変ホ長調のラルゲット(原注1)は第1楽章と同じムードの中に留まっている。その情緒は第1楽章よりも激しくなく、それどころか、アレグロではわずかにでも聞こえた情熱的な旋律に相当するものがここにはない。曲は悲歌の枠の中にとどまり続け、それを照らす光も常に夕暮のものなのである。この特徴は強調されるべきで、この特徴が、大きさから言っても意欲作とは到底言えないこの協奏曲に23曲の協奏曲の中でも独自の位置を与えているのである。またこの特徴ゆえに、この作品はまさにこの時期のものであり、作曲家の生涯のひとつのステージを象徴するものなのである。

(原注1)モーツァルトは生涯の終わりに至り、この速度記号を好んだが、1786年以前には稀であった(ただし、K.413〔No.11 ヘ長調〕、K.447〔ホルン協奏曲No.3 変ホ長調〕およびK.452〔ピアノ、オーボエ、クラリネット、ホルン、バスーンのための五重奏曲 変ホ長調〕を参照のこと)。1786年では、K.491〔No.24 ハ短調〕、K.493〔ピアノ四重奏曲No.2 変ホ長調〕、K.502〔ピアノ三重奏曲No.4 変ロ長調〕参照;1788年はK.537〔No.26 ニ長調 戴冠式〕;1789年はK.581〔クラリネット五重奏曲 イ長調〕;1790年はK.589〔弦楽四重奏曲No.22 変ロ長調 プロシャ王セット第2番〕とK.593〔弦楽五重奏曲No.5 ニ長調〕;1791年ではこの協奏曲である。ピアノ独奏のためのブライトコップ版は間違ってアンダンテとなっている。H.M.V.の録音1】前出、シュナーベル、バルビローリ指揮の演奏では、独奏者がこのアレグレットをアダージョ・モルトであるかのようにみなすというこれ以上ない間違いを犯しており、この楽章はそれによって完全に形を崩されてしまった。

 アレグレットを開始するリフレインは、一種のロマンスであり、別れのあいさつのようである。それは呼び戻しが叶わない別離の歌なのだ。音楽家が自ら語っていない場合、ある明確な意味を彼の作品のパッセージのいずれかに与えることは常に無分別なことである。当然ながら、モーツァルト自身がこのリフレインを作曲した時に辛い別れに伴う気分にあったなどと主張はしない。しかし、この主題とベートーヴェンの『告別』ソナタの冒頭との間の旋律と和声の類似は、この印象がまったく根拠のないものでもないと考えても許されるのではないか。

 ピアノが単独で主題を提示する(譜例404)。総奏がそれに豊かな響きを和して反復し、フォルテとピアノpが交互する。総奏のものと独奏の間にはわずかな違いがあるが、それはこの楽章を通じてあり続けるのである。第2小節の上昇音のモチーフは、ピアノでは16分音符であるが、オーケストラでは32分音符である。リフレインの後半はピアノのみのものであるが、それは明らかに素描のようなものに過ぎない。旋律は全部で4回反復され[mfm]この後半部が単独で4回出現するのではなく、ここと2度目のリフレインにおいて譜例404が1回奏された後に出現し、それぞれが反復される。2回の出現でそれぞれ反復されることにより計4回となるのである。[/mfn]、最初に限っては譜面のままに奏することが許されるが、他の3回の反復時には、それは装飾されなければならず、もちろんその装飾は楽章の気分を踏まえたものであるべきである(原注1)。このラルゲットにはカデンツァがないため、独奏者が即興の才を示すべきところはこれらの数小節の範囲に限られるのだ。

(原注1)私は譜例405でこのパッセージのひとつの演奏法を提案したい2上段がガードルストーンが装飾を加えたもの、下段がモーツァルトの原譜。

 ピアノが前半を反復し、それが終わると、ホルンが変ロ音を反復して響かせるが、これはコーダを始めるための主音の保持となっている。7の和音3第33~35小節で、根音なしの属7の和音の3音を上がっていく。をピアノpからフォルテへと数度ずつ昇って行き、旋律は幾分力感を増し、最後に主和音で休止する。第2ヴァイオリンのトリルの音型がその上昇を愉し気に活気づける。続いて第2ヴァイオリンの揺れ動くモチーフの上で、第1ヴァイオリンが新たな主題の断片を形作っていく。反復時に、ビオラが第2ヴァイオリンに加わり、木管が保持音を重ねて行く(譜例406)。第3の音型であるヴァイオリンとフルートのため息が素早く連続して、リフレインをその結尾へと導いて行く(譜例407)4譜例407は本文との対応では第44~48小節の最初のリフレインの末尾であるべきであるが、手書き譜の譜例407は第126~130小節の楽章末尾の譜である。手書き譜の最上段ピアノは沈黙、この音型はここでは出現しない。第2段目の木管は低弦のものである。最下段の下にある注は、フルートが第1ヴァイオリン(第3段目の上声部)と同じ主旨が記されている。なお、楽章末尾ではこのフルートはない。

