協奏曲第21
(No.25) ハ長調(K.503(原注1)

1786年 12月4日 完成

アレグロ・マエストーソ:C (4分の4拍子)
アンダンテ:4分の3拍子(ヘ長調)
(アレグレット):4分の2拍子

オーケストラ:弦、フルート、オーボエ2、バスーン2、ホルン2、トランペット2ティンパニ2

(原注1)全集版番号で第25番。

 

 これまで2年以上にわたって、作曲家およびピアノの名手であるモーツァルトにとってピアノ協奏曲はその音楽意識の中で第一の位置を占めるものであった。これまでの2年以上の間、交響曲も、室内楽も、オペラでさえもピアノ協奏曲と競い合うことができなかった。交響曲は全く影をひそめ、室内楽へはかなりの間を置いてそこに立ち戻るのみであった(原注1)。モーツァルトがあれほど好んだオペラに関しても、前座用の『劇場支配人』を除けば、交響曲と同じく完全に片隅へと追いやられていた。彼はこの2年間の最後に至るまでオペラに戻ることがなく、『フィガロの結婚』の音楽が6週間で作曲されたというロレンツォ・ダ・ポンテの言葉が正しければ、このオペラはハ短調協奏曲〔No.24 K.491〕が完成する少し前に書き始められたに違いないのだ。

(原注1)1784年のピアノと木管のための五重奏曲〔変ホ長調 K.452〕と変ロ長調の弦楽四重奏曲〔No.17 K.458 ハイドン・セット第4番〕;1785年はじめのイ長調とハ長調の四重奏曲〔No.18 K.464 ハイドン・セット第5番、No.19 K.465 不協和音 ハイドン・セット第6番〕、その夏のト短調〔ピアノ四重奏曲No.1 K478〕である。

 我々もまた長い間、おそらく2年以上にわたってこれらの偉大な作品とともに過ごしてきたのである。新たな情熱を抱いてモーツァルトの協奏曲の研究を開始し、彼の生涯を通じて進めてきた研究の歩みは、変ホ長調K.449〔No.14〕によって1784年、1785年そして1786年への入り口に到達したが、その時から長い時が過ぎたように思われる。ひとつの作品から次の作品へ、関心、いや、それ以上の当然というべき愛情を抱きつつ若き巨匠の足跡を辿ってきたのだ。そして、モーツァルトが以前の協奏曲では彼自身ほとんど気付いてさえいなかったピアノ協奏曲というジャンルが提起する様々な問題をより明確に意識し始め、当初はその問題に個別に取り組み、解決し、ニ短調〔No.20 K.466〕で大きく前進した後では、そのすべてに同時に取り組み、たった今そのページを閉じたまさに偉大な協奏曲〔No.24 ハ短調 K.491〕においてすべての困難に対してついに勝利を収める様を注視してきたのである。

 この2年はモーツァルトの短い成熟期の晴れ渡った一日であったが、その日が終わりに近づいていくのを哀切の情を持って見るのである。33ヵ月における同じジャンルの12曲の傑作はどれほど貪欲な食欲をも満足させるだろうが、いかに命が長かろうとも、終わりはすべて悲しみをもたらすものであり、日没の輝きも我々を慰めてはくれないのだ。

 ともかく、この日没は輝かしいものとなり、全シリーズの2つあるいは3つの頂点のうちのひとつを示す作品、ハ短調〔No.24 K.491〕と肩を並べると同時にそれを補うもの、彼の生涯で最も偉大な作品のひとつで協奏曲作家モーツァルトがいわゆる“お名残り公演”(原注1)を行うのである。それでは我々も勇気を出そうではないか。夜の帷はまだ降りてはいないのだ。彼がゲームの問題に直面し、解決し、そしてゲームそれ自体を“オリンピア的”な魂の高貴さの表現のこれまでになかった機会としていく、その有様を賞賛することがもう一度叶うであろう。

(原注1)知ってのとおりすべての巨匠は何度か“お名残り公演”を行う。モーツァルトもこの法則を確証する。つまり、2、3年後に他に2つの協奏曲を作曲するからである。

 四旬節が終わりを迎え、ウィーンの演奏会シーズンも幕を閉じ、モーツァルトは次の冬まで再び演奏の舞台に現れることはない。それだけではなく、彼は5月1日まで『フィガロの結婚』の作曲とこのオペラのための様々な準備に忙殺されていた。年代としては偉大なオペラ・ブッファの最初のものであり、4年前の『後宮からの逃走』以来、初めて書くオペラとなるこの作品の創作は彼の生涯の転機であり、全く姿を消してしまうことはないものの、やがて協奏曲は己のすべてを表現し、最も貴重なものを注ぎ込むジャンルではなくなるのだ。これ以降はオペラ、そして、五重奏曲と交響曲がその地位を占めるのである。

 1786年はモーツァルトの最も実り豊かな年のひとつである。彼のパトロンたちがウィーンを離れ、演奏会が一時的に中断する数ヶ月は、彼の創作活動が減少あるいは止むのが常である。しかしこの年は、作品が止むことなく生みだされている。『フィガロ』に多大な努力を払った後の6月に、編集者ホフマイスターから依頼された6曲のピアノ四重奏曲1受注は6曲であったが、完成されたのはNo.1 ト短調 K.478、No.2 変ホ長調 K.493の2曲のみである。のうちの2番目の曲〔No.2 変ホ長調 K.493〕が続くがそれは、ある部分派生的な作品であって、全面的に他の変ホ長調の作品を起こさせるものに満ち、ユニークな経験を体現しているのは感動的なラルゲットのみである。その魅力にも関わらず、編集者はお定まりの“もっとわかりやすいものを書いてくれ!”という言葉で作品に反応したのだ。モーツァルトが残りの注文をなしとしたのは当然のことである。

