ピアノ・オブリガートを伴うソプラノのためのロンド付きシェーナ
“どうしてあなたを忘れられよう”;“恐れないで、愛する人よ”(“Ch’io mi scordi di ne”;“Non temer, amato bene”)(K.505

17861227日完成

オーケストラ:弦、クラリネット2、バスーン2、ホルン2

 

(Recit.) Ch’io mi scordi di te ?(Aria) Non temer, amato bene

Ch’io mi scordi di te ?                どうしてあなたが忘れられるでしょうか?
Che a lui mi doni puoi consigliarmi ?          あの方に身を捧げろと私に勧めることができて?
E puoi voler che in vita ?     しかも私に生きるのだとお望みになられるの……
Ah , no,           ああ、いやです。
Sareboe il vivre mio      生きているよりも
Di morte assai peggior.             死んだほうがずっとましです。
Venga la morte,                 死がやってきてくれるようにと、
Intrepida l’attendo,                  恐れも知らず、私は待っています。
Ma, Ch’io possa struggler mi ad alter face, でもほかの松明に恋い焦がれ、
Ad altr’ oggetto donar gl’affetti miei,ほかの対象に私の気持ちを捧げるなど、
Come tentarlo ?                           どうやってできるのでしょう?
Ah! di dolor morrei ! ああ!苦しみで死んでしまいそうです。

Nos temer, amato bene,             心配しなくてもよいのです、愛するひとよ、
Per te sempre il cour sarà.        心はいつもあなたのものですわ。
Più non reggo a tante pene,      こんなひどい苦しみにはもう耐えられないの、                                                    
L’alma mia mancando va.          私の魂は死に絶えてしまうわ。
Tu sospiri? O duol funesto !       あなたは溜息をついていらっしゃるの?ああ不吉な苦しみよ!
Pensa almen, che istante è questo!             せめて考えてください、今こそ時なのだと!
Non mi posso, oh Dio ! spiegar.                   ああ神様! 私には説明できないのです。
Non temer, amato bene,       心配しなくともよいのです、愛するひとよ。
Per te sempre il cuor sarà.        心はいつもあなたのものですわ。
Stelle barbra, stele spietate !     残酷な運命よ、無慈悲な運命よ!
Perchè mai tanto rigar ?           なぜこんなにまで厳しいのでしょう?

Alme belle, che vedete              うるわしい魂たちよ
Le mie pene in tal momento,   今この時に私の苦しみをごらんでしょうが、
Dite voi, s’egual tormento         おっしゃってください、同じような苦しみが、
Può s’offrir un fido cuor ?          誠実な心に与えられることができるかどうか?

               (中央公論社 モーツァルト大全集解説Ⅸより 海老沢敏訳)

 

 この年が終わる数日前に、モーツァルトはピアノがオーケストラと共に演奏する一風変わったそして美しい作品、レシタティーヴォとアリア“Ch’io mi scordi di ne〔どうしてあなたを忘れられよう〕”を完成させた。それはオーケストラの伴奏がついたソプラノとピアノのオブリガートのために書かれたものである。ピアノのパートは輝かしく、ピアノを伴った室内楽曲および偉大な協奏曲に隣り合う作品であることを強く示唆している。

 その年のはじめ、モーツァルトはウィーンで『イドメネオ』を上演したいと望んでいた。その希望は叶わなかったが、3月にカール・フォン・アウエルスペルグ公の邸宅において私的な演奏会形式で上演された。この機会にモーツァルトは第2幕の開始部に変更を加えた。元々それはイドメネオとアルバーチェのレシタティーヴォ・セッコの場面で始まるものであったが、これはイダマンテとイリアのものに入れ替えられ、イリアのものにはヴァレスコ神父の台本には現れない台詞のアリアが添えられたのである(K.490)。12月に、モーツァルトは再び独唱のテキストに着手し、それは前のレシタティーヴォとは異なる歌詞だったが、それは『フィガロの結婚』のスザンナを演じたナンシー・ストレースのためのもので、彼女はウィーンを離れ故郷のロンドンへ帰るところであった。新しいアリアK.505の自筆原稿には、“Composto per la Sigra Storace dal suo servo ed amico W.A.Mozart Vienna il 26 di decbr 786” (sic)〔歌手ストレースのために、W.A.モーツァルトが愛をこめて、786年(ママ)12月26日ウィーンにて作曲〕という但し書きが記され、また“Für Mselle Storace und mich〔ストレース嬢と私のために〕”との作品目録の記入がこの献呈を追認している。

