今、モーツァルトの協奏曲への熱狂が高まりつつあるが、それが持つすべての美しさを引き出す演奏が伴っているとは到底言えない。これまで多くの演奏を耳にしてきたが、とりわけ危険な罠が明らかになりつつある。すでにどこかで語られていることを繰り返す恐れもあるが、あえてそれらについて指摘しておきたいと思う。

 芳しくないモーツァルトの演奏に共通する2つのやり方がある。ひとつは、彼の作品を気品に満ち、優雅な、穏やかなものとするものであり、もうひとつは活発で威勢の良いものとすることである。

 必ずしもこれらの2つのスタイルがいつも見当はずれということではないが、これらは不十分なものなのだ。優雅さや気品あふれた、また威勢よく演奏されるべきパッセージがあることも確かである。しかし、モーツァルトの作品ではこの両方のスタイル、あるいはどちらかに偏よることが求められることはほとんどない。優雅さと活気以外の特質に値するものとして彼の作品を解釈することが必要なのである。

 事実、優美かつ繊細なスタイルが望ましい場合はほとんどなく、知覚鋭敏なモーツァルト愛好家にとって協奏曲が全編このようなスタイルで演奏されるのを聴くことほど耐え難いことはないだろう。

 モーツァルトのピアノ・ソナタで最も魅力に乏しい作品にはこのような演奏が適しているものがあるかも知れないが、このような演奏はモーツァルトの偉大な作品からは締め出されるべきなのである。優美、繊細なスタイルは作品を矮小化し、たわいないものにしてしまう。それゆえ、このような演奏スタイルを好むものは、彼が残した少数だが疑いなくたわいのない作品群に限って演ずるべきなのである。

 一方で、活力にあふれたスタイルがふさわしい場合がより多いと言える。例えば、エネルギーに満ち、ウィットに富んだ、軽い感じのいくつかの協奏曲のロンドはコン・ブリオの演奏に極めて向いている。しかし、最初のアレグロで“活発に”演奏しようとすることは、そこで“品よく”演奏しようとするのと同じくらい酷いことなのである。モーツァルトが時折最初の楽章の頭に持ってくるマエストーソをブリリャントに演奏することが機知のない冒涜に他ならないことを私は主張してきた。

 突然閃く光によって、一瞬開くがすぐに閉じてしまう深みをちらりと見ることがあるが、“勇ましい”演奏家は、輝ける闇を覗き込むことなく登山家がクレバスを飛び越えるように飛び越えてしまうので、豊かで様々な可能性を持つ作品が派手なだけの陳腐な作品になり下がってしまうのである。

 このスタイルを追い求める演奏家の癖のひとつは、上昇音階を始める時にラウド・ペダルを踏んである種の推進力をつけ、最後の音をスフォルツァンドで強調するやり方で、そのおかげで、ワインのコルクを抜くように音階が発せられるのだ。モーツァルトの旋律は、このように扱われると、広がりと晴朗さをすべて失ってしまい、作曲家は貧血症状のリストのように変じてしまうのである。ギーゼキングやワンダ・ランドフスカのような、もっと輪郭が明瞭で心優しく、敏感な演奏が求められるのであり、その時には、ピアニストの指の下で、美しい音列が鮮やかに、生命に溢れ、打ち震えるのである。

 実際にモーツァルトの演奏に固有なひとつのスタイルといったものはない。彼の音楽はそれがあるがままに演奏されるべきであり、ピアニストもそのあるがままの通り、時には生気に満ちて、気品高く、繊細に、楽しく、機知に満ち、物憂げに、輝かしく、時には深く、そして常に明瞭でなければならない。音がきれいなことは常にあるべき資質のひとつである。それを身に着けるための特別なテクニックといったものはない。演奏家が同化吸収しなければならないのは、作曲家の感受性そのものなのである。それは我々が演奏するすべての偉大な音楽家についても同様である。つまるところ、モーツァルトの演奏に特定のスタイルといったものは存在しないということであり、すべての優れた音楽の演奏についてなされる示唆が彼の作品の演奏にもあてはまるというだけのことなのだ!

