忘れられ葬り去られた前世紀(19世紀)の協奏曲の哀れなごみの山の中には、オーケストラの役割を、ピアノの光輝く道行、ピアノの気の利いた、奇抜な、そして奔放な語り“quips and cranks and wanton wiles”1ジョン・ミルトン(1625~1724)の詩の一節の引用。音とリズムの面白さ、語呂の良さで、スキップするような感じを出している。直訳すれば「軽口、変人、いたずらな企み」であるが、ピアノが勝手気ままに演奏を繰り広げる、その語り口の表現として訳出した。ガードルストーンはこの“quips and cranks and wanton wiles”が使われているヘンデルの音楽劇(オラトリオ)“L'Allegro, il Penseroso ed il Moderato (快活の人、沈思の人、温和の人)”の第5曲の舞台を比喩として使っている。の舞台の背景幕のような地位に落としめてしまったものが数多くある。18世紀には、まだコンチェルト・グロッソの伝統に非常に近いところにいたため、このような歪曲が支配的になるまでには至らなかったが、いずれにせよ、ヨハン・クリスティアン・バッハの楽派はオーケストラの役割についてより高い理想を抱くことはなかった。ポリフォニックな書法が陥った不人気はスタイル全体の貧困化を伴い、協奏曲においては、総奏に対する独奏の過度な偏重となって現れたのである。

 モーツァルトは、ポリフォニーの豊かさと新しいスタイルを合致させた最初の作曲家のひとりである。彼がヨハン・クリスティアンの生徒に過ぎなかった時期を経て、モーツァルトは協奏曲が書き始められた地点から徐々に失地を回復し、独奏と総奏を君主と廷臣の関係ではなく、対等の力関係の敵同士あるいは互いに協力する者同士として相対する関係にしたのである。大よそだが、彼の最初の9つの協奏曲〔No.5 K.175 ~ No.13 K.415〕はまだヨハン・クリスティアンの流儀から離れず、10番目〔No.14 K.449〕より後になって、オーケストラとピアノは対等な武器で戦うことになるのだ。そして、本章の主題である両者の連携は非常に興味深いものなのである。

 ベートーヴェンが協奏曲において初めて“オーケストラを解放した”という記述をよく目にするが、すでにこのことは一度ならず否定されている(原注1)。モーツァルトの協奏曲を個々に研究していくことで、ベートーヴェン以前の音楽家、モーツァルトがすでにオーケストラを解放していたことをあらためて示すことができるだろう。しかし、最初にこれを行ったのはモーツァルトではないのである。というのも、ヨハン・セバスチャンに遡るまでもなく、フィリップ・エマヌエルの協奏曲のいくつかで、オーケストラはすでに十分に解放されているからだ。ここではとりあえず、すべての協奏曲の作曲家と同様にモーツァルトが直面しなければならなかった問題を総括し、彼がそれらの問題をどのように解決していったか、その大まかな道筋を描くことに専念したいと思う。

(原注1)D.トーヴィによる「音楽分析についての随想」を参照されたい。

 それが一時的なものであれ、協奏曲におけるように作品全体にわたるものであれ、ひとつの楽器がオーケストラの集団の中から抜け出し、独立を主張する時には、その楽器が他の楽器に対して取りえる姿勢にはいくつかある。出来の悪い協奏曲では、その楽器が1つの姿勢に固執する最も単純かつ怠惰なもので、すべての注目を己に引き付け、同時に演奏する楽器群を陰に追いやり、伴奏に甘んじることを強いるのである。ごく初期の協奏曲作家たちのポリフォニックなスタイルは、独奏と総奏との多様な結びつきに実に適ったものであったが、ポリフォニーの放棄によりこれらの結びつきもそれとともに捨て去られ、オーケストラは自らを独奏に従属させていくことになる。

 モーツァルトのすばらしいところは、このような流れに逆らいながら、ポリフォニックな書法に立ち戻ることなく、いくつかの場合を除いて対位法を用いず、新しいシンフォニックなスタイルで、独奏とオーケストラの協働を回復したことにあるのだ。

 協奏曲に真摯に取り組む全ての作曲家同様に、モーツァルトおいては、独奏と総奏、あるいは総奏と独奏の関わり方には3つの種類がある。総奏が独奏に従属し、伴奏することもある。また、逆に、独奏がオーケストラの全体あるいは一部に従属し、伴奏をつけることもある。そして最後に、両者は重要さにおいて対等であり、どちらも相手の上に立とうとすることなく、結びつき、会話を交わし、また相手よりもより大きな聴衆の注目を求めない場合もある。個々の協奏曲を順に見ていくことで、モーツァルトにおいてこのような関係がどのような形式をとっているかを子細に検討することが容易となる。しかし、今この場でその大よその特徴を描いてみることも可能である。

 

