look at the road stretching far off to Nambu in the north, we spent the night at the village of Iwate.
GSQ
最終訳が正確ですね。lingerだと、ぐずぐずしている感じを受けます。
SUA
「振り返って見れば」の方が正しいでしょう。第二訳は「暫しとどまって」という感じです。
【原文】
■小黒崎・みづの小島を過ぎて、なぐろの湯より尿前の関にかゝりて、出羽の国に越えんとす。
【第二訳】
We intended to cross into Dewa Province through the Barrier of Shitomae.
【最終訳】
We passed by Ogurosaki and Mizu no Ojima, and from the hot spring at Naguro headed for Shitomae Barrier intended to cross into Dewa Province.
GSQ
最終訳は省かれていたものを復活させています。Barrierの後にandを入れるか、intendingのような分詞構文がいいように感じます。
SUA
Intendedを省き、to cross into Dewa Provinceで、「出羽の国に入るために尿前の関に向かった」とする方がより簡潔でしょう。ここの地名表記は、the Barrier of Shitomaeでなく、Shitomae Barrierとなっています。
【原文】
■此の路旅人稀なる所なれば、関守にあやしめられて、
【第二訳】
Few travelers journey this road, and we were looked upon with suspicion by the guards at the border.
【最終訳】
Travelers are rare along this road, and we were suspisiouly examined by guards at the barrier.
GSQ
人も通らないところでjourneyって少々言葉が適切でない気がします。最終訳はすっきりします。
SUA
芭蕉の文により忠実であれば、travelers are rareの最終訳の方でしょう。
GSQ
looked uponがあまり関所の番人の感じがしません。
SUA
当初は「疑いの目で見られた」との訳でしたが、ここは実際に検められたでしょうから、最終訳が適切ですね。Borderもbarrierとなり、より正確になっています。
【原文】
■大山をのぼつて日既に暮れければ、
【第二訳】
By the time we had climbed the big mountain there, the sun had already set.
【最終訳】
By the time we had climbed the mountain there, the sun had already set.
GSQ
bigはカットする必要はないのではないでしょうか。
SUA
後の文章で、high mountainsとされていますから、bigをhighにすれば良かったのでは。
【原文】
■封人の家を見かけて舎〔やど〕りを求む。
【第二訳】
Discovering a guard’s house, we asked for a place to sleep.
【最終訳】
We found a border guard’s house, we asked to spend the night.
GSQ
第二訳は何となく、ぎこちない感じを受けます。「寝る場所」ですからね。
SUA
もちろん、「一夜を過ごす」方がいいです。
【原文】
■三日風雨あれて、よしなき山中に逗留す。
【第二訳】
For three days a terrible storm raged, and we had no choice but to remain in the mountains.
【最終訳】
For three days a terrible storm raged, and we had no choice but to remain in those dreary mountains.
GSQ
原文の「よしなき」は形の上では「山中に」にかかる形容詞ですが、意味的には山がよしなきなのではなく、「よしなくも」の意味で使っているのではないでしょうか。
SUA
訳文は「荒涼とした山中に」となりますが、解釈としてはこちらが一般的なのでは。もちろん、「仕方なく」とした方がおさまりはいいのですが。
【原文】
■蚤虱馬の尿する枕もと
【第二訳】
Nomi shirami Plagueed by fleas and lice
Uma no shito suru I hear the horses staling――
Makura moto What a place to sleep!
【最終訳】
Nomi shirami Plagueed by fleas and lice,
Uma no shito suru I hear the horses staling
Makura moto Right by my pillow.
GSQ
最終訳が正確ですが、第二訳では、キーンさん、さすがに芭蕉の誇張をそのまま訳すのを躊躇したのでしょうね。
SUA
言い過ぎたと感じたのでしょう。「蚤、虱にたかられて、その上馬のしょんべんではたまらない」という解釈になってしまい、情緒がまったくなくなる。これはまずいと思ったのでしょう。
【原文】
■あるじの云ふ、是より出羽の国に、大山を隔てて、道さだかならざれば、道しるべの人を頼みて越ゆべきよしを申す。
【第二訳】
Our host told us, “The road to Dewa lies through the moutains, and is so badly marked that you had best get a guide to show the way.”
【最終訳】
Our host told us, “The road from here to Dewa lies through high moutains, and is so badly marked you had best get a guide to show the way.”
