協奏曲第17
(No.21) ハ長調(K.467(原注1)

1785年 3月9日 完成

アレグロ マエストーソ:C(4分の4拍子)                           
アンダンテ:ハ長調
アレグロ ビバーチェ アッサイ: 4分の2拍子

オーケストラ:弦、フルート2、オーボエ2、バスーン2、ホルン2トランペット2、ティンパニ2

(原注1)全集版番号で第21番

 

 この協奏曲は、4ヶ月の間をおいてこの前の作品〔No.20 ニ短調 K.466〕に続くものである。この2つの作品は明らかに対照的である。一方には、情熱、葛藤、激しく揺れ動く精神があり、もうひとつは静謐と威厳である。一度ならずいかにモーツァルトが極めて対照的なインスピレーションの第一級の作品を2つ続けて生み出したか、については既に述べたところである(原注1)。前年の秋には変ロ長調協奏曲K.456〔No.18〕とハ短調のソナタ〔No.14 K.457〕、1786年にはイ長調の協奏曲〔No.23 K.488〕とハ短調の協奏曲〔No.24 K.491〕で、そして1787年と1788年にはまた、ト短調の五重奏曲〔No.4 K.516〕並びに交響曲〔No.40 K.550〕とハ長調の作品〔五重奏曲No.3 K.515 、交響曲No.41 K.551 ジュピター〕がある。それは現実のひとつの面からもうひとつの面へ、ひとつのムードからその正反対のムードへと推移の過程もなくすぐに変化する、モーツァルトの非常に流動的な性格を表すひとつの例に過ぎないとも述べた。悲しみに満ちた作品が喜びにあふれたものに先立ち、またその反対のこともある。1785年2月と3月ではこの順序は楽天的な方向にあった。嵐の後に平和の歌が来るのだ。光り輝くハ長調が暗くデモ―ニッシュなニ短調を追い払うのである。しかし、このハ長調協奏曲〔No21 K.467〕は陽気な作品ではない。それは喜びにあふれたというよりも、力強く、動きのないものであり、その動きの少なさの中に、それが凍った状態だとしても、ニ短調のうねりを認めるのである。

(原注1)278ページ〔原本〕を参照されたい。

 

 第1楽章にはマエストーソと表記されている(原注1)。この記号は遵守されるべきもので、何をモーツァルトが欲しているかモーツァルト以上によく知っていると見做す音楽家がやるように、演奏にあたってブリリャンテに置き換えてはならない。しかし、最初の11小節を聴くと、第1主題はこの指示と矛盾する。この時期の多くの協奏曲の第1主題のように、それは行進曲である(原注2)が、つま先歩きの、しかも靴下を履いた行進曲であり、木管、金管そしてティンパニが弦を遮る時でさえ、ピアノp以上に強まることはない(譜例252)。これはほとんど喜劇のモチーフであり、そこでレポレッロが出現しても驚くべきではない。

(原注1)自筆譜にはない。しかしすべての版に記されている。1すべての版に記されているとあるが、新全集版では、訳者の参照したベーレンライター小型スコア(音楽の友社刊)によるとそのの指示はなくAllegroである。しかしながら現在モーツァルテウムから公開されているインターネット版ではAllegro maestosoに変更されている。
(原注2)K.414(No.12 イ長調)、K.415(No.13 ハ長調)、K.451(No.16 ニ長調)、K.453(No.17 ト長調)、K.456(No.18 変ロ長調)、K.459(No.19 ヘ長調)、K.537(No.26 ニ長調 戴冠式)と比較されたい。

 しかし、この印象はすぐに改められる。静かな開始の後にフォルテが続く(原注1)という構想に従って、モーツァルトは、オーケストラが持てるものすべてを使って主題を繰り返し、常にない自由さですぐに転調する。急いでイ短調、ハ短調と通り抜け、しばしの間、主音の保持音2ト長調の主音であるト音であり、ホルン、トランペット、ビオラ、チェロ・コントラバスで奏される。の上でト長調に落ち着く。この調で新しい主題に出会うという期待は挫かれる。そして主調へ戻るが、この属調への転調によって、主調の支配は弱まるどころか却って強まっていくのだ。この作品は、まさにその冒頭からニ短調〔No.20 K.466〕に匹敵する人の心を掴む力と感情の強さを示すのである。