 ピアノのオブリガートのついた独唱とオーケストラという形はモーツァルトの時代では現在ほど物珍しいものではなかった。ヨハン・クリスティアン・バッハは1774年に『リナルドとアルミダ』の歌詞によりアリア付きのシェーナを作曲したが、そこではピアノとオーボエのオブリガートのパートがある。その少し後、J.C.バッハはゲインズボローの甥、オーボエ奏者のヨハン・クリスティアン・フィッシャーとカストラートのテンダッキと一緒にこの曲を演奏した(原注1)。1778年J.C.バッハとテンダッキは共にパリにいたが、ちょうどそれはモーツァルトの滞在時であり、モーツァルトはその歌手のためにシェーナの作曲を依頼された。彼はその依頼に応じ、今その曲は失われたが、ピアノ、オーボエ、ホルンそしてバスーンの4つのオブリガートのパートを持ち(原注2)、恐らくJ.C.バッハのものをお手本にしたものであったろう。

(原注1)大英博物館にあるこのシェーナの自筆譜のコピーはこうタイトルが記されている。“バッハ氏のピアノフォルテとフィッシャー氏のオーボエ伴奏によってテンダッキ氏により歌われた、私のお気に入りのロンドー”(C.S.テリー著『ヨハン・クリスティアン・バッハ』250ページ)。ピアノのパートは終始伴奏である。このシェーナはLandshoff版でJ.Cバッハ作曲12のコンサート・アリアとして出版された(ペータース版は1929年)。
(原注2)ケッヘル・アインシュタイン番号K.315b。1778年8月27日付の父親宛ての手紙を参照されたい。

 ナンシー・ストレースのためのアリアでは、ピアノが唯一のオブリガートの楽器である(原注1)。アリア本体の前には27小節のレシタティーヴォがあり、伴奏は弦のみで行われる。ロンドは73小節のアンダンテで始まり、リフレイン、クプレ、リフレインの反復から成り、さらに、リフレインが3回にわたって回帰し、2つのクプレ、そしてコーダと続く141小節のアレグレットとなっている。アレグレットのリフレインはアンダンテのものとは異なっており、しいて言えば、アンダンテのものの自由な変奏と考えられなくもない。アレグレット形式の部分は、4年半前に作曲されたクラリネット三重奏曲K.498〔ピアノ、クラリネット、ビオラのための三重奏曲 変ホ長調「ケーゲルシュタット・トリオ」〕のフィナーレの第1主題と非常に近いものがある。

(原注1)前に作曲されたK.490の設定は、ヴァイオリンのオブリガート・パートを持っているが、それはモーツァルトの友人、アウグスト・フォン・ハーツフェルト伯爵によって演奏された。K.490の独奏ヴァイオリンとK.505のピアノ・パートの間にはフィギュレーションにうわべの類似点があるが、両に共通点はほとんどなく、後者は、主に技巧のひけらかしである最初のものよりはるかに優れている。