 いうなれば、協奏曲の生来の状態は、総奏が独奏に従属するという形である。どのようにオーケストラが“自らを解放”しようと、独奏が前面に出る部分が最も多くならざるを得ない。それはモーツァルトにおいても、ヨハン・セバスチャンやフィリップ・エマヌエル・バッハの場合、またベートーヴェンやシューマンの場合も同じである。この点では、モーツァルトの協奏曲には特に注目すべきものはない。彼の最もすばらしい作品においてさえも、しばしばオーケストラの役割は伴奏者である。概ねその伴奏は通例化した技巧を用いて行われる。保持音、反復音型、リズムの対照、独奏に対する反行形アルペジオ、独奏の走句が示した響きを持った和音、カンタービレな主題に対するリズミカルなモチーフなど、これらは数多くのオーケストラの伴奏形態の中でも最もありふれたものであり、いずれもモーツァルトに特有のものではないので、詳しく述べる必要はない。ここでは、彼の“偉大な”時期の協奏曲の6曲ほどに見られるいわゆる主題的伴奏について指摘するにとどめよう。これはその楽章のある主要主題の一部をモチーフとして使用して行う伴奏のことである。この手法は、それを多用したヨハン・セバスチャン・バッハおよび彼の息子、ウィルヘルム・フリードマン、フィリップ・エマヌエルに遡ることができる。とりわけフィリップ・エマヌエルは彼の父親以上にこの手法を多用した。壮大なニ短調の協奏曲において、彼は、第1楽章の多くの部分を開始部の主題で埋め尽くし、ピアノが修飾するなかでそれを反復し、限りなく変奏させている(原注1)

(原注1)ワトキンソン番号23。この見過ごされてきた音楽家について既に語られていることもあるが一言付け加えてもいいだろうか。53曲におよぶ彼の協奏曲のうち40曲ほどは、彼の存命中でさえも出版されていない。150曲のチェンバロ・ソナタでは100曲が出版されただけで、そのうちのいくつかは、われわれの時代になって初めて世に出たのである。二級の作品は除外し、数多くの傑作に限定して、完全で完璧な精査に基づく彼の最良の作品の確定稿が作られるべきである。すでに出版されたものの中でもとりわけとりわけ、スタインゲルバーのリーマンが編纂した賞賛すべきピアノ協奏曲を取り上げたいと思う器楽奏者が出てくるべきである。その中でもニ短調とハ短調のピアノ協奏曲は、あらゆる面で偉大な作品であり、室内楽団しか使えないピアニストのためには心憎いものである。ただし、これらの協奏曲の研究は、18世紀の芸術に耳を傾けるピアニストであってもその誰にでも推奨できるというものでもないのだが。

 モーツァルトは主題的伴奏をそれほど用いていない。しかしながら、ニ短調〔No.20 K.466〕やK.488〔No.23 イ長調〕の協奏曲で、いくつかの注目すべき例を示すことができる。K.488〔No.23 イ長調〕のフィナーレで、模倣のパッセージが突然応答を止め2譜例1の7小節目。、己の道を進み始めるピアノのひとつの動きによって形を変え、その間呼びかけを続けていた木管が突然主題的伴奏に入っていく(譜例1)。これ以上に絶妙な瞬間は稀である。ピアノのアルペジオが激しく雨のように低音部に降りかかり、第1主題の不吉な3連符が深奥で響くニ短調〔No.20 K.466〕の展開部の数小節は、一瞬の輝く光景の中に作品のすべてを要約する(譜例239)。これほど劇的な用いられ方ではないが、主題的伴奏の例は、ハ長調の協奏曲K.467 〔No.21〕(譜例259)、ハ短調〔No.24 K.491〕3展開部310~323小節、ピアノの上昇音階およびアルペジオの走行を弦と木管が交互に第1主題の断片で主題的伴奏を行う。やニ長調K.537〔No.26 戴冠式〕4第2提示部の結尾音型をピアノが引き継いで展開部が開始されるが、第250小節からピアノは上下を繰り返す独奏へ入っていく。弦がその結尾音型によって主題的伴奏を展開する。にもある。時には、伴奏が独奏に劣らず重要なこともある。伴奏のモチーフとして主題を使うことから、最後の協奏曲〔No.27 K.595 変ロ長調〕のアレグロのようにピアノが伴奏を務める完全な展開5上のK.467やK.537の当該箇所では、主役はあくまでピアノのヴァーチュオーシティであり、それへの管弦楽の主題的伴奏いわば“合の手”的なものである。一方K.595を見ると、例えば展開部第209小節以降では管楽器によって第1主題を使ってカノンを展開するが、主役はこちらに移っており、ピアノは音階やアルペジオを奏するが旋律的な主役性はなく伴奏でしかない。両者は形態的には同じであるが、音楽的意味では逆転が起きており、ガードルストーンはこれを「進化」ととらえている。へと着実に進化していく様を辿ることができる。その進化の段階は、K.415〔No.13 ハ長調〕6譜例69として後出する。第2クプレに入った後、第143小節から弦がリフレイン主題を奏し、ピアノがアルペジオ等で進行するが、ピアノ・パートは2つに分裂したリフレイン主題(1つは“羽ばたく2度”)の絡み合いを演じ、単なる主題的伴奏以上の効果を上げている。また、コーダの第239小節以降では、木管も加わって主題的変奏が繰り広げられる。のフィナーレ、K.467〔No.21 ハ長調〕、K.491〔No.24 ハ短調〕そして K.503〔No.25 ハ長調〕の第1楽章7K.503 は、第1楽章のみならず全編で、多くの主題的伴奏が繰り広げられている。ここで指摘されている第1楽章のものの例はいくつかあげるにとどめる。第2提示部第82小節~(譜例356)、また第130小節~では弦で第18小節からの上昇音型(a)の展開形がカノンを奏し、ピアノは上昇、下降の音階で実質的には伴奏に近い形になっている。によって示されている。

