協奏曲第11
〔No.15〕 変ロ長調(K.450(原注1)

1784年、3月15

アレグロ:4分の4拍子(C
(アンダンテ):8分の3拍子(変ホ長調)
アレグロ:8分の6拍子

オーケストラ:弦、フルート(フィナーレのみ)、オーボエ2、ホルン2、バスーン2

(原注1)全集版番号で第15番

 

 3月15日、第10協奏曲〔No.14 K.449 変ホ長調〕を書き上げた1か月ほど後に、モーツァルトはもうひとつの協奏曲を完成させた。その後、3番目〔No.16 K.451 ニ長調〕が3月22日、4番目〔No.17 K.453 ト長調〕が4月12日と続き、当時28歳だった若き巨匠の1784年の四旬節(原注1)における創作活動は、3つの偉大な交響曲〔No.39 K.543 変ホ長調、No.40 K.550 ト短調、No.41 K.551 ハ長調 ジュピター〕の誕生を見る1788年の夏の月々と同じくらい熱を帯びたものだった違いない。

(原注1)四旬節ではオペラは上演停止になっており、演奏会がより頻繁に行われるようになっていた。1725年に設立された、著名なパリのコンセール・スピリチュエルが、オペラの上演が減ったことによって音楽愛好者が感じた欲求のギャップを満たすことがその発端であった。

 第10番〔No.14 K.449 変ホ長調〕と第11番〔No.15K.450 変ロ長調〕の協奏曲は、作曲時期が近い一方で、その性格が異なっている。この冬の他の3つの協奏曲1原文the three other concerto of this winterはNo.14、No.15以外の3協奏曲としか読めないが、ここは前段の主旨からも、また作曲月日から見ても、1984年の四旬節までに作曲されたNo.15~17を指しているものと考えるべきであろう。は強い類似性を示しているが、この2曲の間には、芸術家であれば誰でもその作品のほとんどに存在する漠然たる骨肉の類似性があるのみである。すべての面で、第11番〔No.15〕はひとつ前のものの対極にある。後者〔No.14〕は木管パートが随意の小さなオーケストラのために書かれたものであり、一方〔No.15〕は、木管が弦と同等に重要な役割を果たす大きなオーケストラを必要とする。K,449は、ピアノとオーケストラ楽器の間断ない協働によって統一感を有するが、K.450の場合、少なくとも第1楽章では、両者が結び付けられることがほとんどない。K.449 は不安定で不可測だが、K.450は洗練かつ愉快な気質が具現化されている。前者が目指すものは独自性であり、もう一方は社交である……その他いくつかの面でも、両者を対比させることが可能である。

 1784年の初めモーツァルトは、その後もそれを凌ぐことはなかった大きな人気を獲得した。彼は流行の名演奏家であった。3月3日の父親への手紙では、モーツァルトが演奏する予定のアカデミアや予約演奏会のリストをあげているが、2月26日から4月23日の間に22回を数え、「随分やることがあると思いませんか?」と付け加えている。「この分では腕がなまることなんてあり得ないと思います」。

 ピアニストのリヒターが6つの演奏会を計画したが、予約した貴族たちが「モーツァルトが演奏するのでなければ、楽しめないだろう」と言明したとも手紙に記している。また彼は満足げに、3月17日の最初の個人演奏会で、「会場は溢れ出るほど一杯で、私が演奏した新しい協奏曲は並外れた成功を収めました。どこに行ってもそれのほめ言葉を聞きます」(原注1)と伝えている。

(原注1)おそらくこの曲〔K.450〕あるいはK.449であろう。(3月20日の手紙)

 モーツァルトが感じるもっともな誇りはこの協奏曲および次の曲〔No.16 K.451 ニ長調〕にこだましている。2つとも彼自身のために書かれた作品なのだ。この年に作曲された6曲のうち、自分が演奏するために書いた3曲〔No.15 K.450 変ロ長調、No.16 K.451 ニ長調、No.19 K.459 ヘ長調〕と、バベット・プロイヤー嬢とマリア・テレジア・パラディス嬢(原注1)のために書いた3曲〔No.14 K.449変ホ長調、No.17 K.453 ト長調、No.18 K.456 変ロ長調〕の間には性格の違いがある。前者では、聴衆の愛顧に満たされ、自分が聴衆の支配者であることを知り、勝利を享受する芸術家の個性が、その振る舞いの誇らしさ、外面の華麗さ、成功の確信を通してふんだんに表出されている。もう一方では、堂々とした感じがより薄れ、曲想は繊細であり、何ひとつとして作曲家の強い個人的な感情と競い合うようなものはない。