 ライトゲープのために書かれた最後のホルン協奏曲〔No.4 変ホ長調 K.495〕は同月の後半のものである。その性格は他のホルン協奏曲と同じであり、偉大なピアノ協奏曲は過去のものとなり、この曲の上には何らその跡を残していない(原注1)。7月にはモーツァルトがこれまでほとんど培ってこなかったジャンルの第1作が生み出される。それはピアノと弦の三重奏曲〔No.3 ト長調 K.496  No.2は未完作品〕である。それまでの唯一の例はディベルティメントK.254〔No.1 変ロ長調〕であり、数年も前にザルツブルグで作曲された何ら傑出したところがない、つまらない作品である。このジャンルは、ほんの一時を除けば、彼の能力の最高のものが込められたものとはならないのだが、なんと、このトリオのアンダンテはそのようなそのような時の例なのである。表面上の穏やかさの下、唯一無二の主題がアラベスク風に展開される中で深遠な魂の体験(Seelenleben)の存在に気付かされるのだ。この若年期に試みられたジャンルへの回帰には、もうひとつのジャンルが続き、モーツァルトは二重奏ソナタに目を向ける。それは12年ないし13年前に2曲の小品2ケッヘル第6版では四手のためのソナタK.19dの他、数曲(未完成断片を含む)が若年期のものとされているが、本書著作時点でもう一曲を何と見ていたかは不明。を生みだした形式なのである。モーツァルトがあまりに熱を込めてそれに回帰するため、それが協奏曲に取って代わるのかと思わせるほどだ。モーツァルトはヘ長調の壮大な作品K.497を、彼の二手3現在は通常四手と表現される連弾のことである。後出のK500 の「二手」も同様に四手のことである。のための作品で匹敵するものがない楽想の雄大さと力強さおよび大きさで扱っているからである。最後の交響曲群4原文はlast symphoniesで「最後の交響曲群」であるが、一般に最後の交響曲と呼ばれるのはNo.39~41である。しかし、は本格的な序奏を持つのはNo.39だけである。おそらくは「最後の」と呼ぶことはできないが長大な序奏を持つNo.38 K.504プラーハもまたイメージにあるものと思われる。にも比肩する壮大なアダージョの導入部がアレグロの幕を開ける。アンダンテでは、わずかに拍子を変えるのみで最後のホルン協奏曲〔No.4 変ホ長調 K.495〕のロマンスの主題を再び使っている。それはきわめてモーツァルト的な切なる思いに満ち、悲歌的な憂愁の中にとどまり続けながら、その輝きからはト短調の四重奏曲〔No.1 ト短調 K.478〕、ニ長調の協奏曲K.537〔No.26〕の第2楽章が透けて見える。ロンドで、中間のクプレには上昇音階の情熱的突発があり、休止で停止するが、これは、この時期のモーツァルトの脳裏を離れることがなかったもので、ト短調の四重奏曲やト長調の三重奏曲〔No.3 K.496〕にも見出される5四手のためのピアノ・ソナタK.497第3楽章第1クプレ第140~147小節以降、このクプレ全体で反復される上昇音階。ピアノ四重奏曲K.478 は第1楽章展開部第133~138小節での3回の上昇音階。ピアノ三重奏曲K.496では第1楽章冒頭の第1主題がこの上昇音階、展開部でこれが弦とピアノで執拗に反復される。本ピアノ協奏曲K.503でも譜例350で3回にわたってこの上昇音階が出現する。

(原注1)ト短調の四重奏曲〔No.1 ト短調 K.478〕はそうではないが、この曲の冒頭はホルン協奏曲K.495のロマンス(55~56小節)に“引用されて”いる。
(原注2)K.496 ト長調〔No.3、No2はニ短調 K.442だが未完成〕

 8月の初め、新たな三重奏曲が生まれたが、今回は友人であるジャカン家のためのものである。それは、三重奏、五重奏そして協奏曲の3曲のグループの最初のもの6ピアノ、クラリネット、ビオラのための三重奏曲 変ホ長調 K.498 「ケーゲルシュタット・トリオ」のことである。なお、3曲のグループとはその他クラリネット五重奏曲イ長調K.588、クラリネット協奏曲イ長調K.622で、クラリネットによる楽曲グループのことである。五重奏曲および協奏曲を引き出した「友情」はシュタットラーへの友情である。であり、友情そしてクラリネットへの賛嘆の気持ちがモーツァルトからこの曲を引き出したのである。3曲の中では最も控え目なものだが、それにも関わらずメヌエットでは厳粛な荘重さを獲得し、不安を掻き立てるデーモニッシュなトリオを持っている。2週間後モーツァルトは、ハイドンに捧げられた6曲の後で初めての、ニ長調の弦楽四重奏曲K.499〔No.20 ニ長調 ホフマイスター〕を完成させた。どの曲も美しいのだが、この曲は他のどの曲とも非常に異なっており、これが思い起こさせる唯一の作品は同じ調の1790年の五重奏曲〔No.5 K.593〕である。特にアダージョでは密接な連関性があり、両者とも、1773年のハープシコード協奏曲〔No.5 ニ長調 K.175〕から弦楽五重奏曲にまで達する瞑想的緩徐楽章(原注1)の豊饒な流れに属している7No.5 K.175の緩徐楽章は「夢」のアンダンテと分類されているものだが、それは後年「瞑想」的なアンダンテへと変質する。両者を合わせて「豊饒な流れ」としている。。メヌエットは突慳貪なくらい簡潔なものだが、クラリネット三重奏〔変ホ長調 K.498 ケーゲルシュタット・トリオ〕のメヌエットと同様に、これから生まれる五重奏曲、交響曲、四重奏曲8弦楽五重奏曲第5番K.593、交響曲第38番K.503プラーハ、弦楽四重奏曲第21番K.575プロシャ王セット第1番という一連のニ長調の傑作である。に至るひとつの段階を記しており、非常に意味深く、単なる“娯楽作品”とは決して言えない作品なのである。

(原注1)第Ⅰ部第2章、40ページ(原著)参照。

 そしてモーツァルトの活動はさらに続くのである! 発想元はクレメンティの作品10のⅢのソナタに由来すると思われる未完成のソナタの第1楽章にあたるピアノのためのアレグロ(原注1)、そして、二重奏ソナタの2度目の試みであるK.357(四手のピアノ・ソナタ ト長調)9ケッヘル第6版ではK.497aの番号が与えられており、K.497と同時期作品とみなされている。があり、それは一風変わったアレグロから成り、美しいというより独創的、この言い方ができるモーツァルトの数少ない試みのひとつで、さらに、そのフィナーレは、K.503〔No.25 ハ長調〕のロンドの最も独創的な部分のピアノ書法を予告(あるいは回想、というのも完成の日付が不明だからである)している。ここでモーツァルトはひとつの楽章の中にアンダンテとロンドを合体させようと試みているが、このような実験的作品は他の多くのものと同様に未完成のままである。

(原注1)モーツァルトが未完成のまま残したので、出版者によるものではない。そのわけは、アンダンテがK.450〔No.15 変ロ長調〕のアンダンテのパスティーシュあるいはパロディだからであり、またその堂々としたメヌエットが確かにモーツァルトの手になるものであり、また、間違いなく協奏曲のために構想されたものだからで、そのロンドが同じ協奏曲K.450のロンドを真似ているからである。近年の版では、この形でいくつかの番号付けが行われている。このアレグロはケッヘル-アインシュタイン番号では498aである。アインシュタイン博士はこのアレグロが真正のモーツァルトの作であることを認めているが、リチャード・S・ヒルはそれに異議を唱えている(The plate number of C.F.Peters’ predeccesors, in American Musicologial Society, 1938, p.129)。いくつかの版で(ヒルも同じく)このアレグロがA.E.ミラーズのものだとされたが、アインシュタインはミラーズのスタイルとは全く相いれないものだと主張している。Music Review 第2巻(1941)、330ページ参照。