 これまで、単なるスケッチされただけのところを補完する必要があること強調してきた。18世紀の独奏者は創作者であった。彼は作曲家と交流し、協奏曲においては、限定的ではあったが即興演奏の余地もあったのである。このようなことは、ピアノ・ソナタではありえなかった。というのも、ソナタは独奏者のためのものではなかったし、それを演奏するアマチュアは創作者ではなく単なる演奏者であったからだ。演奏者はただ作曲家の思考を再生するのみであり、しかも、その思考はアマチュア演奏者に完全な状態で与えられているのである。しかし、ソナタのいくつかの小節は協奏曲におけるスケッチ的なパッセージを仕上げるための有益なヒントを与えてくれる。例えば、モーツァルトのハ短調ソナタ〔No.14 K.457〕のアンダンテは、ゆっくりとしたロンドの繰返しが、そのたびにどのように変化させられるかを示している。数年前にリプリント版の出されたライネッケの貴重な小冊子『Zur Wiederbelebung der Mozart’schen Klavierkonzert〔モーツァルトのピアノ協奏曲復興のために〕』を参照されたい。すべてのモーツァルトの時代の協奏曲を演奏するピアニストは、その助言を心に留めるべきである。(原注1)

(原注1)ワンダ・ランドフスカがHMVに録音した戴冠式協奏曲のラルゲットの演奏様式は、彼がここで言っていることがお手本となっていると考えていいだろう。

 最後にもうひとつ助言をさせていただきたい。モーツァルトのピアノの書法は概して輪郭のはっきりしたものである。しかし、時には音塊効果に遭遇することもある。これらの例外的な特徴ゆえに、ピアニストはそれらの全てに、すべからく明確な音価を与えなければならないことをもう一度繰り返しておこう。重さの方向への強調は逆方向よりもましであり、またそれが作曲家の意図に沿うことなのである。

 これらの協奏曲を数多く、また、いくつかのオーケストラの演奏を聴いて確信したことだが、良い演奏というものは、独奏者よりも指揮者により多くを負っている。知的な指揮者と良いオーケストラが平凡なピアニストと組む方が、第一級の独奏者が彼よりも劣る指揮者や楽団と組む場合よりも良い結果を生むだろう。つまり、それぞれの楽器は順に独奏者のように扱われ、そのように指揮されるべきなのだ。これらの協奏曲の演奏には、あまたの管弦楽曲以上に、個々の楽器演奏者に多くのものが求められる。それは奏者個人の理解、感受性が、すなわち単にそつのない指揮で得られるもの以上の美しい響きが厳しく求められるのである。伴奏時以外では、全てのパートが独奏と同じ精神でかつ同様な気配りが払われながら演奏されるべきである。

 特に木管が際立つべきである。弦楽器偏重の近代管弦楽においては、指揮者がその危険に気付かなければ、弦楽器と木管楽器の調和が崩される恐れがある。それは特に次のような数多くのパッセージにおいて生じる。一本のまたはそれ以上の木管が主題を提示し、その間独奏者がそれを装飾し伴奏している時は、楽団が一時的にその力を委ねた楽器が十分聴こえなければならない。指揮者の中には、近代オーケストラとモーツァルトがそのために作曲したピアノの強さの違いにあまりに強い印象を持ちすぎるために、楽団員に対して、メゾピアノ(mp)以上の大きな音を出すのを許さない者もいる。その結果、聴き取らなければならない部分が気づかれず、その一方でピアノが語ることを、それがオーケストラのものよりも重要ではない語りであっても、必要以上にすべて聴き取ってしまうといったことが起こってしまう。このようにして数多くの演奏や録音が台無しにされてしまうのである。

 

 ついにモーツァルトの協奏曲が最初に道標として表れ始めた時から彼の生涯を辿ってきた巡礼の終わりに至ったようだ。この巡礼の成果が、すべてがこれらの協奏曲に捧げられた最初となるこの著作なのである。絶対的なものではないという含みのもとで現世的学問の著作には使うことができる「権威ある」という言葉を、私はこの本についてその意味であっても、決して主張しはしない。この本が捧げられる巨匠の聖なる栄光のためにも、巨匠によりふさわしい価値のある論考に引き継がれ、とって代わられることを願うのみである1「聖なる栄光」と訳したが、ガードルストーンはgloryという語を使っている。このgloryという語は普通、神あるいはそれに相当する聖人にしか使わない語である。ガードルストーンは音楽学者であり同時にモーツァルト愛好者であるが、本論の中では音楽学者として後者としての発言を極力節制してきたが、本書の最後になって、モーツァルトを神性なものとして捉えた心情告白的な表明を行ったのだとも言えるであろう。。これから長きにわたって、我々と生を共にしてきた23曲の作品が語り尽くされることはないであろう。この本がどれだけ分厚くても、そこにはわれわれが触れることがなかった側面、また、一瞥のみに止まったがさらに十分に扱わられるべき点があることを了解している。

