協奏曲第22
(No.26) ニ長調(K.537(原注1)

1788年 2月24日 完成

アレグロ:C (4分の4拍子)
ラルゲット:¢(2分の2拍子)(イ長調)
(アレグレット):4分の2拍子

オーケストラ:弦、フルート、オーボエ2、バスーン2、ホルン2、トランペット2ティンパニ2

(原注1)全集版番号で第26番。

 

 “近視眼的の持ち主、つまり、視野が狭く自分の小さな世界に閉じこもっている人々のことだが、彼らは時に一人の人間の中にその存在を認める天分の普遍性を理解することができないのだ。彼らがそこで見るのは心地良いもので、その本質的なものを無視してしまうのである。彼らがそこに見出したと考えるものは、肉体的優美さ、明敏さ、敏捷さ、機敏さであり、魂、深み、内省そして知恵の賜物を認めることを拒み、ソクラテスが踊ったという事実を彼の物語から消し去ってしまうのである”(原注1)

(原注1)ラ・ブリュイエール:『性格論』(Les Carcterès)第2章 優れた人物について)

 

 ラ・ブリュイエールのこの言葉が、前世期〔19世紀〕と今世紀〔20世紀〕の初めに流布し、今でもそこかしこに生き残るモーツァルトに対する見方にどれほどあてはまることか! それはモーツァルトに何よりも職業的芸人を見たのであり、“非凡”であっても、一芸人に過ぎないのである。同じような見方は、ベートーヴェンに “巨匠”を、バッハに“数学者”を、ハイドンに“パパ〔交響曲の父〕”を、ショパンに夜想曲の哀愁の作曲家以外の何物も見ないのである。バッハ、ベートーヴェンも“踊った”に違いなく、ハイドン、モーツァルトも“涙を流した”かもしれず、ショパンも哀歌をそして尚武の心を歌ったに違いないが、これらは彼らの物語から切り捨てられたのだ。

 このような単純化の犠牲者である偉大な人物(ほぼすべての偉大な人物がそうなのだが)の研究に手を染める時、その人物の個性がどれだけ多様であり、どれだけ矛盾に満ちているかを悟ることに強い喜びを感じるのである。ベートーヴェンのメヌエットやエコセーズ、バッハのガボット、ヘンデルの詩的なアリア、ハイドンの悲痛なアダージョ、ショパンの軍隊ポロネーズが立ち現れると、これらの人物も我々すべてと同様にきわめて多様な気分を経験しており、彼らの作品のそのものの特質ではなく後世の人々の“えり好み”がこれらの人々に対する意見を我々に押し付けていることに気づかされるのである。

 モーツァルトが己を最も十分に注ぎ込んだジャンルのどれであれ、それを研究すれば、いたるところで彼の魂がいかに移ろいやすく多面的なものであるかに気付かされずにはいられない。我々の愛する協奏曲をくまなく検討しながら、このことを何度も認めてきた。彼の多様性はひとつの作品と他の作品間のみでなく、彼の生涯の一時期から他の時期をたどる時にも強く印象に残るのである。モーツァルトの中の芸術家は成長したが、人間としては決して成長はしなかったというレンツの断言ほど真実から遠いものはない1ガードルストーンの以下の論理ではレンツの命題を論駁できない。作品の究明だけでは「芸術家の成長」しか確認できないからである。レンツの命題は、ロマン・ロランのゲーテ評などにもみられるように、一種の文学的修辞に過ぎないが、ガードルストーンはおそらく、次のようなことを言いたかったと思われる。作品に現れるインスピレーションの成長はモーツァルトの人間としての成長によるものであり、畢竟、モーツァルトの「芸術家」と「人間」は不可分だということであろう。。1782年から1786年までのウィーン時代の協奏曲を仔細に見るだけでも、それが逆であることを証明するに十分だが、これらの事例でこと足りないならば、我々が今その入り口に立つ2年間の作品がこの主張の反駁に役立つだろう。

