Ⅲ フィナーレのリフレインは、その形式により以前の時の“捜索”へと連れ戻すが、もはやその心はその時と同じではない。それは確かに喜びを歌ってはいるが、ザルツブルグ時代のように手放しの喜びでも、ウィーン時代の“偉大な”3年間の協奏曲(原注1)に満ち溢れた人生と成功への確固たる愛でもない。その喜びはより天上的なもので、変ホ長調五重奏曲〔No.6 変ホ長調 K.614〕の肉体から離れたこの上ない喜びの前触れなのである。
(原注1)K.450〔No.15 変ロ長調〕K.456〔No.16 ニ長調〕K.482〔No.22 変ホ長調〕
このリフレインは数日後に書かれる歌曲(原注1)、“Komm, lieber Mai, und mache die Baüme wieder grün”(来たれ、甘美な5月よ、そして再び木々を緑にしておくれ)のように始まり、この歌曲の表題が“Sehnsucht”という言葉を含むことが重要である。憧憬、これは最後の2年間におけるモーツアルトの音楽の主要な情緒のひとつであり、そのリフレインの新しさにも関わらず、これがこのロンドの各パートにインスピレーションを与えているのだ。
(原注1)“Sehnsucht nach dem Frühlinge”(『春へのあこがれ』)自体は民謡を基にしている。ケッヘル‐アインシュタインNo.596参照。このことはこのロンドの速度を指し示し、人声が歌える以上に速く演奏してはならないということである。
ピアノが第1スタンザを提示し(譜例410)、オーケストラがそれを反復する。開始部が歌曲を再現するものであっても、断片(a)は『コシ・ファン・トゥッテ』のアリア“El’amour un ladronello〔恋は小さな泥棒、ドラベッラのアリア〕”(セリフでは休止の後の“Come gli piace al cor〔人の心に思いのままに〕”のところ)を思い起こさせる。リフレイン全体は確かに、情感、形式ともに非常にこのアリアに近い。この断片は全音階的な旋律の中で唯一半音階的な部分であり、後になってこの楽章の重要な要素だと分かるのである。ピアノが第2スタンザ(譜例411)を提示して、第1スタンザへと戻ると、総奏が(a)を回想して取り込みそれを結び、いつもの騒がしい結尾を付け加える。
いつものように第1クプレはピアノによって開始され、お馴染みのモーツァルト的な音型(譜例412)(原注1)で出発し、属和音の終止へ至る。他の協奏曲であればとにかくいつかは必ず行き着くことになるヘ長調へすぐに引き入れるのだが、
この協奏曲のロンドは第1楽章と同様に聴衆をいくつもの短調のわき道に連れまわすのである。この目的のために譜例4131譜例413の扱いは少々乱暴である。この譜例自体は第1クプレ、第78~83小節の引用であるが、3段目のヴァイオリンのパートは休止である。これは後で説明されているが、第3クプレ、第217~222小節のヴァイオリンのパートであるが、転調したヘ長調にあわせて記されているため、第3クプレのものより5度高く表記されている。そのため第3クプレの説明では「5度下げて読んでもらいたい」としるされている。へと変形されたリフレインの断片を使い、アルペジオと分解された音階へと拡張された時さえも続く木管の軽快な反復和音に急き立てられながら、ピアノのパートはヘ長調からヘ短調、そしてト短調へと軽やかに飛びまわり、そのさざなみがしばしの間聴衆をト短調へと引き留める。そしてついに、ヘ短調と変ニ長調を通り、属調であるハ長調を経由してヘ長調へと入る。それでもこの調を持ち込んだリフレインの一片はこの協奏曲特有のシーソー的な動きで長調と短調の間をさまようのだ(譜例414)。ピアノとフルートがお互いを模倣する短い対話が先行し、それに、リフレインの兄弟主題であり、同じように軽い足取りで、ピアノの低音域を完全に省いてしまったクプレの主要主題が続くのである。