The Narrow Road to Oku
Translated by Dnald Keene
Part Ⅳ 「大垣」まで

 

三 越後路

 

坂田の余波日を重ねて(英訳 109ページ)

余波
so loath to leave

GSQ
立ち去りがたい「余波」、余情があった方がいいと思いますが。

USA
HesitateでもUnwillingでもだめで、loathには恨めしいというようなニュアンスもあります。しぶしぶですね。

 

暑湿の労(英訳 109ページ)

暑湿の労
depressed by the heat and the rain

GSQ
「湿」は五月雨、梅雨でした。単に湿度と間違っていました。余談ですが、当時の越後は出雲崎など、佐渡の金山もあり、相当に繁栄していたはずです。石巻に毒づいていましたが、暑湿の労を口実に越後を素通りした「ふり」をしているのだろうと思います。

USA
曾良によれば、弥彦に泊って明神に参拝したそうですが、奥の細道には一切記録がない。Keene氏も書いています。しかし、単なる旅行記ではなく芸術作品ですからねえ。

 

三四 市振

 

親しらず・子しらず(英訳 107ページ)

親しらず・子しらず
“Parents Forget Their Children,” “Children Forget Their Parents”

GSQ
恥ずかしながら私は「自分が親をしらず」また「自分が子をしらず」と思い込んでいました。漢字で書くと「親不知・子不知」なので、親も子も主語でした。歯の「親しらず」はちゃんと親が知らないと知っておりましたが。

USA
名前の由来は、あまりの難所なので、通り抜ける際に親は子供のことを忘れ、子は親のことを顧みる余裕がないからだというものと、「親知らず 子はこの浦の波まくら 越路の磯の あわと消えゆく」。という古歌が由来となったとありますが、芭蕉ですから後者は意識したでしょうね。

 

難所を越えてつかれ侍れば、枕引き寄せて寐ねたり。(英訳 109ページ)

枕引き寄せて寐ねたり
I drew my pillow to me and lay down as soon as we reached an inn

GSQ
確かにこう訳さないと、難所を越えた途端に倒れ込んだのか、と思ってしまいますね。しかし、日本語で読んでいるうちは、ほとんど気になりませんが、英訳でas soon as以下がないとすると、すぐに変だと感付きます。言葉の特性でしょうかね。

USA
No soonerとかimmediately、 hardlyとかいろいろ言い換えはできますが、as soon as が最も直截でわかりやすいでしょう。Lay downは倒れ込むわけではないです。横たわるということですから、これでいいんです。

 

定めなき契り、日々の業因、いかにつたなし(英訳 108 ページ)

定めなき契り、日々の業因、いかにつたなし
What terrible karma accounts for our inconstant vows, the sins we have daily committed

GSQ
ちょっと芭蕉の原文がわかりにくい気がします。業因というのは前世の業が現世を決める、すなわちkarma accountsですよね。原文の日々の業因って日々の悪い行いが来世の業因だということになるのではないでしょうか。キーンさんの英訳も迷っているように思えます。vowsまでは理解できますが、the sins we have daily committed、これは何でしょうね。来世への業因を言っているのでしょうか。この遊女たち、今の境遇とともに自分たちの日々の行いが来世のために悪い種となることも 嘆いているのでしょうか。

SUA
逆ですよ。遊女たちは己の境遇を嘆いているのです。The sins we have daily committedは「日々に犯した罪業」、inconstant vows「(客との)定めなき契り」、いったいどのような因縁あるいは宿命(Karma)で、「何の因果でこのようなことになっちまったのかねえ」との嘆きで良いと思います。

 

物語するをきけば、(英訳 108 ページ)

物語するをきけば
I gathered from what they were saying

GSQ
gather が使われていますが、これまでにも何回か使われています。

SUA
Gather はダイレクトにきくという意味ではなく、こんなことだと推論するという意味ですね。

 

もの云ふをきくきく寐入りて、(英訳 108ページ)

きくきく寐入て
These were the last words that I heard before falling asleep

GSQ
凝った訳ですが、何か少々うっとうしいです。

SUA
beforeがね。うつらうつら聞くとも聞かないともという状態なのでしょうね。beforeでは時間的概念がはっきりし過ぎていてね。本当はしっかり聞き耳を立てていたのかもしれません。

 

云ひ捨てて出でつゝ、(英訳 108ページ)

云ひ捨てて
These were my parting words.