 この2年間の精神的な進歩は紛れもない。残念なことにモーツァルトがこの期間に作曲した唯一の協奏曲をその数に入れることができないのだが、1787年および1788年の最も重要な作品群(原注1)を子細に見ると、そのインスピレーションに2つの流れを認めることができる。そのひとつの流れには最後に見た2つの協奏曲〔No.24 ハ短調 K.491、No.25 ハ長調 K.503〕の仲間である力強く統一感のある作品が該当し、その中のいくつかは明るく清澄であり(ハ長調の五重奏曲〔No.3 K.515〕、変ホ長調〔No.39 K.543〕およびハ長調〔No.41 K.551 ジュピター〕の交響曲)、他は陰鬱なものである(ト短調の五重奏曲〔No.4 K.516〕および交響曲〔No.40 K.550〕)。しかし、これらすべてが心底率直な性格を有しており、すべての美しい作品が帯びているもの以外の神秘性がそこにはないのである。もうひとつの流れには、新しい旋律を耳にできるいくつかの楽章が属している。それらの楽章の原型を見つけるにはモーツァルトがザルツブルグに暮らした最後の日々へと戻らなければならない(原注2)2変ホ長調の木管セレナーデK.375 、協奏交響曲K.364、ディベルティメントNo..17 K.334などの短調楽章やキリエニ短調K.341などに聴かれるデーモニッシュなものを指している。。この流れの中で最も早いものはプラーハ交響曲〔No.38 K.504〕のアンダンテである。この作品は偉大なハ長調協奏曲〔No.25 K.503〕と間違いなく同時期のものだが、共通するものは何もない。その第1楽章は、協奏曲ほど闊達ではなくさらに不安定なものだが、強靭な強さ、鋭い感覚を示す瞬間もあり、それがドン・ジョヴァンニの序曲を思い出させるのである。しかし、アンダンテは極めて独創的な一編である。モーツァルトの緩徐楽章で、これほど進行が不規則なものはない。聴衆はその中にある種の会話を感じ取るが、半ば不明瞭なその声はモーツァルトの分裂した個性であるデーモンのもので、苦しみ、宥め、うめき、敗北、そして懸命さが交互に現れるのだ。この楽章の情緒的な不安定さは極めて大で、ひとつのムードから別のものへとひとつに落ち着くことなく絶え間なく移ろうのである(原注3)。モーツァルトはここではどこにもまして彼の同時代人の言うところの“Stürmer und Schmeichler”(“怒り、宥める”)人間である。開始部の美しく甘い旋律と、第2主題の乾いたほとんど嘲りとも言える音の響きとの対比がこの一編の特徴をよく示している。

(原注1)交響曲ニ長調K.504;ピアノのためのロンドイ短調K.511;ハ長調とト短調の弦楽五重奏曲K.515とK.516;ヴァイオリン・ソナタイ長調K.526;ピアノ・ソナタヘ長調K.533;ピアノのためのアダージョロ短調K.540;弦楽のためのアダージョハ短調K.546;最後の3つの交響曲K.543〔No.39 変ホ長調〕、K.550〔No.40 ト短調〕、K.551〔No.41 ハ長調 ジュピター〕;弦楽三重奏のためのディベルティメントK.563。
(原注2)原著119~123ページ参照。
(原注3)この楽章を4分の2拍子のシシリアーノまたはベルスーズ〔揺り籠を思わせる声楽曲〕ととっている指揮者もいるが、それではこの楽章の根本的な性格を引き出すことは不可能である。拍子は8分の6拍子、速度は♪=100を超えるべきではない。

 不安を駆りたてるような半音階が時折現れるが、これは一風変わった心騒がせる音を響かせる不協和のパッセージを持つアンダンテおよびアダージョの最初のものである。ロ短調のアダージョ〔K.540〕、この調をモーツァルトが使うのは非常に稀なのだが、あのモーツァルトのデーモンの声がさらにはっきりと聞こる。このアダージョ、それに、2台のピアノのためのフーガを弦に編曲した作品の前奏曲として作曲したK.426は、彼の魂を形作るものが語らい、争い合う楽章なのであるが、最も非現世的なものである(原注1)

(原注1)いつ作曲されたかわからない、感動的なピアノのためのニ長調のメヌエットK.355もモーツァルトの同じ意識の次元から生まれたもので、おそらくはこのグループと同時期のものであろう。

 これほどではないが、この時期の他のいくつかの緩徐楽章にも同じ性格が見出され、それは、ト短調五重奏曲〔No.4 K.516〕およびイ長調のヴァイオリン・ソナタ〔No.42 K.526〕のもので、その荒れ地の寒々とした風景は、聴衆をモーツァルトからブラームスの非常に陰鬱な世界へと連れ去ってしまい、また、ヘ長調のピアノ・ソナタ〔No.15 K.533/494〕では、ざらざらとした軋るような半音階に満ちたフレーズが激しい不協和音とぶつかり合い、ここで我々はモーツァルトの“音楽的に考える”ための力を再び目の当たりにする。つまり、非常に情緒的なものだが、それは形式的な縮約を極限まで求めた結果なのである3K.533アレグロなど、旋律的とは言えない、また主題とさえも言えないような動機的なモチーフを用いて、“音楽的に考え”ソナタ形式を構築していることを指している。いわゆる「主題労作」的な作曲法であるが、ガードルストーンはその情緒性も認めており、その形式的縮約と両立する特性を次のK.563やK511にも繋がるものとしている。。このインスピレーションは最後に弦楽三重奏曲〔弦楽三重奏のためのディベルティメントK.563〕のアダージョで現れるが、非常に簡潔な展開部の数小節は肉体的に苛酷ともいえるものである。

