協奏曲第5
〔No.9 ジュノーム〕 変ホ長調(K.271

1777年、1(原注1)

アレグロ:4分の4拍子(C
アンダンティーノ:4分の3拍子(ハ短調)
ロンドー1ガードルストーンは第6番K.238の第3楽章の説明で、モーツァルトのフランス型ロンドー採用について述べ、ヴァイオリン協奏曲以降、クプレがメヌエットでリズム、テンポが異なったフランス型ロンドーに2度と戻らなかったと記しているが、本協奏曲のロンドーは、それを許す変則的なものとなっている
    :プレスト:4分の4拍子
    ;メヌエット:カンタービレ4分の3拍子
    ;プレスト:4分の4拍子

オーケストラ:弦;オーボエ2、ホルン2

(原注1)全集版番号で第9番

 

 これまでの3つの協奏曲〔No.6 K.238、No.7 K.242、No.8 K.246〕が一様にまとっている宮廷のお仕着せの下に隠されたそれぞれの個性を見出すためには、非常に注意深く耳を傾けることが必要である。一方、第5番〔No.9 K.271 変ロ長調 ジュノーム〕は、最初の1小節から明瞭に際立った個性が自己を主張している。善人っぽく微笑み、愛嬌を振りまいてご機嫌伺いすることなく、誇らしく、自信に満ち溢れ、それはあくまでそれ自身であり、聴衆がそれを気に入るか否かなど意にもかけない。その始まりの尊大さは、後で幾分おとなしくなるものの、その独立心旺盛な態度は再び現れ、ギャラントリーの黄金の鎖に縛られることがない。この対照は、第1協奏曲〔No.5 K.175 ニ長調〕と1776年の協奏曲の間の対照ほどに大きなものである。

 この作品と前の協奏曲はわずかに9か月しか隔たっておらず、この9か月間は作品の数こそ多いが、何ら重要なものは見出せなかった。協会ソナタ、ミサ、ディベルティメントと“食卓の音楽”2テレマンの“ターヘル・ムジーク”のように独立した作品はモーツァルトにはない。おそらくこれはK.205などの小編成管弦楽によるディベルティメントの他に、ディベルティメントとして扱われるK.200番台の多くの木管合奏曲などを指していると思われる。、セレナーデ、アリア、これらのどれも大して興味を引くものではなく、ひとつを除いてどれも生き残っておらず、その例外であるハフナー・セレナーデ〔セレナーデNo.7ニ長調K.250〕は現在の演奏会でも時々姿を現すことがあるが、モーツァルトの青春期のどちらかといえば陳腐な作品群の中で何とか水面上に顔を出している数少ないもののひとつである。数多くの彼の傑作が水面下にその姿を消しているというのに、不思議なことである。

 一連の作品の中のどれひとつとして、何等かの変化を予測させるようなものはない。しかし明らかにこれら数年間の淀んだ水面下で、新しい出発の準備が進められていた。この若い音楽家が伝統に押し付けられた束縛から解放され、密かに行われていたことが、結果的にこの協奏曲として日の目を見るためには、ある出来事が必要であった。この出来事は1777年の1月に起こった。当時一定の評価を得ていたフランスのピアニスト、ジュノーム嬢がザルツブルグに立ち寄り、モーツァルトは協奏曲を1曲依頼されることになった。外国の名女性演奏家の存在がモーツァルトの情熱を燃え上がらせ、ロドロン伯爵夫人とその娘たちよりもさらに興味を喚起させる演奏家の前で自分の最善のものを出したいとの思いが、気づかないうちに自分の中で進行しつつあった作業を意識させることになったのである。

 1776年の協奏曲では、何にもまして聴衆の好みが重要であり、それが作品のトーンを決定したのである。今や肝心なのは作曲家であり、聴衆の地位はそれに次ぐものとなった。モーツァルトは、おずおずと聴衆のお守りをすることより、“自分自身を表現する”ことにより関心を持つようになったのである。この点だけでもこの協奏曲とその前のものとの違いを説明することができる。ここで、その違いのいくつかを数え上げてみよう。

