フィナーレはモーツァルトの最も考え抜かれたロンドのひとつである。このリフレインとエピソードにはいつものロンドの陽気な調子が全くなく、作曲家は前の2つの楽章と離れることなくこの協奏曲を閉じたかったのだろう。聴衆は主題とその展開の中にアレグロとアンダンテと同じ雄大さを、また同様に堂々とした構想を、そしてそのムードに長調と短調の間の躊躇いとして表現された同じ確信と不信の間の揺らぎを見出すのである。最初の楽章とこの楽章との主な違いは英雄的なものの強調がここにはないことだが、その一方で、中間部クプレにおける熱情の高まりに相当するものはアレグロには見当たらない。

 モーツァルトは、5年前の『イドメネオ』のバレエ音楽へ遡ってこのロンドのリフレインを得たのである。最初の8小節はほぼ文字通りに、ガボットの開始部をト長調からハ長調に移して再現している。元の作品では最初の音と2番目の音とを繋げていた32分音符のポルタメントを削除することで、彼はこの主題の感傷性を薄めているのだが、それでも、深刻で、夕闇に覆われるような憂愁の色に染まっている。そして、協奏曲のフィナーレでは予想さえしない悩まし気な優美さに満ちている。あまりに速く演奏することによって、あるいはリズム拍をまたいだフレーズを重んじなければ、その性格をいとも簡単に曲げてしまうことになるのだ。ピアノpの強弱記号は優美な悲しみとの印象を強めるものだ。

 リフレインは長めで、その構成は変則的だ。ガボットそのもの(譜例368)が弦によって提示された後、木管が行進曲の断片を聞かせてくれ、第1ヴァイオリンがガボットの最後の数小節を繰り返し、そして第2ヴァイオリンとビオラがカデンツ的なフレーズでそれを結ぶ(譜例369)。さらに、チェロが同様に振る舞うが、それは短調で、その間第1と第2ヴァイオリンが譜例369を繰り返す1チェロの振る舞いはガボットの最初の数小節、第1、第2ヴァイオリンが繰り返す譜例369は、その後半、カデンツ的なフレーズと表現された第2ヴァイオリンとビオラで奏されるものである。なおチェロは単独ではなくコントラバスと同奏である。。木管が加わると、2小節後に同じフレーズがもう一度長調で繰り返される(譜例370)。このパッセージは第1楽章の15~18小節に相当し、同じモチーフを長調でまた短調で数度繰り返すが、これはモーツァルトよりベートーヴェンに特有なもので、この協奏曲の大きな特徴である。オーケストラ全体による短いリトルネッロがこのリフレインを結ぶが、ここではピアノに全く出番がない。

 独奏楽器が第1クプレで入り、それと同時にオーケストラは背後に引き下がる。導入的な主題の後、長大かつ壮大な技巧のパッセージへと突入するが、そこに他の楽章と同様なリズム変化への気配りを認める。それはためらいがちに始まり、いくつかの落とし穴の只中で用心深く路を拾いながら歩む拙い歩行者を思わせる(譜例371)。そしてそれは次第にさらに大胆になり、左手は16分音符の3連符に専念し、それがこのロンドのピアノ・パートで支配的となる。弦が強拍を付け、右手は和音により弱拍を引き立たせ、ついに3連符を己のものとする。曲は、足並みのしっかりとしたやや急ぎ足で最後の闊歩へとかかるが、その勢いによって威厳に満ちた優美さが減ずることはない。そこでは譜例372の音型が際立っている。すぐに3連符が左手に戻され、右手がそれを伴奏しながら、弦と会話を交わし、ニ音の短い保持音2フルート、オーボエ、バスーンとピアノの左手和音の下の音によるニ音の保持音である。第2主題のト長調の属音である。が第2主題の到来を告げ、ピアノが単独でそれを提示する(譜例373)。アレグロにおいてと同様に木管がそれを再述し、ピアノはまだ3連符を忠実に守り、音階とアルペジオによって3オクターブ以上を下降しまた上昇する。主題がひとたび宣言され終わると、独奏は堂々とした推移パッセージに入るが、これはモーツァルトの全作品の中で最も持続的かつおそらく最も壮大な推移部である(91~113小節の22小節)。それは音階とアルペジオによって装飾され、属音の保持音に全面的に基づいている。3連符が頑張り続け、オーケストラの伴奏は次第に活気を増す(譜例374)。結尾に向かって短調に入ると、激しさが熱情に達する。この時点で、オーケストラ全体が介入し、木管はピアノの疲れを知らないギャロップの周囲に色彩の網を織りなしていく(譜例375)