(原注1)ただし258、259ページ(原本)を参照されたい。

 アーベルトが指摘する区別を用いるならば、第11番〔No.15〕、それに第12番〔No.16〕そして第15番〔No.19〕の協奏曲の共通性は、一面では自分のために、一面では聴衆のために書かれたものであることである。それらは社交音楽の世俗的な理念への回帰を示している。しかし、それは勝利を伴ったものであり、モーツァルトが今体現しているその理念への服従をもはや伴ってはいない。彼は自らの深奥の精神をそれに従属させない。モーツァルトは深奥にあるものの形を変え、それから個人的な何かを作り出すのである。その中で、優美さと力が混ぜ合わされた彼のアポロン的2形式と秩序に向かう力のことである。な天賦の才が、後年のさらに創造的な作品と同様に輝いているのである。

 それは(と、H.アーベルトがいみじくも語っているが)、あたかもモーツァルトが自らの協奏曲で社交音楽の精神が芸術家の個人的な感情と一体化できるかどうか試みようと欲しているようである。未だに彼は大きく、享楽的な生活と気の利いた機知が同居する旧体制の地盤の上に立っていた。これらの協奏曲は、芸術家と聴衆が共有可能な芸術の真のモデルとなったのである。その中では社会的な感情と純粋な美的経験とが絶えず交感し合っているのである。(原注1)

(原注1)前掲書 214ページ

 自分のために書かれた3曲の1784年の協奏曲はすばらしいわざでこの個人と社会的理想の間のバランスを成し遂げている。ザルツブルグの協奏曲と1782年のグループの最初の作品は後者をより強調するものであった。1785年と1786年の作品はますます前者を語るものになっていくのである。1784年の協奏曲は、驚くべき技術をもって、聴衆の心をも表出しながら芸術家としての己の魂を忠実に映し出すことに成功している。これほど典雅で均衡のとれた達成は、音楽家の性質の奥底と聴衆の集合的精神の間に、感情と思想の完璧な調和と、文化と文明の完全な共同体が存在した非常に短い期間のみ獲得できたものなのである。これに続く歳月のモーツァルトの個性の急速な成長はこの一体性を解消させ、ウィーンの聴衆のエレガントである一方で狭く閉ざされた美の観念から彼を引き離していくのだ。

 

Ⅰ これ以前の10曲に一通り耳を通し、またこれに続くものを知らずにこの協奏曲を聴いたならば、まさに冒頭の小節からその独創性に驚かされるだろう。驚きは主題やリズム、和声の独創性によるものでなく、またK.449〔No.14 変ホ長調〕のような調性の不安定さによるものでもない。オーケストレーションの独創性によって驚かされるのである。これまでのモーツァルトのいかなる協奏曲でも、このようなことが生じるものはひとつとしてなかった(譜例93)。これが協奏曲だと知らずにこの楽章の冒頭を耳にする者は、木管のセレナーデかディベルティメントを聴いていると感じるかも知れない。

 さらに、それに続く弦の優雅に調和のとれた応答(譜例94)を耳にすると、弦と木管のための協奏的セレナーデを聴いていると思うかもしれない。そして、2つの楽器群が繰返し交替しながら続くこの開始部が聴衆のこの印象を強めるのだが、14小節目に両者がフォルテで完全に混合するに至って、初めて、この作品の交響的な特性が明らかになるのである。

 このような導入部はモーツァルトにあって確かに全く新しい。そして、それは新しさに匹敵するほどに魅力的である。2つの楽器群の交誦的な扱いにぎこちなさは全くなく、反復も型どおりのものではない。木管の末尾の音符が、最初は2分音符で、2回目には全音符と4分音符の音価を持つこと、また、弦が最初は第3拍の後に始まるが2回目を第1拍の後から始めていることを見てもらいたい。そして、第14小節における融合がどれほど入念に準備されているかを称賛されたい。冒頭の鋭い対立を経て、木管パートと弦パートの区別は次第に明瞭ではなくなり(譜例95)、フォルテの前の3小節では、木管と弦がそれぞれの独自性を保ちながらも、ともに奏でるのだ(譜例963譜例96はフォルテ前の3小節の2小節目にあたる第12小節であるが、ここは、ほぼ同型ではあるが第11小節を譜例として使う方が適切である。)。

 この13小節は、主題的に考察しても同様に繊細な細部を示している。第2の旋律が第1の旋律と厳しく対比される代わりに2度の音程による進行がその旋律を支配するという点が類似しているのである。さらに、第8~10小節(譜例95)における木管の呼びかけはこの同じ旋律から生まれたものなのだ。最初の音が再生され、そして第11小節で木管と弦が混ざり合うことなく一体となって、一方は4分音符で上昇し、他方は8分音符で下降しながら、それぞれ同じ音型を描き出すのである(譜例96)