(原注1)262、283、310ページ(原著)参照。

 予期された新たな主題は第2主題ではない。それは、どちらかと言えばその場限りのアイデア以上のもので、これまで偽の第2主題と称してきたが、楽章の本体では何の役割も果たさず、最後に至るまでそれを再び耳にすることはないであろう3再現部の最後に近い第351小節以降で再現する。このことを単なる偽の第2主題ではなく「その場限りのアイデア以上のもの」と表現していると思われる。。その主題は木管の間で分け合い、その彩りに満ちた楽器の使い方は、それを様々な連想に富むものにしている。ホルンとトランペットの呼び声はほとんどロマン主義の作品を思わせ、それに引かれて上声部のオーボエとフルートおよびビオラと低弦の4パート4「それに引かれて」とあるが、ビオラおよび低弦はホルンとトランペットの「呼び声」と同時に連続音を開始する。に分かれての答えの飾り気のなさは、「魔笛」の火と水の試練の記憶を呼び起こす(28~35小節;譜例253)。

 これら2つの主題を提示した後では、総奏は結末をつけ独奏の入りを許すしかないと思われるだろう。しかし、この協奏曲は先行者たちと同じようには振舞わない。終結の音型の代わりに譜例252のマーチが再び開始される。最初は弦がピアノpで模倣し、そして全オーケストラがフォルテで入ると、曲はその主題展開へと突入するが、その確実な足取りとひたすら規則的な進行は、ニ短調の緊張した情け容赦ない勢いを思わせる(36~63小節)。転調はなく、すべてのものがこれを最後と現れ出て、急ぐこともなく、全オーケストラでと思えば弦と木管の交誦によって、1オクターブの上昇下降を何度か繰り返す。(譜例254)。これほど落ち着いた我慢強さには抗しがたいものがあるが、その強さは、熱情と速度にあるのではなく、その音塊の中にあるのだ(原注1)。曲は脇見もせず、一意専心に歩み続ける。このパッセージ以上にこの双子の協奏曲を結びつけそして引き離す、類似性と対照性を如実に示すものはない。ひとつは激しさと怒り、もう一方は自信だが、双方ともにその意志は断固として、変わることはない。

(原注1)繰り返すが、この楽章が適切な速度、幾分重さのある「マエストーソ」を取り、「ブリリャンテ」ではない、という条件のもとでのことである。速く軽快に演奏されると、このパッセージはその出発点に戻り続ける息もつかせぬレースのようになってしまい、それは馬鹿げている。

 このセクションの最後がすべてピアノpであることは、ただその静謐な忍耐をさらに強固なものにしただけだ。3度目の行進曲で突然フォルテに戻り、それは最初の小節だけに切りつめられて、全オーケストラで繰り返され、それが結尾主題として働く(原注1)(64~68小節)。

(原注1)結尾部で第1主題へと戻るのは、ハイドンにより四重奏曲でしばしば使われた北ドイツ楽派の手法であり、1773年にはすでにモーツァルトのお気に入りであった。

 オーケストラが全休止へと落ち着くが、それは非常に断固としたもので、独奏は招かれもしないのにあえて舞台に足を踏み入れることができない。3回にわたって木管群がピアノに3つのフレーズで手招きする。これは交響的な表現形式によってモーツァルトの劇的な才が現れることを最も端的に示すものである。その様式にはオペラ的なものは何もないが、それは困惑し不安に駆られるピアノに手を差し伸べるしとやかな3人の乙女のようであり、それはまさにタミーノを新たな世界へと導く3人の侍女なのである。その表現力豊かな推移と、半音階進行が3番目の手招きにほとんど嘆願するような音調を与える様を賞賛しようではないか(譜例255;68~74小節)。