 二手によるピアノのための変ロ長調の変奏曲K.500の後、二重奏へのモーツァルトの過度な情熱は11月初めのもうひとつの変奏曲K.501となって現れるが、これは野心的な作品とは言い難い。2週間の間を置いて、もうひとつの変ロ長調の三重奏曲K.502〔No.4〕が続くが、これは2年前の同じ調のヴァイオリン・ソナタK.454の又従兄弟で、ト長調〔No.3 K.496〕より内容がさらに充実しており、一連の三重奏の中でおそらくは最良のものである。これがハ長調協奏曲〔No.25 K.503〕以前に作曲された最後の曲である。

 その豊富さと多様性おかげで、この数か月の作品のためにかなり多くの紙面を費やしてしまった。それは主として室内楽だが、演奏会が一時的に停止の時期であったためそれは当然である。しかし、その制約の範囲内で、5つあるいは6つの異なった組み合わせを手掛けており(原注1)、それぞれで意義深い作品を生んだのである。疑いなく素材の多様さが内容の多彩さの原因である。前年の作品について試みたように、少ない言葉でこの9か月の感情の流れの特徴を述べることは全くもって不可能である。この時期は転換期であり、そのジャンルのうちには、モーツァルトが使うのはそれが最後となるもの、その他、しばらくそれから離れた後に使用を再開したもの、また、数年も前に使用を止めたため、それに戻ったとしてもモーツァルトが新しいと見なすことができたものが含まれているのである。弦楽四重奏曲のみが4年間にわたって常に彼の作品の中で重要な位置を占め、それだけがオペラとともに重要な作品を今もって我々に与えてくれているのだ。その他のものは、次の年のうちかいずれの時に断念されるか、あるいは三重奏のようにしばらくは生き延びるかのどちらかだが、重要な目的のために用いられることは決してないのである。このような時期に対して当てはまる言葉はひとつだろう。つまり実験的な、である。この言葉を20番目の協奏曲〔No.24 ハ短調 K.491〕と21番目〔No.25 ハ長調 K.503〕を隔てる数か月を言い表すために使うが、とは言え、この定義に当てはまる3曲あるいは4曲のすばらしい作品が劣るとの評価を意味するものではない。

(原注1)そうではあっても、バセットホルンのための小さな二重奏曲グループK.487については言及していない。モーツァルトはそれに8月1日の日付を記しているが、おそらく様々な時に作曲したものであろう。

 

 11月のうちにモーツァルトは、ほぼ同時にピアノ協奏曲の大作と交響曲〔No.38 ニ長調 K.504 プラーハ〕に着手し、それらを2日の間隔を置いて完成させた。協奏曲は11月4日、交響曲は6日である。

 この協奏曲において、モーツァルトの能力はその最高レベルにまで高められ、ハ短調〔No.24 K.491〕とともに最後の3年の進歩の頂点を極めた。翌年の一連の五重奏曲およびハ長調交響曲〔No.41 K.551〕のフィナーレを除く他のどの作品においてもこれほどの広がりと力感に達したことはなかった。だが、その力感に堅苦しさは全くなく、また甘美さを退けてもいない。この曲に近いハ長調の五重奏曲〔No.3 K.515〕のように、この協奏曲は最も旋律的な作品のひとつであり、その多くの旋律豊かな主題は強さと同時に優しくまた心地よく、ゆったりと自己確信に満ち、通例よりも闊達で自在なリズムによって放縦の感さえある。これらの曲は、己の活力を確信するとともに優しくあることを厭わない、壮年期にある偉大な人物の創造物なのである。

 この年の3つの協奏曲はトーヴィによって、1788年の交響曲3部作に例えられているが、この類推はある程度は正しい。イ長調協奏曲〔No.23 K.488〕は変ホ長調交響曲〔No.39 K.543〕とはほど遠いものの、それぞれのグループの第2作はモーツァルトの魂に近い次元から生み出されており、ハ長調については、両者とも甘美さと、ロマン主義期の未詳の人物にこの交響曲をジュピターと称させた“オリンピア的”な力感の融合を表現しているのである。この2曲では、オリンピアの呼称に最もふさわしいのは間違いなく協奏曲である。その第1楽章は至るところに英雄的なインスピレーションが満ちており、オリンポスの支配者を連想させるのだ。そうしたければ、それをモーツァルトの「英雄(Eroica)」あるいは彼の「皇帝協奏曲」(原注1)と称することで、同じ考えを表現することができるだろう。

(原注1)しかし、実際は、このような名称はすべて捨て去られるべきだろう。

 ハ短調〔No.24 K.491〕と同様、この曲は先行作品にあった協奏曲書法の技の最良のものをすべてまとめ上げたものなのである。その管弦楽は最も大きいもののひとつであり、これを上回るのはクラリネットがあるハ短調〔No.24 K.491〕のみである(原注1)。その第1楽章(同一拍子で432小節)はモーツァルトの作品では最も長い(原注2)。その主題はどれも非常に奔放かつしなやかなである。その展開は最も持続的であり、その転調は極めて自由である。そのピアノとオーケストラの協働の興趣と持続性に匹敵するのはハ短調〔No.24 K.491〕のみである。その中間部、いわゆる展開部は完全に主題展開的で、緊密に織り上げられ、そして熟達している。他の曲の展開部はさらに劇的なものもあるが、この清澄な作品にドラマは無縁である。楽想は常に高みを進み、第1楽章の真摯さはロンドで再び見出されるが、このロンドはモーツァルトの協奏曲において最初のアレグロと同等の広がりを有する数少ないもののひとつである。交響楽作者として己の力を完全に掌握したモーツァルトの姿を示す点でこのフィナーレを超えるものはジュピター交響曲〔No.41 ハ長調 K.551〕のフィナーレのみである。人々がこの協奏曲の王者について不案内であることが、モーツァルトの才能のすべてを知り、彼が平穏かつ持続的な力をどれほど発揮できたかに気付くことを妨げているのだ。まだそのような人物がこの世の中にいるとすればだが、モーツァルトを愛らしく些細な作品の作者と見なしている人々に返す言葉として、この協奏曲の開始部の総奏以上のものはないだろう。