 ピアノがガボットを提示し、総奏がその最後の部分を激しく奏しつつフォルテで繰り返す。そして小さな行進曲が、さらに譜例369譜例370が続くが、譜例370ではチェロがその音型を長調で反復し、断片(b)のみが短調である。

 ピアノがソナタ・ロンドの展開部にあたる第2クプレを、意欲的な主題(原注1)で開始するが、これはその前に離れたイ短調である。主題が反復され、それにコーダとして数小節の華麗なパッセージが続く。それが終わるとすぐに、オーケストラ全体による活気溢れた3つの和音がその進む方向を決定し、聴衆は抗うことなくイ短調からヘ長調へと連れて行かれるのである。

(原注1)それはピアノが第1クプレを開始した主題を変奏したものである。

 ここでピアノがモーツァルトの中でも最も簡潔で最も個性的な旋律を放つ。最初に耳にした時には、ほとんど無気力に思えるほどそれは穏やかである。他にも簡潔なモーツァルトの主題は多く、その簡潔さは無邪気さを伴っているのが普通なのだが、ここにある慎みの背後に成熟の経験が感じ取れるのである(譜例376)。実際の低音はピアノの左手ではなく、二重の低音3この二重低音(double-basses)はスコアに同一譜として記されるチェロとコントラバスのオクターブの同奏のことである。現在慣例的に使われるコントラバスの呼称としてのダブルベースのことではない。によって奏されているのに気付くだろう。オーボエとフルートがそれをわずかに飾って反復し、ピアノは“アルベルティ・バス”的な音型でそれを伴奏するが、このアルベルティ・バスと本物の低音4アルベルティ・バスの「バス」に対して、二重の和音で奏される低音を「本物の」と戯れたもの。は譜例376の低音線とは異なる。

 その後半部はより活気に満ち、伴奏における3連符の回帰が幾分の不安感を表す(譜例377)。今度はチェロが単独で低音を奏する5スコアではここにVioloncelloの指示がある。コントラバスが抜けることにより、この後半部の前半はピアノとチェロとの二重奏となり、挿入された室内楽的効果をあげる。木管が入ると再び二重の低音に戻る。。オーボエとフルートがピアノの3連符に乗って旋律を繰り返し、ここでもまた変更が加えられている。次第に高まる情感を表現するために、モーツァルトはバスーンの温かみのある旋律を二重の低音のそれに付け加える。終わりに来てもその進行は停止することなく、足早に数小節を経てハ短調へと転ずるのだ。そこで弦が加わり、木管に対抗し、ピアノの伴奏の興奮はさらに高まる。我々はこのロンドの中で最も感動的なパッセージの戸口に立っているのである。

 それに続くのは、フランスの短調ロンドーの変容したものであり、大いに劇的なものである。リフレインのもの思わし気な優美さ、最初の独奏の落ち着いた自信は、悲しみに満ち情熱的な葛藤の前に消え去ってしまい、聴衆は一瞬、前作の協奏曲〔No.24 ハ短調 K.491〕の世界へと運び込まれてしまうのである。そして、モーツァルトでは非常によくあることだが、最も痛切な情感の瞬間は最も複雑かつ最も緊密に織りなされた技巧の瞬間でもあるのだ。