 独奏の冒頭はこのはにかみの影響が表れており、ピアノは繊細なコロラトゥーラで登場の挨拶をするが、それは総奏の堂々たる自信とは全く無縁のものである。弦と木管は引き続いて手招きを続け、ピアノを支えるが、最後にピアノが勇気を奮い起こして休止する。独奏者はここで短いカデンツァ5アインガングである。を即興すべきである(74~79小節)。

 弦が行進曲を開始しピアノがそれをトリルで装飾する。しかし第5小節でピアノはそれを弦から引き取り、単独で前進する。しかしながら、主題の最後の部分は平明な管弦楽法で、総奏と同じように弦と木管で分かち合い6総奏冒頭と同じく、弦が着手したものを木管が引き継ぐ形である。、その間ピアノは装飾的な対位旋律を挿入する(80~91小節)。 

 ピアノは第12小節から26小節を展開する代わりに、うねるような3つのフレーズからなる主題を単独で提示するが(譜例256;91小節~94小節)、それはこの前の協奏曲〔No.20 ニ短調 K.466〕でピアノが入ってきた時の主題、譜例237を思い起こさせる。それと同じように、これはほぼレシタティーヴォであり、そのように演奏されるべきである。ここまで耳にしたものとは大きく異なっているこの心地よい旋律はその足を速め、技巧的パッセージへ溶け込んでしまい、ト長調へと転調する。2小節の総奏が新しい調を宣言し7新たな調(ト短調)が確定されるのは、譜例257の最初の2小節で、その最初の1音は総奏だがト長調の直前の音階の最終音であり、第2音以降のピアノによってト短調に転じて独奏主題が開始される。したがって、「2小節の総奏が」は誤りである。、ピアノは独奏主題を提示するが、それはこれまでのものと何ら関連がないもので、その半ば積極的、半ば挽歌的な趣きがニ短調〔No.20 K.466〕の世界へと連れ戻し、同時にト短調交響曲〔No.40 K.550〕の開始部の喘ぐような音が告げられる(譜例257;109~121小節8原著では257と258の譜例番号が逆になっているので改めた。なお譜例257は転調先のト短調の譜として記されている。また注記されていないが、第4小節目からト短調交響曲の旋律を反復する2小節分が省略されている。)。しかし、荒々しさや悲しさはともに時宜を得ないもので、モーツァルトはそれをすぐに横にのけてしまい、代わりに明るく不安の色のない第2主題(譜例2589手書き譜冒頭の記号が見にくいがオクターブ記号で、譜例258はピアノ右手で1オクターブ上である。)を挿入するが、それは、この協奏曲の他のところではお互いにめったに近づくことがないピアノとオーケストラの路が出会う交差点なのである(128~142小節)。

