協奏曲第20
(No.24) ハ短調(K.491(原注1)

1786年 3月24日 完成

(アレグロ):4分の3拍子
ラルゲット:C (4分の4拍子)(変ホ長調)
(アレグレット):C(4分の4拍子)                                           

オーケストラ:弦、フルート、オーボエ2、クラリネット2、バスーン2、ホルン2トランペット2、ティンパニ2

(原注1)全集版番号で第24番。

 

 モーツァルトが1788年の夏の間に3つの偉大な交響曲をわずか2ヶ月1原文は in twice as many weeksで意味が取りにくいが、3大交響曲の完成日は、39番が1988年6月26日、40番が7月25日、41番が8月10日で、39番の作曲期間を考えると約2ヶ月ほどと思われるので、そのように訳した。で作曲した豊饒さは常に驚きの的だが、確かにこの偉業は賛嘆すべきものである。しかし、1786年の3月に対しても驚嘆する理由が十分にあり、この月に3週間の間をおいてモーツァルトはイ長調〔No.23 K.488〕およびハ短調〔No.24 K.491〕の2つのすばらしくかつ異質な協奏曲を生み出したのだ。そして、協奏曲を書くことのみにモーツァルトが専念していたのではないことを思い出すならば、驚きはさらに大きなものとなる。6年前に作曲された『イドメネオ』がウィーンの舞台で再演されることになり、それを改訂することに忙殺され、オーストリアの首都の好みでは単純過ぎると言われかねないものと入れ替えるためのアリアや二重唱を新たに作曲さえしており、これらの曲はイ長調〔No.23〕とハ短調〔No.24〕が完成する間に書き終えられているのである。

 これほどの豊饒さに匹敵するのは、1784年と1785年の四旬節の時期である。1785年同様に、1786年の四旬節も、同じ時にあるいはほぼ同時に構想され作曲家の相反する側面に光を当て対となる2つの偉大な作品を送り出した。しかし、1786年の作品間の違いは前年のニ短調〔No.20 K.466〕とハ長調〔No.21 K.467〕ほどではない。そして今度は、そのもうひとつの作品に続くのがより悲しみに満ちたこの作品なのだ。

 ハ短調の協奏曲はこの3年の間にまたがる偉大な12曲のひとつで、その最後から一つ前の作品である。次の冬に一連の協奏曲の最後を飾り、この作品の対となるハ長調K.503〔No.25〕とともにこれは協奏曲作家としてのモーツァルトの作品の輝かしい頂点である。これら2つの曲に一連の協奏曲全体を特徴づけている要素の中でも最も賞賛すべきものが一体になっているのだが、それはこれまでの協奏曲単体には見出せなかったものなのだ。高遠な楽想、構成の大きさ、総奏とピアノの緊密でバランスの取れた協働、豊かな記譜法、主題的な展開部、第1楽章に匹敵する重要度を有するフィナーレ、これらの特性はひとつのあるいは他の協奏曲で個々に見られたのだが、1786年のハ短調〔No.24〕とハ長調〔No.25〕にはこれらのすべてが備わっている。

 ニ短調〔No.20 K.466〕と同様、この協奏曲はモーツァルトの作品の中で孤立している。しかし、ニ短調に対してベートーヴェン的と称したような例外扱いをこの曲のためにするつもりはない。他のどの作品ともつながりがなくとも、この曲はモーツァルト的なインスピレーションの主流にあるのだ。確かに嵐に翻弄されるのだが、ニ短調ほど激しくも取りつかれた感じもない。これは嵐によってあちらこちらと駆り立てられる魂の表現なのだが、ニ短調はそれ自体が嵐であった。ごくわずかな一瞬、短い展開部で先立つ作品、ニ短調の緊張と抗しがたい力の域に達するが、それ以外のムードは劇的というよりも悲歌である。両作品が密接に関連した対をなすかのように語られるのが決まりごとになっているため、モーツァルトが書いた2曲の短調の協奏曲のひとつをもう片方になぞらえてみたいと思うのは至極当然だが、しかし、そのような試みは怠慢である。この2つがモーツァルトの他のすべての作品と非常に異なったものであることがこの2作品に共通するほぼ全てなのである。

 

Ⅰ 18世紀末および19世紀初頭の音楽の進化はギャラント・スタイルの区分された詩聯的な意匠から、楽章それぞれの部分の接合部が定かでない緊密な構造へと音楽を運び去った。エルネスト・ニューマンの喩えを借りるならば、音楽は、ますますテーブルのようなものではなくなり、ますます樹木のようなものになっていったのである2引用元のErnest Newmanの著作は特定できていないが、テーブルが一つ前の「区分された詩聯的な意匠」の比喩であり、着席する人に即してテーブル上も料理が配置されること、または食器ごとに区別され実質的に区分されてしまうことを言っていると思われる。樹木は「それぞれの部分の接合部が定かでない緊密な構造」の比喩であろう。。これはもちろん、今日まで続く、シベリウスの交響曲でひとつの頂点に達したと思われる進化の単なる出発点でしかない。