 誇らしげで屈強なパッセージがこの控え目な開始部に続くが、これは、モーツァルトの協奏曲において一度ならず立ち戻るギャラントなスタイルの決まりごとに沿ったものであり、そして突然にヘ長調の強音の終止4ガードルストーンはこの終止をヘ長調、すなわちその主和音と見ている。しかし直前の結尾のフレーズ、およびそれに続く譜例97は変ロ長調であり、この終止も変ロ長調の属和音と見るべきだろう。なお、両者はエンハーモニックである。ガードルストーンも述べているように、第1提示部での転調はないと考えるべきである。に立ち至るのである。この協奏曲は言わば育ちの良い紳士であり、それはK.449〔No.14 変ホ長調〕のように奇矯な道にさまよい出ることもなく、また音楽的に正しいマナー規範によって定められた変ロ長調から離れることはない。したがって、木管と弦がその分離主義的性向を露わにする機会となる新しい主題の出現とのときも、調性の変更はなされないのである(譜例97)。その姿があまりに骨格のみなので、変奏を運命づけられ、それはK.449〔No.14 変ホ長調〕のロンドの主題と同じくらい堂々と扱われることを要求する。そして提示されるやいなや、木管がそれを繰り返し、その間ヴァイオリンがその上をたどっていくが、不思議なことに、この修飾は、K.449の譜例87のⅠの外形を思い起こさせる。不思議なことと言うのは、実際のところ、これらの2つの協奏曲は、協奏曲全体の中で、その間に類似性を見出すことが最も期待できない2つであり、これがその唯一の類似点なのである(原注1)

(原注1)これはまたクラリネット五重奏曲〔K.588 イ長調〕を思い起こさせる5K.449での例と同様、クラリネット五重奏曲K.588第1楽章の弦による第2主題である。;188ページ〔原本〕参照

 総奏の残りは、イタリア・オペラからのストレートな受け売りの8分音符の連続低音、あるいはトレモロ・バスの上での上昇パッセージに引き継がれ、そして、おそらくよく知られたフランス歌謡:

Il a passé par ici       〔こっちにやってきた〕
Le furet du bois joli.  〔いたちが美しい森の中を〕

から来る結尾主題が続く。この後者の提示では、冒頭の主題と同じように、最初、木管と弦は分離され、次いで一体となる(譜例98)

 その最後の音はピアノの最初の音と同時である。独奏はすぐには第1主題に取り組まない。モーツァルトの協奏曲においては、独奏が第1主題でただちに始まるものは、それに導入的な数小節が付くものと数の上ではほぼ同数である。しかし、1784年では、モーツァルトはより簡潔な方法を好み、この協奏曲はピアノが独自のパッセージで入る唯一のものである。それは約10小節ほどのカデンツァ・オブリガータであり、弦に伴奏されて主音のトリルへと導かれる。

 ピアノが入ってくるとオーケストラは背後に追いやられてしまう。ギャラントの理念への回帰とともに、オーケストラが協働者でも対抗者でもなく単なる伴奏者である技巧的協奏曲の概念にモーツァルトが戻ったように思われる。この確信に満ちた導入部の後、弦と木管は平穏を保ち、せいぜい数度控え目な意見や句読点を差し挟むのみである。ピアノは、それまでヴァイオリン、オーボエ、そしてバスーンの間で非常に優美に振り分けられた主題をほぼ完全に独占してしまい、わずかに譜例95の音型(a)6手書き譜が見にくいが、譜例95冒頭の3音である。だけが木管に残る。独奏主題がすぐにそれに続き(譜例99)、それはト短調で始まるが、この楽章のムードに合わない調であり、すぐにそれから逃れて、ヘ長調へと転調する。比較的長い、分解された音階とオクターブによる華麗なパッセージの後、ピアノがこれまで耳にしていない真の第2主題を繰り広げる(譜例100)(原注1)。ここではまだ、古典的協奏曲では2部構成をとる提示部にいるのだが、第1と第2提示部は必ずしも完全に同じ素材を使うわけではない。それらのどちらかで提示されたものの大半の部分がその楽章の途中のどこかで再現すれば、それで十分なのである。

(原注1)それはピアノと木管のための変ホ長調の五重奏曲〔K.452 ピアノ、オーボエ、クラリネット、ホルン、バスーンのための〕(第1楽章)のものとほぼ同じである7譜例100の冒頭K.452の第2主題とほぼ同じであるが、後半はそれを転回させたものである。