 同じインスピレーションがイ短調のロンド〔K.511〕にも貫流しているが、それはより悩まし気なもので、この言葉がモーツァルトに強すぎるものでなければ、萎れていると言いたいところである。このロンドを支配している感情は概ねこの作曲家のイ調の作品すべての感情である。かなり以前に、ライネッケはこの曲とショパンのいくつかの作品との類似性を指摘した。これらのショパンの作品では昂ぶった感受性がメリスマ〔装飾の多い陶酔的な楽曲〕の熱の中で一騒動を繰り広げるのだ(原注1)

(原注1)Zur Wiederbelebung der Mozart’schen Klavierlonzerte 1936年版、40ページ。ニ長調の協奏曲K.451〔No.16〕およびハ長調K.467〔No.21〕のアンダンテも同じ理由から、ショパンに類似するものと見ることができる。イ短調のロンドのある楽段の大きさが協奏曲K.503〔No.25〕およびハ長調五重奏曲〔No.3 K.515〕との類似を示すことを付け加えるべきであろう。

 五重奏曲〔No.3 K.515、No.4 K.516〕については、それらが最後に見た2つの協奏曲〔No.24 ハ短調 K.491、No.25 ハ長調 K.503〕と同じ成長の軌道にあることをすでに述べた。それらはヘ長調のピアノ・ソナタ〔No.15 K.533/494〕のアレグロとともに、形式が最大限の広がりを見せるモーツァルトの作品なのであるが、新たなステージはそれを以前の作品の次元に連れ戻したのだ4この段落の文脈はやや言葉足らずである。ピアノ協奏曲No,25は交響作品の究極と位置付けられるが、それは形式とインスピレーションの高度な統一として定義されるものである。ガードルストーンはこの章で新たに「音楽的に考える」という概念を持ち込むがこれは形式をも含みこむ概念であり、単なる一般的なソナタ形式やロンド形式といった「形式」のみならず、主題労作的なもの、破調的な転調、不協和音などがこの「音楽的思考」から生まれると考えているものと思われる。こう考えるとガードルストーンの使う概念は、単純な二項対立でとらえきれるものではないが
 形式(form) vs. 内容(contents)
 音楽的に考える vs.インスピレーション
前に出てきた概念との関連では、
 外的な工夫 vs.内面性
極端にまとめれば、              
 理性 vs.感性
ということになる。この図式でこの段落を読むと、五重奏曲は24番、25番の協奏曲の流れのうちにあるものの、K.533のソナタなどとともに、形式が大きな自律性を持って展開する作品だということになる。しかし「新たなステージは、それ(ハ長調五重奏曲)を前の作品の次元(No.24,No.25の協奏曲の次元)に連れ戻し」その形式とインスピレーションが統一された広大さを見せる最後の作品となるのである。最後に弦楽四重奏曲K.465とハ長調五重奏曲の類似を指摘しているが、それは変イ長調という遠隔調への転調なども含め、冒頭の不協和音など「音楽的に考える」ということの走りであり、ハ長調五重奏曲が「音楽的に考えた」作品でもあるということの例証を行っているものと思われる。
。これを最後にモーツァルトはハ長調五重奏曲のアレグロほどの広大さを持った作品に着手することはない。そのアンダンテと最後の協奏曲〔No.25 ハ長調 K.503〕のそれとの類似性については述べてきたが、そのフィナーレはハ長調四重奏曲K.465〔No.19 ハイドン・セット第6番〕をより闊達にしたもので、そこにはハ長調四重奏曲の楽章で特徴的な変イ長調への転調さえもあるのだ5弦楽五重奏曲ハ長調K.515のフィナーレの第2クプレ第317~320小節で変イ長調に転じる。弦楽四重奏曲K.465における変イ長調への転調は、同じくフィナーレの第2クプレでその第160~177小節である。。協奏曲のロンドほどの多様性には欠けるが、興趣はより良く保たれ、無意味な箇所は見当たらないのである。