 モーツァルトはその時代にきわめて影響されやすく、その進化に動かされないことはなかった。半ば自律的な部分が強勢を持ったカデンツによって明確に区切られ、しばしばそれら自体に騒々しい主調あるいは属調の和声の数小節(原注1)が先行するいくつものソナタの楽章(原注2)以外にも、ほとんどの四重奏や五重奏のように、それ自体が主要主題のグループとほぼ同等の重要性を有するブリッジのパッセージにより各部分が接続されている作品も残している。モーツァルトがギャラントの慣例から最も遠く離れたのは間違いなく彼の室内楽である一方、演奏者への敬意という要素を伴うためにより当世風であったソナタおよび協奏曲は、モーツァルトがもっとその慣例に忠実であり続けたジャンルなのである。しかし、彼の偉大な協奏曲が、モーツァルトの個性を多大に自らのものとしそれをあますことなく反映しているとしても、それらの作品がその時代の傾向に影響されなかったということはあり得ない。この3年間の作品の中では、まずK.449〔No.14 変ホ長調〕のフィナーレのような例外的な楽章に、次いでト長調〔No.17 K.453〕のアレグロ、ハ長調〔No.21 K.467〕のアレグロとアンダンテにも、また程度としてはそれほどではないが、ニ短調〔No.20 K.466〕のアレグロなどに認められる3あげられたこれらの例は形式なものにおける時代傾向の影響であり、インスピレーションにおけるものではない。一例をあげるとアレグロにおける弱音での開始に強音のフレーズが続くというギャラント的な様式の保持などである。。これらのよく統合された楽章の他にも、これらに交ざって、K.482〔No.22 変ホ長調〕やK.488〔No.23 イ長調〕のアレグロのように詩聯的な構造を有する楽章も引き続き見出すことができる。統合化の進展は多くの作品によって証明されているにも関わらず、区切られた節を有する楽章は生涯の最後まで現れ続けるのである。モーツァルトの最後の協奏曲〔クラリネット協奏曲K.622〕と最後の五重奏曲〔No.6 変ホ長調K.614〕はともに再びギャラント音楽のにぎやかなカデンツを聴かせてくれる。

(原注1)二重奏ソナタK.521〔4手のためのピアノ・ソナタ ハ長調〕のアレグロは明瞭な区切りを持つギャラント・スタイルの楽章の中で最も成功しているものである。
(原注2)ワーグナーの言う“王侯の宴席での食器の騒々しい響き”

 しかし、概して言えば、1784年から1786年の12の協奏曲はハ短調〔No.24〕で最高点に達する均質性に向かう進行の証となるものなのだ。騒々しく表情豊かに活気のあるニ短調〔No.20〕のカデンツはもはやそこになく、主題のグループが次のグループへと分節されることなく繋がり続ける。この点でこの作品はニ短調〔No.20〕の双子であるハ長調K.467〔No.21〕を思わせるが、他のほとんどの面ではそれと非常に異なっている。

 

 開始の主題はモーツァルトのいかなる第1主題にも似てはいない。唯一わずかなりとも思い起こさせるかもしれないものは、K.449〔No.14 変ホ長調〕譜例74である4両者の冒頭は相互に転回関係にある。。これはニ短調〔No.20 K.466〕のように、ほとんどの協奏曲がそれで始まる行進曲と華やかな総奏から、はるか隔てた場所に聴衆を連れ去る。3拍子のリズムはめったに協奏曲では使われないものだが、それが創意に富んだとの印象を強める(譜例323a)。これはユニゾンで展開し(原注1)、最初は明確な外形もなく、不安定で半音階的である。調性も明確に定まらず、同じ場所に戻るかと思うと、実際には先に進んでいる。第9小節でわずかだが集中力が高まり、最後は主調に戻るものの、これはそうさせられたのではなく、長い放浪の旅路を追い続けているように感じさせる。

 慣例的なギャラントの開始部としてモーツァルがここで従っているのは、ピアノからフォルテへという構成の他には何もない(原注1)。13小節目でオーケストラはフォルテッシモ5新全集版ではフォルテである。に入るのだが、オーケストラはモーツァルトのすべての協奏曲の中で最大で、クラリネットとオーボエの両方が加わる唯一のものである。主題が反復され、そしてその不安定さに次第に強さが加わっていくが、それは特に最後の数小節の引き伸ばしと執拗さによって顕著なものとなる。主調に戻って結ぶ代わりに、その行進曲は妨げられることなくヴァイオリンの“羽ばたく2度”によって速められ、瞬時属和音の上で休止するが、新たな対照的主題に置き変えられることなく、活力を増して新たに出発する。

(原注1)240ページ(原著)を参照。

 それに続く数小節は何かの先触れではなく、それ自体で独立したものに思えるが、結局譜例234へのブリッジであることがわかる。その語りを変えることなく、しかし開始部のように静かに、木管の三重奏が第1主題の2つの半片を取り交わし、また対抗させつつ、1回に1度ずつ上昇していく(譜例323b)。その上昇が終わりに近いことを知らせるものは何もなく、突然空から1オクターブを少し越える音階で新しい音型が舞い降りて、その侘し気な優しさが開始部のムードをより際立てる(譜例324)。それはフルートとバスーンの間でのオクターブのカノンの形をとっている。これは第2主題ではなく人を引き付ける罠のようなものだが、それによってモーツァルトは己の協奏曲を慣行の枠に嵌めてしまうことを回避したのであり、それは再現部まで再び現れることはない。それは音楽を引き伸ばすが、譜例323bが姿を現す中で消え去っていく。譜例323bが展開し、再び第1主題を呼び戻す。それは低音部で響き、そこだけに閉じ込められているが、ヴァイオリンの反復音と木管の保持音を通して飛び立とうと試み、結尾をつけるのかと思わせる。しかし転換点のここで、突然近親調の下属調6ガードルストーンは近親調relative majorをすべて「平行調」の意味で使っている。したがってここでは直前のハ短調の平行調、すなわち変ホ長調、そしてその下属調で変イ長調である。普通の「近親調の一つとしての下属調」という意味ではない。の訴えるような甘美さの中へと落入るのだ。モーツァルトは最初の総奏でめったに転調しないために、その驚きは一層大である。束の間の休止をへて、ヴァイオリンとフルートは互いに呼応し合い、再び行進曲を開始してハ短調へと戻る。そしてすでに推移句、譜例323bでその役割を果たした譜例323aの4つの音の断片の上でフルート、クラリネットとバスーンにより引き続いて奏される上昇音階が、フォルテに転じた結尾主題へと導いて行くが、それはリズミカルな怒気を含んだフレーズで、そこに第1主題の跳躍を聴き取ることができる。