 非常に個性的な開始部はすべてのモーツァルトの作品の中でもユニークなものである。最初の2つの楽章の主題は特徴的であり、アレグロの中間部はもはやエピソードではなく、真に主題的な展開を行ったものである。オーケストラと独奏はしばしば非常に緊密にインタープレイを行う。アンダンティーノ全体がインタープレイに見られたそれぞれの独立性を如実に示すものとなっている。これは初期の協奏曲の緩徐楽章のはるか上を行くものであり、ここに現れた個性的な表現は時代の趣味に対してまったく譲歩することがない。そしてフィナーレ、それは3つの楽章のうち最も慣習に則ったものであるが、それでさえも、構成の極端な自由さ、高揚した精神、表現と直接関わりのない名人芸の不在などによって、同じような独創性を示しているのである。

 

 アレグロは主和音を基にした角張ったユニゾンの主題で幕を開ける。これはこの時期の変ホ長調の曲ではしばしばあることである。オーケストラがそれを開始するが、驚いたことに、独奏がいつも通りに総奏が終わるまで忍耐強く待つことなく、あたかも侵入者のように入ってきてそれを締めくくるのである。オーケストラが再度、ユニゾンで同じフォルテの角張った主題を始めるが、ピアノが再びそれに割り込み、もう一度締めくくる。オーケストラは戦術を変更し、ピアニッシモの新しいモチーフを開始すると、ピアノは明らかに締め出され、いつもの時間に出番が来るまで沈黙を保つのである(譜例16)。

 このような通常の時点より早いピアノの登場というのは、概ね作曲家が注意を強いるための安易な仕掛けであり、あからさまで無理強いするどのような仕掛けを常に嫌ったモーツァルトは、再びこのやり方に戻ることはなかった。ベートーヴェンは、異なった目的のためではあるが、それを2回使っており3第4番ト長調作品58と第5番変ホ長調「皇帝」作品73。前者は冒頭からの主題提示、後者は独奏の「注意を強いるための」技巧的顕示という全く異なった目的で使われたものである、、ベートーヴェンの時代以降、協奏曲の冒頭あるいは始まってすぐに独奏が入ることが決まり事となった。

 一旦ピアノがあるべき場所に落ち着くと、弦が優雅な音で続ける。カンタービレのパッセージは、もうひとつの角張ったモチーフに導く。それは強音と柔らかい音が鋭く交互する小さなフレーズによって第2主題へとわれわれを導く。第2主題は心地良く、しなやかなテーマで、第1ヴァイオリンに委ねられ、ホルンと管楽器の呼びかけによって2つの部分に分かれて展開するが、その後半では第2ヴァイオリンが優雅な対位旋律を加えていく。それにリズミカルなパッセージが続き、突然の休止の後、ヴァイオリンが小さなためらうようなモチーフを極めて静かにささやくが、それは直後に高らかな全奏のファンファーレ4原文はfanfare、すなわちファンファーレであるが、そのリズムに着目した比喩表現であるが、日本では金管によるイメージが強すぎるため、翻訳では「全奏の」を補足した。後出では「ファンファーレ」をそのまま使用した。によって中断され、それによって総奏は締めくくられ、決まりに従い完全終止で終る。今度は、決まり通りにピアノが第1主題で入ってくることを期待するのだが、新たな驚きがある。ヴァイオリンが、和音の3つの音によるさざめくようなテーマを開始し、その上を独奏が属音のトリルによって、舞台に登場の挨拶をする。そして弦が一旦沈黙すると、独奏はすでに耳にしたばかりのいくつかのものを想起させる新しい旋律を続けるのである。その後になって初めて第1主題が回帰し、再びユニゾンのオーケストラとピアノの間で共有される。