GSQ
parting words は原文の「捨てて」という感じがあるのでしょうか。

SUA
「云ひ捨てて」がどういうことかが問題で、われ関せずと去ったということではなく、相手の返事を聞くことなく去ったということで、parting wordsはそれこそ去り際の一言ですから、ニュアンスとしては良いのではないでしょうか。

 

三五 那古の浦

 

担籠の藤波は、春ならずとも初秋の哀れをとふべきものをと、(英訳 107ページ)

担籠の藤波は、春ならずとも初秋の哀れとふべきものをと
It was not spring when “the waves of wisteria” at Tago are in bloom, but people urged us to experience the pathos of early autumn there

GSQ
そこの人々が奨めたのではなく、芭蕉の自分の判断なのではないでしょうか。「ものをと」の後には可能性として「自分が思った」と「人々が言った」がともにあり得るわけですが、私の素人考えでは、芭蕉の判断だと思います。それは、季節はずれのものを人が芭蕉に勧めはしないだろうと思うのと、古歌により季節はずれの現実ものを「さらにすばらしく」幻視するという白川の関や月山での桜のつぼみと同じ例であること、などからです。

SUA
Peopleは特定の人間たちを指すのではなく、「何々と人も言うので」程度のものでしょうから、現代語にすると「初秋もしみじみいいものだとも言うし」ということではないですか。もちろん、薦められたから訪れたということではありません。

 

むかふの山陰にいり、(英訳 107ページ)

 山陰
behind yonder mountain

GSQ
三度目の「山陰」ですが、毎回どこを指しているかが変わります。日本語でもそうですかね。

SUA
むこうの山の裏陰ですよ。

 

三六 金沢

 

この道にすける、(英訳 106ページ)

この道にすける
a man devoted to our art

GSQ
芭蕉はちょっと遠慮して「この道」と言ったのでしょうね。直訳すればdevoted to poetryでしょうね。芭蕉の「風流」をキーンさんは poetryと訳しているので、一般的になり過ぎますか?

SUA
「この道」ですから、our artが適訳です。道と言ってますから、artとしての自覚があるわけです。遠慮していませんよ。

 

塚も動け我が泣く声は秋の風(英訳 106ページ)

塚も動け我が泣く声は秋の風
Shake, oh grave mound
Show you hear my weeping voice
In the autumn wind

GSQ
私の泣く声が君、一笑には秋の風にのって聞えるだろうか、聞こえているなら、塚を動かしてそうだと私に教えてくれ、こういう意味だと思うのですが、Showの後にmeがないので、ちょっと迷いました。なくていいようにも思いますが。

SUA
Showは人に見せるという意味以外にも、現わす、現れるという意があります。現わせと強く訴えかけているわけです。

 

三七 小松

 

真(実)盛討死の後、木曽義仲願状にそへて、此の社にこめられ侍るよし、樋口の次郎が使ひせし事共、まのあたり縁起にみえたり。(英訳 104ページ)

実盛討死の後、木曽義仲願状にそへて、この社にこめられる侍るよし、
I gather that Kiso Yoshinaka, after killing Sanemori in battle, offered the helmet to the shrine, together with his prayers for victory.

樋口の次郎が使ひせし事共、まのあたり縁起にみえたり。
The account of how Higuchi no Jiro, as Yoshinaka’s envoy, brought these offerings here is vividly described in the shrine records.