 ピアノとソプラノの連携は絶え間なく、また変化する。すでに述べたように、その書法は様式的に協奏曲と室内楽曲その両者のピアノのパートに近いもので、特にピアノと管楽器のための五重奏曲K.452〔変ホ長調〕、輝かしい変ロ長調のヴァイオリン・ソナタK.454〔No.40〕、ピアノ四重奏曲やクラリネット三重奏曲などの協奏的な作品の書法に近い。2回のみ、ピアノは独唱に先立って主題を提示するが、ともにリフレインで行われる(4~12小節、73~81小節)(原注1)。他では、特例的な推移部を除いてピアノが単独で奏することはない。ピアノの存在がこの曲に言及する唯一の正当な理由であるため、ここでは、オブリガートと独唱の間の連携のあり方について述べるにとどめたい。

(原注1)小節のナンバーはアンダンテの開始部分からのものである。

 両者の関わり合いでは、ピアノは独唱に対して従属的か、あるいは協働するかのいずれかである。しばしば独唱と対等なことはあっても、優越することはまったくない。202小節と207小節(原注1)の2回、ピアノは独唱の旋律を3度下で支える。アンダンテのリフレインの各々の提示部では、独唱には2小節のテヌート1ガードルストーンはテヌートと記しているが、これは両方とも2小節にわたる全音符がタイ記号で連結されたものである。(18~19小節、62~63小節)があり、ピアノはその上にロココ的な回音の旋律を織りあげるが、そのものはコロラトゥーラ的で、アリアの終結部へ向かう独唱パートでのパッセージ(208~209小節)(原注2)に似ていないこともない。しかし、概して、これらのパッセージにおけるピアノの独唱に対する振る舞いは対等な立場の協働ではなく、アルペジオや、一度だけだが両手での“アルベルティ・バス”(原注3)21つの小節はAB2つの音型で出来ているが、右手はABAB、左手はBABAという巧妙なアルペジオである。で独唱の旋律線に調和音を加えることであり、それはK.467〔No.21 ハ長調〕(原注4)のアレグロのあるパッセージやト短調四重奏曲〔ピアノ四重奏曲No.1 K.478〕の第1楽章のコーダを思い起こさせる。このような和声づけの最も独創的な例が、これは反復されるのだが、独唱が半音階で緩やかに下降する部分(26~32小節と134~140小節)である。1回目の時には、ピアノは独唱の旋律にアルペジオを重ねるが、それによって魅惑的な減7の連鎖が生まれるのである(譜例381a)。歌詞(“l’alma mia mancando va.”〔私たちの悩みも終りよ。〕)がアレグレットで回帰する時には、低音はピアノに移されて和声は異なったものとなり、独唱はここではピアノのアルペジオに包み込まれるのである。(譜例381b)3譜例381aはロ短調の減7和音が半音ずつ下の調の減7和音で下降してくが、譜例381bは変イ長調のⅢの和音が最初は全音、後半で半音ずつ下の調の和音で下降していく。前者は非常に不安定な情緒を表しているが、後者は同じ歌詞(私の魂は死に絶えてしまうわ)ながらその中に決然とした喜びに近いものが含まれている。。これらは、すべてのモーツァルトの声楽作品の中で最も豊かな表現のひとつである(原注5)

(原注1)ブライトコップ版のピアノ・スコアでは、205~209小節が削除されている。
(原注2)ブライトコップ版のピアノ・スコアでは、205~209小節が削除されている。
(原注3)94~95小節
(原注4)K.467第1楽章の253~258小節
(原注5)K.456〔No.18 変ロ長調〕のアレグロの譜例181bを参照されたい。

 これらの小節を伴奏と分類したが、これほどの独創性と美しさのものであればそれは容易に独唱に対等なものになり得る。これらのピアノと独唱が対等な言葉でインタープレイする時は、両者がお互いに受け継いだり答えたりする場合と、両者が連合して提携する場合に別けることができる。