(原注1)この曲と同構成の管弦楽は、K.451〔No.16 ニ長調〕、K.466〔No.20 ニ短調〕、K.537〔No.26 ニ長調 戴冠式〕で、オーボエをクラリネットに代えたものがK488〔No.23 イ長調〕で使われている。
(原注2)ベートーヴェンのハ短調協奏曲〔No.3 作品37〕は同じ長さ(444小節)、ト長調〔No.4 作品58〕は370小節、変ホ長調〔No.5 作品73 皇帝〕は583小節である。モーツァルトのこの協奏曲以降で最も長いものはハ長調五重奏曲〔No.3 K.515〕の第1楽章である10368小節であるが、長大な反復指示があり、実際にはさらに長いものとなる。

 

 モーツァルトの作品でこれほど独創的な始まりを人々に示すものはほとんどなく、これほど大胆な音色で開始するものは皆無である。その英雄的な性格は第1小節から明らかである。いくつかの序曲の没個性的かつ常套的なもので善しとする見せかけのヒロイズムとは違い、これは魂の偉大さを表現しているのである。ハ短調協奏曲〔No.24 K.491〕は勝利で終ることがない葛藤であった。今その失地回復が始まろうとしており、その勝利にあって闘争の影はことごとく消え去り、それがなければどのような戦いも続けることができない力の誇示のみが闘争の唯一の名残なのである。

 全オーケストラが参加する堂々とした和音の連続によって第1楽章が開始される(原注1)。ハ長調の主和音の上を、天上の領域からゆるやかに荘重に降下してくる。近づくにしたがってやや歩みを速め、そして再びその出発点よりも高く上昇する(譜例34711手書きの譜例347には(a)の記号が記されているが、本文での言及がないので消去した。)。この晴れやかな力の誇らしげな表明の後、直ちにこの作品はその偉大さのもうひとつの面を顕にする。それは優しさと愛である。曲はピアノpへと沈みバスーンとオーボエが切々とした2つの小さな相補的フレーズを交し合う(譜例34812第7小節のバスーンと第8小節は転回関係にあり、これを「相補的フレーズ」と呼んだものと思われる。なお譜例347同様、自筆譜例348にある(a)も本文での言及がないので消去した。)。そして、今も生命力に打ち震えつつ、皇帝の随員のように華美に、今度は属和音に代えて和音の連続進行を再開し、再び全オーケストラが参加する。この楽章はまたその優しい顔を聴衆に向け、オーボエとバスーン13第7~8小節はバスーン、オーボエの順であったが、第15~16小節ではオーボエ、バスーンの順であり、それぞれの音型はバスーンが第2拍で下からの上昇16分音符、オーボエが上からの下降16分音符であるが、その音型の順序も変更されている。この順序の変更には大きな意味があり、最初は2小節目の第2拍が下属和音となり、次の属和音への跳躍へのモーメントを生み出している。2度目には半音下げるとともに、順序変更により2小節目がその反復から次の「ふもと」への下降とハ短調への誘導を行っている。が再び密やかなフレーズを交し合うのである。その時芝居の急転換のように、半音下げられた3度の和音によってすべては一変する。その日は雲で覆われ、幸福で勝ち誇った顔にはかつて苦しみ今それを思い起こす魂が顔を覗かせる。それは実際に思い出であり、今の悲しさを表現しているわけではない。しかしその記憶は執拗で、聴衆は雲が過ぎ去るまでしばらくの間影の中に留まらなくてはならないのだ。

(原注1)マエストーソと表情記号がついており、ブリリャントではない。不幸な経験のおかげでこの点を強調せざるを得ない。この作品は壮麗だが、祝祭的ではない。テンポをあまりに速く取ると、威厳は消え去り旋律の幅広さが切り詰められ省略されたものに代わられるのである。私は ♩=132を 推奨する14現代の演奏では♩=132 は相当速い演奏に属する。ちなみにいくつかの演奏の第1楽章冒頭の速度を見ると、エドウィン・フィッシャー(クリップス指揮)♩=121 、バレンボイム(クレンペラー指揮)♩=126 、ペライア♩=122 、デレク・ハン♩=107、などであり、ガードルストーンの推奨速度よりもかなり遅くなっている。

 この新しい光景へ我々を導いた譜例348の小さなフレーズが繰り返されるとすぐに、楽章全体を一貫して流れ、あたかも楽章のサインのようなリズミカルな小片を耳にする。そしてそれが初めて2つの姿15譜例349の第1ヴァイオンリンの上声部音型(a)とその転回形である第2ヴァイオリンの下声部音型である。をとって出現する時、我々は謎めいた上昇のふもとにいるのである。そしてヴァイオリンの喘ぐようなつぶやきの上をフルートとオーボエの肉体から分離したような鋭い音のみが滑らかな旋律を辿るのである(譜例349)

 この上昇は、冒頭の勝ち誇った下方進行のように主調の出発点に立ち戻り、その後曲は長調の満ち溢れる陽の光を、それを見失った時同様にいとも容易に再び見出すのだ。しかしこのリズミカルな小片はそのために動きを止めることはない。それはどれかひとつのムードのしもべではなくこの音楽全体に仕えるものであり、一日のさまざまな出来事ごとにその姿を現すのである。それはしばしの間低弦とバスーンのみによって、木管と金管の和音に対抗して再びフォルテで上昇し始める。そして移ろう低音に乗って誇らしげな音階の連鎖が築き上げられ、冒頭の和音で鬱積した力が解き放たれるのである(譜例35016譜例350は、上段がヴァイオリン、下段が低弦およびバスーンである。譜例351ではパートが入れ替わり、下段が低弦およびバスーン、上段がヴァイオリンで、新たに加わったフルートが最高音パートである。)。上昇の半ばで、高音部と低音部のパートが入れ替わり、今度は低音部が音階を奏し、その間高音部はフルートの模倣によって厚みを増したリズムで3つの反復音を打ち出していく(譜例351)。属調の領域に入ると、力強い感覚が増し、リズミカルな小片は一連の反復8分音符へと変わるが、それはヴァイリンと低弦の1オクターブの飛躍でよって活気付けられる(譜例352)

その力の頂点へ到達すると、そのエネルギーは突如第2ヴァイオリンの16分音符17これは第41小節からの第2ヴァイオリンのフレーズである。原著ではquavers(8分音符)だがsemi-quavers(16分音符)の間違いなので、本文を修正した。の奔流となって溢れ出すが、第1ヴァイオリンと低弦はそのまま譜例351の模倣の遊戯を続けるのだ。これらはすべて2オクターブの急下降と力強い3つのト長調の和音へと収束するが、それはオーケストラ全体のユニゾンによる確固としたリズム;(図1)の宣言まで持ち越される。そこで、一瞬すべてが休止する。