 この心をかき乱すような総奏は最も短いもののひとつ(原注1)であり、楽章の中の素材のごく一部しか含まれていない。最後に再帰してくるだけの偽の第2主題、譜例324と結尾主題を除けば、それはすべて最初の旋律を提示し、展開するもので、単純な提示されたときのもの(1~27、63~73小節)、展開した形のもの(28~44小節)、その断片のどれかひとつをもとにしたパッセージ(74~87小節)のいずれかの形でほぼ常に存在しているのである。モーツァルトの主題の中でこれほど展開労作の可能性に富んだものはなく、どれひとつとしてこれほど流動的で、それに続くもの7「それに続くもの」は、譜例325に示すように本楽章におけるものの他、ベートーヴェンへの影響など後代に対して扉を開いているという意味も込めているものと思われる。に対してこれほど広く扉を開けているものはない。楽章を通して頻繁にそして多様に変化しながら(譜例325)8譜例325は非常に見にくいが、aからgの7つの譜例である。詳細は以下の通り。
・325a(第1段第5小節まで) 第123~127小節
・325b(第1段第6小節~第2・第2小節まで)  第165~166小節、前半はバスーン、後半は低弦の譜である。
・325c(第2段第3小節~第5小節まで)  第170~173小節
・325d(第3段)  第265~273小節
・325e(第4段)  第309~313小節
・325f(第5段)  第346~349小節
・325g(第6段)  第354~358小節
325eおよび325fはバスーンの譜であるが、325gはスコア上はヘ音記号であるが、手書き譜はト音記号に移して表記されている。
、その主題はアレグロ全体の中に浸透していく。ひとつの特徴的なリズム(図1)が楽章全体で執拗に出て来る同様なパッセージにはすでに遭遇しているが(原注2)が、この作品を貫き統一をもたらしているのは、その特徴的なリズムとともに、6度ないしは7度の跳躍、下降する4つの音符、半音階的な上昇などの旋律形なのである。モーツァルトはアリアから継承された、より初歩的で形式的な“接続主題”を使う手法、すなわち、開始部から集めた二義的なモチーフが親しい顔ぶれのように再現して安心感を与え、それが道標となって働くという手法を放棄している。実際に彼は1784年以降ほとんどそれを使っていないのである。

(原注1)独奏提示部の半分より若干長いだけである。
(原注2)例えば、K.459〔No.19 ヘ長調〕の付点四分音符、K.467〔No.21 ハ長調〕の行進曲などである。

 つまり、この総奏は梗概ではなく序奏なのである。独奏提示部が総奏の冒頭の主題のみを取り上げ、その半分以上は独奏によって提示されるか、あるいはピアノの装飾を伴ってオーケストラによって再述され、再現部に再び回帰するという点で、これは変ホ長調K.482〔No.22〕のものに似ている9「似ている」の内容は「独奏提示部が」以下の内容である。本段落冒頭の文に続くようにも読めるが、K.482の総奏提示部は序奏ではなく梗概型である。。これらの協奏曲は、モーツァルトがこのようにすでに耳にしたパッセージをピアノの装飾とともに反復する初めての例ではない。1784年のニ長調〔No.16 K.451〕とト長調〔No.17 K.453〕では、モーツァルトは最初の独奏の冒頭でまさにこのことを行っていた。しかしピアノとオーケストラの再統合が楽章の最後10再現部のことである。にまで後回しされるのはひとつの進歩である。すなわち、それは作品が与える劇的な感覚をさらに高めるからである。

 これら最初の100小節は、主要主題に固執することで、楽章が展開すべき範囲の境界を定めた。ピアノが入ってきても、その行動はすでに約束されていることなのである。

 独奏が己を導く独白は、モーツァルトの多くの主題がそうであるように3つの旋律で繰り広げられる。3番目の旋律は引き伸ばされ、崩れ去って連続するため息となり、主和音の中に消えてしまう。曲の進行の概要を示すと、属調から出発し、少しずつ上昇し、最後に絶望の身振りとともに突然降下する(譜例326)、という形である。総奏と同様、この序奏は悲劇というよりも、エレジーを告げるのである(100~118小節)。

 金管が調和音11ホルンとトランペットによるハ音の連続音である。を加えつつ、オーケストラは再び第1主題を展開し、木管が4小節目で弦からそれを引き取り、そして6小節目でピアノが木管から引き継ぐ(譜例325a)。しかしピアノはそれを変形するために引き継いだのであり、その跳躍は7度から12度になり、そして14度へと大胆になっていく。そしてさらに盛り上げようと音階のパッセージへと変形させるが、数小節で変ロ長調へと導き、その属調を通して近親長調へと入っていくのである12ホルンとトランペットによるハ音の連続音である。(118~147小節)。

 新しい旋律が始まる(譜例327)。それは闘争の後で平穏を歌うようにみえるが、その形において最初の総奏の悲歌、譜例324を思い出させるのである。しかし、そののどけさは上辺だけのものなのだ。3度目の繰返しで導音を下げ、そしてナチュラルのロ音によって不安定さが表れ13譜例327の手書き譜では、最初の2小節が反復記号によって記されているため、3度目の繰返しは3小節目からである。、ハ短調の近くにいることに気づかされるのである。これは独奏主題の場所にあたるため、ピアノがそれを提示するが、華麗なパッセージを続けることなく沈黙してしまい、木管が主題を繰り返し、オーボエとクラリネットの間で模倣が行われることでさらに豊かなものとなる(148~164小節)。それゆえ、後に出て来る変ホ長調の主題の存在が、この楽章を教科書通りの構造に当てはめることを妨げなければ、これは真の第2主題になっていたことだろう14通常、独奏の独自主題総奏は「独自」の語が示すように、真の第2主題のように他の楽器によって反復あるいは展開されることはない。ここでは木管による反復が行われ真の第2主題の趣きを持つのである。「後に出て来る変ホ長調の主題」は譜例325c譜例330aであるが、通常のソナタ形式からは逸脱したものである。