その2小節目〔109小節〕の蝶のような飛翔はモーツァルトが愛した“羽ばたく2度”の最後の出現例であり、この楽章の途中でさまざまに形を変えて幾度も現れる。木管がそれを反復しピアノは繊細な動きで伴奏する(譜例415)。主音の保持音の上で、上下を繰り返すアルペジオのパッセージで上昇していき2原文は上昇音階、ascending scaleであるが、これは上下するアルペジオの音型、およびヴァイオリンおよびビオラの伴奏音型が4小節の間1度ずつ上昇していくものである。なお、ヘ長調の主音の保持音、すなわちへ音はチェロ・コントラバスである。新全集版では弦はすべSoloの指示であり、次のリフレインに入って解除される。、休止へと導いて行く。独奏者はここで短いカデンツァを挿むことを期待されるのである。そして続いてリフレインが戻ってくる。
(原注1)リンツ交響曲K.425〔No.36 ハ長調〕のフィナーレ、ホルン協奏曲K.447〔No.3 変ホ長調〕クラリネット協奏曲〔イ長調 K.622〕を参照のこと。
前半のパートのみが最初は独奏で、続いて総奏で反復されるが、断片(a)(譜例410)に到達するとそれは突然停止し、オーボエ、バスーンそしてホルンのみが続け、その断片を静かに反復し、また前のものに遠慮気味にエコーする。それはあたかもオーケストラ全体がしくじりを犯したことに突然気づき、怖気づいて立ち止まりながら、たった今放ってしまった残念な言葉を知らず知らずのうちに呟くかのようである。
それでもピアノはより大胆だが、それでもそれは短調で、オーケストラ全体がそこで停止した音型を反復するが、演奏者はこの演奏に瞬時の躊躇を持ち込むと良いだろう(原注1)。続いて独奏は大胆さを増し、最後には独奏の走行を開始する3音楽の流れと説明の順序にやや混乱があるが、次の段落がこの独奏の走行の説明である。。展開部クプレ4このロンドの第2、すなわち展開部クプレの開始箇所をガードルストーンは、オーケストラの断片(a)に続く同じ断片による独奏から(第147小節)と見做している。いずれにしても他の曲と比べ、第2クプレ、第3クプレともに非常に短いものである。は変ロ短調で始まり、出発点はリフレインの断片(a)である。これは主題展開的な展開部の先触れであるが、実際ほぼ常にリフレインの前半部が様々な形をとって現れるのである。
(原注1)シュタイングレイバー版は然るべくquasi cadenzaという記号を付けている。
(a)に華麗なパッセージが続くが、独奏は絶え間なくうねるような衝動に急き立てられ、高音の音域を大胆に広範囲に飛翔しながら探り、いくつかの調のどれにも落ち着くことなくかすめて通り抜ける。オーケストラは最初独奏に単独で奏させているが、考えを決めたかのように、ヴァイオリンが静かに、またフルートとオーボエも同様にリフレインの冒頭を回想する(譜例416)。大きなうねりに取って代わった、鍵盤の2オクターブを急速度で昇り下りする独奏のアルペジオの下で、ヴァイオリンと木管の声を潜めた会話がリフレインの冒頭の音型(原注1)を前面に保ち続ける。この対話はヘ短調で始まるが、ピアノの転調に連れ去られ、その都度新たな調で、ハ短調、ト短調、ニ短調と、ピアノのパッセージとともに、休止することなく進み、7の和音に至り、その解決は休止によって先延ばしにされ5ここは嬰ヘ短調に転じており停止するのはそのⅡ7の和音である。休止によってその限定進行先の音が無くなっている。、そしてオーケストラの主要楽器による3つの問いかけるような和音が響くのである。ピアノが予想通り無造作に割って入ると、エンハーモニックに転調しつつ和声は低音を軸に転回し6譜例417の第2小節が嬰ヘ短調のⅡ7和音であるが、続く総奏の3つの和音の嬰ト音を、続くピアノは変イ音(異名同音)に読み替えて変ホ長調化し、左手の低音オクターブでそれを強調して変ホ長調の属和音に定着させる。この左手の動きを「低音を軸に」と表現している。「和声が……転回する」とは、直前の嬰ヘ短調から調性の輪の中では対極に近い変ホ長調へと半回転に近い転調を行うことを言う。嬰ヘ短調から変ホ長調へのエンハーモニック転調はNo.26のフィナーレ、第2クプレ開始のところでも使われていたが、ここでははるかに簡潔で洗練されたものとなっている。、聴衆は変ホ長調の明るい陽の光の中へ抜け出るのである(譜例417)。