 このような壮大なページで開始されるモーツァルトの作品は他にないと述べた。非常に似ているわけではないが、唯一と言えるものはハ長調の五重奏曲〔No.4 K.515〕のみであろう。この協奏曲はこの作品とかなりの類似点がある。この開始部が、当初思うほど変化しないわけではない。ゆるやかな和音の下降は威厳に満ちたバロック建築の正門を連想させるかもしれず、このような連想には非常に堅苦しい印象が伴うものだが、オーボエの小さなフレーズが短調で反復されるやいなや、その門扉は大きく開かれ、周囲を囲まれた内陣ではなく、広々とした地平線を目の当たりにするのである。我々は港におり、すばらしい景色が見えるところに停泊しているのだ。さらに、今は海の上にあり、誰も経験したことがない、しかし間違いなく英雄的な冒険を求めて、我々は人跡未踏の海原を航海しているのである。休止した時点の、断片(a)のさざ波へと分裂していく大胆な瞬間のこの楽章のリズムまでも含めたすべてのものがこの例えを連想させるのである。

 そして、壮大な展開が終わった今、聴衆は期待に胸をふくらませて待つのだ。変化は完結し、過ぎ去ったすべてのものの中で、新しい主題がそれによって開始された執拗なリズム(a)のみ残るのである。続いて現れるものは何と異なることか、はるか遠いところから、ヴァイオリンがモーツァルトの最も簡潔で最も感動的な旋律を誘い出してくる。それは妖精の行進を思わせるもので、そのスコアリングは、始めはあっさりしたものだが、進むにつれて次第に豊かなものになっていく。それまでの下準備があることによってメロディの美しさが著しく高められる。対照という古くからの工夫がこれほど新鮮に使われることは稀である(譜例353)18譜例353は弦のパートのみを抜粋したものであるが、ガードルストーンの「進むにつれて次第に豊かなものになる」のは、譜例第4小節目以降の木管の参加によるところが大きい。。最初ハ短調で提示されるこの主題は第2主題ではないが、それでも後ほど重要な役割を果たすことになる。オーボエ、ホルンそしてバスーンがそれを再述してハ長調へと転じ、この調を確定させ、総奏が終わるまでそこから再び離れることはない。そしてフルートが主旋律にうねるような対位旋律をかぶせていくが、その要素が展開部の構成素となる(譜例354)。ファンファーレが鳴り響き、それはモーツァルトの音楽でヘンデルのハレルヤ19ヘンデルの『メサイア』第2部終曲の、いわゆるハレルヤ・コーラスで頻出するリズムである。ピアノ協奏曲ではNo,13の第1楽章総奏提示部に見られる。なお、時期はこの協奏曲より後ではあるが、モーツァルトはこの『メサイア』を編曲(K.572 )している。が出現する3回か4回のうちの1回なのだが、しなやかで心地よい第二義的な主題が、この前奏をさらに詩的な音色で終結へと導いて行く(譜例355)(原注1)。その中に(a)のリズムが認められ、同じリズムが結尾部の主題の中で再び花開く。それは心の深みから立ち上がり、その見かけの軽さが感情の激しさを薄っすらと覆い隠す(譜例356)。モーツァルトが第2ヴァイオリンあるいはビオラのアルベルティ・バスによって旋律を下支えする小節は数多いが、その使い古された形式がここほど重要な意義を持つ例はほとんどなく、その上で薄い紗のような軽さで踊る旋律を飛翔させ始めるのである。

(原注1)譜例351のフルートのように、第3小節20オーボエとバスーンが模倣を行うのは、譜例355が終わった後の第3小節目からで、譜例355の開始部からは第7小節目である。からは、オーボエとバスーンが模倣的に答えあって動きを複雑化させる。

 これまでの協奏曲での経験(原注1)から、ピアノが入ってくるのをある気持ちの高まりとともに待つことを学んだ。この劇的な瞬間は時には極めてあっさりと起きることもあり、さらにいくつかの非常にモーツァルト個人的な協奏曲あってさえも、ピアノを、直ちに第1主題で導き入れることもある(原注2)。しかし、偉大な期間の協奏曲のほとんどの場合、特に1785年と1786年の作品では、独奏を舞台に呼び出す独創的な工夫が見出されるのである。時には心の奥底の感情の代弁者として弁舌をふるい(原注3)、ある時には新たな役が人の注意を惹き付けようとする(原注4)。この年のもうひとつのハ長調協奏曲K.467〔No.21〕では、堂々とした前奏の後、おずおずとあげられた独奏の声は、己の声を耳にすることによって初めて勇気を奮い起こすのだ。長大な管弦楽の導入部の後のこのような多様な独奏の入り方の魅力は、ベートーヴェンの後の協奏曲が楽章の冒頭にピアノを持ち込むことで己から奪い取ってしまったものなのである。

(原注1)K.271〔No.9 変ホ長調 ジュノーム〕、K,450〔No.15 変ロ長調〕、K.466〔No.20 ニ短調〕、K.467〔No.21 ハ長調〕、K.482〔No.22 変ホ長調〕そしてK.491〔No.24 ハ短調〕の独奏の入り方が注目される。
(原注2)K.451〔No.16 ニ長調〕、K.453〔No.17 ト長調〕、K.488〔No.23 イ長調〕その他。
(原注3)K.466〔No.20 ニ短調〕、K.482〔No.22 変ホ長調〕、K.491〔No.24 ハ短調〕。
(原注4)K.271〔No.9 変ホ長調 ジュノーム〕、K,450〔No.15 変ロ長調〕。

 ここでは総奏があまりにどっしりとしてさらに壮麗なために、一打ちでそれに匹敵しようとするピアノの望みは叶わず、しゃしゃり出るどころか、思い切って舞台に登場する前に呼ばれるというより連れ出されるのを待つており、それは幼稚園の芝居で初めて演技をする小さな子供のようで、舞台の袖で出番を待つ間舞台に出るのを拒み泣き叫んでいる。その保母が連れ出しに行くが、ここでは弦がその役割を果たし、愛嬌たっぷりの吐息のようなトリルでピアノの出番を誘うのだ。恐る恐るピアノの右手が高音で、弦の断片に対してそれを補うような断片で答えるのだが、それ以上は踏み出さない(譜例357)。最初と同様な2度目の誘いがそれに続くと、2度目の反応はやや大胆になり、8分音符が16分音符に変わる。3度目に、弦は自分たちの使命が終わりに近づいたと感じ、吐息のモチーフをカデンツへと変え、そして沈黙する。この3回にわたる呼びかけ(原注1)の後、ピアノは単独で己の道を探し求め、最初は短い試し走行で、最初のモチーフを3度繰り返す。そしてすぐに大胆になり、水気がとれた翅を拡げた蝶のように陽の光に向かって舞い上がり飛翔する。音階と分解されたオクターブによって上に運び上げられ、進み続けそしてオーケストラの中に姿を現す第1主題の上に勝ち誇ったようにその翅を休めるのだ(92~112小節)。

(原注1)モーツァルトの3分割とその反復への愛着について再度指摘すべきか?

