Ⅲ 
ロンドのリフレインは変ロ長調K.450〔No.15〕のややぎこちないバージョンであり、それはギャロップというよりはより舞踏曲的なものである(譜例296)。最初のパートをピアノが提示し、総奏がそれを繰り返す。後半部(譜例297)は、すべてピアノに委ねられ、木管とホルンのかけ声1バスーンとホルン、バスーンとクラリネットの組み合わせで1小節ごとに交替する。推移部の後半では後者がピアノとともに音階を下降する。で補強された長めの推移部を経て最初の主題部へと戻る。これは通常のABAのロンド・リフレイン構成である。非常に長いリトルネッロがそれに続くが、その主要素材はクラリネットとバスーンが交互に奏するモチーフ(譜例298)2譜例298を奏するのは第1クラリネットと第1ホルンで、交互ではなくユニゾンで同時に奏される。なお、両楽器ともに移調楽器であるが、譜例298は変ホ長調で実音に移して記されている。と、バスーンで打ち震え、フルートでさえずる活発な音型(譜例299)3譜例299は前半の反復部は第59~60小節でバスーン、後半の反復部は第63~64小節のフルートによるもので、連続したものではない。で、これは後になってある役割を果たすのである。

 第1クプレ4原著では第2クプレとなっているが、第1クプレの間違いである。本文を修正した。でピアノの入り方はいつにもなく印象的である。それに先立つ3小節で沈黙を破るのは弦の和音のみで、それは控えめに繰り返され、そしてピアノの入りでは、明確な主題(原注1)ではなく、譜例298を思わせるためらいがちな音型で始めるのだ(譜例300)。ピアノは次第に大胆になり、譜例299が続くとその姿はよりはっきりとし、それに弾みを付けられて、独奏楽器は最初の航海へと船出するのである。独奏は長く、様々に変化し、弦と管楽器によって交互に支えられながら第2主題へと展開するが、その上がっては下がるそのリズムは8分の6拍子に非常に親和している5原文はseesaw rhythm is well suited to 6-8 time である。ピアノによる第2主題は、右手が付点4分音符2音、左手が8分音符を2つの3連音に分割するため、限りなく2拍子に近くなる。この2拍子感をseesaw rhythmと呼んだのだが、これが基拍子の8分の6拍子とよく親和していることを言っている。。最初にピアノによって提示され、クラリネットとバスーンがピアノの低音に伴奏されてそれを繰り返す(譜例301)。2度目の独奏の終わり近くで、一連の協奏曲の中でも最も危うい、スケッチ的なパッセージが現れる。危ういと言うのは、それを書かれたままに演奏することは、常の場合よりさらにおかしなことだからである(譜例302)(原注2)。ピアニストがその高音部で最初は上の、続いて下の音を一本の指で注意深く弾くのを聴くために、楽器群が沈黙を守り、あるいは個性を押し殺したつぶやきにまでその声を低めるのだろうか? 明らかにそうではない。ここにあるのは一種のイン・テンポのカデンツァなのであり、各小節ともそれぞれの始めの音だけが書き記された即興のパートであって、しかもそれはアルペジオか音階の形以外は取り得ないのである。

(原注1)他のすべての協奏曲のロンドのように明確な主題では入らない。ただしK.271〔No.9 変ホ長調〕とK.449〔No.14 変ホ長調〕のロンドは別である。この両者が変ホ長調であることに注意されたい。
(原注2)ライネッケは彼の小冊子Zur Wiederbelebigung der Mozart’schen Klavierkonzerte でこれらの小節に関して注意をしているが、彼が編集したブライトコップ版では、他の同じような箇所では添付譜例で補完するよう薦めているにも関わらず、この箇所ではそのままにされている。この曲の唯一の録音では、不幸なことに独奏者は2分音符をそのままで弾くというよくある間違いを犯している。6エドウィン・フィッシャーのピアノ、ジョン・バルビローリ指揮による1933年の録音である。新全集版では補作が提示されており、現代の演奏はほぼこの形で奏されている。

 慣例通りクプレの後ではリフレインの前半、譜例296のみが反復され、オーケストラは足早に様々な調を経過して変イ長調へと進み、そこで属7の和音での休止が、2番目のエピソードを待つ聴衆を一瞬どっちつかずの状態にするのである。

