この著作で私はモーツァルトのピアノ協奏曲の論考を試みている。モーツァルトの作品に占めるこの重要な部分はふさわしい注目を受けることがなかったのだ。第一次世界大戦の数年前に至るまで彼の偉大な協奏曲のほとんどはオーケストラおよび演奏者に顧みられることなく、一方で周知されていたのはピアノ・ソナタやトリオといったモーツァルトの個性がより希薄な作品であった。この本の著述時に存在したモーツァルトのピアノ協奏曲に関する論考は、例えばアーベルトやエンゲルスのもの、またブルーメ神父の論文などのように彼の伝記の中の一部分として、あるいはピアノ協奏曲をジャンルとしてひとまとめに扱ったもののみであり、ピアノ協奏曲のみに専念した論は全く存在していなかったのである。

 私は、モーツァルトの23のピアノ協奏曲を通して、彼の形式とインスピレーションの成長の様を観察しようと試み、ある時期から次の時期へ、時にはある作品から次の作品へと彼のピアノ協奏曲を旅の道標として使いながらモーツァルトの芸術が花開いていく様を理解しようと努めている。音楽史におけるモーツァルトのピアノ協奏曲の重要性は概ね認められていたのだが、一方で、彼の作品全体におけるピアノ協奏曲の役割を定める仕事がまだ残っていたのだ。

 この論考ではモーツァルトの技術的な面よりもインスピレーションの成長の方にやや重きを置いているかもしれない。しかし、結局のところ両者は切り離すことができないものであり、本論ではそれぞれ相応しいページを占めることになるだろう。また、ある芸術家の作品のあるカテゴリーをその前後の状況から切り離すことは恣意的に過ぎるため、モーツァルトの他の作品群の中の最も代表的な作品と協奏曲の関連づけを試みている。

 私の狙いは、モーツァルトのピアノ協奏曲を通して彼の天才が花開く様を追い、そしてそれらに、彼の全作品の中での正当な地位を与えることである。この試みがどの程度成功しているかは自ら判断できることではない。しかし、この狙い自体が善であることに疑問さえ抱かれなければそれで十分である。

 1940年にフランス語で出版された本書の英語訳にあたっては、いくつかの文章を短くし、若干の引用事例の誤りの訂正を行った。49から50ページにかけてのソナタ・ロンドの起源に関する言及内容が主なテキストの変更点である。

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