 そして、これまでのいくつかの協奏曲のやり方を用い、この楽章は堂々とした開始部全体をピアノのパートによって装飾されながら再開する。このやり方がこれほど贅沢に用いられたことはかつて一度もなかった。最初の6小節は総奏で、そして、譜例348の小さなフレーズとともに初めはピアノ(p)で独奏を再び耳にする。ピアノは木管の内緒話を惜しげもなく潤色して飾り立てる(譜例358)。この階段状の音型はこの作品に特有のものである。そして一連の和音が再び開始され、ピアノ(p)のままで(原注1)、木管のみが総奏を再提示し、独奏と交互に和音を奏でる。このような緊密な協働と、優しさと量塊感の感動的な結合とによって、譜例359に到達するが、ピアノは再びその周囲を花飾りのような対位主題で装飾していく。

(原注1)独奏者ならびに指揮者はこの指示記号に従うことに留意すべきである。

 再び主題展開的パッセージがハ短調で8小節ほど進行するが、木管がそれを支えることはない。打ち出し続けられる(a)のリズムに対抗して、ピアノは音階の断片で上り下がりを行うが、その優雅な起伏は譜例351を思い起こさせる。弦の鋭いリズムと独奏のしなやかで心地よい響きが対立しまた調和する様はこの偉大な作品の豊かで多面的な特性を改めて示すものである。

 優雅な戯れも終わりを迎え、ピアノは単独で前進し、増幅された波のように上下する音型21第136~137小節は第134小節の音域を拡張して2倍の長さにしている。で弦を装飾しながら、低音から昇っていく。カデンツ的な音型がこのパッセージを結ぶが、ハ短調とト長調の間を揺れ動いて、ト長調を選びはするもののその調に確信が持てない。そして、第1ヴァイオリンからオーケストラの残り全体へ鋭い3つの8分音符のリズムを3回にわたって投げかけ、そして返されるが、総奏のフレーズは依然としてどちらかに決めかねている22これは「ヘンデル音型」であるが、譜例354直後の出現ではハ長調の主和音、提示部を閉じる時にはト長調の主音のユニゾン和音である。ところが、ここでの和音構成音はハ音と高音楽器の嬰ト音と低音楽器の変イ音であり後2音は同音であるため、実質的には2音和音である。ハ短調としてはハ音から変イ音の短6度、ト長調として見ると嬰ト音からハ音の長3度であり、長調短調が確定しにくい、どちらともとれる和音である。ガードルストーンは前の文で「調」の意味でmodeという語を使っているが、主音からの長3度と短6度の分割がリディア旋法的であると同時に、この長短調どちらとも確定できない非機能和声的状態を「旋法」的なものと見ているものと思われる。なお、提示部はこれに続いてト短調の属和音によって属調が確定される。

 ピアノが冗談と言ってよいほどあっさりと変ホ長調へと転調し、聴衆をその不安定さから解放する。これは今までかかずらってきたハ短調からの自然なしかし予想もできなかった退去であり、ピアノは自身の主題で出発する。この楽章の堂々とした進行はこの方向転換によって決して乱されることはない。実際にオーケストラを排除したことがピアノをより自由にしたように思え、独奏主題は、モーツァルトのアレグロでは極めて珍しいリズムで、ほとんど無頓着とさえ言えるようなくつろぎで開始されるのである。最初の部分は軽快なハーモニーで、誇り高くかつ物憂さげに広がっていく(譜例35923譜例359は転調先の変ホ長調譜として記されている。なお第5小節目の最終音以降のオクターブ記号が抜けている。1オクターブ上である。)。しかし、対照性ではなく同一性がこの楽章のしるしであり、この緩やかなリズムの中に3つの8分音符の音型が侵入するが、はじめはそのままの形で、そしてモーツァルトの“羽ばたく2度”で活力を与えられる。この音型がフレーズを引き締めるが、その飛翔を妨げることなく、それによって主題の進行がわずかに速まるのみで、そして長い半音階的な音階の中へと分散してしまう(譜例360)。パッセージの最後は弦さらに木管によって交互に控え目に支えられる24譜例360から第2主題譜例15cまでは第160~169小節、弦の伴奏は第160~162小節、木管の伴奏は第163~166小節であり、パッセージの最後ではなく「最初」である。

 興奮の高まりとともに楽章は足を速め、数小節後にそれは第2主題となって展開される。これは譜例353の行進曲ではなく、新たなテーマであり、独奏主題がゆるやかで旋律的であったのに対しぎこちなく、そのリズミカルな足並みは、弦がその輪郭に陰影をつける保持音によってやや和らげられる。そこではオーケストラのほとんどの楽器が一切参加せず、フルートとオーボエ、そしてバスーンのみがせわしないピアノの伴奏に合わせてそれを反復する。それはト長調だが、その結尾では長調と短調の間でためらう。これは展開の可能性を内包しており、その可能性は再現部で引き出される。この第2主題は以前の2つのハ長調協奏曲、K.246〔No.8〕およびK.415〔No.13〕ですでに出会った型のひとつの典型である(原注1)。独奏の最後は10度の上昇音階と両手によるオクターブのパッセージから成っており、その技巧はK.467以来耳にした何よりも重々しい。ピアノのオクターブは競い合いの中で、高音部の木管の静かだがきっぱりとした干渉によって2度にわたり遮られる。2度目では、回想に一瞬身を委ねるが、独奏は鍵盤の中央部に集中して再び上昇し、小節線を完全に無視して3小節にまたがる7つの8分音符のフレーズ25右手は第208小節第2~8音、第209小節第1~7音、第209小節第8音~第210小節6音という不規則な7音のフレージング、左手は第208小節第4音~第209小節第2音、第209小節第3音~第210小節第1音、第210小節第2~8音とやはり不規則な7音のフレージングであり、カノン的に4音遅れであるが、音型は同じではない。不協和音が頻出する一種音塊的な効果をあげている。によって最後のトリルで最高点に達する。