 1787年および1788年の2年間がモーツァルトの作品来歴の中で最も輝かしい年であることに疑問の余地はなく、この巨匠の熱烈な賞賛者すべてが純粋な喜びとともに熟視できるものである。しかし、モーツァルトの天才の所産の中で協奏曲が最もお気に入りのものになってしまった者は憂鬱な気持ちを抑えることができない。この時期で協奏曲を唯一代表する作品が、人気はあるが、最も内容に乏しく、中身のないもののひとつだからなのである。つまり、モーツァルトが1788年の四旬節のため作曲し、2月24日の日付を持つニ長調〔No.26 K.537 戴冠式〕について述べているのだ。(作曲家が1790年にフランクフルトにおいてレオポルドⅡ世の戴冠の祭典でこの曲を演奏したとの事実が、この曲に、仰々しいが、的外れの戴冠式協奏曲という表題をもたらしたのだ。)

 偉大な協奏曲の終焉はモーツァルトが流行のピアニスト兼作曲家であった時期の終わりと一致している。モーツァルトの財政的境遇は決して華々しくはなかったが、直後に悪いと言えるものとなり、生涯の最後の4年間彼はしばしばひどい欠乏状態にあったのだ。モーツァルトの困窮の話はよく知られているが、その様子を直に感じるものとしては、フリーメーソンの同じ組合員であるプフベルグに送った悲痛な手紙を熟読するにまさるものはない。

 1年以上経ってモーツァルトが名人兼作曲家として再び聴衆の前に現れる機会を得た時、彼は聴衆の嗜好と歩調を合わせ、“大衆向きに作曲する”固い決心をしたかのように思える。しかし、重要度が高い作品において、モーツァルトにとって並みのギャラントの嗜好と彼の理想との間のギャップは橋をかけるには広すぎるものとなってしまっていた。些細なトリオや最後のソナタ(原注1)のような些細な作品ではその場の求めに応じることもできたのだが、協奏曲ほどの規模の作曲では、もはやそれができなかったのだ。仮面はモーツァルトを息苦しくさせ、しばしばそれを引き上げて一息入れると、また、なんとか仮面を元に戻すのだが、その結果として生じたのは、モーツァルト的でも彼の若い時分のギャラント様式的でもない不自然なものであった。

(原注1)K.521〔四手のためのピアノ・ソナタ ハ長調〕、K.545〔ピアノ・ソナタNo.16 ハ長調〕、K.547〔ヴァイオリン・ソナタNo.43 ヘ長調〕。K.570〔No.17 変ロ長調〕とK.576〔No.18 ニ長調〕は些細なものではない。

 ハ長調協奏曲〔No.25 K.503〕や五重奏曲〔No.3 ハ長調 K.515、No.4 K.516〕の広大さの発展と、最後の数曲の交響曲〔No. 39変ホ長調K.543、No.40ト短調K.550、No.41 ハ長調 K.551〕の集中度の高まりの間で、ニ長調の協奏曲は当時のギャラントな嗜好の表明である。しかしこれは、ザルツブルグ時代のディベルティメントやカッサシオンという限られた範囲のものや1784年の華やかな協奏曲が完璧であるようには、完璧な作品ではなく、聴衆に近いレベルに止まっている。それらの作品にある輝かしさは、聴衆に共感し、喜んで彼らを楽しませようとの作曲家の自発的な意欲の結果であったが、この曲ではその意欲もなく、このことが我々を最も悲しませるのだ。モーツァルトの他のすべての協奏曲では、最も取るに足りないものであっても、また1790年のうなだれ、諦念に満ちた〔No.27 変ロ長調 K.595〕作品にあってさえも、作者の創造する行為の喜びが存在したが、この曲のみはそれが見当たらないのである。

 モーツァルトが最も無視された時代に、彼のすべての協奏曲の中で唯一この曲が、少なくともヨーロッパでは演奏会のプログラムに存在したことは非常に重大な意味がある。1891年にライネッケがこれらの協奏曲を復活させようと試み、その演奏法についての価値ある小冊子を出版した際に、ほとんどすべての例をこの曲から引用したのだ。今日ではその人気はさほど際立ったものではないが、それでもなお、他のさらに偉大な曲よりも頻繁に演奏されているのである。

 これまでの協奏曲に対して行ったように入念にこの協奏曲を分析しても得られるものは何もないだろう。そこにある何がギャラント様式に回帰したものか、モーツァルトが完全には放棄することができなかった理想の証が何なのかを識別することのみとなる。

 