 総奏がどれと決まった主題を借りることなく伴奏を行うことは、その音型やオーケストレーション8「音型」によるものが「定まった型から~旋律を形づくる」伴奏、「オーケストレーション」によるものが「音色の多様さ由来する音の色彩」を活かした伴奏を指している。によってある種の独創性を持つこともある。主題的伴奏の例以上に数多いのは、従属的なパートが、独奏ほどには自らを主張することなく、定まった型から完全に自らを解き放ち独自に展開することで、ほとんど旋律を形作るまでになるというものである。1785年と1786年の協奏曲〔No.20 K.466~No.25 K.503〕に数多く存在するので、ここでこのようなパッセージを引用する必要はない。この伴奏のパートから自由にさせるというやり方は、フィリップ・エマヌエルでもよくあることで、ニ短調の協奏曲W.23にもこれがある。その世紀の終り頃に管弦楽法が成長する以前には見られなかったものが、モーツァルトの伴奏の特徴である音色の多様さに由来する音の色彩なのだ。その例としては特に、ニ短調〔No.20 K.466〕のアンダンテ(ト短調の間奏曲;譜例243)でピアノの燃えるような3連符を支える木管の和音、変ホ長調K.482〔No.22〕のアレグロの展開部でピアノの音階と逆行して上下する和音9第228~9小節などでのピアノの上昇に対する木管の下降音階、第240~241小節などでのピアノの下降に対する弦の上昇音階、第238~239小節などのピアノの下降に対する木管の上昇音階、およびその反復である。、ト長調〔No.17 K.543〕での、バスーンの急き立てられたような跳躍や独奏のアルペジオの迷路の中をアリアドネの糸のように通り過ぎていくフルートとオーボエの音階などを思い浮かべることができる(譜例155)

 独奏とオーケストラの立場がしばしば逆転することで、状況はさらに興味深いものとなる。一度主導権を握った楽器が次にどのように従属的になるか、またどのようにオーケストラが独奏の開始とともに失った権利を取り戻すかを見て、底意地悪く楽しむこともできるが、独奏が自らを伴奏の役割に貶めることにはより芸術的な意味での楽しみ方もあり、このことによって、色彩感が増すことがその楽しみの理由である。ピアノを伴奏の役割に貶めることで、一時的にその個性が奪われ、楽器の大きな塊の中に埋没を余儀なくさせるが、そのことで音色のパレットがより豊かになるのである。

 モーツァルトは早くからこのことが分かっていた。最初の協奏曲〔No.5 K.175 ニ長調〕において、彼は時折ピアノに背後の役を与えた10第1楽章はピアノが後ろに引くことはほとんどない。第2楽章の第1主題で総奏提示後、ピアノが再提示する時にその後半をオーケストラが分担し、ピアノは伴奏にまわるところなどを指しているものと思われる。。これ以降の1782年までの協奏曲には独奏とオーケストラの連携に興味深いものはない。しかし、その後111784年のNo.14 変ホ長調K.449以降を指している。に、彼はそのやり方に再び取組み、巧みに変化させていったのである。

 ピアノを従属させる最も簡単なやり方は、アルベルティ・バスや3連符の分散和音、上行あるいは下降のアルペジオといった、ありきたりの伴奏型をとらせればよいのである。“偉大な”時期(1784-6年)に作曲されたほとんどの協奏曲でこの例を見ることができる。モーツァルトは、ピアノが伴奏するクラリネットの独奏を好むが、ベートーヴェンやシューマンも同じことを行うことになるのだ。

 ピアノによる伴奏は、常道的なやり方を避けることで、さらに独創的なものとなる。それは、オーケストラによって提示された旋律が同じ形で繰り返されれば、それはすでに十分に意欲的である。ピアノの伴奏が形どおりになされることは滅多になく、ト長調〔No.17 K.453〕のフィナーレおよびK.503〔No.25 ハ長調〕のアンダンテの2つのピアノの低音部のパッセージに見られるように、オーケストラを修飾し、分解されたオクターブ音型12ガードルストーンはこの「分解された(broken)」をよく使っている。分解されたオクターブ音型とは、例えばド―ミ―レ―ファ(各音はオクターブ和音)という音型を、ド‐ド―ミ‐ミ―レ‐レ―ファ‐ファ(上点はオクターブ上の音)のように分解した音型のものを指している。実際、「分解されたアルペジオ」とともに、モーツァルトのピアノ協奏曲では頻繁に使われている。でそれを繰り返し、あるいは変奏すべき主題の如く、しかもそこから遠く離れることなく、その旋律のまわりで戯れるのだ。ピアノ・パートは最初〔K.453〕のもの(譜例17213K,453の章で譜例172と譜例173はその中身が逆である。ここで指示されている譜例173は譜例172のことであり、明らかな誤りであるため、本文を修正した。)がよりすばらしいが、両者を分離させることはなく、オーケストラの和音に手を加えず奏でることに甘んじており、両パートの違いはより小さい。ハ長調〔K.503〕ではそれはより幅広く、より気品に満ちており、それは2オクターブにもわたる波のうねりのように上下する3連符で構成され、その和声は主要主題へと導くユニゾンに合わせて、ひとうねりごとに堂々と下降する14No.25 K.503 アンダンテの第68~75小節。このパッセージの後半は譜例367として後出。

 どちらも相手に従属することがなければ、独奏とオーケストラは協働することになるのだ。

 ここで述べる協働とは、対抗する者同士が共に奏し、両者が対等の強さで聴衆の注目を惹き付けようとすることであり、それにはいくつかのやり方がある。

 開始部の総奏ですでに出てきたパッセージの繰返しにおいて、ピアノがオーケストラの他の楽器に与えられていたパートを支配し、その楽器に取って代わることができる。ピアノに割り当てられるのは概ねオーケストラの第1ヴァイオリンのパートである。モーツァルトは彼の協奏曲K.449〔No.14 変ホ長調〕15第2提示部では、2つの主題のほとんどの旋律的部分はピアノのものとなっており、第1提示部での第1ヴァイオリンのパートはすべてピアノに移されている。とK.450〔No.15 変ロ長調〕16K.450でも総奏提示部おける第1主題部の第1ヴァイオリンのパートはすべて、第2提示部ではピアノによって奏される。でピアノにそうさせているが、その後はめったに使うことがなく、また使ってもほんの数小節のみとなる。このオーケストラの楽器と独奏の入れ替えは、多少愉快な驚きをもたらすが、その効果は長続きするものではない。

