Ⅲ 
フィナーレの足取りはギャロップでもなく、疾走でも、舞踏でさえもない。それはまさに調子のよい歩みで、速く、規則正しい。また、そのリフレインの良さは、スケッチ的な輪郭とイタリア人であればこう言うであろう “書き言葉の(sillabato)”語法のゆえに、旋律よりもリズムに負っている。これは旋律的ではなく、また、その進行が強い感情的な衝動に従うことがない、モーツァルトとしては数少ないロンドのリフレインのひとつである。しかしそのむき出しの外形にピアノとヴァイオリンがまとわせる飾りの優美さ、楽章が息つく暇さえもなくその歩みのペースを保つ手法、常に同じ地点に戻ってくるのだが、絶え間なく自らを新たにするすばらしい豊かさ、ロンドと変奏曲の混合、これらすべてによって、このフィナーレはモーツァルトの作品中最も愛すべきもののひとつに、形式面では、すべての彼の協奏曲の中で最も魅惑的なものとなっている。

 モーツァルトのロンドは通常、リフレインの回帰によって2、3、あるい4つの部分に分けることができる。それぞれの楽節は容易に見分けることができ、分析の必要性のために、作曲家がいかなる目印もつけていない区切りとセクションを探さなくともよい。しかし、ここでは違う。32小節目でピアノを初めて耳にした時から、そこには8分の休止さえも、またほぼ全終止もなく、まるで常動曲(a moto perpetuo)のようである。きびきびとしているが、息も付かせぬと言うほどではない進行のほとんどはひとつの主題のみに基づくものであり、人を魅了する多様さで、提示され、修飾され、変奏され、展開され、それほど十分に性格付けされていない、あまり目立たないもうひとつの主題に支えられる。それはこの譜のとおりであり(譜例85)、発端の部分に見るものである。オーケストラがそれを拡張し、変ホ長調のコデッタで終わる他の主題(譜例86)で追い打ちをかける。

 ピアノが装飾を加えながら冒頭のリフレインを反復し、そしてその半ばで、第1主題を奏する第1ヴァイオリンに導かれて自らを変奏に投じて(譜例87)、変ホ長調の全終止に至る。この強く一体化されたフィナーレを通常のセクションに分割したいと思うならば、聴衆はここで第1クプレの始まりを感じるかも知れない。

 独奏は変奏の音型(譜例87でⅠの印)を取り上げ、同じ譜例のもうひとつの音型によって提示された短い対位法的なパッセージを経過して、今度は自らが提示する、幾分和らいで属調で提示されるリフレインの第2主題に到達する。しかし、これは独奏の関心を惹かず、数小節後にはこれから離れてしまう。両手の交差(原注1)が一役買い、弦がエコーで協働する幻想的なパッセージの後、ヴァイオリンが譜例85を連れ戻してくる。弦が3部からなる小さなカノン1ガードルストーンはあっさりと「3声からなる小さなカノン」と述べているが、ここは巧妙な2重の3声カノンである。第1ヴァイオリン→ビオラ→チェロ・コントラバスの順で2小節遅れのリフレイン第1主題によるカノンと、第2ヴァイオンリン→第1ヴァイオリン→ビオラの順で、2分音符5音のモチーフが1小節遅れのカノンで、平行して進行し、かつ両者は相互に対位旋律をなしている。で戯れると、ピアノは譜例87のⅠから派生した新たな主題の変奏でそれに加わる。そして、ピアノがゲームを支配してしまい、弦が再び伴奏に引き下がるが、その間ピアノは対位法による走句を奏し、その右手は同じ音型Ⅰから派生したものである。(譜例88)。しかしその走句にはそれ以上のものがあり、聴衆は幾分かの驚きを持って、6年後にクラリネット五重奏曲〔K.588〕2クラリネット五重奏曲K.588第1楽章のクラリネットによる第2主題。で再び現れることになる主題を認めるのだ(原注2)。対位法はすぐに終わり、独奏は雄弁に突き進んでいくが、それはK.271〔No.9 変ホ長調 ジュノーム〕の抑えがたく饒舌なフィナーレを思わせるのである。そしてリズムが一瞬緩み、2分音符が8分音符に入り混じり、最後には新しいリズム(図1)で再出発する。この様に姿を変えてヴァイオリンによってスケッチされた骨組だけの外形のリフレインが再び現れる(譜例89)。弦全体がそれを取り上げ、そしてともにそれを装飾し、ピアノから音型Ⅰを借りてくる。

(原注1)手の交差はモーツァルトの協奏曲では常に使われるものではない。そしてそれがここにあるということが、変ホ長調の協奏曲K.271〔No.9〕との類似点である。それのみならず、2つの楽章の間には、ある種の気質の親近性があり、この曲の楽章は他方〔K.271〕をより穏健に再生したものである。
(原注2)そして同じく「魔笛」からのフレーズ、第2幕第2三重唱:地のセリフ“Sol lich dich, Teurer(いとしい師よ”:“Der Gotter Wille mag geschhen(神々の御意が行われますよう)”である。