(原注1)そしてこれは弦楽三重奏曲K.563のフィナーレの同じ個所でのチェロとヴァイオリンの対話を思い起こさせる。
この調でリフレインが3度目の登場を行う。この第1主題あるいはそれに相当するものへの下属調での回帰はモーツァルトでは稀な古風なもので、これ以前の例はソナタの小品K.545〔No.16 ハ長調〕のアレグロに見ることができる7K.545のソナタ第1楽章アレグロでは、再現部が下属調であるヘ長調で再現される。。ここで規則通りでないのは調だけではなく、この回帰の形式もまさにそうなのである。6小節目の終わり((a)の終わり)に、前にオーケストラがそうしたように8第2リフレイン、主題提示後、ピアノは休止し弦が反復、その後に木管に移る。ピアノが突然停止し、その主導権を木管に引き渡し、木管はそれを続けるがこれが短調なのだ。そこで小規模な展開が開始される。その過程で音階の断片が展開され、進行の段階ごとにピアノとヴァイオリンが明らかにこの楽章の主要モチーフ音型となった(a)を回想する。そして、変ニ短調、変ホ短調を経由し、属調〔ヘ長調〕にしばし留まった後で、主調〔変ロ長調〕へと到達するのだが、ここでこの数年の大きな特徴である長調と短調の間のゆらぎに再び気づかされるのだ(譜例414と比較されたい)。このパッセージ全体を展開部クプレの続きと見なすこともできるし、リフレインの新たな形と見ることもできよう。ここでは、リフレインが第2と第3クプレの間で再帰する正規のソナタ・ロンドとそれが省略されるもの(原注1)が交差しているのである。モーツァルトはその生涯の終わりに至り、彼が実験的な取り組みを最も自由に行った音楽的構造の領域であるこのロンド形式に再び新たな息吹を吹き込むのである(原注2)。
(原注1)同様にリフレインが省略されているト短調四重奏曲〔ピアノ四重奏曲 K.478〕とクラリネット協奏曲〔イ長調 K.622〕のロンドを参照されたい。しかしそこでは第3クプレの開始部でリフレインの面影を耳にするのである。
(原注2)フィナーレのこのパートは、数か月後に作曲されるフルート・オーボエ・ビオラ・チェロとグラスハーモニカのためのアダージョとロンドK.617〔ハ短調~ハ長調〕と同じ扱いがなされている。9K.617のロンドの第3リフレインでも、ハーモニカによってリフレインン主題が奏されると、木管がすぐにそれによる展開を続け、再現部クプレへと続いていく。
第3クプレは譜例412で開始され、それが提示されると、ピアノと木管はいつものように移調された譜例413で対話を行う。そこにヴァイオリンが軽妙に入ってくる(それらの応答を既に譜例413の中に引用したが、ここでは5度下に読んでいただきたい10訳注1参照)。第1クプレの場合と同様に、短調はほぼ譜例415にまで展開される〔247~250小節〕。この譜例415の主題とそれを引き伸ばす短いパッセージ11譜例416の再現であるが、元と同様に弦にはすべてSoloの指示がある。の後、数小節の総奏がカデンツァを導き入れるが、モーツァルトが残したカデンツァ作品群の掉尾であり、最も美しいもののひとつである。
ピアノがリフレイン全体を再述し、総奏がリトルネッロを付け加える。そしてコーダへと入るが、それはこの作品としては非常に輝かしい華麗なパッセージから成り、リフレインの冒頭の最後の残響である。譜例416と同じようにピアノのアルペジオを伴って、それはヴァイオリンから木管へと投げかけられる。最後の数小節は陰鬱なものをすべて投げ捨て、楽章の最初の小節に基づくオーケストラのユニゾンによる喜びのファンファーレを再び響かせるのである。