 それに続くものは、モーツァルトにおいて音楽的発想が調性と密接に関係するそのあり方を示すきわめて興味深い一例である。それが意識的かどうかは別として、ここでこのロンドは彼の最初の変ホ長調の協奏曲〔No.9 K.271 ジュノーム〕(原注1)のロンドと同じ振る舞いを見せるのだ。それは8年半も前のものであり、それ以来どのロンドもこのようには振舞わなかった。展開部クプレの代わりに、ゆったりとした変イ長調のメヌエットが繰り広げられる。実のところ似ているのはここまでである。ザルツブルグの協奏曲のメヌエットには5つの変奏が続くが、この曲はそれぞれ木管とピアノで提示され弦が重なる2組の対称的なパート(譜例303および譜例3047このメヌエットはAA’BB’であり、AとBは前後半で、AとA’、BとB’がそれぞれガードルストーンの言う対称的なものとなっているが、実際には変奏に近いものである。と、ピアノのスタカートと弦のピチカートがK.271〔No.9〕のメヌエットの最後の変奏の32分音符のアルペジオを彷彿とさせるコーダから成っている。繰り返しでは、モーツァルトは第1ヴァイオリンに重ねてピアノの右手のみを使う8新全集版には左手に低弦に重ねた低音が記されているが、これは通常奏されないものであり、ガードルストーン言うように右手のみのものと考えるべきである。。その意図は明らかにピアノオーケストラのひとつの楽器として扱い、ひとつの旋律線として、あたかもフルートのようにその音色を他の楽器と融合させることにある。たまに行われるように左手で和音が加えられると、この効果は台無しになってしまうのだ。モーツァルトの意図は、その楽器の音塊効果ではなく、音の線形な効果なのである(原注2)

(原注1)そしてまた、この曲では緩徐楽章がハ短調でもある。
(原注2)エーリッヒ・ブロムはこのエピソードとコシ・ファン・トゥッテ第2幕フィナーレの輪唱“Nel tuo, nel mio bicchiero(あなたの、そして私のグラスの中で)”の主題の類似性を指摘している。この輪唱の主題はこの協奏曲の変奏のひとつと同じである。

 このエピソードは休止へと登り詰めるが、ここで独奏者はリフレインに戻るための短いカデンツァ9アインガングである。を挿入すべきである。

 第3クプレは再現部に相当する。総奏でリフレインが回帰して譜例299をバスーンで、続いて前回同様フルートで回復し、ピアノはフルートの口先からそれを受け取る。独奏は短くされており、第2主題は主調で再帰し、それにカデンツァが続く。

 ピアノが再び現れた後で、リフレインが完全な形で再帰し、譜例298と299が主要な要素であるコーダがそれに続く。バスーンとクラリネット、ピアノの間でそれぞれの第2奏者も共に、機知に富んだ対話が繰り広げられる。そしてトランペットの強奏音が響き、それが楽章を締めくくるように感じさせる。

 ここで、おそらくはこの陽気なロンドの中でも最も独創的で、確かに最も悪戯っぽい出来事が起こるのだ。椅子の後ろに隠れて、通り過ぎる大人を大声で驚かそうとしている幼い男の子のようなユーモアで、モーツァルトはこの強奏音を次第に沈静化してしまうのだ。この部分が再現するピアノの開始の時と同じように、弦が静かに主和音を繰り返し木管がそれを支える。そしてこれが楽章を閉じる和音であるように思われる。これは3小節続く。そして、ここで驚きがやってくる。静かにほとんどご機嫌を取るような調子で、ピアノは譜例300を回想する短いフレーズを奏するのである。終わりに来たと思った後に、(遊戯の精神に移入したかのように)また始めに戻ったような気になるのだ(原注1)。この短いフレーズは3つの断片として、悪戯っぽく繰り返されるのだ。そして強奏音が繰り返され、この楽章は足早ににぎやかに締めくくられるのである。

(原注1)同様の仕掛けがK.413 〔No.11 ヘ長調〕の第1楽章の終わりにも使われているが、これほどユーモラスには使われていない。

 ここに見られる非常にモーツァルト的なユーモアは彼の書簡の中にも見つけることができる。次の1783年1月22日付の父親への手紙の次の一節はそのひとつの例である。“先週、私のアパートで舞踏会を開きました……。夕方の6時に始め、7時に終わりました。何ですって?たった1時間? いいえ、いいえ!……朝の7時ですよ……。”この2つの例には見え透いた思い違いがある。罪のない悪戯であり、同じ心が作品にも手紙にも表れている。音楽と作曲家の言葉がこれほどぴったりと相似しているのを見出すことは、また同じ心的特徴が2つの表現の形態にこれほどはっきりと認められることはほとんどない。この手紙とコーダの背後にある感情は同じものなのである。

 