 木管が奏し終わらないうちに、ムードは突然変化し、田園詩は悲劇に転ずる。熱情が口を開き、それは依然ピアノpのままだが、前の主題の最後の音を切断して独奏が入り、しばらくヘ短調でさまよう(譜例325b譜例328)。警鐘は突然だが短く、すぐに変ホ長調を回復するものの、興奮はまだ続いている。最初の独奏のピアノの哀調に満ちた響きから今始まったばかりの燃え立つような競い合いまでどれほどの隔たりがあることか。ピアノの右手が非常に活力に満ちた“アルベルティ・バス”を高音部で奏し続ける一方、その左手は深みから怒りに満ちた音階を突き上げる。これはほんの瞬間ではあるが、ニ短調〔No.20 ニ短調 K.466〕の激しい走句を思わせる。この荒々しい音調は、その荒削りの外形を和らげるフルートとオーボエの優雅な絡み合いによって、幾分かは覆い隠される。より滑らかな3小節(175~177小節)を経ると、再び不安が聴衆を包み込み、変ロ長調、変イ長調そして変ホ長調の間を行き来する。これら各々の調でピアノとヴァイオリンは喘ぐような音型を繰り返し(譜例329)15譜例329の下2段は高音部第1ヴァイオリン、低音部は第2ヴァイオリン、ビオラ、低弦である。、それは稲妻のように連続するアルペジオと、うねりながら上昇しまた下降する一片の音階へと分解し、最後の勝ち誇ったような猛攻撃で変ホ長調のトリルを奪い取るのだ。

 そのすぐ後、オーボエとクラリネットがヴァイオリンの揺れ動く音型に優しく撫でられながら、もうひとつ別の主題を提示する(譜例330a)16譜例330(a)は前半2小節がオーボエ、後半2小節がクラリネットの譜(第208~209小節)である。譜例330 (b)の後半部の上昇は、第207~208小節のクラリネットである。が、それは3度から3度へと、バスーンの深みにまでしみわたり、そしてその後半部が上昇する(譜例330b)17原著では325bとなっているが、明らかな間違いであるため、本文を修正した。。ピアノがそれを反復し、3度の下降線に沿って装飾するが、ヴァイオリンは木管が行ったままにそれを繰り返す。

 ここでこのまま長調が定着し、新たな展開部分の最初の小節(220小節)がそれを確実なものにするかのように思われる。まさしくここは独奏提示部を閉じる華麗なパッセージを耳にし、補完的な調に完全に引き入れられるところなのである18通常ではこの時点で華麗なパッセージで数回の転調により最後の属調、ト短調へという流れである。しかしながら続く文で述べられるように、ピアノが第1主題を奏し、しかもそれはホ短調であり、やや遠い調への転調である、という不規則な流れとなっているのである。。しかし、弦の反復音で強調されたざわめきが再び始まると、聴衆は身構えさせられるのだ。それだけではなく、最初のピアノの入りとともにいかに早々と長調が短調を追い払ってしまったかを思い出すべきなのである。暖かすぎる2月は春の霜の先触れなのだ。実際、譜例330を閉じ、弦によって強調された変ホ長調の和音19譜例331の第1小節初音の和音、すなわち第220小節の初音のことである、はその2小節目で、それが最初の総奏で君臨し、独奏が始まって以来眠りに就いていた、先の譜例323aの冒頭に他ならないことが分かるのだ。それはフルートの高音部で明瞭に奏され、打ち震えるヴァイオリンとビオラが和し、ピアノのアルペジオによって急き立てられる(譜例331)、これらはすべてホ短調なのである。7小節目で当初の形から離れ、モーツァルトではきわめて例外的な嬰ヘ短調へと入っていく。ここでは嵐が猛威を振るう。牧歌と悲歌は再び闘いの雰囲気に屈服してしまい、ピアノのパートは木管のスケッチ的なアルペジオと弦のシンコペーションに伴奏されてきびきびと鍵盤の上を昇り下りする(譜例332)。そして響きのうねりは小さくなり、短いフレーズが現れ、モーツァルトお気に入りの下属調への転調と短調の最後の一押しとともにリズムは崩れて緩やかになり、変ホ長調の平穏な世界に立ち戻るのである。

 今度こそ、その穏やかさは決定的と思われる。落ち着きのない総奏の伴奏も静まり、ピアノは数小節の間単独で、無邪気で穏やかなパッセージワークに興じる(241~248小節)。しかしそのエネルギーはまだ使い尽くされてはいないのだ。ピアノは木管との息のあった対話の中で、そこに弦が重なりながら、その勝利を確かめようとする。この三者はかくも恐るべき災難を無傷で乗り越えてきたことをお互いに祝いあっているようである(249~256小節)。

