協奏曲第18
(No.22) 変ホ長調(K.482(原注1)

1785年 12月16日 完成

アレグロ:C(4分の4拍子)
アンダンテ:8分の3拍子(ハ短調)
ロンド・アレグロ:アンダンティーノ・カンタービレ:アレグロ8分の6拍子

オーケストラ:弦、フルート、クラリネット2(原注2)バスーン2、ホルン2トランペット2、ティンパニ2

(原注1)全集版番号で第22番
(原注2)オーボエの代わりにクラリネット、ピアノ協奏曲で初めてのクラリネットの登場である。

 

 我々の人生には一度のみ訪れる経験がある。それは無から生じるように見え、それの訪れを感じさせる兆候もない。また、ひとたびそれが訪れてしまえば、再び見出すことはない。それは消えゆく思い出のようにしばらくは持続するかも知れないが、どのようなことがあってもそれをよみがえさせることはできない。それがもたらされた瞬間同様に完全に消え失せてしまったのだ。

 これほど不遜でない他の経験は謙虚に戻ってくる。ある精神の状態が、それが頻繁に我々に起こることでなじみのあるものになってしまう。一回の訪れとその次は疑いなく同じではないが、それが現れるたびに異なるニュアンスで修飾されるのだ。しかし、本質的には同一なのである。その経験は、より豊かに、より完全なものとなって戻ってきて、我々の存在のより深くまで影響を及ぼす。結局、我々はその経験に付随し、決定づける状況が分かるようになり、それを望むのか恐れるのかはともかく、それが再来する都度予知することが可能となる。あまりに多く訪れてくるために、いつも傍らにいるような存在となってしまうのである。

 これら2種類の経験には2種類の芸術作品が対応する。ひとつ目の経験は、芸術家の創作歴の中で唯一無二のものであり、間違いなく、特に何よりも独自性を追い求め、賽を振るたびに新しいもの勝ち取ろうとする芸術家により普通に見られるものであり、それとは逆に、もう一方の経験は家系として分類されるもので、そのすべての構成員が同一の型の具現化であり、ひとつひとつに同じ輪郭線が描けるのである。文学者であれ作曲家あるいはピアニストであれ、昔の巨匠たちの仕事はこのような系列をなす創作の多くの例を生みだしたが、それは作品の創作者の全人生にわたり、あたかも花輪の花が遠目にはひとつひとつ識別できないことのようである。それらは、同じ父親から生まれたものに共通する家族としての雰囲気のみならず、現代の作品でも同じことが言えるのだが、同じ創造の次元から、また非常に似通ったムードから生まれ出たものであるため、それらはただひとつの根源的経験の回帰が連続するに過ぎないのである。

 今ざっと述べたことはモーツァルトの作品にも当てはまる。1784年2月から1785年3月までの13ヶ月間の、変ホ長調〔No.14 K.449〕、ト長調〔No.17 K.453〕、それにニ短調〔No.20 K.466〕などの協奏曲作品には、唯一無二の、あるいは、たとえ再び彼に訪れることがあっても、その後の作品にその足跡がそれ以上残されなかった、そのような経験が結晶しているのである。他の作品でこれらに類するものはない。これらの作品にモーツァルトの作品群に共通する佇まいがあったとしても、その作品群の中では孤立しているのだ。変ロ長調〔No.15 K.450〕やニ長調〔No.16 K.451〕、そしてヘ長調〔No.19 K.456〕の協奏曲などではそうではなく、それらに類するものを見出すのは難しくない。またモーツァルトの1785年~86年の冬の演奏会シーズンの幕開けとして12月16日に演奏された変ホ長調〔No.22 K.482〕もやはりそうではないのである。

 この作品において、その強さと確信の度合いを様々に変えつつも同じひとつの精神の状態を表現しようとする長きにわたる一連の試みが実を結ぶに至った。モーツァルトの作曲家としての人生の最初の日々からそこには理想の歌が聞こえ、子供が、そして若者がそれを再現しようと試み、我々はそれをモーツァルトの幼少時の旅の中の交響曲で、さらに17歳の作品においても、また、断片的にではあるがその他の作品でも耳にする。モーツァルトは第18番協奏曲〔No.22 変ホ長調〕においてそれを完全な形で表現しきったのである。