GSQ
キーンさんは、最初の文は伝聞にしていますので、次の文での縁起は樋口の次郎が使いをした事だけがみえたことになります。使いをしたことを記すからには、具体的に何を奉納したといったことも当然縁起に記されているのではないかと思います。芭蕉の書き方もあいまいですが。

SUA
前の文章で、実盛の兜などが神社に保存され、芭蕉はそれらを実見しています。樋口次郎が使いをして、さらにbrought these offeringsとなっており、それらのものと木曽義仲の願文を奉納したとKeene氏は書いています。

 

三八 那谷

 

白根が嶽跡にみなし(英訳 104ページ)

跡にみなし
we could see over the shoulders

GSQ
over the shouldersってどういうことだろうと思いましたが、原文を見ると「跡」は「後」でしょうから、振り返って見るということでいいでしょうか。

SUA
あとにしたわけですから、それを振り返りつつ旅を。

 

三十三所の順礼(英訳 104ページ)

三十三所の順礼
Thirty-Three Temples of Kannon.

GSQ
今の西国三十三所ですね。観音信仰なのですね。原文にはないですがキーンさんは精確に訳しますね。ついでですが、四国も観音なのですか?

SUA
四国も八十八か所(弘法大師信仰)とは別に三十三か所の観音霊場があります。観音霊場はどこでも三十三か所なのです。

 

奇石さまざまに、古松植ゑならべて(英訳 104ページ)

奇石さまざまに、古松植ゑならべて
A row of ancient pines grow upon the curious rocks of various shapes

GSQ
奇石と古松は、並列で存在しているだけで、奇石の上に生えているのではないのでは?

SUA
英文では確かに岩の上に生えていますね。

 

三九 山中

 

温泉に浴す。其の功有馬に次ぐと云ふ。(英訳 103ページ)

其の功有馬に次ぐ
to be second in their efficacy only to those of Aroma.

GSQ
second toと続くのだと思いますが、onlyはどういうニュアンスなんですか? 必要な理由が全くわかりません。

SUA
Only to は ~しか、で、つまり、有馬にしか劣らないといっているわけです。

 

爰に来たりし比、風雅に辱められて、(英訳 102ページ)

風雅に辱しめられて
he was quite put to shame by the father’s superior knowledge of the art

GSQ
久米之介の父の見識に辱められた、と読めていませんでした。単にしくじったくらいに読んでいました。確かに、直前に父親が俳諧の通だったと書かれています。

USA
Put to shameには恥をかかせるの意はもちろんですが、圧倒する、しのぐの意もあります。英語だとどちらで読んでもそれなりになります。まあ、日本ですから、恥でしょうね。

 

今日よりや書き付け消さん笠の露(英訳 102ページ)

今日よりや書き付け消さん笠の露
Today I shall wipe out
The words written in my hat
With the dew of tears.

GSQ
露=涙は、和歌以来の伝統ですね。それにしてもここは山中温泉ですよ。曽良は腹を壊しているのに伊勢の国まで歩いていくのですね。大変な距離ですよ。山中温泉で湯治した方がよくありませんか?

USA
芭蕉は切れ痔ですよ。旧東海道の道端から結構な骨が見つかったりするのですが、これは江戸時代あるいはそれ以前もあるかもしれませんが、行き倒れを埋葬したものらしいですよ。

 

四十 全昌寺・汐越の松

 

一夜の隔て千里に同じ(英訳 102ページ)

一夜の隔て千里に同じ
but a single night separated us, it was as if by a thousand miles

GSQ
非常に面白いと思っていた表現ですが、一夜隔てるだけで決して追いつけない隔てで、as if という訳では、その面白みを表すのにちょっと弱いような気がします。

SUA
As ifは確かに説明的で面白くありません。千里というのは文字通りというより、遠く離れているという比喩そのものですからねえ。

 

とりあえぬさまして、草鞋ながら書き捨つ。(英訳 100ページ)