 嵐のような部分の冒頭、譜例331を除けば最初の主題は開始部の総奏に比べさほど取り上げられて来なかったが20開始部の総奏は序奏的なものでその素材は第1主題のみで押し通されていたのに対し、それ以降第1主題が本格的な形では登場しなかったことを言っている。、今はその主題に取り掛かり、第2の総奏21ガードルストーンは「構造」の章で補注しているように第2提示部をthe first solo、展開部をthe second soloと呼んでいるが、the second tuttiという使い方はここが初出である。文脈的にこれは第2提示部での独奏が終わった後の、それを締めくくる総奏(譜例325d以降)のことを指しているものと思われる。the second soloの間違いではないことは明らかである。に素材を提供する。しかしそれは変ホ長調へ転調し、不吉な跳躍を転回させることによって22第267、269小節のヴァイオリンの11度の下方跳躍である。、明るく美しくなっているのである(譜例325d)。この18小節23提示部を締めくくる第265~282小節である。の短いパッセージには一種のユーモアが息づいているが、それは譜例323aで始まり、その爪を隠し、同じく転調されて、最初の総奏の最後の数小節で締めくくる。すなわち、これは仄暗い冒頭部が明るい色調で縮小されたものなのである。

 第2の独奏も同じようになそうである。それは第1独奏と同じく長調に転じた譜例325aで始まるからだ。しかし、その断片の最初の反復時にその主張は問いかけへと変わり、木管が夢心地でエコーするが、3回さらに4回目の問いが投げかけられ、それは短調でなされるのだ。おそらくもうひとつの短調協奏曲〔No.20 ニ短調 K.466〕の記憶が、独奏の最初の音符による展開部の開始にモーツァルトを導いたのだろうが(原注1)、それはともかく、ここでのその工夫の用い方はK.466と同じではない。今は情熱的な問いかけや嘆息の時でなく行動の時であり、音楽は悲歌から唐突な動きで再び悲劇へと移っていく。

(原注1)ベートーヴェンの作品61〔ヴァイオリン協奏曲 ニ長調〕と同じくこのような動きをするものは、モーツァルトの中でもこの2曲だけである。

 譜例323aのヘ短調による回帰によって闘いの幕が切って落とされる。オーケストラがその最初の数小節を再述し終わると、ピアノが鍵盤の高音から跳躍し、いつものアルペジオと断片的な音階の武器で弦の上に舞い降りる。それは4小節フレーズの攻撃に突入し、3回にわたりト短調、ハ短調、そして変ホ長調と調を変えて繰り返するが、その間その他の楽器は譜例323aで自らを防衛する(譜例325e)。変ホ長調と出会っても、闘いが和らぐことなく、音階は弦と木管による騒然とした背景の中で怒りの道を辿り続ける。闘いが頂点に至った時に、オーケストラの防衛は屈服し、ピアノが3オクターブを急降下する。モーツァルトは最も簡単な技術的方法によって強く心に訴える効果を生み出すのである。この数小節に、リストやチャイコフスキーの和声を駆使し尽くしたパッセージ以上に天空崩壊の感覚を味わうのだ(譜例333)。効果の持つ力はその瞬間をどのように準備するかその技術に負うところ大なのである。

 これから開始される部分は、モーツァルトの作品にあって情熱が真に開放されていると思える数少ないもののひとつである。譜例334はモーツァルトとしては非常に例外的な肉体的感覚に直接訴えるものである。ここにあるのは、聴衆を純然たる攻撃の勢いで動かし、肩をつかんで揺り動かそうという試みであり、それは指揮者が作曲者の意図を理解し表現することができなければ成功が覚束ないものなのである(原注1)

(原注1)サン‐フォアはこれらの小節と偉大な変ホ長調交響曲〔No.39 変ホ長調 K.543〕の展開部のクライマックス(これもハ短調)の類似性を指摘している(『モーツァルトの交響曲』167ページ(原著)参照)。しかしながらそれは、荒々しさがさらに顕著でさらに直接的に肉体的に訴えかける。両作品で形式的な核となるものは、モーツァルトの激しい感情の瞬間に常の“羽ばたく2度”に他ならない。しかし、それは文脈により、また作曲家がそれに込めた情熱に応じてしかるべく変形されているので、耳にした瞬間にはそれに気付かないのである。

 打ち震えるその他の諸楽器に対して、ピアノが突き上げて答える。これからは、防御側が攻勢に転じる番である。4回にわたる勝負が開始されるが、毎回その調は異なっている(原注1)。5回目にして一種の和解を見るが、ピアノと木管が怒りに満ちた大きな音域幅の上でともに歩み(譜例325f、木管低音のところ)、息継ぐ隙もない高音部でのアルペジオの奔流によって活気づけられる。そして独奏はピアノpに声を落とし、属調を経由して主調に戻るが、その音階線の背後には常に消えることがない第1主題のエコーがひとつの木管から他の木管へと弾むのを聴くことができる(譜例325g)

(原注1)再びその調は4度ずつの進行である24下属調進行である。

 展開部はほとんどのモーツァルトの展開部と同様に短いものだが、彼の作品の中でも確かに最も波乱に富んだものである。もどかし気に“悲歌的な”調べを振り払った瞬間から、一瞬たりとも立ち止まることはない。しばしば、モーツァルトの展開部では、最初の表現に富む数小節の後はただ第1主題に、そして再現部に向かって進むだけである。同じように頻繁に、すでに耳にした主題の断片を弄ぶこともある。また、彼の協奏曲においては、ファンタジア(原注1)および技巧が支配的であることはすでに指摘した。主題展開的な展開部はK.271〔No.9 変ホ長調 ジュノーム〕で早くも姿を見せていたが、1784年以降にはより普通に使われ、ニ短調〔No.20 K.466〕およびハ長調〔No.21 K.467〕、それとこの曲〔No.24 ハ短調 K.491〕のように、それがドラマの核心を明らかに示すものになるのだ。この3曲の中では、ハ短調のものが最も多彩である。第1主題のヘ短調での回想、鷹が獲物を目がけて舞い降りるようなオーケストラへのピアノの攻撃(309小節25「舞い降りる」という比喩から考えると、このピアノの攻撃は第302小節と思われる。)、砕け散って消滅する譜例333譜例334の総奏の集団的攻撃、ピアノと木管の新たな冒険(346~353小節)、そして最後に伴奏の軽快なうねりの上を滑降しながら元へ戻る。これら実に様々なエピソードが、同じひとつの、しかしその強弱の度合いは多様な情熱的な精神の刻印を押され、ひとつの楽器から他へと主導権が受け渡されながら、また、憧れ、怒り、渇望などの個々のムードに照らし出され、そして連続する転調の中で展開していく。経由する諸調の中で第1独奏での嬰ヘ短調ほど関係が希薄な調はひとつもなく、ハ短調の近親長調にとどまっている。しかし動きはその速さを増し、モーツァルトは互いに近親性が薄い調を探し求めているかのように実に多様な調性を限られた手段によって勝ち取るのである。ゆえに、この作品が最も力強いものであると同時に、最も色彩豊かなものであるとの印象を与えるのだ。