 このロンド唯一のクプレはやや変化に富んだ総奏の伴奏5クプレ冒頭での総奏の伴奏は、最初5小節のものが2度反復されるが、その5小節の各小節がすべて異なっているとともに、第1、第2ヴァイオリン、ビオラ、それぞれに音型が微妙に異なっている。さらに2度目の反復で最後の2小節はさらに手が加えられている。なお、ここからクプレ全体とそれに続くリフレインの前半は弦部のみがSoloと指示されている。に支えられるピアノのカンティレーナから成っている。それは一連の短いフレーズに分解され、例のごとく6原文はusuallyである。この曲では第1楽章から、またこの楽章の冒頭の主題やここでの伴奏など、たて続けて微妙な変更が加えてられている。「ここでもまた」の意味でusuallyが使われたものと思われる。「例のごとく」と訳した。それぞれがわずかに旋律やスコアリングに変更を加えられ反復される。このパートはモーツァルトのいつもの展開部クプレより転調が少ない。主調から出発し、変ロ長調と変ト長調7モーツァルトにとってはめずらしい、フラット6つの調である。譜例408を含む、その前後の8小節である。へと移っていくが、そこに8小節留まる。最後のパートは短調で展開し、最後は主調へと連れ戻される。

 前半の伴奏は反復音で成るが、変ト長調に到達すると反復音は行進曲風の低弦に道を譲り、各拍を8分音符で強調する。低弦とピアノ(両手がともにト音記号の高音域で奏する)の音域の隙間は、第1バスーンの抑制が利き表情豊かな細部をもった保持音で埋められる(譜例408)。終わりに向かって第1ヴァイオリンのパートは旋律的にその重要度を増し、ピアノに対して優位を占める。ここでは、その半音階がニ長調協奏曲K.451〔No.16〕のアンダンテを思い起こさせる。そこではピアノはそれを3度上で奔放に模倣する(譜例4098模倣される第1ヴァイオリンの旋律は譜例409の直前のものである。3 度上とは初音のみで、ガードルストーンは「奔放に模倣する」と記しているが、フレーズ全体は模倣とは見做しにくい。)。ここでは、疲れ“萎れた”ムードが明らかである。3回繰り返される詩趣に富むフレーズが、ピアノのトリルで活気づけられて、半音階的に9ヴァイオリンおよびビオラの1小節単位の音型が半音ずつ上昇することを言う。それに平行してピアノのトリルが半音階上昇を行う。変ロ長調から主調へと上昇しつつ、再びリフレインへ戻る。

 リフレインの最初の2つのパートはほとんど変更なく再述されるが、譜例404が最後に現れた時、ピアノの右手にフルートと第1ヴァイオリンが重なる。それぞれの楽器がすでに述べた小さな音型10譜例404の第2小節の上昇モチーフのことである。ここでは最初の出現通りピアノは16分音符、第1ヴァイオリンおよびフルートは32分音符である。をそれぞれの形に拘りながら奏し、それが小気味よいリズムの対照を生み出す。それだけではなく、ヴァイオリンとフルートが、フルートはピアノとユニゾンで、ヴァイオリンはピアノの1オクターブ下で奏している時、鋭敏な耳の持ち主であれば、ここに2つのオクターブと5度の平行進行を聴き取るだろう11フルート・ピアノと第1ヴァイオリンが1つのオクターブ、第1ヴァイオリンとピアノ左手の和音の上の音が2つ目のオクターブで、これをoctavesと複数形で表している。「鋭敏な耳」に聴こえるとしているため「5度」は2つのオクターブの平行進行による5度(属音)の自然倍音のことを考えているとも思われるが、左手和音の下の音が3度下、すなわちオクターブ音と6度の関係をなしており、5度ではなく6度の間違いであると見做した方がいいようにも思われる。。しかし、このパッセージで最も興味深いのは木管と弦の響きの協働が生み出す音調なのだ。それは異様かつ虚ろな響きを生み出す稀な混合で、全くモーツァルト的ではなく、音色が入り混じることによるだけでなく、低音の欠如によっても生み出されるのだ。つまり、ヴァイオリンがピアノの左手よりも下の音域を奏しているからなのである12「このパッセージ」は前の文の「平行進行」のパッセージと読めるが、第1ヴァイオリンがピアノの左手よりも低い音域を奏するのは、その次のパッセージである。(原注1)。ここに、戴冠式協奏曲〔No.26 ニ長調 K.537〕に欠けていた協奏曲作家モーツァルトにおける変革と冒険精神の復活のさらなる例を見るのである。

(原注1)幾分これに似た効果が、ヴォーン・ウィリアムスの『フロス・カンピ』の開始冒頭でフルートと第1ビオラがオクターブで奏するところで見られる。

 コーダは旋律と和声に大きな変更なく戻ってくるが、ピアノの存在ゆえにある種のアレグロの再現部で出会うようなスコアリングの改訂が行われ、それはモーツァルトにその才を十分に発揮する機会を与えるのである。譜例406では第2ヴァイオリンとビオラの旋律が重なっていたが、それがピアノの右手と左手に分け与えられ、旋律はオーボエに委ねられる13最初は譜例406の反復から入るが、3小節目で本文のようにパートが入れ替わる。。バスーンは新しいパートをもらい、またフルートがこれもまた新たな対位主題をかいつまんで奏するが、この間弦は進行の舞台から外れる。ピアノとの協働において、弦が木管によって入れ替えられることはきわめて適切なことである。つまり、より音色のはっきりとした木管楽器は楽団の中で本質的に独奏的な一員だからである。

 最後に、独奏のための4小節の挿入節の後、譜例407はピアノと木管が2つの新たな旋律を加えて元のパートを刷新する様を見せてくれる。この最後の5小節ではフルートと第1ヴァイオリンが優美にしかし毅然とピアノを舞台の外へと導いているようである。

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