 さらに実りの多い工夫は、デスカントあるいは対位主題(counter-subject)を用いるものである。ここでは、主題がオーケストラによって提示され、ピアノはその上を独立した旋律で辿っていく。これらの対位主題のあり方は非常に多様だが、概してそれは旋律的である。すでに耳にした旋律の上に新たな旋律が奏でられる。しかし、例外的にそれがオーケストラによって行われることがあり、その場合は通常、音階で構成される。K.451〔No.16 ニ長調〕以降、モーツァルトは、最初の独奏の出現の後に、変更を加えずに開始部の非常に長いパッセージをもう一度取り上げることを好んだ。それに独奏のパートを加え、オーケストラの声部の上、あるいはその中を自由に展開させていく。この自由な対位法は、すでに馴染みのある総奏の部分と新しい個性が混じり合うことで、突然作品の地平が広がり奥行きが増す効果をもたらすのである。K.451〔No.16 ニ長調〕からK.503〔No.25 ハ長調〕まで、モーツァルトはほとんどすべての第1楽章でこのようにしているが、この一連の協奏曲の最初と最後のもの、すなわち1784年のニ長調協奏曲〔No.16〕と協奏曲のジュピターであるK.503〔No.25 ハ長調〕17文脈上第2提示部でピアノが入った後の冒頭部反復でのことと理解しなければならないが、K.451とK.503 ともに、そこでは明確な対位主題での協働は見られない。K.451の第82小節~、K.503 の第129小節~などは、対位法的な処理ではあるが、オーケストラの既存の主題への装飾的な伴奏とみなすべきであろう。において彼の天賦の才が遺憾なく発揮されている。

 アンダンテにもまたこの工夫の良い例がある。最もうまく行われた例は、変ホ長調K.271〔No.9 ジュノーム〕の痛切な緩徐楽章の独奏が入るところである。オーケストラがあまり旋律的ではないがが、重々しい韻律的な主題によって幕を開け、ピアノが入ってきてオーケストラはその主題を再び提示するが、その間ピアノは全く異なる抒情的で歌うような(cantabile)主題を挿入し、数小節の協働の後にピアノが再び優勢となり、オーケストラの主題を沈黙させることによって幕を閉じる。これは以前の協奏曲のアンダンテを思い出させる、古いスタイルの開始部である(譜例17および譜例19)。もうひとつの例はニ長調K.451〔No.16〕に現れる。それは型通りのデスカントであり、ひとつの旋律がもうひとつの上に重ねられ、お互いに独立を保ち続ける(譜例218譜例2は第28~30小節であるが、デスカントは第1クプレの2番目の主題にあたるものであり、始まるのは第26小節からである。なお譜例2は転調先のニ長調で記譜されている。)。その他の事例のほとんどはアンダンテの結尾部で見られる。オーケストラは語り続けるが、ピアノがほとんどエコーのように、しかしオーケストラの歌をさえぎることなく、時折言葉を挿んでいく。ト長調〔No.17 K.543〕、イ長調(K.488)〔No.23〕、ハ短調〔No.24 K.491〕、ハ長調(K.503)〔No.25〕、そして変ロ長調(K.595)〔No.27〕、これらはすべてそのように終える。そのうち2つ、K.453〔No.17 ト長調〕19第2楽章の末尾でオーケストラの第1主題の中に、2回、ピアノの上昇音階が挿入される。第3楽章でも末尾で、オーケストラが結尾テーマを奏する中に、ピアノが2回にわたってリフレイン主題を挿入する。とK.488〔No.23 イ長調〕20第2楽章のコーダの末尾で、ピアノが1オクターブの跳躍と連続音による音型を3回にわたって挿入する。第3楽章では最後に突然、同音型の3回の反復である譜例320を挿入する。ではフィナーレでもその例を提供している。前者ではパッセージが繰り返され、独奏と総奏がそれぞれのパートを軽妙に交し合い、後者では独奏が提示したばかり(気の利いた主題の断片を捉まえそれと戯れるが、その一方でオーケストラは自らの主題を反復するのだ(譜例319)

 また模倣的対位法のいくつかの例もある21以下の本文にあげられたもの以外の模倣的対位法事例は末尾に【補注1】として示す。ト長調協奏曲〔No.17 K.543〕のフルート、バスーンとピアノの3部のそれ、K.459〔No.19 ヘ長調〕のフィナーレの同じくピアノ、ヴァイオリンとチェロによる3部のもの、また同じ作品のアンダンテでの、ピアノの両手、オーボエ、バスーンの4部によるもの、これらはモーツァルトの生涯で対位法の時期といえる1784年のものである。さらに、変ホ長調K.482〔No.22〕のアレグロにおける主題の反復のあとに現れる絶妙な瞬間にも注目したい。そこでは、第2ヴァイオリンのアルベルティ・バスとピアノの和音の上を、第1ヴァイオリンとピアノの右手が自由な対位法の流れの中で一体化し模倣しあう。それは流麗かつ気品に満ちたカノンである。