 リフレインは不意に終わり、ピアノは譜例87にまったく触れることなく3譜例89のリフレイン主題に続くのは譜例87である。まったく触れないのは譜例86であり、ガードルストーンの間違いである。、無造作に新たな主題を解放つ。(再びここでは厚みのある和音であり、それに相応しい強さで響かせるよう留意すべきである。)それはハ短調で、ロンドが、第2節が短調である伝来の形式4「モーツァルトのピアノ協奏曲概論:構造」で述べられたクープランなどのフランス・ロンドーで、第2クプレが短調である伝統を指し、モーツァルトのソナタ・ロンドは通常その伝統に従っている。に対して性急な敬意を表しているようである。しかし、それは見かけだけで、モーツァルトはあまりにも上機嫌かつ幸福に満ち足りているので、短調の深みに突き進むことなく、きっちり4小節の後に明るい調へと再び戻るのである。ピアノは手綱を引くことなく、3連符のおかげでギャロップとなって、譜例87の地盤を遮りながら新しい主題を開始する5第2クプレで短調の新たなモチーフが導入されるものの、前の第2リフレインから続くかのようにすぐに譜例87Ⅰの音型によるパッセージが始まるが、3連符のギャロップがこれを数回にわたって遮り、最後にギャロップが支配する。この譜例87Ⅰによるパッセージを「地盤(ground)」、3連符のギャロップがこれを「遮る(break)」と表現したものである。。しかし、主要主題は油断なく警戒しており、楽章は主要主題のものであるためにそれから長い間逃げおおせることはできない。3連符のパッセージのちょうど半ばにさしかかると、ここでそれは、最初はハ短調、そしてすばやく心変わりして、変イ長調へ、そして最後にはさまざまな長調へと移るのである。ピアノはもとの役割に呼び戻されて、音型Ⅰを引き継いだもので装飾し、それに3連符が混ざり合うのである。息切れすることも乱れることもなく、まだ抑えきれず、ピアノと弦は、ロンドの第2クプレと呼べるかもしれないような物の中を探求し続け、そして、すでに耳にしたパッセージ(両手の交差と弦のエコー)がすべてを呼び集めるのである。そして速度を落とすことなく、ムードは夢心地となり、我々は光り輝く水面の下に飛び込むのだ。自身でさえなかなかそれを超えることがなかった広がりでモーツァルトはリフレインの回帰を準備する。実際のところ、狼が来た、狼が来た!と時を選ばずに叫ばれていたために、もはや容易に信じることができなくなり、信頼の回復が必要となる。突然の回帰は聴衆を納得させることができないのだ。ゆえに、それなりの段取りを持って進まなければならず、そのために拡大された推移部が再びリフレインが出現する必要性を納得させるのである。

 この推移部は19小節を占め、それはリフレインの主要部よりも2小節多い。それは、最初は弦で、さらに木管が保持する変ロ長調の保持音で、一方弦はモーツァルトお気に入りの“はばたく2度”の音型をユニゾンでつぶやく。ピアノのパートは並外れて豊かで、ほぼ常に3声部のハーモニーを続け、6度の地中海的穏やかさ6右手はオクターブであり、左手のアルペジオの奇数音との間で6度を形成している。が、分解された和音の激しさを和らげている(譜例90)

 リフレインの回帰は結果としてピアノに休息を与えず、以前と同様に、ヴァイオリンが輪郭を描き、ピアノが、今度は分解されたオクターブでそれに衣をまとわせ、クプレの末尾のリズムをリフレインにまで引き伸ばし持ち込んでくる。これは、このロンドの一体性をここまで完璧にした数多くの工夫のひとつなのである(原注1)

(原注1)言うまでもないが、モーツァルトの発明になるものではない。その表現豊かな実例がラモーの「村の娘たち」にある。

 それでも、楽章の勢いが失われ始める。確かに第3クプレはあるのだが、それはまったくおざなりなもので、それは第2クプレの短調部を回想する(しかし長調で)のみに役割を止め、そのまま第1クプレからのパッセージ7第247小節からのもので、第1クプレ第118~121小節の「リズムが一瞬緩み」とされたパッセージである。へと移り、カデンツァを導く属7の和音で休止する。しかし、その活力は失われておらず、このパッセージの中ほどで速度を落とし、夢見るように、遠く変ニ長調の地へと高く舞い上がり、しばらく思いにふけり、そして地上へと戻ってくる。この実に活発なフィナーレにあって、これは今耳にしたばかりの低音以上に予期せぬものである(譜例91)