 すでに十数回以上、様々な作品においてそのインスピレーションは形を成していたのである。最も古いものはモーツァルトが9歳の時に書かれた最初の交響曲K.16〔No.1 変ホ長調〕であり、最も新しいものは1783年の変ホ長調の四重奏曲K.428〔No,16 ハイドン・セットNo.3〕である。両者の間に、2つのピアノ協奏曲K.271〔No.9 変ホ長調 ジュノーム〕とK.365〔No.10 変ホ長調 2台のピアノのための〕、協奏交響曲K.364〔変ホ長調 ヴァイオリンとビオラのための〕、変ホ長調のセレナーデK.375〔No.11〕、そしてその他に、いくつかのさほど目立たない作品(原注1)が散在している。ある作品はこの協奏曲と非常に似た始まり方をする(原注2)。その他のもの、あるいは今あげたものはアンダンテでこの作品と同じくハ短調に入る(原注3)1原注1~3であげられた作品はすべて変ホ長調のものである。。また、その他のものでは類似性をさほど明確に示すことはできないが、それでも容易にそれがわかるのである。

(原注1)1772年の交響曲変ホ長調K.132〔No.19〕、そして1773年のK.184〔No.26 変ホ長調〕;1777年あるいは1778年のヴァイオリン・ソナタK.302〔第26番 変ホ長調〕、1778年の管楽器のための協奏〔交響〕曲 ケッヘル・アインシュタインK.297b(もしそれが偽作でなければ)。
(原注2)K.16〔交響曲No1 変ホ長調〕、K.132〔交響曲No.19 変ホ長調〕;ケッヘル・アインシュタイン297b.
(原注3)K.16〔交響曲No.1 変ホ長調〕、K.184〔交響曲No.26 変ホ長調〕、K.271〔ピアノ協奏曲No.9 変ホ長調 ジュノーム〕、K.364〔ヴァイオリンとビオラのための協奏交響曲 変ホ長調〕、1773年の弦楽四重奏曲K.171〔No.11 変ホ長調〕。

 これらの一連の作品の中で18番目の協奏曲〔No.22 変ホ長調〕はその頂点にある。ここには、モーツァルトは他の作曲家が誰でも行っていることを行ったのだが、それを誰よりも上手に行ったのだと言われてきたことへのこれ以上ない証明がある。このことはどの偉大な芸術家についても幾分かは真実なのだ。その芸術家の個性がどれほど強烈であっても、その環境から完全に身を引くことはできないからである。疑う余地なくモーツァルトにはその時代を超えたものを聴く先駆けとなる素質があるが、概して、彼の作品は18世紀の有終の美を飾るものであり、彼が流行の束縛をかなぐり捨てながら、どのような技をもってして18世紀の理想を実現したかを見るにこの協奏曲以上のものはない。そして、たとえこの作品が他の作曲家がすでに歌った経験を歌うものであっても、ある程度は個人的に置かれた環境の結果であり、さらには、その経験が、モーツァルトにとっては幾分意識的であろうが、その世紀自体が馴染んでいたもののひとつであったからである。この年の初めの果敢な個人的作品の後、モーツァルトは聴衆にも近寄りやすく、そして彼にも共通する理念に立ち戻った。あまりに個人的なために非社交的とさえ言える2つの作品の後で、ここにあるのは再び社交的な協奏曲であり、その環境との接触において、行儀良く、処世術に長け、愛想良く振舞う存在なのである。