 さらに2回、ニ長調K.451〔No.16〕の第1楽章およびニ短調〔No.20 K.466〕のフィナーレに別の自由対位法のもう1つの形式例を見出す。それぞれの例で、ここでの素材はその楽章の主題の1つで、それが2つに分割され、ピアノと木管とで半分ずつ分担されている。ニ短調〔No.20 K.466〕のフィナーレではこの活気に満ちた状態を引き延ばし、そこからひとつの小さなエピソードが生まれてくる。この工夫が再び繰り返されることはなかったが、これは作曲家のちょっとした気まぐれの産物であったようにも思える。つまり、この協奏曲のわずか1か月前に書かれたイ長調の四重奏曲〔No.18 ハイドンセットNo.5〕のメヌエットにも同じものが見出されるからだ。

 あまりにしばしば言われてきたこととは反対に、モーツァルトの成長は決して止まることなく、死に至る時でも力強く進歩し続けていたのだ。そして、彼は、この最後に挙げた手法がいずれ導いていく、独奏のさらに実りの多い使い方を予見していた。すでに耳にしているオーケストラのパッセージにピアノが思い切りよく加わり、それはさらに進んで、それまでオーケストラのみに割り振られていたエピソードを潤色し飾り立てていくのだ。K.488〔No.23 イ長調〕22第2提示部で総奏のみに委ねられているのは第82~86小節と、第137~142小節の結尾部であり、後者の最後の下降音階を除けば、両者はほぼ同型である。展開部はその音型を基本に総奏によって展開され、ピアノはそれにアルペジオや音階、分解されたオクターブ等で、積極的に伴奏を加える。、K.503〔No.25 ハ長調〕23展開部で独奏ピアノが取り上げるのは、K.503では第1提示部の“偽の”第2主題である。展開部冒頭からそれはピアノに委ねられ、展開部全体でピアノと総奏はそれに基づいて協働で展開していく。そしてK.595〔No.27 変ロ長調〕24展開部でピアノが積極的に関与するのは、第2提示部での第1主題の結尾のオーケストラの音型である。展開部第217小節から、この音型でオーケストラが展開を行うと、ピアノはアルペジオや音階で修飾的に伴奏を加えて行く。のアレグロの中間部で、総奏はすでに知られている主題に立ち戻り、それを反復し、変奏し、それらと戯れ、展開させ、次第に再現部へと導いていく。その間ピアノは他の楽器から独立して、あらゆる種類のアルペジオや音階、フィオリチャーなど駆使していく。これらの3つの展開部で最も特筆されるべきは、最後の協奏曲〔No.27 K.595〕のものであり、そのささやかな規模にも関わらず、この作曲家のそれまで知られなかった、興味深い側面を明らかにしてくれる。それはヘルマン・アーベルトがベートーヴェン的と呼んだ展開部であるが、こう呼んでも全く何の益もない。ベートーヴェンの協奏曲には比較できるような例が存在せず、これはまさにモーツァルト独自のものと言って良いのである。

 

 協働と対話の違いを明確にしなければならない。これはおろそかにして良い問題ではないのだ。協働ではピアノとオーケストラは共に結び付き、対話では、この二者がそれを交互に行うのである。特に対話は協働以上に頻繁に用いられる以上、協働と対話を明確に分けることは至極当然なことに思われてくる。

 対話は協働よりもさらにその種類が多く、また多様である。オーケストラによる連結、エコー、応答、独奏と総奏との交互のフレーズ、模倣。これらの工夫はすべて1780年以降のほとんどの協奏曲の中に見出せるものである。

 最も多用され、最も常套的な対話の形はオーケストラによる連結である。それは2つの独奏の間に挿入された小さなフレーズまたはフレーズの断片で、その独奏を分離させると同時に結び付ける役割を果たし、ほとんどの場合、純粋に形式的な機能を満たすものである。それは聴く者にひとつのパッセージが終わったことを、また次の独奏が始まることを知らせる区切りの目印である。そこにある対話の原則は極めて初歩的な状態にあり、それはアパートの管理人の言う “はい、奥様”“いいえご主人様”と同じようなものである。しかし、しばしばこの無害な小さなフレーズが形式的な価値に加えて感情移入や情緒的な価値を獲得するのである。それはピアノのふるまいに対する短く鋭い注釈であり、それはしばしば機知に溢れた「突っ込み」のような効果をもたらすのである。

 このような瞬間はエコーからかけ離れたものではなく、事実この連結が向かうのが、モーツァルトが非常に好んだやり方であるエコーなのだ。その最も単純な形としては、エコーを受け持つ楽器が直前のフレーズの末尾を変形させずに繰り返すものがある。独奏にエコーを返すのがオーケストラの楽器か、あるいはその逆かということは全く重要な問題ではないが、実際には前者であることが多いのだ。通常、エコーがフレーズを移調して答え、時には3度下のこともあるが、それより多いのは2度下、4度上あるいは6度上でのエコーである。断片が変形されるとか、移調されないことはほとんどない。エコーを返すのが弦ではなく木管であることがより自然である25エコーが自然の木霊を模倣したものとするならば、それは絃楽器の擦過音よりも木管楽器の共鳴音の方が、音響的により自然である、という意味であろう。。美しいエコーの例は、すべての協奏曲に数多く存在するが、ここでは3つの例を挙げよう。最も単純でありながら最も詩的なものは、ト長調〔No.17 K.543〕でピアノが主題の最後の3つの音を変形することなく、また音価を変えることなく再現するものである(譜例3)。もうひとつの例は、ハ長調K.415〔No.13〕のフィナーレから引こう。ここでは、エコーがオーボエとバスーンに委ねられ、同じ音を繰り返すが、それは音程幅が拡大されている(譜例426譜例4は転調先の変ホ長調で記譜されている。なお3小節目がそのエコーであり、Quarteure et Ventsとガードルストーンは記入しているように、このエコーはオーボエとバスーンだけではなく、第1、第2ヴァイオリンも同じ音型でエコーを返している。Quarteureは弦4部であるが、ここでユニゾンするのはヴァイオリンだけである。)。