アレグロの展開部のように、パッセージの中核はすでに耳にした主題から取り出したいくつかの音符から成る音型であり、その主題展開は対位法の形式を取っている。ここでもまたアレグロの場合と同様に、そしてモーツァルトが諸楽器と独奏を密接に結合させる場合は常にそうなのだが、木管が前面に出て、弦は保持役にまわるか、沈黙を保つかのいずれである。フルート、オーボエとバスーンはドラマの提示を分けあう。ひとたびハ短調に到達すると、フルートが譜例376の最初の4音を反復し、バスーンがそれを1オクターブのカノン6第1ヴァイオリンに対してバスーンのカノンの声部は記譜上は1オクターブであるが、実音は2オクターブ下である。で取り上げる(譜例378)(原注17原注1の指示はバスーンのカノン音型のことを指すとしか読めないが、K.589の第1楽章展開部の終わり(第106~117小節の第1ヴァイオリン)で出会う音型は、譜例378のピアノの左手の音型である(右手はその逆行音型)。)。フルートがそれを再開すると、今度はオーボエが譜例376の冒頭を提示するが、半音高めた跳躍によって緊張の高まりが示される。フルートが不完全な4度のカノンでそれに答える(譜例379、206~210小節)。そしてバスーンが同じ断片を3度目に提示して、次の新たなエピソードを開始する。跳躍は1オクターブに広がり、その音型はバスーンからオーボエへ、そしてフルートへと素早く上昇する(譜例380)。これまでのエピソードと同じように、そのフレーズが反復されるが、今回はその断片はフルートに渡されるのではなく、オーボエからバスーンへと戻され(210~216小節)、そしてフルートが最後の挿入句を開始する。その主題は未だに譜例376の冒頭だが、それはひっくり返されて8原文はinvertedだが、厳密な転回形ではないため、本文の訳とした。下降するのだ。答えが密に連続し、1オクターブの3重のカノンがここでは2小節に圧縮されている(譜例381)。この挿入句は前のものと同様に2回提示されるが、それ以上に続くものはなく、オーケストラのパートがそれに積み重なるようにそれを終えるが、その時今度は3つの楽器が順に背後に引き下がる(216~220小節)。低弦はその基盤のト音をさらに2小節引き伸ばし、ピアノは単独で分解された6度の3連符の長いパッセージで2オクターブを下降し、そして上昇する。情熱は消え去り、情感はリフレインのレベルへと戻るのである。

(原注1)この音型には変ロ長調の弦楽四重奏曲K.589〔No.22 プロシャ王セット第2番〕第1楽章の最も劇的な瞬間(展開部の終わり)で再び出会う。

 モーツァルトのすべての劇的なパッセージと同じく、これも短いものだが、あらゆる面でフィナーレにおける最も重要な瞬間なのである。モーツアルトがこのような情熱的な感情を表出するのにカノンを使ったことはこれまでに一度もなかった。元の譜例376の音型が4度にのみならず、1オクターブに拡張され、またそれぞれのエピソードの長さに、強さが増していることが感じ取られるのである。最初の2つのエピソードは、2声部の模倣だが、2小節ずつの長さに分解され、3番目のものが2声部であることは同じだが、今度は対位法が3声部である。つまり、これは小型のストレット9声部の接近や重なりが見られるフーガの迫奏のことだが、ここでは、2小節遅れのカノンが最後には1小節遅れのカノンにいわば切迫することをこう表現している。を形作っているのだ。フレーズやエピソードが重なり、分節が長くなり、パートの数が増えていき、そして最後のエピソードの圧縮と、実に痛快である。モーツァルトの作品で、形式と楽想とがこれ以上に完全な一体化を見せるパッセージはこれまでに類を見ない。そこでは、ひとつの楽器が他を支配することなく支える様を聴衆は称賛の念をもって知るのである。表現するということの意味、すなわち音楽的に考え、感じ取るということがどういうことかを示すこれ以上のパッセージはない。