 1784年から1785年にかけての秋から冬は、ヘ長調の協奏曲〔No.19 K.459〕のような当世風で陽気な作品に加え、モーツァルトの音楽がその表現であり結実でもある魂の命のかなりの深まりと充実を目の当たりにした。ハ短調のソナタ〔No.14 K.457〕、弦楽四重奏曲イ長調〔No.18 K.464 ハイドン・セット第5番〕とハ長調〔No.19 K.465 ハイドン・セット第6番 不協和音〕、ニ短調〔No.20 K.466〕やハ長調の協奏曲〔No.21 K.467〕などがこの変化によって生み出されたものである。この過程は春から夏にかけても続き、それを名高いハ短調のピアノ幻想曲〔K.475〕に見てとることができ、前年の秋のソナタと常に一緒に出版されるその幻想曲はソナタの完璧な注釈となっている。そして、同じくハ短調の一風変わった、その珍奇さゆえに時折再演される作品、しかし、実際には、モーツァルトの特質の根本的側面を照らし出す作品である、『フリーメイソンの葬送音楽』(Mauereisch Trauermusik〔K.477 ハ短調〕にもそれが見られるのである。

 この作品はモーツァルトの作品の中で唯一のフリーメイソン儀式用の管弦楽作品である。その標題が示しているように、モーツァルトが属していたメイソンの地方支部の2人の仲間、メクレンブルク-シュトレーリッツ公家のゲオルク・アウグスト 伯爵 と、ガランタ伯の皇子でありフリーメイソンの長であったフランツ・エステルハージの死への哀歌である。しかし、それは亡き2人の友人への別れの歌以上のものなのだ。それは死についての悲しみに満ちているが静かな瞑想であり、レクイエム〔K.626 ニ短調〕よりも気質的には魔笛〔K.620 序曲 変ホ長調〕に近い。異世界の感覚が作品全体に充満し、音楽はこの世の生から音楽家が墓場のその先に見た生へと自然に絶え間なく流れていくのである。ここには悲劇も荒々しい力もない。冒頭と結末は別離によって引き起こされた悲しみの表現だが、中間部には聖歌の旋律が織り込まれ、そこには抗いも恐れもなく、作曲家は何ら神秘を感じさせない友人に接するかのように穏やかに死を見つめる。

   メイソン団の組合員として入団式以降にモーツァルトが書いた父親宛ての手紙で、破棄されずに残ったものが一通のみ存在する。それは2年後の1787年4月4日に書かれたものだが、その内容はこの交響詩と関連がある。

 私は日常の生活すべてのことについて最悪のことに備える習慣を身につけています。綿密に考えると、死は私たち人間の真の到達点なのです。私はこの2、3年の間に人類の最善で最も真実なこの友人と大変親密な関係を結んだため、その面影はもはや私を脅かすことがなく、本当に私の心を静め、慰めてくれるのです! そして、慈悲深くも私に、死は私たちの真の幸福の扉を開く鍵なのだということを学ぶ機会(私の言っている意味はおわかりでしょう)(原注1)を与えてくれた神に感謝するのです。私はまだ若いのですが、生きて新しい一日を目にすることはないかもしれないと考えずに夜床に就くことはありません。けれども、私の知人の誰一人、私との付き合いの中で、私が無愛想あるいは不機嫌だとは言えないはずです。私は毎日、この至福を私の創造主に感謝し、私の仲間全員がそれを享受できることを心から祈っているのです。(原注2)

(原注1)これは一般的にはフリーメイソンについて言及したものとされている。
(原注2)E.アンダーソンの翻訳、Ⅲ, 1351ページ 

 これらの作品がその果実である激しい精神生活は夏の間を通して続いていた。フリーメイソンの葬送音楽の直後に書かれたト短調のピアノ四重奏曲〔No.1 K.478〕の第1楽章には、まだ所々に過去の数か月の感情の嵐の反映が見られる。そしてそのすぐ後、モーツァルトの手紙による最初の困窮の叫びが発せられ、それはすぐに痛ましいほど定期的に続くようになる。それをこの四重奏曲の出版者であるホフマイスターへの手紙の中に聞き取ることができる。モーツァルトは彼に“少しの間だけ小金を”“ちょっとの間だけ”貸してほしい、“今この時、私はその金をひどく必要としているのです”と記すのである。この手紙の日付は11月20日である。