GSQ
改訳というほどのものではないですね。
SUA
いや、第二訳は「是より」つまり、from hereが抜けているのです。ここを補うのは大事です。さらに、high mountainsとして山の大変さを強調しています。
【原文】
■「さらば」と云ひて、人を頼み侍れば、究竟〔くつきやう〕の若者、反り脇指をよこたえ、樫の杖を携へて、
【第二訳】
“Very well,” I said, and hired one, a strong young fellow who wore a scimitar at his side and carried an oak stick.
【最終訳】
“Very well,” I said, and hired one, a strapping young man who wore a scimitar at his side and carried an oaken stick.
GSQ
こう改訂してあるのを見ると、なるほどと思ってしました。確かに「究竟」は外見からの強そうです。ほんとうにStrongかどうかはまだわからないはずです。strappingは「背が高くてがっしりとした」という意味らしいので、こちらがいいですね。
SUA
「がっしりした」、「大柄の」という外形的特徴を表すstrappingが適切ですね。それより、scimitarが気になります。scimitarというとイスラーム圏の湾刀を連想させますが、芭蕉が反り返った刀と強調しているので、この言葉を使ったのでしょうが、しっくりこない。A small curved blade swordでは長すぎるかな。脇指は刃渡り60㎝に満たないものをいい、初期のものは反りが大きいようで、芭蕉の関心を惹きました。おそらく先祖伝来のものを差して道案内したのでしょう。最近、東博で反りの大きい名刀の数々を観たので、つい横道に逸れてしまいました。
GSQ
oak stickではだめですか。特別な問題はないように思いますが。
SUA
どちらでも問題はないと思いますが、oakenとして、樫の折れ枝などではなく、「樫の木から造った」ときちんとした杖だとみたのでしょう。
【原文】
■我ゝゝが先に立ちて行く。「けふこそ必ずあやうきめにもあふべき日なれ」と、辛〔から〕き思ひをなして後ろにつひて行く。
【第二訳】
He walked ahead and, thinking uneasily that today we were certain to meet with danger, we followed him.
【最終訳】
He walked ahead of us, and thinking that today we were sure to run into danger, we followed behind.
GSQ
第二訳のcertainの方よりsureの方が「思い」が入っていていいように感じます。
SUA
そうですね。sureはあくまで主観的な判断に基づく確信ですから、こちらを取るべきだと思います。
【原文】
■高山森々として一鳥声きかず、
【第二訳】
The journey was just as our host had described it―high mountains densely overgrown in which not a single bird-cry was heard.
【最終訳】
The road was as our host had described it―through densely overgrown high mountains in which not a single bird-cry could be heard.
GSQ
ここでもやはり山中なのでjourneyの語が不適なのかと思いましたが。
SUA
これは旅ではなく、山道のことを語っているので、roadが相応しいです。
GSQ
最終訳でthroughが入って、意味がはっきりしたように感じます。
SUA
木々が繁茂した山の中を道が通っている感じです。
【原文】
■雲端につちふる心地して、篠の中踏み分けゝゝ、水をわたり岩に躓きて、肌につめたき汗を流して、最上の庄に出づ。
【第二訳】
Feeling as though dust were raining from the edge of the clouds, we pushed our way through clumps of bamboo, crossed streams, and stumbled over rocks, until we finally reached the town of Mogami, our bodies bathed in a cold sweat.
【最終訳】
Feeling as though “dust were raining from the edge of the clouds”, we pushed our way through clumps of bamboo-grass, waded across streams, and stumbled against rocks. At last we reached the town of Mogami, our bodies bathed in a cold sweat.
GSQ
dust were~の挿入文ですが、最終訳で“”がつきました。必要ですか。
SUA
これは杜甫の文「已入風磑霾雲端」の引用であることを示したのでしょう。やはり、引用箇所はこのようにした方がいいと思いますね。
GSQ
細かく改訂されていますが、さほど問題のところはないように思えます。
SUA
最後の文章を、at lastで始まるものに独立させ、「やっとのことで最上の庄に至った」との気持ちを強調しています。
【原文】
■かの案内せしおのこの云ふやう、「此のみち必ず不用の事有り。恙なうをくりまいらせて仕合はせしたり」と、よろこびて、わかれぬ。
【第二訳】
When our guide left us he said with a smile, “Something unpleasant always happens on this road.
【最終訳】
When our guide left us he said happily, “Something unpleasant always happens on this road.
GSQ
確かに原文は「よろこびて」ですね。でも第二訳もそれなりにいいですね。
SUA
with a smileでは「微笑んで」ということになります。しかし、実際は、「お互いに喜んで」ではないですかね。そうすると、例えば、we departed happilyとか付け加えなくてはいけない。When our guide left us he said , “Something unpleasant always happens on this road.” And we departed happily.