(原注1)K.414〔No.12 イ長調〕、K.450〔No.15 変ロ長調〕、K.451〔No.16 ニ長調〕、K.453〔No.17 ト長調〕、K.456〔No.18 変ロ長調〕、K.459〔No.19 ヘ長調〕、K,467〔No.21 ハ長調〕、K.482〔No.22 変ホ長調〕を参照されたい。

 総奏と独奏提示部の間には、ハ長調協奏曲K.467〔No.21〕と変ホ長調K.482〔No.22〕で見られたものと同じ差異が存在する。1つの主題のみが両者に共通しており、第2提示部は第1提示部の素材を反復することも引き伸ばすこともなく(原注1)、全く新しい要素を導入する。再現部の仕事はそれらを繋げ、主題をすべて呼び起こすことである。それはできるだけ簡潔にいかなる技巧も入り込む余地を与えずこの仕事を果たす。

(原注1)例えばK.451〔No.16 ニ長調〕、K.466〔No.20 ニ短調〕そしてK.488〔No.23 イ長調〕で行われているようなものである。

 展開部の熱情的爆発の後では、すべては語り尽くされ、大いなる生命力は使い果たされ、楽章の命も残り少ないように思える。確かにこの最後のパートが表すものは深い憂鬱そのものである。幾分敗北主義的な気分が最初の独奏ののどかなほとんど幸福ともいえるような主題、譜例327および譜例330の回顧を許すのだが、しかし、モーツァルトの不変の慣例にしたがい、短調で、さらに、2つのうちでより哀調を帯びた譜例327がもうひとつに続くようにその順序が変更されているのだ。さらに、この楽章の意味を決定的にするため、譜例327に開始部の総奏以来耳にすることがなかった譜例324の悲歌をすぐに繋げるのである。譜例334のような怒りに満ちた爆発や展開部の激しい小節のようなものはもはや見当たらないのだが、大気はさらに暗さを増し、ここでは悲劇が哀歌にとって代わられ、ある種の悲しみが深くさらに深く染みわたっていき、あの素晴らしいコーダに至るのである26この段落と次の段落は再現部前半の解説の重複である。

 独奏の前奏曲の直後と同じように、第1主題がフォルテで反復され、当初は、総奏提示部ではなく独奏提示部にしたがって再現されていくのである。ピアノによって付けられるコデッタでそれと別れ、最初の総奏で続いた結尾に立ち戻るのである(28~33小節、再現は381~386小節)。ここでは終結されないこのパッセージが、ハ短調へ移されていること以外には変更なしに提示される第3主題、譜例330へのブリッジの役割を果たすのである。技巧パートを徹底的にすべて切り捨て、それは新たな悲しみの衣装をまとって非常に痛切な第2主題、譜例327に繋げられる。ピアノは第2主題27譜例327のことである。を以前と同じように提示するが、しかし木管がそれを繰り返す時、それぞれの反復の間に感動的な上昇フレーズを挿入する28ピアノが上昇フレーズを挿入するのはフルートだけによる反復の間でだけあり、第1および第2クラリネットはピアノと同タイミングでフルートのフレーズを反復する。。これはこの協奏曲の中で最も美しい瞬間のひとつである。主題はピアノのこれらの挿入句によって大いに変形される。すばらしい転調のパッセージ、譜例328がそれに続き(165小節、再現428~434小節)、すぐに変形されて第1主題の変奏の中に消えて行く。スコアリングは完璧で、旋律線はピアノに装飾されて生命力を増すが、突然譜例324が空から落ちてくる。主題展開はピアノとの協働で生み出されるのだが、K.482〔No.22 変ホ長調〕とちょうど同じ場所で、モーツァルトがもともとはオーケストラに委ねられていたパッセージに、管弦楽法を乱し、音調のバランスを混乱させることなくピアノを導入する技の頂点29第1提示部どおりに再現される譜例324の中、第448小節からピアノが3連符を主体とした旋律を挿入することを言っている。を示しているのである。35小節から62小節と435小節から462小節までとを比較されたい。わずかな細部の変更の範囲にとどめ、スコアリングは同じ形で配置されているが、モーツァルトはもはやその前にフルートとオーボエのパートであったものを独奏に与えるようなトリックに専ら頼ることはせず、木管の譜例323bに、また木管と弦の両者による譜例32430原著には譜例334とあるが324の間違いであるため、本文を修正した。に独奏を付け加え、活気のあるアルペジオで低音部に厚みを増し、特定の小節を細部で強調し、片方の手によって高音、あるいは低音で装飾を加える。そして、最後は4小節31453~456小節、元は53~56小節である。木管はオーボエからクラリネットへの受渡しが、フルートとオーボエの合奏に、ヴァイオリンがピアノの右手に入れ替えられている。にわたってすでに述べたような入れ替えを行うのである。