 それに続く技巧的パッセージでは、弦がおそらく同等の協働を求めて遠慮気味に割り込んでくるが、寄与できるのは純粋にリズム的なものだけであるため、その結果はピアニスティックな小波をわずかに停滞させるのみである(譜例101)。ピアノはそれらの存在に気付くこともなしに、己の王道を歩み続けるが、他の楽器が沈黙しても、その輝きは衰えを知らない。

 ヘ長調の和音上のトリルがついにオーケストラを自由にする、あるいはピアノの活力を一瞬オーケストラに渡すと言ってもよいが、そして最初の総奏の“屈強な”主題8第1提示部、第1主題提示後の第14小節からの副次的主題である。で、大挙して入ってくる。今回それは休止に導くことなく、以前の通りに記譜された結尾主題の中に埋没してしまう。ピアノは前の協奏曲〔No.14 K.449 変ホ長調〕で非常に首尾良くいった仕掛けを思い出したかのように、最後の音を取り上げ、8分音符の場所に16分音符を据えて、ヘ短調によって陰らされることなく楽し気に新たに出発する。右手で、そして左手で次いで再び右手が、この結尾から派生したパッセージで鍵盤の上を走る。さしあたって、オーケストラは沈黙し、片手が他方の手を伴奏するが、しかし、それに続く再現部までの大部分を、右手と左手が10度あるいはオクターブで奏し9原文はthe greater part of what follows till the repriseであるが、右手左手が10度で進行するのは第165~169小節、オクターブ進行は第170~177小節であり、展開部の大体4分の1程度の部分である。、諸楽器はピアノのスケッチ的な旋律線に時には従い、時には対立しながら和声を完成させる。全楽器が参加し、木管は弦にエコーし、弦が木管にエコーする。各グループは分かれ、バスーンはオーボエと対立し、チェロとコントラバスがヴァイオリンとビオラに対抗するのだ(譜例102)! ピアノとヴァイオリンに限定されてはいるものの、この高遠なゲームの中から生まれる歓喜の歌は、一種理想化されたホルンのファンファーレ10第182~186小節。である。しかし何事にも終わりがある。そしてピアノはついにトリルに平穏を見出し、そのもとでささやくようにヴァイオリンは第1主題の面影を呼び起こす。少しずつ、その半音階的な外観が形づくられて明瞭になり、ピアノのきっぱりとした音が形に正確さを与え、独奏楽器が演奏の終りに到達する前に、オーボエとバスーンが楽章の冒頭と同様にそれを公言する。

 展開部は楽章の中で空想が最も自由に振舞える個所であるが、今終わったばかりの展開部も実際それに相応しいものである。真の展開部においては、作曲家は、第1部ですでに“提示された”素材を鍛え上げ、すでに馴染みのある主題から丸ごと新たなものを作り出すことを期待されているのだ。ウィーン時代のモーツァルトの室内楽や交響曲の大部分では、このような展開部が慣例となっていたが、協奏曲ではそれが稀なことなのである。その代わりに、ファンタジア展開部とも呼べるものを見出す。それは、モーツァルト以前には、ショーベルトのソナタ(原注1)や、ヨハン・クリスティアン・バッハの少なくとも1つのソナタ(原注2)に見られるもので、実際にモーツァルトは子供のころにこのソナタをハープシコード協奏曲に編曲したのである。この種の展開部についてアーベルトは、次のように述べる。

肝心なのはハーモニーの絶え間ない流れであり、それが同じアイデアをほとんど変更なく非常に多様な調性を経ながら押し流していく。目的を追い求めず、動きそのものが本質的要素なのだ。音型は、最初はまず単純な和音に基づいて、後の作品では主題展開的にそれを続けていき、それはただ和声的構造の強化に役立つのみである。ここには厳密な意味で展開の余地はない。この和声的な構築物のまわりに、主に低音の進行の上に構築された独奏は、ここでその技巧の頂点に至り、豊かにデザインされた音型とパッセージを織り上げ、ロマンチックな冒険を繰り広げ、知らざる何かに向かって大胆に飛翔し、目的地は常に隠されたままで、しばしばショーベルトに見られるように、ただ冒頭と末尾にだけ旋律的で和声的な小さなフレーズが前身の足掛かりのように立ち上がるのである。(原注3)