 ピアノはどうしたのだと尋ねられるかもしれない。モーツァルトは協奏曲を作曲していることを忘れ、木管の祭壇に独奏楽器を生贄として捧げているのではないか? 決してそうではない。デザインの線を描くのは木管に任されているが、雰囲気を作り出す、印象醸成の役割はピアノのものなのである。これまでいくつかの協奏曲で、ピアノがクラリネットやフルートの提示する主題を伴奏するのを見てきた(原注1)。しかしここでは伴奏以上のものが見られるのだ。このような部分の源泉は、セバスチャンおよびフィリップ・エマヌエル・バッハや彼らと同時代の作曲家の協奏曲の華麗なパッセージにあり、そこでは独奏の走句が弦によって主要主題から派生した音型で強調されていたのである。すでにバッハ親子の時にオーケストラの寄与はピアノと同じように重要なものになりつつあったのだが、にも関わらず、技巧がパッセージそのものの存在理由であり続けたのだ。この曲では、その重心がピアノから総奏の3つの代表楽器に移っている(原注2)。にもかかわらず、ピアノの存在は不可欠なものである。3連符の波が小節から小節へと規則的に砕け散り、諸楽器が辿るか細い旋律線の空きを満たし、大きく上昇するごとに句読点を付けていく。このようなパッセージ全体でのピアノの音塊的な使い方はモーツァルトにとって目新しいものだ。というのは、この点に関してモーツァルトは保守的で、クレメンティがすでに10年間もこのベートーヴェンに似たやり方でこれを使っていた時期においても、モーツァルトは純粋な旋律線の技巧に自らを止めていたのである。同じようなピアノの書法をほぼ同時期のピアノ・ソナタに見ることができ、ひとつは翌年の終わりのヘ長調K.533の2つの楽章10通常No.15、K.494と組み合わされるものである。、それと未完成のト長調の2台のピアノのためのソナタ〔K.357(497a)〕だが、このソナタのスタイルがこの協奏曲とよく類似しているため、サン・フォアもアインシュタイン両人ともにこれがこの時期に作曲されたものとしている。

(原注1)例えばK.482〔No.22 変ホ長調〕やK.488〔No.23 イ長調〕のフィナーレ。
(原注2)一体他のどの楽器が、このパッセージを表情豊かに奏しきれるだろうか。

 再現部ではガボットのみが反復され、オーケストラがピアノの後でそれを繰り返すことで、楽章のこの段階では普通あり得ない大きさをリフレインに与えているのだが、他ではそれをすべて省いてしまうロンドもいくつかあるのだ。この大きさには意味があり、それは今終わったばかりの嵐のようなエピソードのただならぬ性格を強調するのだ。それと楽章の残りの部分との間に一種の防御壁を立て、それが再現部に感染していくのを防ぎ、フィナーレの常態的な性格がこのような激情の噴出とどれほど異質なものかを示すのである。

 第3クプレは第1クプレを短縮して反復する。初めの独奏は省略され、長大な華麗なパッセージは縮められている。譜例373が主調で反復されそれに続いていた長い推移部は新たな短いパッセージに置き換えられているが、長調と短調の間の躊躇いは保持している。またそこにはハ長調五重奏曲〔No.3 K.515〕の前触れ的なもの(301~302小節)もある(原注1)

(原注1)アレグロの270~272小節11本協奏曲では木管が4分音符で下降、ピアノが8分音符でアルペジオであるが、K.515ではビオラとチェロが4分音符で下降、第1ヴァイオリンが8分音符のアルペジオで下降する、良く似た音型である。

 最後のリフレインの登場では、ピアノと総奏が力を合わせる。リフレインはすべてが提示されるが、小さな行進曲の後で木管は沈黙し、ピアノが譜例369の第1ヴァイオリンのパートと譜例370の低弦と木管のパートを引き継ぎ、それらを回音で装飾する12この間、弦は譜例370の(b)を4回にわたって反復する。。ピアノは長めの独奏を付け加えて反復するが、そこでは3連符が支配的で、木管が前の独奏を回想する。その間オーケストラは完全に背後に控えている。それが終わると、総奏が、最初にリフレインの提示を結んだリトルネッロによって、あっさりとこの楽章を閉じるのである。