 オーボエの控えめな保持音による伴奏に合わせて、独奏楽器はたゆみなく進み、あたかも真摯な交響曲作家のように、主題の最初の部分(譜例16、a5見にくいが、手書き譜例16の冒頭の5音の音型である。)を展開するのである。それは属調に転じるが、協奏曲を演奏しているのだということを思い出した途端に、火花を散らして進み、すでに総奏の中で聴いたリトルネッロ6ここでリトルネッロと呼ばれるものは、総奏提示部第22~24小節の「強音と柔らかな音が鋭く交互する小さなフレーズ」とされたものであり、第2主題へ導いたフレーズである。を呼び戻して、第2主題に入る。ピアノは単独でそれに立ち向かい、4小節目で弦がそれを補強する。それまで第2ヴァイオリンに任せられていた優雅な対位旋律は、今度は第1ヴァイオンリンに手渡され、主題が終わった時に、両者はピアノの伴奏に合わせてそれを反復する7第104小節から4小節にわたって、第1ヴァイオリンが第2主題、第2ヴァイオリンが若干変形された「優雅な対位旋律」を、そしてピアノがアルペジオによる伴奏を行う。。そのすぐ後に独奏は再び支配権を取り戻し、テーマのうねりは、次第に通常のトリルと休止に向かう経過パッセージへと変化していく。

 しかし、まだ提示部の終わりにはたどり着かない。最初の総奏では、結尾の音型がそれを締めくくり、今までと同様それに休止が続いた。しかし今度は、ピアノが、今ヴァイオリンがささやいたばかりのためらうようなモチーフのフレーズを奏で始めるのだ。オーケストラは第2提示部での独奏の登場を宣言した全奏によってそれを屈服させようとするが、ピアノは、冒頭弦に沈黙させられたまさに同じ主題をピアノ(p)で奏してそれに答えるが、それはためらうようなフレーズよりも前も出たものなのだ! 8「ためらうようなフレーズ」は第140~143小節で、第46~49小節の再現である。第144~147小節の「オーケストラの第2提示部での独奏の登場を宣言した全奏」に続く「ピアノの冒頭で沈黙させられた主題」というのは第148~152小節で、それは第7~11小節の再現である。すなわち、両者の出現順序は逆戻りになっている。オーケストラはそれに不意を打たれるのである。。明らかなしっぺ返し9原文はmanifest robbery。冒頭でピアノは第7小節からのテーマで沈黙させられるが、ここではその同じ「言葉」を奪ってそれを投げ返している、いわば「しっぺ返し」「意趣返し」のようなものである、と解釈して訳した。であるが、なんと機知に溢れ、容易になされたことか! 再び不意を打たれたオーケストラは、最初はあわれにも勝利者に付いていく以上のことができずにいる。しかし、突然それは気持ちを変えて、ピアノが主調に戻ってきたのを機に、開始部の主題を高らかに歌い上げるのである。ピアノがそれに反撃し、オーケストラもまた新しく始め、ピアノも1オクターブ上で同様に奏でる。ピアノの勝利は疑いなく、2回目の入りの時と同じように主題の断片を使って展開に着手する。提示部の終わりである。

 初期の協奏曲に比べ、このパートは全て非常にコンパクトであり、より簡潔である。最初のバーチュオーソ・パッセージは短く、独奏にテーマは用意されていない。それどころか、ピアノは敵からそのすべての主題を盗み取り、それらを己の目的に使うことに悪戯っぽい喜びを感じているのである。

 展開部は非常に簡素なものである。それはモーツァルトの協奏曲では珍しく、完全に主題的なものである。それまでに耳にしなかった主題は全くない。第1主題がそのほとんどの素材となっている。オーケストラと独奏は、主題の半分をお互いに投げ合いながら再び友好関係を結び、位置を変え、手を変えて球技に興じる。両者がその遊びに飽きると、ピアノが始めた半音階を、続いてオーケストラが終結させ、再現部へと進んでいく。