 4週間後、モーツァルトは変ホ長調の協奏曲〔No.22 K.482〕を作品リストに書き入れる。

 ほぼ1年にわたるきわめて個人的な作品の後で、モーツァルトは自分が失いつつあると見た聴衆を取り戻す努力を始めたようだ。純粋にギャラントなものが彼の作品の中に再び現れるのだ。1783年以降、“客間の音楽作品”は皆無であった。この協奏曲と同時期のヴァイオリン・ソナタ変ホ長調K.481がその例である。そのアレグロはモーツァルトの最も生気のないソナタ楽章のひとつであり、アンダンテは時折響くト短調四重奏曲〔K.478 ピアノと弦のための〕の愛らしいアンダンテのこだまのおかげで生きながらえているのみである。これ以降、ヘ長調の協奏曲K.413〔No.11〕以来途絶えていた“社交的”作品が数を増し、1788年の末に至るまで現われ続ける。1783年以前のギャラント作品は幾分かの喜びをもって書かれており、それらとより真剣なものとの間の隔たりは今〔1785年の現在〕よりも小さいものであった。1782年の小さな協奏曲と1784年の変ロ長調協奏曲K.450との距離はこのソナタ〔K.481〕と4日後に完成される協奏曲〔No.22 K.482〕を隔てるものほど大きくはなかった2ここでのガードルストーンの主張はやや強引である。1782年の協奏曲とK,450との距離がより小さい理由が「幾分かの喜び」をもって作曲されたからとされている。それではK.481のソナタとK,482の協奏曲の距離が大きい理由は、K,481が聴衆に迎合するために「喜び」を抱くことなく作曲されたということでなければならない。K.481 のソナタは、短調に転ずることが少ない、対位法の使用が少ないなどといったことはあるが、決して「つまらない」ものではない。ガードルストーンのこの曲への評価は低すぎると思われる。。このような2つの作品が同時期のものであることを実感するのは難しいが、同じように、モーツァルトが1788年の偉大な交響曲を作曲しながらも、ホ長調〔ピアノ三重奏曲No.5 K.542〕、ハ長調〔No.6 K.548〕、そして、ト長調〔No.7 K.564〕のトリオ、さらに、ハ長調〔No.15(新全集16)K.545〕およびヘ長調〔No.18(新全集15)K.533+494〕の“お気楽な” ソナティーナのような些細なものをどのようにして生み出し得たかも理解しがたい。すでにモーツァルトが超越した理念への追従、そして喜びもなくそれに服従することは、モーツァルトが聴衆を取り戻すためにその必要性を感じたとしか説明できないだろう。この必要性は、少なくともある程度、変ホ長調の協奏曲〔No.22 K.482〕の打ち解けた、近づきやすい性格自体を、また、ここでモーツァルトが過去にしばしば引き出したインスピレーションへと戻っていることを説明するかも知れない。

 

Ⅰ モーツァルトのすべての協奏曲の中で、この曲は最も女王然としたものである。優美さと威厳を兼ね備え、音楽は王侯の行進のように展開し、まさに23曲のピアノ協奏曲の女王3原文はthe queen of the twenty threeであり、No,5 K.175からNo.27 K.595の23曲の自作ピアノ協奏曲の中での女王であるが、ガードルストーン当時のイギリス人にとっての「女王」とは第一にエリザベスⅠ世であり、「the twenty thee」はその即位式において詩篇第23節が口誦された話は有名である。それが連想されていると考えるのも一興かもしれない。である。この曲は古い作品の系統に連なり、以前の作品がすでに語ったことを語っているのだが、それらの語り口は子供や若者のように口ごもっているのに対し、これは30歳の大人の言葉で語るのだ。かつて息切れ気味であった楽想はここでは十分な広がりを持って繰り広げられ、豊かなオーケストレーションと平易な対位法によって展開される。これは感動的なハ短調のアンダンテと同じく第1楽章についても言え、同じく上品な家系の最後となるものである。