 また、変ホ長調K.271〔No.9 ジュノーム〕のアンダンティーノでは、楽章の終盤におけるピアノと第1ヴァイオリンの間の感動的な対話において、エコーを用いてさらに劇的な効果をあげている。ここではエコーはカノンの形式をとっており、この形式は型にはまったものでありながら、曲の情緒的な力を弱めてはいない(譜例5)。

 これら3つの例では、10以上ある他の例と同様に、エコーは断片を変形させることなく繰り返されている。さらに数多いその他の場合では、これとは異なり、実際にはエコーではないのにそのような印象を与えるものがある。2 台のピアノのための協奏曲〔No.10 K.365 変ホ長調〕の第1楽章がそうであり、エコーのように短く、それが答えるフレーズの輪郭に極めて近い形を保っている。オーボエは嘆きの気持ちを込めるように答え、それは文字通りではなく気分なのだが、第2ピアノのしなやかな旋律へのエコーなのである。(譜例23)。ハ長調K.467〔No.21〕のアンダンテの大きな変形が加えられた伴奏は、エコーの役割とともに、ピアノの修飾の多い哀歌をより簡潔な形で繰り返すことを同時に行っている(譜例270)。しかし、通常、このエコーらしきものとそれに先立つものとの関係は問いと応答の関係であり、繰り返すというよりも、それに答え、コメントを 加えるものなのである。ト長調〔No.17 K.453〕27第1楽章第第1提示部第4~5小節、第8~9小節および第2提示部および再現部での該当箇所や変ロ長調〔No.27 K.595〕28第1楽章第第1提示部第5~6小節、第9~10小節および再現部での該当箇所の第1主題の木管の痛切で物思いに沈んだ呼びかけや、K.451〔No.16 ニ長調〕の第2主題の中でのフルートの小さな羽ばたき(譜例6)29譜例6は第1楽章再現部第242~251小節で、総奏提示部の譜例124ヴァイオリン・パートをピアノに移したものである。これは第2主題再現の直前の部分であり、ガードルストーンは「第2主題の中での」としているが、誤りである。などがこのような例である。時には答えがフレーズの意味を完結させる役割を果たすこともある。それは時にはオーケストラの主題を完結させるピアノのアルペジオの形を取る。最後にはそれは従属的ではあるが明確な、独自の正真正銘のフレーズの形をなすものになってしまう。変ホ長調K.449〔No.14〕の第1楽章(譜例7)や、ト長調〔No.17 K.543〕のアンダンテ(譜例8)などがその例だが、これは応答の使い方としては例外的なものである。

 これらの対話の形式すべてにおいて、ゲームは対等なものではない。エコー、応答、連結、これらはそれに先立ち、またそれに続く主題より重要度が低くならざるを得ない。対話は、対抗者それぞれが関与するフレーズをともに共有する時によりよく配分されるのである。そのフレーズは通常1度のみ提示されることも、まれに2度あるいは3度反復されることもあるが、それは変形されないままか、あるいは転調されている。しかし2回だけ、単に反復されるだけではなく、さらに展開までされることがある。そのひとつ、K.415〔No.13 ハ長調〕のフィナーレでは、この展開されたものがピアノと総奏とで共有され、まれに見る美しいエピソードをもたらす。

 始めはひとつのフレーズを形作ると思える異なった各楽器が、それぞれが際立ち、またその特徴も明確であるため、あるものはオーケストラに、あるものは独奏に属す、分離されたフレーズと見做す方が正しいかも知れない。これは交代で奏されるフレーズによる対話の形であるが、これまでに述べたものに比べると、モーツァルトではさほど多い形式ではない。ここでのフレーズは概して短く、ほぼ常に対をなしている。変ホ長調の協奏曲K.449〔No.14〕のフィナーレのコーダは3つのグループによって交替で奏でられるフレーズの例である。時に、それらは似通っており、対称的なひとつのまとまりを形成することもあれば、独奏が音階やアルペジオのパッセージであることもある。しかしながらいくつかの場合、それらすべてが展開部で見られるのだが(原注1)、交互に答え合うのは単なるフレーズではなく展開部の正規の部分なのである。楽器が交代することによりフレーズは変形されるが、多様性が著しいため、一般化は難しい。

(原注1)K.466〔No,20 ニ短調〕、K491〔No.24 ハ短調〕の第1楽章と、K.450〔No.15 変ロ長調〕のフィナーレ

 最後の例だが、同じひとつのフレーズが、変形されずに、あるいは変形されて、楽器から楽器へと渡され繰り返されることもある。このやり方は、今まで述べたものほど入念に手を加えられるべき類のものでなく、数もさほど多くない。これには、ハ長調の協奏曲K.467〔No.21〕(フィナーレの展開部クプレ 譜例272)の見事な例がある。