 再現部は若干の変更もないどころではない。ピアノは、オーケストラに応答するやいなや、第1主題の新たな展開を開始する。それは変ホ長調からヘ短調へ、またト短調へ、そして下降する半音階10第206~208小節での、各小節第1、2拍からなる音型が順次半音ずつ下降することを言っている。で主調に戻り、その後はピアノがより静かに提示部の道筋をたどる。カデンツァ11新全集版では2種類のカデンツァが掲載されているが、2つの主題を持つのは、カデンツァB、すなわちガードルストーの使用したブライトコップ版K.624 No.3のカデンツァである。2つの主題とは第1主題の後に出る「もうひとつの角張った主題」、および第2主題である。では、ピアノが自己を主張し、オーケストラがそこに導いてきたト短調五重奏曲〔No.4 K.516〕(原注1)を思わせる上昇旋律により、燃えるようにさらに飛翔し続ける。カデンツァは他の独奏の展開がそうであるように、そこには純粋に名人芸的なものはなく、2つの主題、そのひとつは開始の総奏で聴かれ、展開部の初めに一瞬現れたもの12ガードルストーンは展開部の始めに一瞬(for a moment)現れると記しているが、この主題は実質的に第1主題で、展開部はその3分の2ほどはこの主題の展開であえるため、「一瞬」という表現は不適切である。であるが、それに基づく主題的なパッセージである。ほとんどのカデンツァは、たとえそれが作曲家自身の手になるものであっても、単に表面を飾り立てただけのものなのだが、これはまさに最後の仕上げとして独奏に託された、楽章の一部を形成するものなのである。それゆえそれを他のもので代替することは誤りである。

(原注1)これはモーツァルトの特徴的と言ってよいモチーフであり、最も思いがけないところでこれに出会う。例えば、フルートと弦の四重奏曲ニ長調K.285のアレグロ、変ホ長調交響曲K.543〔No.39〕のフィナーレである。

 最初の総奏を締めくくった全奏がカデンツァを終わらせる。この小さな作品に秘められた工夫の数々はこれで全て出尽くしたのだろうか? いや決してそうではない。結尾を思わせるところの後でヴァイオリンが独奏の登場直前に現れ、躊躇するような主題13ガードルストーンはこれより前にthe hesitating motif またはthemeという語を2回使っている。第46~50小節のものおよび第140~144小節の同じモチーフで前者は総奏、後者はピアノが奏するものである。しかしここで使われている第297~300小節のthe hesitating themeは、それらとは全く別のもので、独奏の登場直前の第54~57小節で「和音の3つの音によるさざめくようなテーマ」と呼んだものと同じものであり、「躊躇するような主題」ではない。を取り上げ、ピアノもそこで初めて登場した時のトリルで再び入ってくるのだ。カデンツァの後の二重終止線は楽章がもう一度繰り返されるのではないか、と戸惑いを感じ始めるが、その時オーケストラが休止し、独奏が明らかに結尾的な性格を持った、アルペジオからアルペジオへと火花を散らす。そしてピアノは絶え間なく自己主張を続け、最後の和音へと導いていくのである。

 

Ⅱ 希望に満ちた躍動的なアレグロには、非常に異なった楽章が続く。それはハ短調で、モーツァルトの協奏曲で初めて出会う短調の楽章である。モーツァルトにとって、同時代の作曲家たちと同様に短調は例外的な調性であった。より個人的な情緒の吐露のために用いられ、それはきわめて特徴的な、概して言えば常ならざるムードを反映させるものである。最も興味を惹かない作曲家であっても、彼らが短調を用いる場合は感動的な何かを見出し、それを表現することを意図しているのである。

 この楽章が属する“悲劇的”アンダンテについてはすでに述べた。協奏曲にはこれに属するものが非常に多い。このようにグループ化した楽章の中で、ハ短調のいくつかは密接に関連している。1766年から1791年、中でも1772年から1784年の間に、モーツァルトは12曲ほどのアンダンテやアダージョをこの調性で作曲した。それらのうち3つは、この協奏曲と幾分類似しており、それはハ長調弦楽四重奏曲K.157〔No.4〕、変ホ長調の交響曲K.184〔No.26〕、そして協奏交響曲K.364〔変ホ長調、ヴァイオリンとビオラのための〕である。拍子は異なるものの、すべて主音から属音への振幅であり、小さな3音のモチーフ(図1)を特徴とする主題で始まり、ため息か、すすり泣きなど、同じムードを表出させる存在である(原注1)