このロンドには第1楽章と全く同じような統一があるわけではない。リフレインのインスピレーションはこの曲の他の部分とはほんの一部が対応するだけである。このフィナーレについてさらによく知らなければ、我々はそれを喜びの歌だと思うだろう。すなわち数ページ前12本楽章冒頭である。にその正体を明らかにしようと試みた喜びである。他の2つの主題、譜例412と譜例415はこの見方を確信させるであろうし、機知に富んだフルートとピアノの対話とそれに先立ちまたそれに続く技巧的なパッセージ、それにコーダも同様である。しかしその他のパッセージは異なったムードを表現している。2つの主要な主題譜例413と譜例414を分ける短調への脱線、変ホ長調でのリフレインの回帰13下属調で回帰する第3リフレインのことである。に続く譜例410の短い展開、そして何よりもリフレインを劇的に中断させて始まり、ひたすら短調で展開される中間部クプレなどである。全体的には、リフレインおよび譜例412と譜例415の快活な箇所が幸福な楽想を歌っているとしても、4回以上にわたって曲は喜びから転じ、陽の射す通りを離れ、疑念の暗闇に移り行くのである。このような瞬間に、アレグロおよびラルゲットで感じた悲しみに似た何かに出会うのだ。そしてリフレインの最も快活な小節であっても、冒頭とともにモーツァルトの関心を最も引きつけているのは、彼が何度もそれを展開させるのを耳にした半音階が入ってくる断片(a)である。しかし、ここには倦み疲れた気配は無く、いかなる場でもこのロンドは冒頭の活力を裏切ることも無く、その結果、その短調のパッセージは第1楽章のそれよりもさらに劇的なものになるのである。
リフレインの断片(譜例413、譜例414、譜例416)が絶えず再現することと、展開部クプレ全体が華麗なパッセージを除けばその最初の音と断片(a)に基づいているとの事実が、このロンドに唯一とまでは言わないが(原注1)、モーツァルトの協奏曲のフィナーレでは稀な主題的な統一性を与えている。この点では、この曲は同じジャンルの先行作品にではなく、同時期の室内楽曲作品に、最後の2曲の弦楽四重奏曲〔No.22 変ロ長調 K.589 プロシャ王セット第2番、No.23 ヘ長調 K.590 プロシャ王セット第3番〕、そして特に変ホ長調の五重奏曲〔No.6 K.614〕などモーツァルトの最も統一性の強い作品に類似している。
(原注1)唯一ではないとしたのは、K.449〔No.14 変ホ長調〕のフィナーレのことが念頭にあるからである。
ピアノのスタイルはアレグロよりもさらに華麗で、一瞬だがコーダにおいて技巧そのものが目的となるものの、他のところではそれは常に曲の情緒に奉仕する立場であり、他の協奏曲のフィナーレに比べ目立つものではない。その書法は常に旋律線の明確なものであり、モーツァルトがK.503 〔No.25 ハ長調〕の後の協奏曲では放棄していた音塊効果へと戻ることも決してない。それはまた非常に等質的である。ピアノの経過句は常に短く、それが非常に少ないタイプに属するもので、その典型的なものは音域の幅の広いアルペジオ(譜例415と譜例416)、分解された下降音階、それと特に幅広く上下する進行線であるが、最後のものが顕著であり、このロンドに特有なものなのである。技巧の重要度が低く、それが情緒に対して従属関係にあることが他の2つの楽章同様に際立ち、この作品を他の協奏曲とは別のものとしており、交響曲や室内楽曲により近いものにしているのである。