 再び最初の総奏の道を離れ、短いが力強い華麗なパッセージが、これは再現部で唯一のものだが、この場のピアノ・パートを締めくくる。譜例323aが最後に再述され、カデンツァの到来を告げる。モーツァルトはこの曲のためにカデンツァを書いてはいないが、総奏が回帰することは、それがトリルで終わるのではなく、カデンツァの次に来るものに繋がることを示している。そして第80から99小節が繰り返されて結末へと導いて行く。

 モーツァルトはこのような形で終ることに満足していない。他では、最も偉大で個人的な作品においてもこのように終えることがあったのだが、彼の協奏曲の中では真の意味で唯一のもの(原注1)であるコーダを付け加えるのである。曲は開始部総奏からの引用の最後でピアノpへと落ち込み、そして静かに最後の独奏が入ってくる。それは神秘的な薄明のような減7の保持音の上で足早に進み、その間、ヴァイオリンと木管が次々に軽快な足取りの伴奏音型を奏し続け、その静けさにもかかわらずこのような弾力と生命感を与えてくれる第1主題の弾むような16分音符を保ちつつ至高の結末に向かう(譜例335)。そして最後にわずかに下降してピアニッシモに至る。

(原注1)しかしK.271には、貧弱なものだが先行例がある。

 再現部が他のほとんどものより短く、また技巧部分が無いことは注目すべきである。独奏者がこの直前で聴衆の脳裡に自らを深く刻みつけようと試みた音符の奔流は見る影もない。逆に、ピアノ・パートはピアニストではなく、作曲家を立てているのだ。作者が役者に優先しているのである。曲はその使命を果たすことに専念し、結末に向かって足を速める。すべてが語り尽くされた最後に至り、初めてモーツァルトは己がピアノの名手であることを思い出し、コーダで2つの機能を合体させる。

 ベートーヴェンがこの曲を称賛したことはよく知られている。彼がこの曲を模倣したことはないが、この曲と同じく彼が30歳の時に作曲されたハ短調の協奏曲〔No.3 作品31〕ではこの曲を間違いなく心にとどめていただろう。そして自らのやり方に従い、感じ、そしてそれが一人の人間と他の人間の間で、また作品間でムードが同一であり得る限りで、これと同じムードを表現したのである。しかしながら、この第3協奏曲がいかにベートーヴェン的なものであっても、非常に若いベートーヴェンのものなのだが、これをモーツァルトへのオマージュだと見做しても、突飛な考えとは言えないだろう。この曲の主題がすべてのベートーヴェンの作品の中で最もモーツァルト的なもののひとつであることはおそらく偶然ではなく、作品の全体的なトーンは、いつもの彼の作品に比べてはるかにモーツァルトに近いものである。ベートーヴェンが彼らしくない時は、モーツァルトよりもハイドンまたクレメンティに近づくのだ。しかし、いつもの場合とは違い、彼の第3協奏曲に、モーツァルトのハ短調作品〔No.24 K.491〕なしにはおそらく日の目を見ることがなかっただろう作品を見出すのである。

 おそらくここは、すでに以前の章で言及した(原注1)重要な問題について語るのに最もふさわしい場所だろう。それは一般論なのだが、それについて議論することを、勤勉な読者がモーツァルトのウィーン期の偉大な作品の終わりに近づき、これらの作品を通して協奏曲の形式に親しむまで先おくりすることを選んだ。この問題は最も完成度が高いこのハ短調の芸術作品〔No.24 K.491〕で解決されており、これを扱うための時が熟したようである。

(原注1)第Ⅰ部2、33、34ページ

 それはこういうことである。

 総奏の提示部、それに続く独奏提示部、そして再現部は、同一の要素が入っている最初のアレグロの3つのパートである。そのため幾分か一本調子に陥る危険性があり、特に再現部は単に独奏提示部を繰り返すのみとなる危うさを抱えているのである。モーツァルトはこの危険を避けたのだろうか、そしてどのようにそれを回避したのだろうか? 

 実は、これは二重の問いなのである。協奏曲では、総奏と独奏の提示部の間にどのような差異を設けているのだろうか? 再現部はそれらと、特に独奏提示部とどのように異なるのだろうか?最初の問いと次の問いは別個のものなのだが、古典期の作曲家が2番目の問いをうまく解決できるかどうかは、彼が第1の問いをどのように解くかによるのである。

 協奏曲によっては、お決まりのパッセージワークを挿入することだけで最初の総奏をそれに続く独奏から区別しようとするものもある。それは独奏で総奏の要素を同じ順序で繰り返し、属調に転調し、オーケストラのパートにピアノのパートを付け加えるか、さらに多くは、ピアノでオーケストラのものを置き換えるのである。しかしながら、ほとんどは、独奏のためにとっておかれた主題を導入するのだが、通常はこれが2つの提示部の主要な差異となるのである。また、同じくほとんどのものでは、さほど重要ではないいくつかの断片を省略するが、それは通常、といっても必ずではないが、再現部で再述される。結びの主題はしばしばそれらの中にある。このような差異は些細なもので、ピアノの存在とそれによって必要となるオーケストラの再構成から生まれる差異に比べればはるかに目立たないものである。

 しかし2、3の協奏曲では、差異が大きくなくても、より大きな意義を持つものがある。最初の総奏に現れるものの、独奏提示部では省略されることになる二次的なモチーフの数は増えるかもしれないが、総奏提示部で出てきて独奏提示部で真の第2主題に置き換えられる偽の第2主題の存在は、その重要性が明らかであり、後になってそれが欠けていることが際立つという点で、一層その差異を強調するものとなるのである。