(原注1)原著93ページおよび152ページ参照。

 この独奏提示部は、これまでの協奏曲と同様に、聴衆を総奏提示部からはるか遠くにまで運び去る。24小節にわたって第1主題を提示した後、独奏はオーケストラの前奏が辿った道を完全に捨て去ってしまっている。これらの小節の後でもまたピアノが主導権を握り、オーケストラは最初に登場した時に独奏と対等であることを示したことでこと足りて、第2主題では背後に下がり、木管にピアノのために語る役割を譲ってしまう。しかし器楽的な重心が変わってしまっても、その精神に変わりはなく、対照的なムードのどれもこの曲の美しく滑らかな旋律線を乱すことはない。それは十分に包括的で、しばしば長調と短調の間をさまよい、全体を混乱させることなく変ホ長調に主調、属調、同主短調を組み合わせたりもする26主調はハ長調、属調はト長調、同主短調はト短調であり、変ホ長調からはト短調だけは下属同主調であるが他は遠隔調にあたる。。つまり、この提示部はモーツァルトの他の協奏曲のどれよりも頻繁にまたより長く転調するが、と同時に最も等質的なものなのである。

 第1主題の後、独奏提示部が開始部の総奏の素材を仄めかすことがないとすでに述べた。ここで、モーツァ原文ではト短調となっているが、この部分はト長調への移調であり、明らかな誤りであるため、本文を修正した。ルトは展開部のために総奏提示部にその視線を向ける。楽章のこの部分を導入するために、彼はすでに使用した経過句を繰り返すのであり、再び26~30小節と41~50小節を、前者をト長調27原文ではト短調となっているが、この部分はト長調への移調であり、明らかな誤りであるため、本文を修正した。に移調して立ち戻るのだ。一方後者はもともとト長調でありそのままである。(譜例350および譜例352の後半28正確には、譜例352の後半ではなく、譜例352に続く後半部分である。を参照)。そしてついに、3オクターブの急降下29下降幅はフルート、バスーン、ヴァイオリンの12度であるが、ガードルストーンは平行して下降するバスーンの最低音までの音域幅で3オクターブと言ったものと思われる。正確には2オクターブと5度である。へと至り、のリズムの宣言で3つのト長調の和音は引き伸ばされ、そして、同様な沈黙がそれに続く。

 この終結部は、そもそも軽妙で悪戯っぽいハ短調の“行進曲”の先触れであった30ここ提示部の最後は同じヘンデル音型によって結ばれ、それに続いて展開部が偽の第2主題で開始されるが、第1提示部では第1主題部の終結部に続いて偽の第2主題が提示される。これを「先触れであった」と言っているのである。。今回は、ピアノの同じリズムで強調された弦の2小節にわたる2分音符がホ短調へと滑り落ち、属調の関係短調31主調ハ長調の属調ト長調の平行調、ホ短調である。ここからが展開部である。であるこの調で譜例353が提示されるのである。

 それに続く50小節はこの主題のみに専念し、再述しては分解しつつ、そしてその断片をもとにして、複雑な対位法的構造を作り上げるのである。

 ひとたびピアノが行進曲を提示すると、2小節の経過句の後、独奏と諸楽器のパートが逆転し、木管がそれをイ短調で反復する。“あるべき”リズムが再度現れると、新たな下方への滑走があり、ピアノが主題旋律を開始するが、それはヘ長調である。今回は、如才ないが断固とした木管の介入が半ば過ぎたところでそれを中断させるが、1度上がったト短調で再び開始される。さらに新たな木管の介入があるが、ここで、この展開部の中心部分であり、モーツァルトのすべての作品の中でも最も独創的な瞬間のひとつであるゲームが開始されるのだ。

 譜例354を一見してみよう。見かけは主題と対位主題が緊密に結び付けられているが、これが分裂し、入れ替わり、重なり、独奏のアルペジオと音階に混ざり合うことになる。主題が分裂した3つの断片をすでに識別している。ピアノ、オーボエとバスーンには(a)が、フルートに(b)と(c)の独創的な対位法のパートが委ねられる。最初の3楽器はフルートの花飾りの1オクターブ下で、6度のカノンによって入り、その断片が一度終わると、ピアノがその有り余るエネルギーをアルペジオで注ぎ出し、最初はオーボエがフルートに加わるが、その他の楽器は沈黙している。そして再びピアノによってこの音型が開始される。今回は(a)がオーボエとフルートに、(b)と(c)がバスーンに委ねられる。一巡目はイ短調で始まり、ニ短調で終わる。

 2巡目は1巡目を長調で繰り返す。演奏者は同じ動きを重ねるが、それはト長調とハ長調を通っていくのである。この間、弦は背後に留め置かれ(a)の変形させたものを、ユニゾンあるいはオクターブでつぶやき続ける。この遊戯のすべては、演奏こそわかりやすいものだが、実は8声部の対位法なのである(譜例361)

 ゲームはその自由度を増し、模倣を基盤に展開され、それはオーボエとバスーンによる(b)の模倣、ヴァイオリンと低弦による変形された(a)の模倣であり、その幾分切れ切れの音型はピアノによって絶え間なく発せられる音階によって形を保っているのである。数小節でト音の保持音へと登り詰め、楽章のクライマックスであることと再現が近いことを告げる。それは力感を増しつつ、K.467〔No.21 ハ長調〕の譜例259を思い起こさせるピアノの両手逆進行のアルペジオの誇示とともに近づいて来る。そして、ピアノの分解されたオクターブの下降の間に木管がハ長調の和音へと昇って行き、全オーケストラがフォルテを宣して、第1主題(譜例347)が開始される。

 これまでのモーツァルトの協奏曲を論じる中で、その展開部は概ね技巧が自由に展開する一種のファンタジアであることを示してきた。モーツァルトの作品において協奏曲が詩的な意義を高めていくにつれ、表現性が単なる技巧に対して勝利を収めていき、1784年のニ長調〔No.16 K.451〕およびト長調〔No.17 K.453〕における中間部は冒険の精神が完全に解放されたことを如実に示している。さらにファンタジアとともに、モーツァルトの協奏曲にはフィリップ・エマヌエル・バッハの協奏曲がそのいくつかの例を提供している、所謂“主題展開的”な真の展開部を持っている作品もある。すでに変ホ長調K.271〔No.9 ジュノーム〕はすでにその一例である。K.449〔No.14 変ホ長調〕は定かでないので除くとすると、2番目の例を見出すのにニ短調〔No.20 K.466〕まで待たなければならない。そこではほぼすべてが開始部2つの提示部の小節から取られている。ハ長調K.467〔No.21〕および最後の変ホ長調作品であるK.482〔No.22〕はファンタジアへと戻っている。イ長調〔No.23 K.488〕では、展開部は再び主題展開的で、問題の主題が最初の独奏の後に初めて出てくるのは事実だが、それは再現部に現れるほど重要なものなのである。ハ短調〔No.24 K.491〕のものは実際には主題的ではないが、その伴奏における走句とその形式を満たしている精神はアレグロの他の部分と極めて近く、これは両者の性格をもったものになっている。