モーツァルトはこのフィナーレにおいて他の楽章に比して構造的な問題により関心を示している。ロンド形式は常にモーツァルトの革新嗜好を強く刺激するものであったが、この協奏曲の構想は最もその特色を示している。そのうえ、ピアノとオーケストラの協働はアレグロよりもさらに途切れることなく続く。譜例415の反復時14第3クプレ(再現部クプレ)での反復のことである。には両者で分かち合われ、両者リフレインの断片に基づいて対話を行い、総奏が独創的な伴奏によってピアノを刺激する瞬間が幾度もある。たとえば、譜例413での木管の割り込み、譜例416での木管、弦そして独奏間の対話、譜例417での木管とヴァイオリンによる介入などがある。ニ長調協奏曲〔No.26 K.537 戴冠式〕の気が抜けたような曲作りの後で、その死の11か月前に、ここで偉大な協奏曲作家モーツァルトを再び見出すことは慰めである。常に木管と弦の両者の間で会話が交わされ、数えきれないほどの諸楽器のパートの細かな工夫によって興趣が保ち続けられている(原注1)。ピアノの技巧面を除けば、どのような角度から見ても、つい最近まで無視され続けてきたこの協奏曲はあらゆる点で最良のものに匹敵し、最もモーツァルトらしい作品のひとつとして1784年~1786年の偉大な12曲の作品に加えることが真にふさわしいものなのである。
(原注1)紙面がなく語り尽くすことができない! 木管が最初にリフレインを取り上げたところで、断片(a)に到達すると伴奏の機能を放棄し、旋律の流れに加わってくる箇所のみを指摘しておこう。
モーツァルトにとって変ロ長調はお気に入りの調である。その成熟期において4つのピアノ協奏曲〔No.6 K.238、No,15 K.450、No.18 K.456、No.27 K.595〕以外にモーツァルトがこの調を用いたのは、2つの弦楽四重奏曲〔No.17 K.458 狩 ハイドン・セット第4番、No.22 K.589 プロシャ王セット第2番〕、1つのピアノ三重奏曲〔No.4 K.502〕、2つのピアノ・ソナタ〔No.13 K.333、No17 K.570〕、2つのヴァイオリン・ソナタ〔No.34 K.378、No40 K.454〕、1曲の木管セレナーデ〔No.10 K.361 13管楽器のための〕、1つのヴァイオリンとビオラのための二重奏曲〔No.2 K.424〕、さらに1曲の交響曲〔No.33 K.319〕があり、これは交響曲としては唯一の作品だが、重要なものではない。モーツァルトが通常この調に結び付けたムードは協奏曲、ソナタそして室内楽に求められるべきである。1789年と1790年の変ロ長調の作品を除き、とりわけ10あるいは12ほどのこの調で書かれた緩徐楽章を入れるならば、なによりもこの調が、平静な状態、モーツァルトのせわしない魂が経験できる限りの完全な穏やかさを表現するものだと分かるのだ。それは祝福の心を思い起こさせる。ベートーヴェンのアンダンテについて書かれた言葉をこれに適用するならば、その穏やかさは、“聖人の魂に降りそそぐ恩寵”の如くと言いたい。モーツァルトの典型的な変ロ長調の作品は道徳的に健全な感情をその後に残し、その表現は第1楽章の遊び心やフィナーレにおける陽気さを伴っている。このことを最もはっきりと感じ取れるのは協奏曲K.450〔No.15〕、狩の四重奏曲〔No.17 K.458〕そしてストリナザッキ・ソナタK454〔No.40〕であるが、よりマイナーなパリ・ソナタK.333〔No.13〕やピアノ・トリオK.502〔No.4〕などでも同様に明らかである。モーツァルトで最も重要な変ロ長調のアンダンテ〔緩徐楽章〕は、ニ短調協奏曲〔No.20 K.466〕、ト短調五重奏曲〔No.4 K.516〕(原注1)、ヘ長調の二重奏ソナタ〔K.497〕、変ホ長調の弦楽五重奏曲〔No.6 K.614〕のものである。弦楽五重奏曲では、その歓喜には巨匠の最後の年の音楽のかくも多くの部分に横溢しているこの世のものとは思われない特質がある。1789年と1790年には、穏やかさは持続しているが、晴朗さはしばしの間疲弊と落胆に道を譲るのである。
(原注1)その引きずるような音階の豊麗で懐かしい音型ゆえに非常に典型的なものである。