 変ホ長調は、1700年から1800年の時代の多くの作曲家と同様に、モーツァルトが最も頻繁に使った調性である。多いものから数えると、変ホ長調による20以上のソナタ形式の作品があり、同時に、変ロ長調や、ト短調そしてハ短調のアンダンテやアダージョでもほぼ同じくらいの作品があるのだ。これらの作品すべてが重要ではなく、すべての作品でモーツァルトにとってこの調は常に同じ性格を有していたと言うほど際立っているわけでもない。例えば、ホルンの技術的な限界のために、友人ロイトゲープのために書いたホルン協奏曲のうちの3曲〔No.2 K.417、No.3 K.447、No.4 K.495〕および五重奏曲〔K.407〕でこの調を使っており、また同じ理由からセレナーデK.375〔No.11〕や木管とピアノのための五重奏曲K.452でも変ホ長調の選択を余儀なくされたのである。しかし、気質的な面で同一のグループを形成する変ホ長調作品が他に15曲ほどあり、それによって我々はモーツァルトのアレグロおよびフィナーレにおいてこの調が有する特性を見定めることができるのである。(アンダンテは別に独自のグループを形成し、その特性は主にそのアンダンテの属する曲のその他の部分との関係で決まるのである。)

 それらの中にはどのカテゴリーにも入れることができないが、決して無視してよいとは言えない作品もある。1874年2月のきわめて個人的な協奏曲K.449〔No.14〕がそれである。それを別にすれば、概して、すべてのギャラント時代の作品では、モーツァルトにとって変ホ長調は優美さと幸福の調であると言えるだろう。それは、無頓着な喜びであり、常に上品かつ軽快で、時にはエネルギーに満ち、しかし深みはない。これは、かなり頻繁にはささいな作品で混じり気なしに、あるいはより真摯な作品においては他の特性と結びついて見出されるものだ(原注1)。協奏曲K.365〔No.10 変ホ長調 2台のピアノのための〕のようなピアノを伴った作品、この作品およびピアノ四重奏曲K.493〔No.2 変ホ長調〕では、この喜びは威厳と結びついて表現されている。ここまで見てきたこの協奏曲はこのコンセプトを最も十分に具現化しているのだ。モーツァルトはある時期、英雄的”、“オリンピア的”と称した感情を表現するためにこの調を選んでいる。この点でモーツァルトは、後にベートーヴェンも第3交響曲〔変ホ長調 作品55「英雄」〕および変ホ長調の協奏曲〔No.5 作品73「皇帝」〕で華々しく順応した、その慣習に従っているのである。2つの協奏曲〔No.14 変ホ長調K.449、No.22 変ホ長調K.482〕およびセレナーデK.375〔No.11 変ホ長調〕の部分にはそれが認められるのだ。モーツァルトがその高遠な感情を変ホ長調で表現したのは、ヴァイオリン・ソナタK.380〔No.36 変ホ長調〕と協奏交響曲〔変ホ長調 K.364〕の力強いアレグロにおいてなのである(原注2)。既に同じ時期に(1779年)ハ長調の交響曲にもこれが認められ、後にモーツァルトは常にこのハ長調でそれを表現するのである(原注3)

(原注1)サン・フォアはモーツァルトの変ホ長調を“紳士的であり、同時に感性的であり力にも満ちている”と言っている。前掲書 Ⅲ 179ページ)
(原注2)120ページ〔原著〕以下を参照
(原注3)341ページ〔原著〕参照

 モーツァルトの人生の後期には変ホ長調がその表現の伝達手段となったやや異なった感情が残っている。それはギャラント時代のほとんどの作曲家においてこの調の特色となる屈託のない喜びをいわば洗練させ浄化したものである。これには“歓喜”よりも“朗らか”という言葉の方がふさわしく、それは肉体から分離した朗らかさ、幸福な精神の遊戯、あるいは今言及している作品群のひとつについてアドルフ・ボショーが講演で“修道女のアレグロ”と語ることで表現したものである。この来世的な感情は、いくつかの場合では作曲家のフリーメイソンとしての経験に通じるものがある。その感情には、1788年に交響曲K.543〔No.39 変ホ長調〕、弦楽三重奏のためのディベルティメントK.563〔変ホ長調〕で出会うが、それはまだ喜びと混ざり合ったものであり、特に交響曲では一種協奏交響曲を思わせる大胆な響きによって表される。そしてそれは彼の最後の年の弦楽五重奏曲で最も純化された状態へと到達する。その音楽は依然として遊戯を歌うが、それはボッティチェリの三美神の遊戯であり、貴族的なウィーンの舞踏会のものではない(原注1)。そして最後にそれは魔笛の前奏曲やフィナーレのところどころで超自然的なものへの気づきとはっきりと結びつくのである。このオペラの重要な部分のみならず他の2つのフリーメイソンのための作品、カンタータDir, Seele des Weltalls〔汝、宇宙の魂よ K.429〕とDie Maurerfreude〔フリーメイソンの歓び K.471〕における変ホ長調の使用は、モーツァルトの最晩年にこの調が具体的に表現する半ば神秘主義的なインスピレーションの性質をさらに的確に示す手助けとなるのである。

(原注1)491ページ〔原著〕参照

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