(原注1)これらの要素がすべて、パセティックなC.F.アーベルの作品7Ⅲの序曲のハ短調アンダンテの中に見られるのは興味深いことである。モーツァルトは9歳か10歳の時にそれを書写し、長い間ケッヘル第18番として彼自作の交響曲として通っていた。

 この協奏曲のものが最も類似しているのは、協奏交響曲〔K.364 変ホ長調〕のすばらしいアンダンテである。どちらの楽章でも同じムードの表出が意図されている。とは言え、完全に同じムードというものは起こりえないのだから、限りなく似た2つのムードというべきかも知れない。主題がほぼ同型であるのみならず、拍子も同じである(譜例17)。ともに、まさに若さの絶望的な悲しみを吐露している。それは悲しみそのものを悲しむことであり、希望の一筋の光さえも拒絶する悲しみなのである。協奏交響曲の方は、より凝縮され、明るい瞬間が皆無なのに対し、協奏曲ではより外向きであり、その主題はより劇的であって、そこにはほとんど平和的と感じさせる時さえもある。協奏曲のアンダンティーノには、片方が失ってしまった子供らしい何かがまだある。

 一聴して気づくことは、この楽章のレシタティーヴォ的な特性である。モーツァルトはこの中でオペラ・セリアの様式を導入し、いくつかのフレーズを属音で停止させ全オーケストラで完全終結させるということまで行っている。ヴィゼワとサン・フォアが注目したように、それはグルックのいずれかのオペラの悲劇的なレシタティーヴォを、人の声を第1ヴァイオリンまたはピアノに移したものではないか、と誤解させかねない。弱音器をつけたヴァイオリンで弦が始まるが、それがあまりに静謐に行われるので、その前に過ぎ去ったものと極めて著しい対照をなしている。今引用したフレーズがしばし続き、管楽器が参加し保持音で基音を補強し、弦を増強する。そして主題が第1ヴァイオリンのG音で停止した時、全管弦楽がフォルテのユニゾンで入り、完全停止となる(譜例18)

 ピアノが声を高め、ゆっくりとオクターブ上へ昇っていく。そこへ至るやすぐに弦がその劇詩曲(melopoeia)14melopoeiaはガードルストーンの同時代にエズラ・パウンドが示した3種類の詩の一つであり「音楽的特性により言葉が通常の意味を越えて転換され、音響やリズムの感情づけとともに、新たな意味を生み出す」詩である。語源的には「メロディーを生み出す神秘な力」であるが、同語源であるギリシア神話のmelopomeneは悲劇の女神でミューズの一人である。「劇詩曲」を訳語にあてたが、「悲劇のミューズの奏でる悲曲」といった意味で理解すればよいだろう。を再び開始し、独奏はそれに歌うような対位旋律を付け加える。それは葬列の上を羽ばたく悲しみの鳥である。少しずつ劇詩曲は弱まっていき、ピアノの歌だけが残され、それはレシタティーヴォに混ざり合っていく(譜例19)。それが終わった時、オーケストラが強音で帰ってくる。突然の転調であり、聴衆は突如として、変ホ長調の澄み切った空の下に佇む自らを見出すのである。

 変化は唐突であり、それはモーツァルト的でもある。これに驚かされる人がいるかも知れないが、19世紀の交響曲作者の長大な展開に慣れている我々は、ほとんど予告もなく正当化もされていないこのような鋭い転変は、容易に許容しがたいものである。ある場所で短調から長調へパッセージが移るのは、ただ規則によってそれが求められるからだと見なされている。しかしながら、モーツァルトにおいてそれらは感情的に意味がないことではなく、また単に形式上の法則を満足させるためだけに起こるのではない。ソナタ形式で決まった場所でそれが起こることも確かだが、規則が何らそれを求めていない他の多くの瞬間にも出会うのである。これはモーツァルトの人間性が根源的に求めるものに関連している。ある4月の日のように不安定で移り気な気質は、絶えず極端から極端に移ろい続ける。陽気な笑いの最中に、日の光を翳らす一片の雲のように悲しい思いがやってくる。それはちょうど悲惨な涙の中からしばしば微笑みの光が現れることと同じである。決して早熟とはいえない、一人前の男であると同時にまだ幼年時代にも近い21歳の若者によって書かれた作品の中にこの幼児心理の特徴を見出しても、驚くにはあたらない。