(原注1)作品Ⅱ,1;Ⅳ,1;ⅩⅣ,3 ,5。
(原注2)作品Ⅴ,変ホ長調
(原注3)同上作品、207ページ参照

 モーツァルトが再現部を最も変形させたのは協奏曲においてであるとこれまで述べてきた。しかし、これまで見てきた10曲の協奏曲は部分的にしかこのことを裏付けていない。再現部で最も大きな自由を示しているのは2台のピアノのための協奏曲〔No.10 K.365 変ホ長調〕であった。他の面ではその前の協奏曲よりも制約から解放されたK.449〔No.14 変ホ長調〕でさえも、細部の若干の変更のみで主な輪郭線を繰り返すことで善しとしている。今考察している協奏曲〔No.15 K.450 変ロ長調〕が、退嬰的な慣習ときっぱり袂を分かち、その最後の部分に新たな道を拓いた最初の作品なのである。

 再現部に入った途端からそれが行われる。前にはピアノに独占された譜例93の半音階的な主題がピアノと木管で共有され、ピアノは、以前は弦のものであったパートを自分のものとする11ここには少々混乱がある。「前にはピアノに独占された譜例93」は第2提示部での譜例93再現のことであり、後の「以前は弦のものであったパート」とは第1提示部の譜例93でのことである。。第1提示部では“屈強な”パッセージが第1主題に続き、第2提示部では独奏がただちに独自の主題を提示した。モーツァルトは、ここではこれをどう処理しているだろうか? 彼はまず数小節にわたって“屈強な”パッセージを回想する。しかしこれは誤りで、このパッセージはすでに2回耳にされており、それで十分なのだ。そこで楽章はその気を変え、これほど丁重な作品では稀なぞんざいさで、突然不規則なカデンツで停止し、独奏の主題を呼び起こす。しかし、この後者は、そのままで回帰せずに、ハ短調の変形された形で再提示されるのである。提示部でそれに続いた華麗なパッセージ、(変ロ長調の)第2主題、そしてそれを閉じた走句、譜例101、これらは、調と修飾の仕方の若干の変更を除いて、変更なく回帰される。

 ピアノがその最後の走行を終える前に、ヴァイオリンが、まだ再びは耳にすることがなかった2つの登場主題のうちの1つを提示する。この偽の第2主題は、最初の総奏でヴァイオリン同士で極めて優美に共有され、次いで木管によって歌い上げられたものである。それはトリルで開始されるが、しばらくそこにピアノの全生命が集中される。木管がその前半を繰り返し、今度はピアノがそれを変奏で修飾する番である。この間奏部の後で、提示部を閉じたパッセージが、若干の変更を加えて再生されて戻り、最後のトリルへと導いていく。しかしまだ、もうひとつ回帰してくる主題がある。開始部の総奏で譜例97の後に出てきたトレモロ・バスのパッセージである。ここでは最初は完全にピアニッシモppで、ついで声を高めて独奏のカデンツァを宣言する。モーツァルトが生徒のために書いたK.624.19のカデンツァは譜例9812自作カデンツァ集K.624の19では、最初に回想されるのは譜例98の結尾主題ではなく、直前の結尾主題、すなわち提示部を閉じた主題である。の結尾主題、独奏の最後のパッセージ、それに偽の主題を回顧するが、それは賞賛すべき簡潔さである。ピアノが再び口を開くことはなく、最終終止はオーケストラのもので、導入部の最後の部分を変更することなく繰り返す。しかしである。旅路の終わりに至ったと思った時、K.271〔No.9 変ホ長調〕とK.413〔No.11 ヘ長調〕で同じ瞬間に一杯食わされたいたずらが仕掛けられ、それは、独奏が入るのを導くために使ったモチーフ13原文ではthe motif which the violins had used to accompany the solo entryとなっているが、実際は独奏が入るところまで導いた、第1提示部最後のモチーフである。本文は修正した。をヴァイオリンが回想し、いわば、晩餐のタラが尾を口に咥えているような状態でアレグロが終了するのである。

 ゆえに、再現部は最初の独奏の引き写しどころのものではなく、属調ではなく主調でもある。とは言うものの、それが新たなものになるには、素材自体を変形させるというよりも、それらを(トランプのカードのように)切り直すと言った方がよいだろう。すでに、本書の他のところで、モーツァルトがこの曲や他の協奏曲において切り直しを実行する際に使う手法について述べている(原注1)。この作品でモーツァルトは、第2提示部で忘れられていた導入部からの2つの主題を呼び起こしている。開始部の総奏の第1主題に続くパッセージ14ガードルストーンが「屈強な(stalwart)主題」と呼んできたものである。が、次には独奏の最後の結尾の前に、そして再現部では第1主題の直後にその場所を取り戻すのである。独奏の主題は変奏の形で反復される。最後には、2回続けてピアノは弦に代わって木管と対話するのである15ピアノが弦に代わって木管と対話するのは、偽の第2主題が再現する第256~264小節だけである。

(原注1)Part Ⅰ第2章

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