 作曲家が協奏曲の第1楽章で直面する問題が、その形式がソナタ・ロンドである時にはフィナーレにおいても発生する。すなわち、どのように楽章の最後の部分を提示部の単なる反復以上のものにするかということである。これまで、アレグロにおいてモーツァルトがどのようにそれを解決したかを見てきた。また、ほとんどのロンドでも第1楽章で行うのと同様にそれをうまく処理している。しかしここでは、第3クプレは実際には第1クプレの短縮版でしかなく、しかもわざわざ最もすばらしい部分が省かれているのだ。コーダは長い独奏からなるが、その技巧は生気を失い、楽想を抑圧し、最後の部分では、すでに耳にした平凡なリトルネッロをいかなる変更も加えずに繰り返すのである。その結果、この楽章の最後の4分の1は素っ気ないものとなり、聴きていてある種のもどかしさを感じるのだ。ソナタ・ロンド形式は概してより優れているものだが、この場合2部建てのロンドの方がより相応しかったのではないだろうか。中央部の劇的な部分を耳にした後で、前に過ぎ去ったものを再び聴こうという気にはなれず、再現部を飛ばして、一足跳びに229小節から308小節へと行きたいと思うのだ13第229小節後半から第307小節の前半を削除する、すなわち3回目のリフレインと、第3クプレ(再現部クプレ)を削除するという考え方である。。それに加えてコーダでは、すべてが走句で、フィナーレに対しても、またこの曲全体に対しても相応しくないのである。明らかにモーツァルトは、至上の展開部の後、これ以上語るべきことが無く、この作品に飽いてしまったのだ。

 

 この協奏曲はモーツァルトがハ長調で作曲した4つのうちの最後の作品である〔No.8 K.246、No.13 K.415、No.21 K.467 、No.25 K.503〕。私はこれを1785年の先行する協奏曲と、その数か月後に続いて作られた弦楽五重奏曲などと結び付けて考えてきた。そして、勿論、この曲について使ってきたオリンピア的という言葉が必然的に所謂ジュピター交響曲〔No.41 ハ長調 K.551〕も想起させるが、この交響曲はゼウス神よりもアポロ神に捧げられたものなのだ。ハ長調という調は、ヘ長調、変ロ長調、そしてニ長調とともにモーツァルトが最も頻繁に使った調であり、この点で彼は同時代の作曲家たちすべてと変わりない。ただし、最も頻繁に使われた調が必ずしもモーツァルトが最も際立った作品を書いた調ではないものの、いくつかのハ長調作品は非常に特徴的なグループを形成しているのである。

 確かにモーツァルトは、語るべきこともなく、時には楽しむことさえろくにできない数多くの小品、彼自身の個性よりもその時代の個性を反映した作品にこの調を使った。このことは特に若いころのミサ曲や交響曲について言えることだが、後年の数多くの2手および4手のピアノ・ソナタやピアノとヴァイオリンのソナタについても同様である(原注1)。フルートとハープのための協奏曲〔K.299〕は客間の音楽の中では間違いなく最も上出来の作品である。没個性的な育ちのいい紳士の外見を持ちながら、それがモーツァルト自身の何ものかを表出しているからだ。しかし、この協奏曲はこのグループには属さない。

(原注1)K.296〔ヴァイオリン・ソナタNo.24〕、K.303〔ヴァイオリン・ソナタNo.27〕、K.309〔ピアノ・ソナタNo.7〕、K.330〔ピアノ・ソナタNo.10〕、K.521〔4手のためのピアノ・ソナタ〕。