変ロ長調の協奏曲はモーツァルトの音楽的発展の終りの時期に現れた。おそらく翌年の3月に完成された第2オルガン幻想曲K.608〔自動オルガンのためのアレグロとアンダンテ ヘ短調〕のアンダンテを除けば、この曲に命を吹き込み、2年にわたって彼の心の多くを占めてきたインスピレーションに二度と出会うことはないだろう。1789年と1790年は悲しみと諦念を語り、一方最後の年1791年には、新たな春の萌出がモーツァルトの音楽の中に湧き上がるのを見るのである。それは来ることのない夏の先触れであった。
この発展はモーツァルトが書いた2つの幻想曲のうち2番目のもの〔自動オルガンのためアレグロとアンダンテ ヘ短調 K.608〕にすでに表れている。それはモーツアルトが心ならずも書いたデイム伯爵と自称するミューラーなる人物が珍奇な物の展覧会で設置した機械仕掛けのオルガンのための曲、“ein Orgelwerk in einer Uhr”である。その楽器については何も分からないが、それは残念な代物だったに違いない。というのもモーツァルトは、“ああ、それが大きな音楽時計だったら、機械がオルガンの音を出してくれたら、僕ももっと本気になれるのだが。だがその楽器は本当に小さなリード楽器のようで、その音は甲高く、子供っぽすぎて、僕の好みに合わないね。”と不満を口にしているからである(原注1)。
(原注1)妻への1790年10月3日付の手紙。
しかし、モーツァルトの想像力が、それが望んだ楽器の音を聴くことは妨げられなかった。事実、これらの幻想曲は教会のオルガンのために作られたのである。ごくまれに、オルガニストによる演奏を耳にすることもあるが、管弦楽の編曲で聴いてみたいものである。このような編曲はいくつか存在はしているが、そのどれも出版されていないのだ。
これらの幻想曲の最初のもの〔自動オルガンのためアダージョとアレグロ ヘ短調 K.594〕は、前年〔1790年〕の秋に属しており、その時期のインスピレーションのひとつの支流をなしている。部分的にフーガである第2の幻想曲のアレグロでは、五重奏曲や偉大な協奏曲に見られる力強さと豊かさが巨匠の技に再びはっきりと表れている。モーツァルトの対位法楽章の短いながら傑出した作品のリストの中で、このアレグロは最高の地位のひとつを占めており、また数少ない変奏曲のグループの中でもこの曲のアンダンテは同じ地位を占めている。
しかし、春がその姿をあまねく現すのは変ホ長調の弦楽五重奏曲〔No.6 K.614〕においてなのである。
この五重奏曲はモーツァルトの最後の器楽作品(原注1)であり、確かにこの曲はその頂点である。それは完全であり自己完結している。ここではある理想が達成されており、モーツァルトがより長い生を得たならばこの地点に留まり続けたであろうとは主張しないが、この曲には実り豊かな生涯の最終幕にふさわしい完璧さがあるのだ。この曲に命を吹き込み、見事に花開いた精神は『魔笛』の“絶妙な”パート、すなわちこのオペラの最も独創的な部分(原注2)に命を吹き込むことになるものと同じものなのである。この五重奏曲は、演奏家から、また批評家からさえもほとんど完全に無視されてきた。つい最近になってようやくそれに相応しい評価がなされたのだ(原注3)。すでに作曲家の最後の協奏曲の範囲を超えてしまっているが、この著書が『Mozart’s Piano Concertos』ではなく、『Mozart and his Piano Concertos』と題されているからには、もう少しこれに留まって論じる権利があると思う。
(原注1)小さな五重奏曲K.617〔グラスハーモニカ・フルート・オーボエ・ビオラ・チェロのためのアダージョとロンド ハ短調~ハ長調〕とこの曲が最後である。クラリネット協奏曲〔イ長調 K.622〕はモーツァルトの自作カタログでは完成作品としてもっと後の日付で番号づけがされているが、その一部はもっと早い時期に作曲されている。
(原注2)つまり寺院のシーンである。パパゲーノと夜の女王は、すでにしばしばモーツァルトの作品の中で出会ってきた別のインスピレーションの産物である。