 ゆゆしく、陰鬱なことがらを予兆するように反復される低音の上で、総奏が謎めいたフレーズによって開始される。(譜例382)。しかし、これはこけおどしに過ぎない。楽章の中にこれを回想するものは何もなく、ハイドンが最も歓喜に満ちた交響曲の前奏としてつけた短調のアダージョのように、これに続くものと著しい対照にあるのだ。ギャラント協奏曲の一般的な開始の仕方に従って、ピアノpにフォルテが続き、一連の主題とモチーフへと入り、80小節後のピアノの入りへと導く。すぐさま、2小節または4小節の長さに区切られた、型どおりで柔軟さのないフレーズの姿に強く印象付けられる。唯一、この均一性を破るパッセージは第2主題に先立つ第1ヴァイオリンの独奏なのである。スコアリングの工夫は以前の協奏曲に比して大きく劣り、弦が支配し、木管は時折それに重なるにとどまる。この部分および独奏においてモーツァルトは木管の技巧を忘却したように見え、その度合いには驚くべきものがある。信じるに足る己の財産を完璧に放棄したという点で、この作品は知られるべきなのだ。

 独奏の主題を除けば、前奏にはこの楽章のすべての要素が含まれている。情緒的な意義は取るに足らないもので、愛想はいいが、個人の感情を交えない言葉であり、その足取りは敏捷だが、跳ね回るだけで、飛翔することはない。

 ピアノは譜例382によって登場するが6新全集版ではこのNo.26 K.537およびNo.27 K.595で、弦部にTuttiとSoloの指示が頻繁につけられている。Soloの指示では各弦楽器は1本で奏すべきであり、「挿入された室内楽」的な効果を狙っているものと思われる。、反復音に取って代わったアルベルティ・バスが主題から以前の厳粛さを奪い取ってしまう。それまでの協奏曲でモーツァルトが熱愛してきたすべてのものを捨て去ったことを強調するかのように、アリアから借用した方法に頼るのだが、それは最初の協奏曲〔No.5 ニ長調 K.175〕のみで見られたものであり、最初の独奏の最後に総奏の結尾の一部を反復させるが7第89~93小節、ここではこのやり方がきわめて時代遅れなものに思える。

 すぐに不適切かつ無意味な技巧が大挙して楽章を侵略し、それは聴衆をより重要なものへと進めていくのではなく進行を停滞させるのだ。この楽章の為となる形式的な独創性さえなく、またピアノ書法としてもハ長調の協奏曲〔No.13 K.415〕以上に旧時代的である。それは片方の手あるいは一方の手による音階からなり、両手が共に奏することはめったにない。インタープレイの欠如(譜例384を除く)は特に辛いものがある。1782年の協奏曲以降、これほどインタープレイを欠くものはない。過ぎ去った年月で志したものの中でここにあるのは楽章のかなりの大きさのみである。つまり、K.503(25番ハ長調)の後、これはモーツァルトのアレグロの中で最も長いものだ。しかし、外観が雄大であっても、内容は空虚なままである(原注1)

(原注1)“自筆譜はピアノ・パートが不完全なことを示している。ラルゲットは旋律のみを示し、左手の譜表は空白である。フィナーレでは、独奏はしばしば概略のみで、最も完全なのは第1楽章である。”(ケッヘル-アインシュタイン、687ページ)。最初の版は1794年にアンドレによって出版されたが、彼が独奏を完成させるのにどの素材を使ったかは不明である。“彼が自身でそれを完成させたさせたことさえあり得る”(同上)。

 独奏主題は聴衆を真のモーツァルトに近づけてくれる(譜例383)。その半音階、特に予期しなかった3小節目での羽ばたき、またイ長調からト短調への転調8遠隔調への転調である。イ短調のロンドでは第42小節でハ長調から遠隔調ト短調へ転調する。はイ短調のロンドK.511の残響である。それから派生した華麗なパッセージは当初活力あふれる旋律を再び響かせるが、その活力はすぐに数小節の音階となって自らを使い果たす。第2主題が再現される時に、弦と独奏が一瞬のみ協働し(譜例384)、それに続く短い対位法による展開(176~187小節9対位法による展開は、第176~189小節である。)は最良のモーツァルトであり、2台のピアノのためのソナタ〔K.448 ニ長調〕の展開部およびハ短調協奏曲〔No.24 K.491〕のフィナーレの第5変奏を思い起こさせる。

 提示部を結ぶ総奏が、特に目立った変更もなく最初の総奏の約20小節を反復するが(原注1)、聴衆は、ピアノが総奏と協働して展開部に備える、あの壮大な提示部の結尾からほど遠いところにいるのである。