 さらに完璧を期するためには、もう1つ付け加えねばならない。それは、すでに述べた模倣であるが、同時に行われるのでなく、ひとつのパートから別のパートへと交代することで、カノンの様相を呈し、したがってそれは“協働”よりも“対話”となる。ト長調〔No.17 K.543〕のフィナーレはその例である。またニ短調〔No.20 K.466〕のフィナーレはさらに際立ったもので、ピアノ、フルートとオーボエが、前のクプレからとられたフレーズの異なった断片を交互に送り返す30訳注9、No.20で示した模倣的主題の再述である。

 あえて付け加える必要はほとんどないと思うが、ここまで触れてきた様々な対話の形の間の、また対話と協働、協働と伴奏の間の区別も厳密なものではなく、違いをはっきりさせることだけがその目的なのである。実際にはこれらの分類のひとつ以上に当てはめることが可能なパッセージが数多くあり、これらの分類を用いるのは、協奏曲において、オーケストラと独奏の連携の仕方にどれだけ多様な才能が発揮されているかを分かりやすく示すためなのである。

 

 協奏曲の課題は、かたやオーケストラが単なる伴奏として扱われることなく、かたや独奏が楽器の集団にあまりに溶け込んでしまうことで個性を失わせることもなく両者を結合させることにある。それは、2つの力のバランス、どちらかが勝利することなき戦い、混じり合ってしまうことのない協働である。これは協奏曲というその名にふさわしいものすべてが理想とするものなのだ。

 この独奏とオーケストラの交流、今までモーツァルトの作品で仔細に見てきた様々な様式、これこそが協奏曲の真髄である。旋律のアイデア、転調、展開、詩的な価値、これらはすべて協奏曲と他のジャンルに共通するものである。一方で、協奏曲を特徴づけるものは、力が拮抗した2つの対抗者の間の闘争なのだ。つまり、協奏曲の進歩とは、主役同志を一体化させるとか、どちらかを優勢な他方に屈服させることなく、両者の間の距離をできるだけ縮めることで、独奏と総奏の連携をさらに多様なものにすることなのである。もちろん、内容的な価値を伴って初めて進歩があることは言うまでもない。あるべき要素を備えていても、楽想が陳腐な協奏曲は、オーケストラ・パートが単なる伴奏であっても楽想が魅力的な協奏曲に劣ることは明らかである。

 モーツァルトの23のピアノ協奏曲を作曲年代順に仔細に見ていくと、ピアノとオーケストラ間の連携の複雑さと親密さが進歩していくことが分かるだろう。しかし、常にたゆまず進歩を続けていたわけではない。時に停滞することもあり、また、時には後退することさえもある。それどころかこの進歩は、一方で、音楽的意義と深みの同様に紛れもない進歩に厳密には対応していないのである。連携の複雑さが音楽的意義の高まりと同時並行的に進行すると言えば、物事を秩序立てて考えたい人には満足だろうが、それが全て正しいとは言えないのである。

 この二重の視点から、手短に協奏曲を俯瞰してみよう。最初の9つの協奏曲(1773-82)〔No.5 K.174~No.13 K.415〕では、独奏と総奏の相互連携ゆえに興味深いパッセージは数少ない。1784年以前には、モーツァルトは後に己が解決することになる根本的な問題に本腰で取り組んでいないのだ。この時期の作品は真に協奏的ではないのだが、その中の2曲、最初のニ長調K.175〔No.5〕と5 番目の変ホ長調K.271〔No.9 ジュノーム〕は、ギャラント音楽のなだらかな高みを凌駕して、彼の内面に蓄積された経験に呼応するものとなっている。ここでは楽想が技術に先行しているのだ。

 その一方、10番目から21番目までの協奏曲、すなわちK.449〔No.14 変ホ長調〕からK.503〔No.25 ハ長調〕では、不規則であるが注目すべき成長が見られる。一連の偉大なウィーン協奏曲の最初の作品であるK.449変ホ長調〔No.14〕は、中程度の規模の作品ではあるが、独奏とオーケストラの複雑な連携に富んだフィナーレがある。一方、K.450変ロ長調〔No.15〕は、さらに野心的な大きさで、さらに輝かしいヴァーチュオーシティが発揮されているが、ギャラント協奏曲のレベルに戻ってしまい、K.449で獲得し領地を失っている。失ったものはK.451ニ長調〔No.16〕ですぐ取り戻される。この作品はK.450よりも閃きに富み、感情移入の度合いはより大きく、対抗者たちのインタープレイはより手の込んだものとなる。ここで得られたものは、ト長調K.453〔No.17〕でも保持される。楽想は親密でありモーツァルトの個性がより明らかである。最初の2つの楽章での連携はK.451〔No.16 ニ長調〕と同様に緊密であり、ニ長調ではやや不満が残ったフィナーレではそれ以上に緊密である。これら1784年の初めの協奏曲はひとつのグループをなし、ト長調〔No.17 K.543〕はモーツァルトの進歩の上で一時期を画すものである。この曲において、音楽的含意とインタープレイの豊かさはそれらの発展上で似通った地点に到達している。

 次の4つの協奏曲も同様にひとつのグループを形成するが、それは単に時系列上でそうなるのである。これらの作品は1784年から85年の冬の音楽シーズンに属し、9月から3月にまでわたっている。特徴からいえばそれらは同質ではなく、最初の2曲は1784年ものに連なり、後の2つは、それに続くものに類似している。