 最後に、この曲の展開部はK.271〔No.9 変ホ長調 ジュノーム〕以降の作品にあって最も厳密なものである。提示部からの主題に基づく展開部は常に楽章の形式的一体性を強めるのだが、この曲ではこの結果が特に著しい。最初の独奏で譜例353が欠けていることがそれと最初の総奏との主たる違いだが、その譜例353に立ち戻り、それに非常に重要なパートを与えることによって、展開部はそれを作品の中に統合すると同時に2つの提示部の間の距離を消し去ってしまうのである。

 モーツァルトの偉大な作品においては、展開部の残響が作品の残りの部分に対して重きをなすために、たとえ再現部が冒頭と同じものであっても、その構成要素はそれによって変貌しているのである。そこには隠された名状しがたい力があり、力に溢れた至上の指針によって煽り立てられた諸要素の揺り戻しのようなものがあるのだ。(原注1)

(原注1)サン・フォア:『モーツァルトの交響曲』224~225ページ。

 これがこの曲の再現部で起こっている。第1主題の勝利感はそれに先立つ展開部により、またその保持音によって輝きを与えられ、力強い技巧の発揮がそれを連れ戻すのである32やや文意がとりにくいが、展開部、とくにその結尾部において、ホルンのト音の長大な保持音によって、音色の輝きが、またそれと並行するK.467的なピアノの両手による力感が、再現部冒頭での第1主題の再現にサン・フォアの言うように「注ぎ込まれ」、全く変形していない第1主題が変質している、ということを語っている。

 しかも、それは変形されることなく再帰してくる。総奏と最初の独奏をともに再帰させるのは通常再現部に割り当てられる仕事だが、それが展開部においてすでになされているため33前段で譜例353について述べているように、展開部において総奏と独奏の各提示部の統合が試みられていることを言う。ガードルストーンは協奏曲の再現部は、単なる再現だけではなく2つの提示部の統合という機能が必要であると考えている。、この最後のパートが最初の独奏から大きく変わらなければならない理由はないのである。そして、いくつかの些細な変更(原注1)はあるものの、始まりの部分(290~322小節)がすべてそれに対応する提示部のパート(112~154小節)を忠実に再現していることに気づくのである。

(原注1)298小節とそれに続く部分がピアノ〔p〕となっていることに注意されたい。

 独奏主題が到来して初めて、踏み慣らされた道を離れる。ニ短調を通ってト長調に至る代わりに、その主題は突然上昇してエンハーモニックの転調を行い、すみやかに変ホ長調から変ホ短調、ロ長調、ロ短調、ト短調を横切り、そしてト長調を通って最後に主調へと戻る。これは極めて詩的な逸脱で、それがこの再現部の深さを増しているのである。最初、第2主題は調以外の変更はまったくなしに提示されるが、再びモーツァルトの移り気が顔を出し、ハ長調で終わると思ったその時、主題は後ろの4音34正確には、第2主題第2小節目の5音(4つの8分音符と4度上の4分音符)である。の翼に乗って、予期しなかった転調を試みる。その間ピアノはハーモニーを完結させながら、延々とアルペジオを連ねるが、これはモーツァルトの技巧がいくつかの形にくくることができると考える不用意なピアニストにとって落とし穴に満ちたものである。

 前と同じくト短調を通って主調が回復されると譜例353が回想され、それは直ちに第2主題に続く最後のパッセージに繋がっていく。偽の第2主題の回想は常より束の間だが、これにはすでに十分な活躍の場があったからなのだ。その前半のみがピアノのトリルのもとで繰り返されるが、そのピアノは最後の結尾を前に突如喜びを迸りさせる。

 残りの部分は、わずかな変更を加え、最初の独奏提示部の終わりの部分を再現する。そして、それを閉じた総奏が反復され、カデンツァに向けて数小節の間道からそれる。カデンツァの後はハレルヤのファンファーレと譜例355および譜例356が短縮されて回帰し、そして楽章が結ばれるが、最初の総奏と同じくコーダがなく、実際に終わりに至ったことを示すために余分な小節が付け加えられるのである。何か他のやり方、例えばハ短調〔No.24 K.491〕のコーダのハ長調の陽光を浴びたもののようなそれと同等なものを選ぶべきであったか……? とにかく、モーツァルトは別な判断をしたのだ。

 概してこの協奏曲は、ピアノがオーケストラに対立する、集団対集団35少々言葉足らずだが、ガードルストーンは、ピアノが単独で奏するよりも、ピアノと弦がともに木管に対抗したり、ピアノと木管がともに弦に対立したり、という協働のあり方を考えているのではないか、と思われる。の型のものに属するのだが、その展開部は複雑さにおいて匹敵するものがない協働のあり方の例を生みだしている。結果として、この作品は総奏と独奏の関係の2つの考え方を結び付けているのだ。そのひとつは第2提示部で、もうひとつは展開部である。

 再現部で目立った変更がないことがその静的な特徴を示している。他のいくつかの協奏曲は程度の差はあっても劇的な何ものかを表現しており、それが幸福に満ちたものであろうとも、最後のところでそれに新たな変更を加えることで、劇的なものを強調するのである。この協奏曲の世界は、変ロ長調K.456〔No.18〕のようにいつまでも変わることなく、危機や破局などとはほど遠い、フーガと教会音楽の世界であり、悲劇的な世界ではないのである。

 同じ調の他の作品もこの特徴を共有しており、所謂オリンピア的なハ長調の協奏曲としてはK.467〔No.21〕が最初の作品だが、今ここで見ている協奏曲はその中にあって最も壮大なものである。K.467〔No.21〕 との類似性は明らかだが、K.503〔No.25〕は、その大きさと雄大さ、さらなるインスピレーションの持続性、展開部の美しさと有機的な特性のみならず、他では非常に稀な甘美な旋律および詩的な高揚で前の作品を凌駕しているのである。K.467は“大理石のような”と称してよく、おそらくこの呼称はこの作品K.503にもふさわしい。しかし、この曲のそれはギリシャの神殿の石のように純正な縞模様が入ったアッチカ大理石であり、ギリシャ神殿のように陽の光によって温められてもいる。この曲でモーツァルトの情熱的な気性はほとんど水面間際まで現れており、それは突然の短調への下降(“高揚”と言うべきか?)の中で、またほぼすべての主題の心地よく響く形の中に常に現れてくるのだ。モーツァルトの作品の中でこのアレグロは巨人である。しかし、それは力強いと同時に温かい心を持った巨人なのである。

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