 アレグロの最初の6小節は初期の変ホ長調の作品の開始部の同じパターンに従い、力強い、リズミックな開始と、それに対する静かで旋律的な、軽い応答である(原注1)。この協奏曲でここまで成ったものに開始の仕方が最も類似しているのは1765年の子供らしい交響曲K.16のものであり、それはこの曲でひとかどのものになったのである(譜例274)。20年後にそれに戻るにあたって、モーツァルトは後半部を切り詰めることで前後半のバランスを改善したが、シンコペーションで進行する反復低音はそのまま残し、その変動の少なさに対して、初めはバスーンで、2回目はヴァイオリンによる下地の透けた4原文はdiaphanousで透明な、透けているという意味であるが、ここは、ホルンの保持音の上でバスーン、次いでヴァイオリンの音型が、単音でかつスタカートを伴っており、ホルンの音が透けていることを言っている。「下地の透けた」とした。舞曲を置き、それが交響曲の低音の反復する4分音符と同じ役割を果たす(譜例275)。この第1主題に続いて、まずフルートで、次いでクラリネットとバスーンが提示する音型が展開され、その間ヴァイオリンは、それから派生したうねるような対抗主題をそれに織り交ぜていく(譜例276)。これもまた反復され力強いパッセージがそれに続くが、その最も印象的な特徴は断片、譜例277である。それが休止へと導き、ホルンの保持音の上の荘重な木管の数和音が、新たな主題への道を開く。かくのごとく先触れされた旋律はフィガロの序曲にある旋律と密接な関係があり5フィガロの結婚序曲(Overture ではなくSinfonia)、第221~224小節の第3主題は、譜例278の最初の絵2小節と骨格が同じである。、モーツァルトがこの協奏曲を仕上げた頃にはそのオペラを手掛け始めていたことに気づかされる(譜例278)。その見かけにも関わらず、これは偽の第2主題に過ぎず、真の第2主題は独奏の提示部のために隠されている。上昇する低弦の上で、大音量で力感に満ちたパッセージが結尾へと導くが、その最後の数小節はその主題を縮小したもので、総奏の最後の部分を要約するものであろう(譜例279)

(原注1)その形はギャラント音楽では常套的なものである。特にアーベルの変ホ長調の交響曲に典型的に見ることができるが、これは長い間モーツァルトの作品(ケッヘルでは18番)として通っていた。作品7のⅢ。

 この前奏曲で聴衆は1784年の協奏曲の世界に立ち戻る。この前の2つの協奏曲〔No.20 ニ短調K.466、No.21 ハ長調K.467〕の活気に満ちた迫力と力強いフレーズはここにはない。もはや十分な主題展開も、ハ長調協奏曲〔No.21 K.467〕にあれほどの力感をもたらした主題的な統一もなく、あの凝縮された楽想と形式もここにはない。それらはしばしの間見捨てられるが、数か月後にハ短調協奏曲〔No.24 K.499〕で回復され、一連の弦楽五重奏曲に至るのだ。その代わりに、対照的であるとは言わないまでもお互いに異なった一連の主題を耳にするが、これは縮合生成ではなく、再述なのである。あるものは上品で優しく、あるものは悪戯っぽく、あるものは力強い、様々な間奏曲が通り過ぎて行くが、これらはすべて顧客の求めに適おうとしているのだ。全体的に見ると、これらの形式上の不揃いにも関わらず統一感があり、優美さと威厳の融合、さらに自信が共通して確かに存在し、女王様は単なる機嫌取りではなく、確信を持ってそのように振舞っているのである。