(原注1)11~13小節、71~78小節。

 ここでの展開部は主題展開的だが、その主題たるや! 真剣さのかけらもなくモーツァルトはリトルネッロの最後の一片を捕まえ、変ホ長調の協奏曲K.482〔No.22〕のやり方に倣って、それを最初はピアノ、次に弦、そして再びピアノに担わせる。そしてピアノが走句を開始すると、弦の雑多なメンバーが全く同じ音型(譜例385)でそれを伴奏する。そしてこの時、聴衆はニ短調協奏曲〔No.20 K.466〕)を思い浮かべる。この協奏曲の展開部では、主題展開的な断片が、同じようにピアノの走行に続くのだ。しかし、工夫が同じであっても、その音型の取り入れ方の技法と使い方は何と違っていることだろうか! ここはすべてが冗談であり、それは劇的な内容の一かけらさえなく、求められていることは時間をつぶすことと、ソナタ形式の構成を満たすことのみである。

 しかし、人は同じことを永遠にし続けることはできない。数小節後にオーケストラが注釈をつけるのを止め、ピアノがほぼ単独で前進する。ロ短調で始まるこの部分(261~269小節10ガードルストーンの指示はbars 261~9となっているが、269小節は中途半端であり、261~279小節が正しいものと思われる。)はこの楽章で最もすばらしい部分のひとつである。それは自由に転調し、レシタティーヴォに似ており、それは述べたばかりの例の“声”のひとつだが、終わり方は拙く、その情緒の流れはパッセージの中で埋もれてしまう。

 再現部は最初の独奏とほとんど異ならないが、結尾に向かったところで弦が、続いてピアノがこれまでずっと省かれていた提示部を閉じた主題を回想する(381~392小節11383~394小節が正しい。)ことのみが違いである。それはこの第3の独奏の残りの部分と同じニ長調だが、それが終わろうとする時、青天の霹靂のごとく突然に、ピアノの上へスフォルツァンド(fp)の和音が響いてト短調へと突入し、それに音階とアルペジオが続く。雷鳴がさらに2度響き、そのたびに1度ずつ高まるのだ。その後何事もなかったかのように独奏はニ長調で終る(393~399小節12395~400小節が正しい。)。この数小節はこの楽章全体の中で最も真のモーツァルト的瞬間なのである。この音楽はデモーニッシュな情熱を解き放つことによって、ライオンはお仕着せの宮廷着でまどろんでいただけであることがわかり、モーツァルトの天才がそのご主人が課した拘束に復讐しようとしているのだ。しかしその姿をさらに顕わにするものは何もなく、アレグロは最初の総奏と同じ形で終わるのである。このような大きさの楽章にあって、カデンツァ(原注1)に続く7小節の短さと独創性のなさには失望させられ、それは独奏者のカテンツァの妙技に心奪われた聴衆の大喝采によって覆い尽くされるのに誠に相応しいものなのである。

(原注1)モーツァルトはこの協奏曲のためのカデンツァを残していない。カデンツァがついている版もあるが、それはK.451〔No.16 ニ長調〕のものである。

 

 ラルゲットの窮屈な制約の中で、ギャラントの嗜好と個性の表現をいかに両立させるか作曲家は承知している。これは3つの楽章で最良であり、壮大さも深みもないが、紛れもなくモーツァルトなのだ。それはこの楽章が常に享受してきた人気にふさわしく、この楽章の抜き刷り版がいくつもあることがその証である。

 ここで、いくつかのイ長調のアリアにある穏やかな官能性を再び見出すのである。声楽曲に非常に近く、ベルモンテの“O wie ängstlich, o wie feurig!〔何ともおののくような、燃えるような思いに〕”、『イドメネオ』の二重唱“S’io no moro〔もし私が死なないなら〕”、『コシ・ファン・トゥッテ』の“Un’ aura amorosa〔愛しい人の愛のそよ風は〕”、そして『ティトス』の“Ah! Perdona!〔ああ、許してください〕”、また器楽曲では、ニ長調ヴァイオリン協奏曲K.218〔No.4 ニ長調〕そして弦楽四重奏曲K.575〔No.21 ニ長調 プロシャ王セット第1番〕などと同じムードを写し出している。この調のいくつかの作品では、『ドン・ジョヴァンニ』の“La ci darem la mano〔手をとりあって〕”、“Ah! Taci, ingiusto core!〔ああ!お黙り、悪い心よ!〕”のように心地よさと嘲りがと交じり合ったものがあるが、このアレグレットにはそれが皆無である。これは旧時代の終末期に極めて特徴的なほのかな憂愁を帯びた穏やかな官能性を漂わせているのである。