 問いと答えの最も劇的な例はバランスのとれたフレーズが両者の間で分割される時に生じるのである。ロンドでの歌詞、“Tu sospiri? 〔ため息を?〕”(141~144小節)の節付け以上に心動かされるものはない。そこでは短調の2小節をお互いに交わし合うのだが、これはロココ時代に愛好され、様式化されたため息の模倣のひとつである(譜例381c;これは譜例381bにそのまま続く)。独唱が先に語り、それにピアノが答えることもあるが、ハ短調協奏曲〔No.24 K.491〕(原注1)でのように、概ね独奏楽器は32分音符で答える。この処理の仕方のとりわけ美しい例をロンドのコーダで見ることができる(165~170小節;譜例381d4譜例は、上2段は木管および低弦、最下段がピアノの右手である。(原注2)。また、エコーの例も2、3見られる(原注3)。このような箇所は室内楽のスタイルというより協奏曲に近い。

(原注1)協奏曲の420~423小節;これは譜例327が再現部で回帰したものである。
(原注2)同じくK.452〔ピアノと木管のための五重奏曲 変ホ長調〕の第1楽章アレグロ・モデラートの第8~11小節を見よ。
(原注3)173小節、185小節;譜例3(原著59~60ページ)参照。

 協奏曲に近づくもうひとつの瞬間は、協奏曲のロンドの展開部クプレに相当する部分であるアレグレットの主クプレ5第2クプレにあたる。にある。この111~118小節では、ピアノの右手が鍵盤を分解された和音で転がるように下り、独唱は4分音符で旋律の糸を紡いていく6ここでの独唱はピアノに対しては音価が大きいものの、4分音符だけではない。。それはK.451〔No.16 ニ長調〕のフィナーレを思わせ、そこでは木管はその骨格のみの主題を弄び、ピアノも同じ音型で“伴奏”を行っていた(譜例146)。ここにはまた、他の協奏曲の展開部(原注1)およびハ短調協奏曲〔No.24 K.491〕の第1楽章のコーダとの類似性も認められる。

(原注1)K.451、K.453、K.482そしてK.493の第1楽章;K.365とK.456(譜例200)ロンドの中間部のクプレ。同様にこのシェーナの第204小節にも注目されたい。これはK.365の第1楽章の92~95小節と同じものである。

 一方では、独唱が付点2分音符と4分音符を保持し続ける下で(21~25小節、89~93小節)(原注1)、ピアノのパートが音階あるいは分解された音階を32分音符で上下するのを耳にすると室内楽のものだとも思える。特にリフレインに戻ってくる箇所(151~155小節、譜例381e)は、いくつかの室内楽曲のロンドの導入部を思わせ、最も美しい響きを持つものである。

(原注1)特に次のところと比較されたい。ト短調のピアノ四重奏曲〔No.1 K.478〕の第1楽章の37~41小節、変ホ長調のピアノ四重奏曲〔No.2 K.493〕の第1楽章の展開部の終わりの部分である。

 これらの工夫はいずれも数小節以上は使われず、今はピアノから始まり、次は独唱と、絶え間なく変化する強調のされ方をじっくり耳にしなければ、(あるいは楽譜で見なければ。残念なことにこの美しい作品は全集版の覆いから外に出ることが全くないのだ)この作品の良さはわからない。モーツァルトには、ソプラノの音色をピアノの音によって、また、ソプラノによってピアノの音色をさらに魅力的なものにするすべが少なくとも10以上あり、常にそれを次から次へと手渡していくのである。このような連携の仕方になじみがない人は、独奏とピアノの歌曲のバックにオーケストラが加わったことを想像すれば、その結果が最も実感できるだろう。

 この作品は珍奇なものでも器楽と声楽の技法を華麗に並びたてたものでも決してない。これは活力に満ちた感動的な作品であり、その調べは緩やかに情感あふれる主題へと高まっていく。その主題は、イリアがイダマンテに抱く愛と相手の苦しみを思う気持ち、そしてイリアがイダマンテに与える貞節の確約である。ここで引用したいくつかの言葉によって、総譜に、あるいはほとんど入手不能になっている、ブライトコップ・ウント・ヘルテルによって何年も前に出版されたモーツアルトのコンサート・アリア選集の中のピアノ編曲譜へと読者が向かうことを願っている。

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