 最後に、その他いくつかの作品において、ほとんどは偉大な時期の作品(原注1)だが、第1主題は総奏および独奏の提示部ともに出現の機会があり(原注2)、また結尾の主題は両提示部に共通する数少ない要素で、後者でさえも独奏提示部では時に新しいことがある。この章が充てられているこの協奏曲〔No.24 ハ短調 K.491〕およびハ長調K.467〔No.21〕では、ピアノの入りの前後にあるその第1主題の重要性32両協奏曲ともに総奏提示部が第1主題で閉じられ、ピアノの入りと同時に、あるいは直後に総奏によって第1主題が提示される。が、共通する細部の数が少ない総奏と独奏を結び付けるのである。この進行手順は明らかに最も興味深いもので、つまりそれは楽章の最後のパートにおける新たな結びつきの可能性に最も富んでいるのである。

(原注1)K.365〔No.10 変ホ長調 2台のピアノのための〕、K.415〔No.13 ハ長調〕、K.459〔No.19 ヘ長調〕、K.467〔No.21 ハ長調〕、K.482〔No.22 変ホ長調〕、K.491〔No.24 ハ短調〕、K.503〔No.25 ハ長調〕。
(原注2)ホルン協奏曲のひとつ、K.417は、独奏提示部で新たな第1主題33K.417のホルン協奏曲は非常に変則的で、総奏提示部の第1主題が独奏提示部でそのイメージの残しつつ大きく作り変えられる。再現部においては総奏第1主題、独奏第1主題が続けて現れるという、他にない変則型である。を導入することさえ行っている。

 通常モーツァルトの協奏曲の展開部では両提示部からいかなる素材も取り込むことがないため、それらのどちらかから取り込んだ素材を使うこと自体が再現部の目新しさを左右するのだ。両者の間に差異がほとんど無い場合、再現部はほぼ両者の反復となりやすい。差異が大きい場合、再現部は聴衆を驚かす機会を秘めている。例外もあるが、このことは4分の3の協奏曲にあてはまる。

初期と後期の作品、そして偉大な時期に属する作品のいくつかおいてさえも、再現部は必要な変形を加えて最初の独奏を反復することのみでこと足りている。一方ここでは、素材の順序の変更、また独奏、和声づけ、スコアリング、独奏と総奏間での主題の配分の変更によって、また、それらを情熱が高揚した時に少なくとも一度行うことで、モーツァルトは再現部が独奏の単なる反復に終わらないようにするのである。イ長調の協奏曲K.488〔No.23〕では、その展開部からの主題を導入することでその最後のパートを新たにするが、他の作品ではこの巧妙な工夫を見出すことができない。

 両提示部の差異が大きくはなくとも知覚できる場合は、再現部がすべての重要な要素を結集させ、それらを回顧する順序が多様性を生み出す機会を提供し、いくつかの協奏曲はそれをうまく使っているのである。

 最後に、両者の間の違いが非常に大きい場合、そのすべての要素を導き入れるためにはあまりにも長い再現部が続くことになる。したがって選別が必要となる。このやり方では5つの協奏曲が特に興味深い仕方で振舞っているが、それぞれの工夫が繰り返されることはない。2台のピアノのための協奏曲〔No.10 変ホ長調〕の再現部は、展開部では現れた偽の第2主題と独奏主題の一部を切り捨てるが、再び二義的な主題と最初の総奏のコデッタを呼び起こす。ヘ長調K.459〔No.19〕は独奏主題を丸ごと省略し、独奏を変形して最初の総奏からのいくつかの二義的な主題を反復する。ハ長調K.467〔No.21〕も同様に振舞うが、それだけではなく偽の第2主題を回想する。変ホ長調K.482〔No.22〕は、当初すべてのものを呼び戻すかと思わせて出発するが、実際にはその第2主題の半分と独奏主題の全体を省略し、それのみならず、その華麗なパッセージは変形され短縮され、独奏提示部が省略した最初の総奏の部分がこの段階で楽章に呼び戻される。最後に、ハ短調〔No.24 K.491〕は両提示部の重要な主題をすべて集結させるが、独奏は非常に短縮され、実質的には独奏提示部のわずかな部分のみ反復される。K.482〔No.22 変ホ長調〕と同様に、ここでの再現部は、第2提示部に対する最初の提示部の一種の仕返しのようなものである。

 この点で、1784~1786年の協奏曲は仔細に検討して最も興味深いもので、以前の協奏曲K.271〔No.9 変ホ長調〕およびK.365〔No.10 変ホ長調 2台のピアノのための〕は3つの部位の大きな変形をかろうじて行い、この時期に成ったいくつかの作品は第2提示部をもとのままに繰り返すだけで善しとするか、何かその他のやり方で提示部を新しく見せようとしていたに過ぎないのだ。1788年および1791年の2つの協奏曲〔No.26 ニ長調 K.537 戴冠式、No.27 変ロ長調 K.595〕では、この問題はモーツァルトの関心の対象ではなくなっている。そのひとつ〔No.26〕ではとりわけ技巧に拘り、もうひとつ〔No.27〕では展開部にその独創性が注ぎ込まれている。協奏曲の形式上の3つの主要問題は、提示部と再現部の関係、オーケストラとピアノ間の関係(インタープレイ)、そして展開部に関わるもの(この最後のものは言うまでもなく、ソナタ形式のすべての部分に共通する問題である)、この3つである。モーツァルトの協奏曲においてこれらの問題に直面し、それらすべてを等しく巧みな手法で解決しているものがあるならば、それは間違いなくこのハ短調〔No.24 K.491〕である。さらに、芸術作品の本質そのものであるそのインスピレーションがこの曲で最も高遠なものであることを思い起こすならば、この協奏曲の第1楽章はモーツァルトの協奏曲芸術の最高水準であると認められるであろう。

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