 読者は、独奏の冒頭でピアノが行進曲の主題、譜例252の最初の音を響かせるのを避け、その後総奏から己を目立たせようと試みたことを思い出すだろう。しかし、ピアノはオーケストラが語ったことを繰り返すのを厭う気持ちを一瞬克服し、最初の総奏でのオーケストラのやり方にならって10総奏での第2主題の後の行進曲に倣うと読むしかないが、総奏での同じ位置は偽の第2主題でありここでの第2主題そのものではないが、その後に譜例252の行進曲が開始される。それに倣ったと言っているものと思われる。、模倣的に最初の行進曲の断片をとりあげる。しかし、弦がそのパッセージに気づき、その模倣に取り掛かるため、ピアノはすぐにそれを諦め、しばらくの間前に進むこともなく、羽ばたくような分解されたオクターブでその上を浮遊する(143~147小節)。しかし、この協奏曲は、独奏が大人しく協働して最初の総奏の線上を辿るような類のものではない。第1提示部の回想は単なる経過的なもので、ピアノの主導的なオクターブのもとでの弦による模倣は、ここまでで出会ったものの中で最も豊饒で最も力強く、純粋に技巧的なすばらしいパッセージへと成長する(原注1)。行進曲は、その最初の音の亡霊を付きまとわせながら調から調へと移り動くが、この下属調から下属調へ移る進行11第143~147小節まではト長調、以降1小節ごとにハ長調、嬰ヘ長調、ロ長調、ホ長調、イ長調、ニ長調と転調していく。直前のト長調から譜例258冒頭のハ長調へ、およびロ長調以降の進行のすべてが下属調進行である。は、この楽章で後程再び出会うことになる。ピアノはお高くとまって動かずにいることを止め、両手で、これまでモーツァルトが演奏者に提供したものの中でも最も厚みのある、アルペジオの上り下りと分解されたオクターブへと飛び込んでいく。これは豊かですばらしいパッセージであり、率直に響きの美しさを楽しませる。技巧はここではそれ自体が役割を持つ、あるいは作品の強い活力がそれを際立たせるために技巧を求めると言うべきだろうか。ニ短調協奏曲において情熱と苦悩がそうしたように、活力が荒々しい減7のアルペジオでこのパッセージ・ワークに満ち溢れる(譜例259;148~161小節)。この熱は4つの重い和音でその頂点に達するが、ピアニストはそれに十分な重みを与えるべきである(162小節)。そして静かな数小節で一息ついて、楽章はトリルでまた勢いを取り戻し、跳躍板から跳ねるがごとく勢いよく新たに旅立つ。12原文ではここに(163~168小節)の指示があるが、勢いを取り戻すトリルは第168小節であり、「跳躍板」は第169小節からのパッセージを示すものでるため、この指示は誤りであり、あまり重要な意味を持たない「数小節で一息」と表現された部分にあたるものである。段落最後の(169~193小節)が正しい指示であるため、本文より削除した。。そして再び一連の交互に現れるアルペジオと音階が、オリンポスの城壁に梯子を立てかけるタイタン族の軍隊のように総攻撃に突入するのである。音の波が、これまでモーツァルトが達成したことのなかった大きな周期で、次第により大らかにうねる(169~193小節)。

(原注1)ニ短調協奏曲のパッセージは別物である。というのもそれが純粋に技巧的なものであるとは言えないからである。13ニ短調協奏曲(K.466)のものは、曲のムード、情念をもとにしたいわば「性格変奏」的要素を持ったものであり、ここでのパッセージのように純粋に技巧的なものではない、ということを言っている。

 作品のバランスを取るために、総奏には独奏と同等の長さで展開することが求められる。したがって、最初の独奏の後に常ならば短い推移部が置かれる代わりに、延長され意気揚々とした行進曲の宣言(原注1)を耳にすることになる。そこでは属調であるト長調が変ホ長調への転調14遠隔調への転調である、に道を譲り(198~203小節)、再び最初の総奏を締めくくった長大な音階のパッセージの後半が奏される(譜例254;52~63小節;ここでは205~215小節15215小節ではなく、214小節が正しい。)。しかし、私たちの旅はすでにこのステージを超えて来たばかりであり、そこに戻るには時期尚早なのである。予期されたカデンツは回避され、曲の壮大な自立心は消え失せ、ロ短調へと転調し、魔法の杖の一振りでモーツァルトは無限の世界に面した窓のひとつを開け放ち、その窓を通してなおさら鋭く目を凝らし、思いもしない新たな始まり  を探し求めるのである(215~221小節)。そして驚きの表情を見せる一音の上で停止し、前のニ短調協奏曲〔No.20 K.466〕で最初にピアノが入ってきた時と同じように、それが何であるか明確には分からぬままその存在を感じ取るのである。