 インスピレーションという形を伴わない性質のものが対象として大きな比重を占める論考で導き出された結論の中には、当然のことだが、恣意という要素が入り込まざるを得ない。ここで提示した様々な解釈が、すべての人に認められるなどとは思わない。また、それを望むこともない。というのも、芸術作品がそれをじっくりと鑑賞する人たちに与える印象の多様さは、その芸術の偉大さを示すものに他ならないからだ。偉大な巨匠に比べると、二流、三流の芸術家に対する意見の不一致はより少ない。偉大な巨匠の前では、あたかも偉大なる自然の美の前に立つがごとく、一人ひとりその反応は異なるものなのだ。時に共通する反応は賛嘆のみである。

 その一方で、議論の余地のないひとつの事実がこの論考から導きだせると信じている。それは、モーツァルトの芸術家としての存在には、技術上の成長があるだけではなく、楽想の成長も同様にある、ということである。モーツァルトの作品が有機的な特質を有しているということに気づいた者が我々以前に存在しなかったとは思っていない。考えてみれば、この作曲家の作品にどっぷりと漬かった人間にそれが分からないことなどありえない。しかし、モーツァルトは決して成長することなく、ただ、生涯を通してそれを意識することもなく自らを繰り返していた―それが魅力的なのだと公言する人もおり、この意見がなかなかしぶとく息絶えないので、喜んでその墓にもう一枚の石を置かせてもらおうと思うのである。

 モーツァルトが最も実り豊かだった15年〔1772~88年〕2ピアノ協奏曲No.5 K,175が作曲された1772年から、3大交響曲(K.543、550、551)の1788年までの約15年を指しているのではないかと思われる。を辿ってみれば、この論考の出発点となったギャラントな協奏曲の時期から、変ホ長調の五重奏曲〔No.6 K.614〕、『魔笛』〔K.620〕『レクイエム』〔K.626〕に向けて、段階ごとに彼の音楽的存在がどれだけの深さと力を得ていったか、そしてどれほどの新たな領域を獲得し、インスピレーションを大きく変化させていったかがわかるだろう。ウィーン定住時の新たな環境の影響や、1789年と1791年の物質的困窮などの時期にある種の後退、あきらかな退行があったとしても、頽廃することはなく、刷新が欠如することもなかったのである。彼の成熟期のそれぞれの年にインスピレーションに新たなニュアンスが訪れ、それが最後の年まで続くのである。彼の偉大な協奏曲作品のこの論考が以上のことをもう一度明らかにする過ぎないものであるとしても、この仕事は決して無駄なものではないだろう。

 モーツァルトの協奏曲の偉大さ、またモーツァルトの全作品において際立った地位を占めることをこれ以上云々することはもう必要はない。そこには他の作品領域では感じ取ることができない彼の天才的側面を見ることができ、それがより明確に見て取れるのである。かくも長きにわたって純粋なメロディストとみなされていたこの音楽家の構成力、構築家的な側面が、2つの1787年の五重奏曲〔No.3 K.515 ハ長調、No.4 K.516 ト短調〕を除けば、他では見られないその姿を現すのである。モーツァルトのいかなる交響曲のアレグロでさえも彼の偉大なる3年間の協奏曲のように大きな広がりには到達しえていないし、またかくも複雑な構造を示すこともない。他のいかなるジャンルにおいても、モーツァルトが最も様々に試み、最も成功を収めた形式であるロンド形式をここまで発展させることはなかった。数少ない例外としては、イ長調の四重奏曲〔No.18 K.464〕やジュピター交響曲〔No.41 K.551 ハ長調〕のみが、最良の協奏曲のロンドに匹敵する偉大な構造の終楽章を有している。

 そして、その他の作品、たとえオペラにおいてさえも、音色のコントラストをこれだけの技量をもって生み出しているものはない。モーツァルトの協奏曲は彼の木管の使用法の能力の高さを最も明らかに示すものであり、それは、木管同士の間で、また弦と、そして独奏とのコントラストを生み出している。オーケストラにとってのピアノという異質な存在が彼を刺激し、交響曲や序曲では考えもしなかった音の組み合わせを彼に示したのである。一見奇異に思えるかもしれないが、モーツァルトのオーケストラの最高レベルの技を知るためには、オーケストラだけのための作品ではなく、彼のピアノ協奏曲に目を向けるべきなのだ。