 これに続く部分は変ホ長調である。それは長い独奏で、オーケストラの長調に移された最初のレシタティーヴォによるフレーズによって一度中断されるが、短調に転調する気配さえ見せずに変ホ長調のまま、最初の場合と同様に、全停止に向かって高揚していく。

 シンコペーションの伴奏を伴った騒々しいコデッタで提示部が結ばれる。モーツァルトが特に協奏曲において好んでいたやり方で、ピアノがコデッタの主題で入ってきて、修飾しながらそれを反復する。オーケストラが入ると、両者は共にその主題を奏し、そして短い展開部が続く。それは第1楽章に類似しており、極めて主題的なものである。しかしそれは推移部以上のものではなく、2小節の7の和音による短調音階の夢見るような煌めきは、気落ちしたかのように急速に冒頭の劇詩曲に逆戻りする。それらの醒めた優美さは、エルネスト・エローの“絶望を系統立てて音楽的に受容する”というロマン主義の定義を思い出させる。

 それに続いて、短調に転じ、第1部が再現される。オーケストラは第1主題を提示した後、そのすぐ前に行ったように変ホ長調に転調し、ピアノはそれに付いていこうとするが、数小節後には飽いてしまい、ハ短調へと戻ってしまう。

 このような長調から短調への転調時に、パッセージに起こる変化というのは実は何なのだろうか? アンダンティーノの33小節から53小節まで15次の再現部の同じ部分と正確に対応させるならば、ここは「32小節から53小節まで」となるが、最後の方は再現部では変更されているため両者は一致しない。を奏でてみてもらいたい。そして次にもう一度再現部の同じ部分(92小節から113小節)を見てもらいたい。違いは何か? 何も変わってはいないが、しかしすべてが異なっているように感じられる16ここでのガードルストーンの表現には明らかな誇張がある。再現部の92小節から113小節の中で、94小節から99小節までは提示部から変形されている。この部分はこの協奏曲の中でも最も美しいパッセージのひとつであり、次に述べられる評言には、このパッセージが大きく寄与していると思われる。ガードルストーンは「何も変わらない」ことを強調するために、このパッセージに触れていないものと考えられる。しかし、この段落が本書の中でも素晴らしい部分のひとつであることは間違いない。。概観、景色、音の上り下がりは同じである。また同じ声で同じ時に語っている。しかしこの風景を見つめる目が変わっているのだ。歓喜の中で見たものを、今度は涙を通して見ており、たった今見逃していた細部が、今度は悲しみのメッセージを帯びて現れる。同じ光景ではあるが、そこには苦悩が加わっているのだ。

 ピアノと第1ヴァイオリンの感動的な対話(110小節から115小節)17「PartⅠ モーツァルトのピアノ協奏曲への一般的考察:ピアノとオーケストラの連携」での譜例5の後、シンコペーションの伴奏を伴うコデッタがカデンツァ18新全集版では2種類のカデンツァが掲載されているが、本文の記述の特徴を持つのは、ブライトコップ版K.624 No.4のカデンツァBの方である。へ導いていく。それはアレグロのものと同様に真の展開であり、作品全体に不可欠なパートである。まず、様々なパートが連続して加わることで豊かになった下降音階で始まり、減7の和音での休止に導かれていく。そして次第に劇詩曲の断片が現れるが、すぐその後に、情熱的なアクセントを連続して発しつつ、最初の変ホ長調の高みへ昇ることで、作曲家は忍耐強くそれを追い払う。最後には、消耗して、音楽はトリルへと落ち着き、オーケストラの回帰を告げる。ピアノの声はほとんど消えかかるが、オーケストラが回帰しそこなうために、ピアノはしばらく気落ちしたように、旋律の断片を引きずり、今度は弱音器をつけないヴァイオリンとすべての他の楽器が、まさにカデンツァが割り込んだ劇詩曲のその場所から、その末尾部分を取り上げる。そしてピアノは再び勇気をふるって劇詩曲を結尾へと導く。オーケストラは完全停止で締めくくり、この一片の名も無き悲劇に幕が降りるのである。