 ハ長調はまた祝祭の調であり、仰々しい行進曲や序曲の調である。それはモーツァルトがオペラを開始し、終える際に好んで用いた調である(原注1)。この形で使われる時、ハ長調はしばしば強さと崇高さを獲得し(原注2)、それゆえ巨匠の生涯の最後の6年間に所謂オリンピア的な彼のインスピレーションの特質を表す調となったのである。その時代およびベートーヴェンに至るまで、またモーツァルトでも協奏交響曲〔変ホ長調 K.364 ヴァイオリンとビオラのための〕および木管セレナーデK.375〔No.11 変ホ長調〕の時期がそうなのだが、本質的に“英雄的”な調(原注3)であった変ホ長調が占めていた位置をハ長調が徐々に奪っていくのである。過たずオリンピア的なインスピレーションを認めることができるモーツァルトの最初の作品は彼がザルツブルグを最後に後にする1年あるいは2年前に作曲した交響曲K.338〔No.34 ハ長調〕である。後にモーツァルトはその最も気高い対位法作品のためにこの調に立ち戻るが、それは幻想曲とフーガK.394〔ピアノのための前奏曲とフーガ〕、組曲K.399の序曲とフーガ〔ピアノのための組曲、その第1部〕、そして特にハ短調ミサ〔K.427〕の量感あふれる合唱、Cum Sancto Spirtu〔聖霊とともに〕、Snctus〔サンクトゥス、神に感謝をささげ奉る〕、Hosanna〔オザンナ〕である。また、協奏曲K.415〔No.13〕を開始する壮大な総奏の中に同じインスピレーションの存在を認める。そして特に1785年以降は、この協奏曲が属する一連の作品でそれが雄大に表現されていることを見出すのだ。すなわち四重奏曲K.465〔No.19 ハイドン・セット第6番「不協和音」〕、2つの協奏曲〔No.21 K.467、No.25 K.503〕、五重奏曲〔No.3 K.515〕そして交響曲〔No.41 K.551 ジュピター〕である。この最後の作品の後、モーツァルトはハ長調を放棄してしまい、それに立ち戻るのはオペラの中のみであり、「皇帝ティトスの慈悲」の序曲は間違いなくこれらの協奏曲や五重奏曲と同じ情感の流れに繋がっているのである。

(原注1)「後宮からの逃走」〔K.384〕、「劇場支配人」〔K.486〕、「コシ・ファン・トゥッテ」〔K.588〕、「皇帝ティトスの慈悲」〔K.621〕。
(原注2)強さは「劇場支配人」の序曲、気品は「皇帝ティトスの慈悲」の序曲。
(原注3)原著366ページ参照。

 

 ロンドの終盤に対して厳しい評価を与えたものの、この協奏曲は非常に偉大な作品であり、巨匠の最も偉大な作品のひとつである。近年のモーツァルト復興にあって、この作曲家の取るに足りない作品が重要なものと同じように、いやそれ以上に注目されていることは遺憾である。モーツァルトの最善のヴァイオリン協奏曲がそれに相応しく頻繁に聴くことができないとは誰も主張できないだろう。しかし、これらのヴァイオリンの作品よりもはるかに優れ、モーツアルトの創造の最も価値ある部分に数えられる偉大なピアノ協奏曲についてあえて同じことが言えるだろうか。ピアノ・ソナタについては十分過ぎるほどに知られており、ヴァイオリン・ソナタも無視されてはいない。しかし、室内楽曲の頂点である弦楽五重奏曲および3曲の木管セレナーデ(原注1)が演奏されることは未だに異例なのである。その一方で、どこかの放送局は毎日のように退屈なアイネ・クライネ・ナハトムジークを放送しているのだ。

(原注1)最近、ディスコフィル・フランセによって初めて録音された。

 ハ長調の協奏曲とともにモーツァルトの生涯で協奏曲が彼のお気に入りの表現手段であった時期は終わりを迎える。それを完成させた2日後に、衛兵は交代し、所謂プラーハ交響曲K.504〔No.38 ニ長調〕という存在がその任を受け継ぐのである。この交代はロンドが出来上がる前からすでに始まっていたのかも知れず、作曲中であった交響曲がモーツァルトのすべての活力を汲み上げてしまったために、協奏曲の結尾部の独創性がここまで乏しくなったのかもしれない。しかし、いずれにせよ、巨匠の器楽曲における個性は交響曲および四重奏曲の姿をとって現れるのであり、協奏曲も含めた他のジャンルは例外的なものとして生き残るが、ひとつとしてこれまでに生み出したような豊かな果実を結ぶことはない。ピアノ協奏曲の時代は終わったのである。

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6‐4.第21協奏曲(No.25):シエーナ K.505

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