(原注3)アドルフ・ボショ―、アンリ・ゲオン、エリッヒ・ブロムなど。プロ・アルテ四重奏団が〔第1次大戦の〕戦前アメリカでこれを録音したが、その録音盤は英国では発売されていない。
それが与える最初の印象はひとつの知的遊戯(jeu d’esprit)である。ベートーヴェンの最後の弦楽四重奏曲も同じ印象を与える。アンダンテを除けば、両者ともにその印象は超然性、すなわち、情熱はもとより、ほんのわずかな情緒でさえそれに関わらないという事実に由来している。それはあたかも肉体から分離した霊魂が交流し合うようである。モーツァルトの作品を年代順に検討するにあたって、変ホ長調の五重奏曲を、そこに精神的超越性があると感じるヘ長調の四重奏曲〔No.23 K.590 プロシャ王セット第3番〕のような最後の数年間の作品の部類に入れたいとまず思うのである。そして、最後の数年間の作品とこの五重奏曲との間にひとつの進化的関連性の存在を確かに感じる。確かにそのムードはそれらの作品群から生じたものだ。しかし、同じものではない。同じことを次のように言い表すことができるかもしれない。ヘ長調の四重奏曲は五重奏曲が体現した理想を追い求めたが、それを表現することはできなかったと。
見かけは単純であるが、一目でその真髄を掴むことは、よりモーツァルトらしい音楽の場合に比べ容易ではない。作曲家の他の主題と比較しても、その基本的な構想は単純かつ見劣りするとさえ言えるものだ。アレグロの第1主題も、実質的にはフィナーレ全体を通してただ1つの主題であるリフレインもその旋律が際立たず、そのひとつはリズミックな音型以上のものではなく、ほとんど同音の反復に過ぎないものもある。確かにそれらの提示のされ方がある程度までその貧弱さを補っており、この五重奏曲はその先行曲以上に対話的な性格を有し、その実質的内容は異なるパートの間に均等に配分されているのである。それゆえに、色彩のコントラストが与えられるのであり、それは鋭いヴァイオリンの音がビオラのかすれた音に答える始まりの小節で我々の心を打つのである。モーツァルトの他の四重奏曲や五重奏曲で多少なりとも彼がこれと似通ったことを行ったものはまったくない。
それでもなお、その主題的素材の貧弱さは否めない。しかし、その精神的な内容の豊かさはその素材的な貧しさと反比例している。その飾り気がまったくない状態と情熱の欠如は生気の枯渇でも知性が過剰なわけでもない。この曲を良く知るにつれて我々の第一印象は修正されるのだ。真の不屈の精神によって日々の不安を超越し、その悲しみを忘却するのではなく、自身と芸術の中にその慰藉を見出した強靭な個性の高みに向かっての飛翔なのである。清澄、確かにこの五重奏曲はそうである。しかし、それは苦しみを経たが、無感動で、強い感情を抱くことができない受動的なものではない、精神の豊かな清澄さなのである。それはタミーノとパミーナが火と水の試練を経て入っていく聖域なのである。ボショーがそれを表現しているように、“聖フランシスコの恩寵”(une allégresse franciscaine)がそれを支配している。我々は“目に見えるものの向こうに息づく心の歌を……アッシジのフランチェスコと語り合う小鳥のさえずりに満ちた森のさざめきのように、天上の光り輝くつぶやきを耳にするのだ(原注1)”。
(原注1)アドルフ・ボシショー:『音楽家のために』(第2集、22ページ、38ページ)
これは特にアレグロとフィナーレについて言えることである。メヌエットのトリオ、これはウィーン風ワルツであるが、より現世的な喜びをもたらすものだ。アンダンテについては、より肉体的な情感、気品、愛、切望感でさえもそこにはある。アレグロが我々にジョットのフレスコ画を思わせるならば、アンダンテはボッティチェリの精神をしのばせる。そこには『プリマヴェーラ』の三美神が頻繁に訪れ、最後のリフレインの再現を伴奏し、最後まで現れ続ける回音は『ビーナスの誕生』の女神の周りを飛び交う花々を思い起こさせる。