 リフレインはうねるような旋律で、主題と伴奏が絡み合う(譜例38613原著ではex.388となっているが、明らかな間違いであるため、本文を修正した。)。ピアノによって提示され、全オーケストラによって反復される。第2の部分はピアノ独奏のもので、続いて第1の部分が反復され、そして紛れもなくモーツァルト的な憧れに満ちたコーダを総奏が付け加える。これはこの楽章の中でも最も心を動かされる部分である(譜例387)。中間部はピアノ独奏のためのカンティレーナであり、その旋律とリズムはニ短調〔No.20 K.466〕のロマンスとK.595〔No.27 変ロ長調〕のラルゲットの同じ個所を思わせる。そのいくつかの小節はスケッチ的なもの(49~53小節、63~67小節)で、補作して得られるものはあるが、書かれたままに演奏しても他の場合ほどには耐え難いものではない。最後のパートはリフレイン全体を反復することなく再現し、譜例387ではピアノがオーケストラの歌に若干の走句を付け加える。

 

 フィナーレは我々がまだ出会ったことのない構想のロンドである。この構想は変わっているという点で確かに最も興味深い。つまり、音楽的な内容が第1楽章以上に希薄なのである。

 いくつかのソナタ・ロンドでは、モーツァルトは、そして彼に倣ってベートーヴェンも、展開部クプレと再現部クプレ間のリフレインを省略する(原注1)。その結果、リフレインが回帰するまえの間の楽章の部分は2つに縮減される。これはひとつの簡潔化である。1787年のロンドでは幾度となく、特に五重奏曲においては、この簡潔化がさらに進められ、展開部クプレそのものが数小節の転調のための小節、あるいは推移主題へと縮減され、リフレインの2度目の回帰の後で再現部クプレが直ちに開始されるのだ。したがって、フィナーレは実質的に2つのクプレのロンドであり、これは2部建てのソナタ形式のアンダンテに相当するのである(原注2)。戴冠式協奏曲では、第2クプレは第1と同じ主題で開始されるが、転調しており、展開のために行われることは転調がすべてなのである。このような楽章を2部形式のソナタ・ロンドと称しても差し支えないだろう。

(原注1)K.456〔No.18 変ロ長調〕、K.459〔No.19 ヘ長調〕、K.478〔ピアノ四重奏曲No.1 ト短調〕、K.493〔同第2番 変ホ長調〕;ベートーヴェンの作品58〔ピアノ協奏曲No.4 ト長調〕。
(原注2)K.503〔No.25 ハ長調〕、K.515〔弦楽五重奏曲No.3 ハ長調〕、K.516〔同No.4 ト短調〕。

 このフィナーレのリフレインの主題の興味深さはこの時代の多くの他のロンド以上でも以下でもない(譜例388)。これは第2部14原文a second partであるが、実質的には主題の反復である。とやや長めのオーケストラのリトルネッロから成り、大きな広がりを見せるが、事実、楽章全体の規模はアレグロと同じ程度に雄大なのである。

 このフィナーレを詳しくたどることはやめておこう。第1楽章と同様な空しい技巧、同じようにピアノとオーケストラのインタープレイのほぼ完全な不在、これも同じく、木管パートに独立性がない。しかし、時折ではあるが、真のモーツァルトがその姿を現わすこともある。クプレの第2主題は短調で開始されることで、聴衆を驚かせる(譜例389)。ピアノがそれを取り上げた時のみ長調に入るのだ。概して、この楽章の転調はアレグロより自由である。特に第2クプレの開始部では、ロ短調、嬰ヘ短調、変ロ長調(印象的なエンハーモニック転調である)15原文はat the beginning of the second coupletで、ロ短調以降、あげられている調は第2クプレ開始後であるように読めるが、ロ短調、嬰ヘ短調は第2リフレインの末尾~推移パッセージの調であり、第2クプレは変ロ長調で開始される。第2リフレインの嬰ヘ短調は最後に嬰ヘ音の単音和音となり、ピアノの左手がそれを変ト音に読み替え、他が半音階で上昇する中で変ロ長調へと転じて第2クプレが開始される。、変ロ短調、イ短調、そしてロ短調がト短調へと着地させ、そして緩やかに段階を経て主調へと立ち戻る。しかし、この殺風景な景色への幻想の侵入が続くのは不幸にも25小節のみなのである。