 この総奏は楽章の梗概であり、第2主題を除いてすべての主要な要素を含んでいる。それにも関わらず、独奏の提示部は総奏の始めと終わりの部分(第1~12小節、第58~76小節)を繰り返すのみである。その間に、ピアノによって提示される新たなセクションが差しはさまれる。独奏提示部は17小節の独奏の前奏曲で始まるが、その豊かな旋律、優美さと力強さは総奏の特性に忠実に答えるものであり、総奏が譜例275によって再び入ってくると、ピアノは主題を装飾して呈示し、協働する(譜例280)(原注1)。そして、譜例276を展開せずに、属調へと転ずるパッセージがそれに続く。オーケストラが2小節で独奏主題を導き入れるが、それは変ロ短調の激しい爆発であり、その音塊的な和音は密かに忍び寄るような弦で強調される(譜例281)6手書き譜は転調先の変ロ短調に移して書かれている。。その怒りに満ちたムードが収まるにはしばし時間を要し、それに続く技巧的パッセージは、フルートとバスーンが順番にピアノのお供をするが7バスーン、フルート、バスーンの順であり、それに続いてクラリネットもピアノに「お供をする」。最初のバスーン、フルートと、後のバスーン、クラリネットでは、非常に似てはいるが、異なった音型である。ピアノの分解された和音のパッセージに対し、フルートは分解された下の音、バスーンとクラリネットは、分解された上の音とオクターブで進行し、もう一音は保持連続音となる。非常に技巧的に作られたパッセージである。、第2主題へと近づくまではその短調の喪服を脱ぎ捨てることはない。 

(原注1)引用した譜例は2回の主題の提示を連結しているものである。

 第2主題は、前の協奏曲〔No.21 ハ長調 K.467〕のものよりも規模が大きい。それはこの楽章の全体的な感覚と完全に一致しているのみならず、長くゆったりとしている。ピアノがその前半を反復して展開し、それをオーケストラに渡す代わりに、自らそれを反復するが、諸楽器がそれと共有するのは木管の感動的な対位主題のみ8木管のみではなく弦も最初は伴奏、続いて対位旋律を奏する。であり、そこでは、楽し気にせわしなく動くピアノの上で羽ばたくフルートとクラリネットがあたかもピアノと落ち合うかのように下り降りてくる。(譜例282)9譜例282はガードルストーンの表記の誤りで、ピアノ・パートは第152~159小節のもの、総奏は第162~166小節のものになっている。また第5小節目の木管には1和音の抜けがある。なお弦のパートは省略されている。

 それが突破口を開いた独奏は、例の多弁と呼んだもののひとつである。最初は我慢できるが、両手を交互に使う10原文interversion。現在使われない単語あるいは造語と思われるが、音楽の対応から「交替」「交互」の意味で解した。ところを除けば、モーツァルトが何も変更なく繰り返すに及んで退屈なものになる。確かにハ長調の協奏曲〔No.21 K.467〕においてもモーツァルトは同じようなことをしていたが、そこでの技巧性はこの曲ほど顕著でなく、聴衆をとりこにする情熱と活力という美点があった。それが無ければ、また、まさにその形が無ければ、モーツァルトの経験は伝えられないと感じられたのだ。この曲にはそのように必然的なものがない。これらのパッセージは協奏曲の性格を変えることなく、他のものに入れ替えられるかもしれない。モーツァルトが同じパッセージを2回にわたって反復して、それらに不相応な重要性を与えていることに異議を申し立てたい。幸いなことに、それの悪影響が及んでいるのは十数小節のみ11第171~187小節。第180小節から2回目の反復で、その冒頭では左右の手の役割を交代する。であり、それゆえに、曲全体の美しさは損なわれていない。

 ここで再び開始部の総奏と出会う。提示部は総奏提示部の最後の18小節を変ロ長調で反復することによって、展開部へと続く。そしてピアノは、糸切れをこっそり見つけそれで遊ぼうと決めた子猫のように、譜例279の最後の音符を取り上げ12最初ピアノは総奏が提示した譜例279全体を反復し、次いで最後の3音を取り上げて転調、展開部の華麗なパッセージへと入っていく。、変ロ長調へと転ずるが、その間オーケストラと短い対話を交わしながら、展開部を形作る長く華麗なパッセージへと入っていく。