この五重奏曲は『魔笛』と同じムードにあるが、その他の変ホ長調作品とはかなり離れている。1788年の交響曲〔No.39 K.543〕を思わせる特徴はほとんどない。疑いなく両作品のフィナーレの一部は同じ気分から生まれており、また両者に見られる“ぎこちない”ヴァイオリンのパッセージには形式上の類似性もある15両者の冒頭、第1主題の類似性を指していると思われる。16分音符とスタカートの8分音符の組み合わせによる下降音型という形の上ので類似性もある。原文stiffは「ぎこちない」と訳したが、ともに柔らかさの無い音型である。。しかし、交響曲の第1楽章にはより暖かみと熱情があり、その雰囲気は五重奏曲ほど純化されておらず、その堂々とした導入部は五重奏曲には相応するものがない。コントラストに関してはより類似性があり、アンダンテでは、やや堅苦しいリズムと情緒の豊かさ、そしてメヌエットでは両者ともに高慢な感じであるが、その傲慢さのニュアンスに違いがあり、また両者ともにお互いを思い起こさせるトリオのワルツがある。
さらにこの五重奏曲と偉大な先行作品、1787年の“天上の双子”と関連を見出すことができないだろうか。モーツァルトの最後の年の2曲の五重奏曲〔No.5 ニ長調 K.593、No.6 変ホ長調 K.614〕は確かにハ長調〔No.3 K.515〕とト短調〔No.4 K.516〕の五重奏曲ほど堂々としたものではない。しかし、最後の2曲は他の何ものも埋めることがない独自の位置を占めているのだ。特にモーツァルトの最後の五重奏曲には対になるような他の作品はない。ハ長調とト短調の五重奏曲は我々の存在の多くの側面に作用し、揺り動かすが、変ホ長調が己のものとして記した一隅は他の何ものにも属さないものであり、モーツァルトただ一人が切り拓くことに成功したものなのである。1787年の五重奏曲はより様々な作品カテゴリーに帰属するものであり、それらが目指したものは実際には19世紀の作曲家たちのものなのである。1787年の曲のムードは1791年の五重奏曲よりもベートーヴェンやブラームスのものにより近いのだ。あらゆる才能はそれぞれ唯一無二のものであるという重要な但し書きを付けての話だが、19世紀の音楽作品群においては、ハ長調およびト短調の五重奏曲と同じ特性を持つ作品が変ホ長調に比べてより多いと言ってよいだろう。人によっては前者の豊かで雄大な美しさを好むこともあるだろうが、後者の美しさがさらに稀なものであることに疑問の余地はない。
ということで、モーツァルトの作品を辿り、その主な道標としてピアノ協奏曲を選んだ旅をこの五重奏曲で終えよう。これは確かにモーツァルトの最後の器楽作品である。なるほど彼の自作カタログには、9月28日の日付を持つカンタータの後にクラリネット協奏曲が採録されているが、それが構想され第1楽章が部分的にでも具現化したのは、少なくとも数年前、モーツァルトがバセットホルンのために作曲しようと企てた時に遡り、したがって、それはモーツァルトの最後の月日のインスピレーションを示すものではないのである(原注1)。
(原注1)ケッヘル-アインシュタイン、No.583bと622を参照されたい。
レクイエムはどうだろう? その完成を見た部分は確実にモーツァルト最後の日々に帰するのではないか? 勿論その通りである。しかし、その来歴はあまりに特殊であり、またそれが依頼された不穏な状況とともに、「死者のためのミサ曲」という言葉そのものに負わされた感情を考慮すれば、それは彼の生涯における主題と離れたひとつの挿話と見なすべきなのである。運命によって、その挿話が完結することはなくなってしまった。その最後の年を締めくくり、1787年以来のモーツァルトの楽想の成長をつまびらかにし、有終の美を飾るのは、レクイエムではなく『魔笛』なのである。すでに述べたように、その最も個人的な内容の部分において、『魔笛』の水の流れが数か月前に変ホ長調の五重奏曲を貫いた流れに合流したのである。