 そして、もうひとつの最も詩的な瞬間が訪れる。それは巨匠の最良の作品に匹敵するものなのだ。各々のクプレの最後(136~143小節、287~294小節)で2回、技巧が身を引き、音楽家はその仮面をはずす。そして、絶妙なパッセージのひとつが繰り広げられる。そこでは、弦、木管とピアノがそれぞれの個性を捨て去ることなく、旋律的で精妙な対位法で協働する(譜例390)。弦とフルートの旋律を終える小さな上昇音型はモーツァルトのお気に入りであり、それは変ホ長調の交響曲〔No.39 K.543〕(原注1)、ニ長調四重奏曲K.575〔No.21 ニ長調 プロシャ王セット第1番〕16これは2オクターブをまっすぐ一気に駆け上がる音階である。交響曲第39番では原注では第1楽章第2主題とあるが、第2主題に続く展開の中において出現する。弦楽四重奏曲プロシャ王セット第1番K.575のフィナーレでは最後から5小節目で見られる。その他でも再び見いだすことができる。そして、この協奏曲には美しいところが稀なので、361~362小節のバスーンのパートに目を向けてもらいたい。それは予期しなかった対位主題だが、ピアノ独奏の変奏の中で消えてしまう。

(原注1)第1楽章の第2主題。

 ニ長調という調は、モーツァルトのすべての時期で多用されたが、ギャラント音楽の序曲やディベルティメントやセレナーデのような機会音楽作品で好まれる調である。それは表層的には威厳を持っているものの、多くのハ長調作品で耳にする勇ましい響きはない。一部の限られた作品では英雄的なものの表現に達することも可能だが、それは見てくれと技巧表現に遷移してしまいがちなのである。それは優れて協奏曲の調であり、モーツァルトがニ長調で書いたものでは技巧が大きな役割を果たすのだ。彼のヴァイオリン協奏曲で最も難しいものはこの調で書かれたものなのだ(原注1)。ニ長調のフルート協奏曲〔No.2 K.314〕はト長調〔No.1 K.313〕より名人芸的である。3つのフルート四重奏曲で最も協奏曲的な作品をモーツァルトはニ長調で書いたのである。4つのニ長調のピアノ・ソナタ(原注2)、特に最初の2作品は技量を披露するためのもので、このことは唯一同調のヴァイオリン・ソナタ〔No.30 K.306〕についても言える。最後に、3曲のニ長調〔No.5 K.175、No.16 K.451およびこの曲〕のピアノ協奏曲のうち2曲〔K.175 とK.451〕は、技術の発揮が作品の個性に最も深く関わっている。

(原注1)K.218〔No.4〕とケッヘル-アインシュタイン番号271i〔No.7 偽作と考えられている〕。
(原注2)すべての〔ピアノ・ソナタの〕中で最も輝かしいものである、2台のピアノのためのソナタ〔K.448〕を含む17K.488以外のニ長調のピアノ・ソナタは、K.284(No.5 デュルニッツ・ソナタ)、K.311(No.9)、K.576(No.17)である。特にK284は技巧性が特に強いものである。

 しかし、モーツァルトのこの調の音楽すべてにこの特性があるわけではない。ニ長調の華麗さが決して英雄的なものに昇華してはいかないとしても、『イドメネオ』序曲の最後にさしかかる時のように、それが仄暗い深淵を一瞬垣間見せることもある。これに似た情感が、それほど悲劇的ではないが同じくらい深刻に、プラーハ交響曲〔No.38 ニ長調 K.504〕さらに『ドン・ジョヴァンニ』の序曲の喜びにあふれた活力を貫いている。モーツァルトのニ長調のフィナーレは、肉体的なエネルギーの爆発であり、時には緊密な対位法を使うこともある(原注1)。そして、四重奏曲K.499〔No.20 ホフマイスター〕とK.575〔No.21〕の開始部のアレグロやアヴェ・ヴェルム〔K.618〕などの数曲の非常に個人的な作品はいかようにも分類できないものだ。概してニ長調はモーツァルトの作品において非常に様々な特徴を示すため、この調に対して唯一評価できるとすれば、いささかありふれた言葉だが、この調にはモーツァルトの最もすばらしい楽章がいくつか含まれているということである(原注2)

(原注1)プラーハ交響曲、四重奏曲K.499、五重奏曲K.593〔No.5〕。
(原注2)『イドメネオ』、『フィガロ』、『ドン・ジョヴァンニ』の序曲、ピアノ協奏曲K.451〔No.16〕、四重奏曲K.499とK.575、五重奏曲K593、プラーハ交響曲;アヴェ・ヴェルム。

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