草鞋ながら書き捨つ
Ijotted down ……、standing in my travel sandals, and then was off

GSQ
「書き捨つ」がjotted downだとすると、and then was offは何ですか。原文にはない、そして出発したという意味ですか。確かに、この次に舟に乗っているので、出発したということが入らないと変ですね。そうだとすると be offではなく、set offでないと、動作を表現しているように感じないのですが。

SUA
出発したということで、唐突な感じがありますが、それが狙いでしょう。

 

終宵嵐に波をはこばせて 月をたれたる汐越の松  西行(英訳 100ページ)

終宵嵐に波をはこばせて 月をたれたる汐越の松
All through the Night
The waves were driven by a storm
That brought themshoreward
The moon shone suspended from
The pine of Shiokoshi.

GSQ
和歌の訳ですから無理ないのですが、drivenとbroughtとで意味が二重になっています。「月をたれたる」はキーンさんはどういう情景と考えたのでしょうね。月が松から吊り下げられているように読めますが。「たれたる」は月の光に光る波のしずく、ってことはないでしょうか。

SUA
「波をはこばせて」はthe waves were driven by a storm shorewardでもいいのではないかと思いますが、ここをわざわざdriven とbroughtの二つの文に別けたのは、嵐で駆り立てられる波の情景と、それが浜辺に押し寄せるとの二つのイメージをKeene氏が抱いたからでしょう。
英訳はあきらかに月が松から吊り下げられ輝くとなっていますが、枝から落ちる雫が月の光で輝くという解釈もあるそうで、こちらも美しいが、松から吊り下げられる月も非常に面白く、どちらでも可じゃないか。Ambiguityの良さじゃないですか。

GSQ
本当は蓮如の歌と注がついていますが、芭蕉は西行のものとしています。また余談ですが、芭蕉は花の西行は認めず、ここでこんな歌を西行のあたかも最高傑作のように、まるで「ご教示」をするように、しかも旅日記という場違いのところで、ぶち上げているのです。やはり芭蕉は花の西行のような「ハレ」は嫌いなんでしょうかね。

SUA
花に何を見るかが芭蕉と西行で違うのですよ。俳諧と和歌の違いでしょう。しかし、この場合作者は蓮如で西行ではなく、芭蕉の勘違いで歌を褒めたということでしょうかね。月が松から吊り下がる情景は俳句好みかもしれません。

 

四一 天竜寺・永平寺

 

所々の風景過ぐさず思ひつゞけて、折節あはれなる作意など聞こゆ。(英訳 99ページ)

所々の風景過ぐさず思ひつゞけて、折節あはれなる作意など聞こゆ
He let no sight of the journey go unnoticed, but wrote verses, some of them quite interesting, about everything we passed.

 

GSQ
ちょっとまどろっこしい訳だと思います。むしろ about 以下はなくていいいのではと感じます。

SUA
散文は丁寧に、韻文は大胆に、がKeene氏の翻訳態度
ですよ。

 

物書きて扇引きさく余波〔なごり〕哉(英訳 99ページ)

物書きて扇引きさく余波哉
I scribbled something
Planning to tear up my fan――
But parting was sad!

GSQ
扇にわざわざものを書いているのですから、北枝と自分とで記念として分け持つのでしょうね。それなら、原文の「引きさく」も英訳のtear upも大げさですね。扇面の額や軸があるように、裏表をはがすのだと思います。

USA
もちろん、扇の構造的に裏と表を剥がすのですが、tear upは破く動作がイメージされるちょっと乱暴な表現です。これは別離にもかかっているので、それを強調するために「引きさく」となったと。剥がすだとpeelという英語もあり、動作としてはこちらじゃないかと思いますが、やはり、少々乱暴でも(オリジナルがそうだから)、tear upが適訳かもしれません。

 

邦機〔畿〕千里を避けて英訳 99ページ)

千里
thousand leagues

GSQ
てっきり千里は距離だと思っていました。千の「里」のことなんですね。「邦畿千里」で都に近いあらゆる土地だと理解できました。

USA
しかし、英文のthousand leaguesは距離ですよ。1leagueは4.8kmですから、1里強。

 

四二 等栽

 

市中ひそかに引き入りて、(英訳 98ページ)

市中ひそかに引き入りて
buried in an out-of-the way corner of the town

GSQ
英訳、まったくわかりません。原文と意味は同じですか?