 展開部の進行を導く主題はひとつもない。この協奏曲は、前の年の幻想曲的展開部の流儀に立ち戻っており、いくつかの走行する音型が、様々な調を通過していく。その音型は繰り返しに見えるが実際には常に形を変え続けているのだ。時には木管が、時には弦がピアノの旅のお供をするが、決して前面には出てこない。短調が支配しており、明るい始まりを忘れてしまった荒れ模様の空の下で、その道行は進んで行き、そしてアンダンテの黄昏を予告するのだ。これらの小節は壮大かつ力強いが、ニ長調〔No.16 K.451〕やト長調〔No.17 K.453〕の次々と変化する魅力はない。楽章は一瞬譜例282によく似た旋律で変イ長調へ立ち寄り、そして木管と金管に託されたブリッジのパッセージにより再現部へと戻っていくのである。それはホルンとバスーンが保持音を、そして残りの楽器はシンコペーションの対位法13保持音はホルンと第2バスーンの他に、トランペットも参加する。シンコペーションはクラリネット、バスーンのわずかな部分のみで、その効果は微弱である。、そしてピアノは音階であり、そして、第1主題の2度でぶつかる2分音符が再び現れるが、それはこの楽章を特徴づけ、時に木管セレナーデのように響かせている(譜例283)

 2つの提示部では、冒頭と終わりの部分のみが両者に共通していることは、すでに見た通りである。それゆえに、再現部は第1提示部から第2提示部が省いた素材を拾い上げ、独奏の関心をそそるのである。これは見事な出来栄えで、この楽章で確かに最もすばらしい部分である。スコアリングに重要な変更と付け加えがあるが、最初の総奏全体がもう一度繰り返され、それはほとんどピアノのものである。独奏の提示部からは、第2主題の前半を回想するが、独奏主題譜例281は省略される。そしてそれに続くのは“おしゃべり”の華麗なパッセージだが、これは半分ほどに短くされた新しいものと置き換えられる。概してこれは、ピアノ・パートが加えられた、第2主題の半分のみを含んだ第1提示部の反復である。

 モーツァルトはこれまで、これほどの技巧で再現部を変化させることが決してなかった。特にピアノはすべてのものを新しくしようと決意している。ピアノは譜例275と28014譜例280は譜例275にピアノによる修飾を加えたもので、ここで問題になるのは共通するヴァイオリンの「答え」だけである。のヴァイオリンの答えを両手による輝かしい音階で装飾する。その非凡な才を最もよく示すのが譜例276の展開である。読者は小型スコアに立ち戻って、モーツァルトがここで実行した入れ替えをよく吟味されたい。まず、木管に代えて独奏を導入し、そして木管を復帰させ、その間ピアノは新しいパートによってスコアを豊かなものにする。魅力的な偽の第2主題はいたずらっぽく感傷的だが、今回はもう少し長めにとどまり、全楽器がそれに忙殺される。ピアノがそれを提示し、フルートとクラリネット15フルートとクラリネット、およびホルンである。が第3小節で加わりそれに重なる。ヴァイオリンとクラリネットがそれを反復し、ピアノとフルートが、最初はクラリネットとバスーンによるものであったさざ波のような対位旋律で一体となる(譜例278を参照)。この旋律は今や優雅なものとなり、真の第2主題はおとなしく遅れて現れるが、後半が切り捨てられることで、それだけ快活さが増している。最後に付加された4小節を除けば、結尾部は変更されていない。コーダが無いが、これは前の2つの協奏曲〔No.20 ニ短調 K.466、No.21 ハ長調 K.467〕とのもうひとつの違いであり、一方で、前の年の協奏曲との共通点でもある。

 ピアノはニ短調〔No.20 K.466〕とハ長調協奏曲〔No.21 K.467〕で学んだことを忘れてしまっている。その書法は再び輪郭の明瞭なものであり、音塊効果は譜例281の和音のみに限られており、ほぼすべては音階によって行われる。両手がともに奏することはめったになく、それを行う時でもオクターブである。ニ短調〔No.20 K.466〕の両手のパッセージ、さらに、ハ長調〔No.21 K.467〕の力強い逆行のアルペジオのようなものは無い。K.450〔No.15 変ロ長調〕の書法に逆戻りしてしまったのであり、そのピアノ書法は、2月、3月を飛び越えて前の年の作品へと聴衆を連れ戻すのである。

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