 カデンツァの後8分の6拍子の結尾部となるが、これはモーツァルトがひとたびならず従ったその時代の常套的方法である(原注1)。しかし、ここではそれが適切であるとは言い難い。これまでの部分の活発な歩みを聴いた後では、3拍のリズムは、不自由な片足でたどたどしく歩むように感じられる。リフレインがこれを最後に回帰するが、4分音符でかっちりとした形で常に確実に、8分音符とともになめらかに進むのを非常にしばしば聴いた後では、この新しい形ではその力が奪われたと感じられる。しかし、仕掛けはこれで終わりではない。3音の音型によるその最後の小節が、変ホ長調の弦楽五重奏曲〔No.6 K.614〕の主要主題を予告するという、楽しい驚きを用意しているのだ(譜例92)8ガードルストーン手書き譜の番号は92と93が逆であり、正しい譜に置き換えた。なおここで触れているのは、弦楽五重奏曲 第6番 変ホ長調K.614、第1楽章冒頭の第1主題の音型である。

(原注1)K.382〔ピアノとオーケストラのためのロンド ニ長調〕、491〔No.24 ハ短調〕は8分の3拍子で終わる。K.459〔No,19 ヘ長調〕は3連符に移入するが、それは8分の6拍子の効果を持っている。

 この協奏曲の第1楽章に大いに愛着を感じるにも関わらず、この作品の一番の聴きどころはフィナーレであると考えたくなるが、この判断は、K.365〔No,10 変ホ長調 2台のピアノのための〕、K.415〔No.13 ハ長調〕、K.459〔No.19 ヘ長調〕、それにおそらくK.450〔No.15 変ロ長調〕を除いた他の協奏曲に対しては口にすべきでない。しかし、これはまさに傑作であり、同じ年のヘ長調〔No.19 K.459〕、それに続くニ短調〔No.20 K.466〕とイ長調〔No.23 K.488〕協奏曲のすばらしいフィナーレに匹敵するものなのだ。その際立った特質は一体感であり、これが並みのモーツァルトの最終楽章との違いなのである。スコアを手にしてみると、第1主題がそのまま主調で回帰する時、モーツァルト的なロンドの4回のリフレインと3回のクプレの回帰を見分けることが可能である。しかし、実際に耳で聴くと、リフレインが決して舞台を去ることなく、作品全体はその変奏とそれから派生するもので成り立っているとの印象を受けるのだ。これは実際にその通りなのである。この短い分析でも、絶え間なく自らを提示しまた再提示し続ける多くの音型があるという考えを示すことになるだろうし、スコアあるいはピアノ編曲譜研究だけでも、その絶妙な細部を明らかにすることが可能である。この多様性における統一に加え、単調さを避ける程度に崩されたリズムの統一、またいくつかのロンドに見られるセクション間での明確すぎる区切り感を免れるための連結パッセージの広がりと漸移感も是非必要である。以下の思慮深い工夫は特に注目に値する。既に述べたが、それらは、リフレインが回帰する時にその実際の回帰の少し前に新たなリズムを導入することで、その回帰が前のものから不連続なものにならないようにするところであり、また、独奏と総奏の区別が通常よりも強くなく速くなく、ピアノとオーケストラの協働がほぼ連続することである。繰り返すが、このような形式上の一体性はモーツァルトの協奏曲および他の作品でも匹敵するものがなく、これと相似するものを見出すためには、プロシャ王四重奏曲K.589〔No.22 変ロ長調 プロシャ王セット第2番〕や変ホ長調の弦楽五重奏曲K.614〔No.6 変ホ長調〕などの室内楽の最後のロンドにまで手を伸ばさなくてはならない。

 スケールの小ささおよびオーケストラの貧弱さはともかく、むしろそれゆえに、この曲は極めて個人性が強いのである。これはさらに偉大な協奏曲の時代を開くにふさわしいものなのだ。しかしながらこの曲は偉大な協奏曲のどれとも密接な関連性を持たない。実際、これはモーツァルトの作品の中でも孤立したものであり、第1楽章と最終楽章は彼の作品のどのグループに入ることなく、また彼の生涯のいかなる時期の特徴も示していない。これらの楽章がモーツァルト的であることに間違いはないが、それはこの言葉がしばしば使われる狭い意味ではない。これはモーツァルトの他の何物をも明確に想起させることがないのだ。長い間その独創性は風変りなものとみなされ、独創的なものが奇矯なものと扱われるように扱われ、打ち捨てられてきたのである。しかし、今では、より頻繁に演奏されるようになり、録音もされている。そして、より広い聴衆が、第1楽章のいわば粗削りな美しさやアンダンティーノのたゆたうような旋律、フィナーレにおける一体性への情熱を経験するに至った。たとえその小ささゆえに、この曲がマイナーな作品に分類されるようなことがあっても、その感情の真摯さ、強靭さと凝縮感において、12の傑作の始まりの地点に立ち、真にそれらの傑作と類を同じくするものであると、今になって十分に認めることができるのである。

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