USA
Buried inで埋もれる、つまり、引きこもるの意になります。Out of the wayは辺鄙な、人里離れた意ですから、街中でも目立たないひそかな場所にいるわけです。

 

いずくよりわたり給ふ道心の御坊にや。(英訳 97ページ)

道心の御坊にや
your reverence?

GSQ
これは聖職者などへの敬称ですか。

USA
尊師ですね。聖職者への敬称です。

 

「…あるじは…」といふ。かれが妻なるべしとしらる。(英訳 97ページ)

 「…あるじは…」といふ。かれが妻なるべしとしらる
“…The master…” I gathered she must be his wife

GSQ
原文では「あるじ」と言ったから彼の妻だと推測しています。英訳では「あるじ」をthe masterとしてます。もしこれをhusbandとしてしまうと、次の妻だと推測する文が死んでしまいます。仕方なくthe masterとしたのでしょうが、雇主と間違いませんか。それだと女は女中と推測されそうですが。こんな些細なところで、翻訳というのは苦しむのですね。

USA
Masterつまり「家長」との意味で、この家の主ということですから、問題はありません。

 

裾おかしうからげて、道の枝折とうかれ立つ。(英訳 97ページ)

路の枝折とうかれ立つ
“ I’ll be your guide!” he declared in high spirits

GSQ
私はこの「路の枝折とうかれ立つ」という表現が非常に好きですね。 枝折とは面白いですがキーンさんはあっさりと guide です。また「うかれ立つ」もin high spirts。訳しにくい代表みたいなところでしょうね。贅沢ですが、もう少し浮かれた感じもあったらと思います。

USA
In high spiritsは喜び勇んでいる感じですね。道の枝折はガイドと訳すしかないでしょう。

 

四三 敦賀

 

越路の習ひ、猶明夜の陰晴はかりがたし。(英訳 96ページ)

越路の習ひ
in Koshiji

GSQ
確かにこう訳されると、習いがなくてもいいですね。しかし反対に、もう少し「習い」のニュアンスがあってもいいかと思います。

SUA
いつもこういうことなのだ、という意味は十分伝わっていますよ。

 

四四 種の浜

 

ますほの貝ひろはんと、(英訳 96ページ)

ますほ
masuo

GSQ
ho という音だと思っていました。ネットで調べてみるとやはり地名表記は「ますほ」ですね。江戸時代には「ますお」と発音していたのでしょかね。

 

夕ぐれのさびしさ、感に堪へたり。(英訳 96ページ)

感に堪へたり
was overpowering

GSQ
よくある「○○に堪えたり」という言い方ですが、英訳のような表現以上のものが含まれている感じがします。もう少しいい訳があるといいのにと思います。

SUA
Overpoweringはすこし強すぎる感じがありますが、常にアンダーステートメントの芭蕉が「感に堪へたり」と非常に感動しているので、強い言葉をあてたのでしょう。

GSQ
「感に堪へたり」は、対象物と自分の心と両者の感応のことを言っている感じですが、Overpoweringは対象物の威圧的な力を言っているように感じます。やはり強すぎるのでしょうね。 

 

四五 大垣

 

如行が家に入り集まる。(英訳 96ページ)

入り集まる
had a reunion at

GSQ
出発の時のメンバーがもう一度集まったというニュアンスで使われているのでしょうか。

SUA
reunionはそうですね。Mother and Child reunionというサイモン&ガーファンクルの歌がありましたね。家族・親せきが一堂に会する時などに使われます。再び結ばれるわけですからね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です