 彼の楽想についていえば、すでに書いてきたことを思い起こしてもらえばそれで十分だろう。彼のインスピレーションに存在するオリンピア的かつ悲劇的特性が最も力強く最も深く現れるのは、まさに協奏曲においてなのである。

 ディベルティメント的なコンセプトから出発して、最終的に、室内楽や交響曲と同じくらいに己の存在そのものをこのジャンルに込めることになった。ウィーンに定住後に作曲されたほとんどの協奏曲は、それぞれの作品がそれぞれひとつのムードに対応していると間違いなく言えだろう。ムードは非常に多岐にわたるので、これからも生命を保ち続けていくことができるだろう。ピアノ協奏曲の中からどれを選ぶかは、もちろん好みの問題である。2つのイ長調作品〔No.12 K.414、No.23 K.488〕、そしてト長調〔No.17 K.453〕、ニ短調〔No.20 K.466〕、ハ短調〔No.24 K.491〕、ハ長調K.503〔No.25〕、また、変ロ長調〔No.27 K.595〕は頻繁に耳を傾けても、それらを聴き尽くし、食傷してしまうということはないだろう。このことは誰もが認めるだろう。そしてこのことこそが、偉大なる芸術の証なのである。

 モーツァルトの音楽において大切なことは、美しくまた力がみなぎり、また同時に繊細だけれどもしっかりとした足取りの動きというものを感じ取らせてくれることである。どこへ行くのかを見定め、たじろぐことなく目的を追う動きは、あたかも獲物に向かって跳躍する虎の無駄のない動きに似ている。この動きというものは、「数々の制約のくびきから逃れるために上方に伸び上るのではなく、天上から降りて来て肉体化した」としか思えないような、一握りの芸術家や思想家のものである特性によって生み出されていることを考えると、さらに貴重なものに思われる。

 今世紀(20世紀)の幕開け以来のモーツァルトの復興はロマン主義に対する反動のひとつの形である。とはいうものの、彼は感情に惑わされることのない「純粋な」音楽家ではない。20年前には彼の中にそういう音楽家を見たと思った人々もいたのだが。それとは逆に、この協奏曲の論考は、それとは逆に彼の音楽の中の感情的な生命力の豊かさをはっきりと描き出そうと努めた。われわれはモーツァルトの音楽にあらゆる芸術の中でも、もっとも健康でもっとも想像力に満ちた特質を認め愛するに至った。モーツァルトは控えめであるが、それは語ることがないからではなく、彼は、ほとんどの芸術家が持続的に示すことができない節制と形式の感覚をもって語るからなのだ。彼の音楽をソナタやトリオといったマイナーな作品によって判断することはもうやめようではないか。彼の真の顔は彼の最良の四重奏曲や最後の交響曲たち、ウィーン協奏曲、オペラ、ハ短調ミサやレクイエムなどに現れているのだ。そこでは、彼の生命がバッハやベートーヴェンと同じように脈打っている。彼の最後の15年間を、バッハやベートーヴェンのどの15年でもいいが、それらと比較してみるならば、彼ら同様にモーツァルトが非常に重層的で深遠であることを認めざるをえないだろう。モーツァルトの内面的生活は非常に豊かで隠し立てのないもので、それが彼の作品であり、自分の内心をさらけ出しても決して自己中心的告白の連続に陥ることはない。それは最も偉大な巨匠に通ずる証であり、慰藉と心の支えを我々に絶え間なく与えてくれるのである。

 最初にこの論考を立ち上げたばかりの時は1914年から18年まで続いた戦争の数年後で、モーツァルトの再発見が始まってはいたものの、それはまだ協奏曲にまで及んでいなかった。以来数多くの、特に放送やアマチュア演奏などが協奏曲の分野に参入してきた。この論考それ自体、モーツァルトが大戦間世代に対して数多くの価値を有していることのひとつの証である。依然としていくつかの偉大な協奏曲がわれわれの演奏曲目から欠落しているが、それらが再び世に出ることは間違いなく時間の問題である。この論考が始まりこうして終わるまでの間にも、演奏家や聴衆は自らこれらの作品の偉大さを発見しはじめている。この著作は新たな見解の先駆けとして世に出るものではない。これは、単にいくつかの点を解説し、またモーツァルト愛好家に共通する考え方と感情を整理しようと試みただけのもので、それらを一冊にまとめれば好都合だろうと思ったのである。ささやかながら、この著作をこの著作が扱う作曲家に対する敬意の証として捧げたい。

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