 変ロ長調のK.456〔No.18〕はその性格でいうと、K.450、K.451、さらにはK.453よりも親密なものである。その感情豊かな音調はこの曲をほとんど室内協奏曲と言ってもよいものにしている。その親密さは深さを排除するものではなく、それはアンダンテの変奏曲の悲劇へと転じていく。それはト長調〔No.17 K.453 第3楽章変奏曲〕ほどには変奏されないが、きわめて詩的であることは同じである。一方技術は若干後退しており、ピアノと総奏のインタープレイはさほど持続的でなく、オーケストラは独奏楽器の前にあえて身を引きがちである。しかし、ヘ長調K.459〔No.19〕において、両者の関係の複雑さは再び前進する。ここでのインタープレイは、これ以降のものでなされる以上に持続する。ピアノはしばしば従属的なパートを演じ、オーケストラ、特にフィナーレの壮大なフガート(fugati)では、大いに豊かなパートを有し、ピアノ伴奏つきの管弦楽協奏曲を聴いているような印象をしばしば抱かせる。一方、インスピレーションは前の3つの協奏曲〔No.16 K.451、No.17 K.453、No.18 K.456〕に比べて、低い次元にとどまっており、第1と第3楽章は主に肉体的な活力と高揚を主に表現している。またこの曲は緩徐楽章を持たない唯一の協奏曲であり、8分の6拍子のアレグレットがそれに代わっている。モーツァルトは、ここではト長調〔No.17 K.543〕が有する一体化したインタープレイの豊かさと情緒の深さのバランスには到達していない。

 名高いニ短調K.466〔No.20〕はこれまでの15曲とは全く異なった雰囲気を持つ作品だが、この作品が達した多大な精神的進歩によってもピアノのオーケストラの対等性を復活させてはいない。この作品では、協働の複雑性を犠牲にしても、己が発見した感情の新しい世界に夢中になったために、モーツァルトはしばしそのことに興味をなくしてしまう。それでも生き延びたインタープレイの例は以前の作品ものよりも創意に富んでいる。ニ短調〔No.20 K.466〕のアンチテーゼであるハ長調K.467〔No.21〕の情緒的価値はそれに劣らず、そして、技術が再び追いつき始めているのである。そのうえこれら2つの傑作では、これまで主に形式上の関心の対象であったピアノとオーケストラの協働が劇的な価値(原注1)を獲得している。

(原注1)この劇的な価値は、K.271〔No.9 変ホ長調 ジュノーム〕のアンダンテにおいて、
 またそれ以上にK.453〔No.17 ト長調〕のアンダンテにおいても獲得されていたものである。

 1785から86年の冬にわたる冬の4曲の協奏曲もまた傑作である。インスピレーションにおいてすべてがK.466〔No.20 ニ短調〕とK.467〔No.21 ハ長調〕と同じレベルにあるが、各々の個性は極めて多様である。変ホ長調〔No.22 K.482〕は女王のように気品と威厳に満ち、イ長調〔No.23 K.488〕は“情愛”深く、哀しみに向かう。ハ短調〔No.24 K.491〕は挽歌であり時に悲劇的である。そしてハ長調〔No.25 K.503〕はまさにオリンピアの高みにある。技術の進歩は止まることがない。変ホ長調〔No.22 K.482〕ではインタープレイの瞬間は多くはないものの、インタープレイのその時はこの作品の中でも最も美しい部分である。アンダンテのコーダは、モーツァルトが交響的な形式によってモーツァルトがその才能の劇的な特性を発揮させる技の最高地点を示すものだ。イ長調〔No.23 K.488〕は、この年の協奏曲の中では、1784年の協奏曲における変ロ長調K.456〔No.18〕に相当するものである。だがその情緒はさらに深まり、ピアノと総奏のインタープレイはK.482〔No.22 変ホ長調〕同様にすばらしい。そしてついに、この12曲のシリーズ〔No.14~No.25〕の最後の2つの協奏曲において、ト長調〔No.17 K.453〕以来失われていたバランスが回復される。真に偉大な傑作群の広がりの上で、主役同士のインタープレイと音楽の精神的価値の間の完全な対等性と統一性が行きわたっていくのである。ハ短調〔No.24〕とハ長調〔No.25〕、すなわちK.491およびK.503はすべての点で、モーツァルトの協奏曲が到達した頂点である。

 これらをもって、われわれが概観してきた発展は終焉を迎える。18ヶ月後モーツァルトは、戴冠式と称されるニ長調の協奏曲を書いたが、曲の大きさにも関わらず上で見てきた対等性と統一性という2つの面で不十分な作品である。1791年の変ロ長調K.595〔No.27〕についていえば、11ヶ月後に死がこの若き作曲家の命を突然奪うことがなければ、新しい時代を開くものとなったであろう。ピアノとオーケストラのためのこの最後の作品において、モーツァルトは同じ問題に再び取り組み、部分的には新しいやり方で解決を見ている。そして、そこに込められた感情は1785年および1786年の偉大な協奏曲と同様に真摯なものであった。

 

【補注1 模倣的対位法その他の事例】
No.17 K.453 本文のフルート、バスーン、ピアノの3部によるものは、フィナーレ 第98~104小節であるが、第1楽章のピアノ、バスーン、オーボエによる第133~139はじめ、管3部によるものなどを含めると、全楽章にわたって数多くの模倣的対位法が使われている。
No.19 K.459  フィナーレ 第288~321小節。ただし、ホルンも加わっている。アンダンテ 第41~52小節。No.22 K.482 第1楽章 提示部ではなく再現部 第276~281小節。
No.16 K.451 第1楽章 第283~290小節のピアノと管楽器による模倣的対位法。主題の後半をピアノが担うが、その後前半を模倣する。
No.20 K.466 フィナーレ 第210~229小節でのピアノと管楽器による模倣的対位法

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