 

Ⅲ 第1楽章の活力はロンドでさらにふてぶてしさを増して再び現れる。ピアノはその力を取り戻し、オーケストラが登場するまでほぼ40小節近く楽しげにおしゃべりする。対話は他の楽章よりも際立ち、ピアノと総奏はお互いに生き生きと上機嫌で応えあう。リフレインとクプレ、主題と経過の句が一心不乱に互いにぶつかり合うが、実質的には“主題”と言えるものはひとつもないのである。リフレインとして機能するパッセージ(原注1)が回帰するところまでは、形式はモーツァルトの典型的なロンドである。しかしその時は、それまでと同じ目まぐるしい速さではなく、ピアノとオーケストラは、重大な変化を予兆するかのように、変ホ長調からヘ短調、さらにト短調からハ短調へと転調を始めるのだ。冒頭のリフレインにあるパッセージが推移部を終わらせ、いつもの減7の和音での休止の後に、リズムの拍子が変わり、ピアノがカンタービレで、第2エピソードとなるメヌエットを開始するのだ。それは時にはピアノだけで、また時には弦のピチカートと共に奏でられる主題と変奏である。そして総奏の和音に支えられたピアノのアルペジオのコーダが続く。全体は、今回は名人芸的なものであるカデンツァ19原注2では2つの自筆カデンツァが紹介されているが、新全集版では3種類のカデンツァが掲載されている。へと進み、そしてリフレインに戻る。それは非常に魅惑的な嗜好のエピソードである。一連の協奏曲の中でも、形式の自由さということでは、この楽章を超えるものは他になく、ただ1784年の変ホ長調K.449〔No.14〕がこれに匹敵するだけである(原注2)

(原注1)このパッセージは『魔笛』のモノスタートスのアリアを予告している。
(原注2)マンディチェフスキーはモーツァルトがフィナーレのために書いた2種類の挿入句を
ファクシミリ出版している。

 モーツァルトがこの楽しい作品で、1784年から86年の偉大な作品のレベルに達したとするのは言い過ぎだろう。ここには成熟がなく、アンダンティーノがどんなに感動的であっても、ウィーン期の“悲劇的”アンダンテに比べると、これはより若く、より外面的な悲しさを表現しているのである。しかしこれは彼の協奏曲の中でもその独自の美点ゆえに生き残っている最初の作品であり、若き作曲家の成長の歴史における重要な道標のひとつなのである。これまで、この曲の独創性、その独立性、さらに聴衆に対しての尊大ささえも強調してきた。これはモーツァルトが自らにこのような自由を許した最初であり、それは常にそうであるわけではない。1777年にモーツァルトは自己を確信し、それからすぐにマンハイムへ、そしてパリへと旅立ち(原注1)、そこで新たに獲得すべき聴衆、歓心を得るべき新たな好みに出会い、再び外部からの要求に従うことになる。そして、ザルツブルグに戻ってからも、彼が取り除こうとしても叶わなかった人々の歓心を買おうと再び試みることになり、さらに、ウィーンにおいてもパリと同じ状況に置かれ、しばらくは新たなパトロンの嗜好に頭を下げることになる。それから7、8年後の、1784年に近くなって、パリのピアニストの訪問を機にモーツァルトが示した大胆さを取戻し、その後最後までそれを持ち続けることになるのである。

(原注1)その旅の途上、10月10日ミュンヘンで、モーツァルトはこの協奏曲を演奏した。

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