(原注1)この最初の独奏の後の第1主題の回帰は、おそらくは懐古趣味であろう。

 展開部は3つの楽器グループと、4つの部分で展開される旋律16ピアノ(主に右手)、第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリンの3つの楽器グループ、第222~223小節、第224~225小節、第226小節、第227~229(第1音)小節の4部分からなる旋律である。で始まる。その気分は聴衆をこの直前の協奏曲〔No.20 ニ短調 K.466〕に連れ戻すのみならず、ヴァイオリンの応答(譜例260)はほぼ譜例237〔K.466第1楽章〕の左手の引用なのである(222~230小節)。木管がそれを変奏しつつ再び語り、ピアノがそれに装飾を加える。すべてがモーツァルトでは珍しい、主題の和声的な基盤以外には何とも関連を持たないといった変奏なのである(譜例261;231~237)。非常に魅力的ではあるこの主題から離れ、ピアノと木管はひとつの小さな音型(譜例262 a)により激しい対話を開始するが、その背後でいくつかの新たな調を移動する。下属調から下属調へと整然と進行するが、情感は次第に激しさを増し、フレーズが4小節から2小節単位に短縮されついに熱情の状態にまで高まる。(249~252小節)。変ホ長調に至る時、穏やかなパッセージが始まり、長い上昇半音階(259~264小節)を経て、束の間の疲れの兆候を見せ、突然の滑降へと入る。そしてもう一度力を振り絞るように、デクレッシェンドしながら属音の保持音の上で徐々に主調へと下降していく(265~274小節)17新全集版ではデクレッシェンドの指示はない。主調への下降は、アルペジオ音型が1度ずつ下降するものである。。この回帰の仕方はこの楽章の他の部分と同様にめったにない長さのものとなっている。この点については、再現部が同じ和声である、もうひとつの偉大なハ長調協奏曲K.503〔No.25〕 における回帰の仕方がこれを超えるのみである。

 この楽章と同じように、再現部は静かな音で始まる。再び、長い総奏に大規模な独奏が続く。最初の19小節は楽章の冒頭の反復であり、続いて突然ヘ長調へと転調するが、モーツァルトは中間部の後ではめったに転調しないだけに、これは予想もしない突飛な行動である(293~295小節)。ヴァイオリンがそれを模倣すると、すぐにピアノが再び現れる。ピアノは、模倣に加わってそれの恩恵を受けつつ、短い嘆きの歌を発する。それは遠い昔の思い出、おそらくインスピレーションではト短調の主題、譜例257の思い出だろうが、形式上では、この曲に常に存在する行進曲を展開したものなのだ(297~305小節)。

 第2主題の2回目の出現は、それが主調であるということを除けば、最初の時とオーケストレーションの細部が異なるのみである。またそれに続く長大で華麗なパッセージも、最後の和音の直前(161小節)までが同一である。その和音に代わり、経過句の4小節が偽の第2主題、譜例25318原著では譜例258となっているが、偽の第2主題は譜例253である。明らかな間違いであるため、本文を修正した。へと導いて行くが、それは開始部の総奏から引き継いだように、下降音階の呼びかけに答えるものである。(351~354小節)。以前のやせ細った有様を豊かなスコアリングで幾分覆い隠して、ここでは続いてピアノがそれを再び取り上げ、騒ぎたてもせずに、最後の技巧的パッセージへと入っていくが、その素材は提示部の最後の独奏のものである19第2提示部第171~193小節の独奏を再現したものである。。いくつかの表面的な変更や付け加えがあり、注目すべきは、分解された6度の見事な上昇パッセージに属音の持続音の上で木管20まず2本のバスーン、続いて2本のオーボエが、最期にフルートと第1オーボエが、それぞれ相互に6度の和音を奏する。が重なって、その豊かな音の調子がヘ長調協奏曲K.459〔No.19〕の同じ位置でのパッセージを思い起こさせることである(375~377小節)。

 アレグロの残りは行進曲のものである。それはカデンツァへの道を開き、そして最初の総奏の44~45小節を回想した後、ニ短調〔No.20 K.466〕にほぼ匹敵する独創的なコーダを用意する。ここでは、派手な意気揚々とした終結を予期させられるが、そうではなく、楽章は開始された時と同じような秘めやかな足取りで次第に静まっていく(譜例263)

 この楽章は多くのことを思わせるが、それらのうちの3つに触れるにとどめたい。それらは、素材の配分、管弦楽のパートの統一性、さらに、ピアノ書法の豊かさおよび目新しさに関するものである。

 ニ短調〔No.20 K.466〕では、重要なのは、ピアノとオーケストラが対等に協働するドラマであった。一方、この曲で、両者の駆け引きは、それぞれが言うべきことを他とは関係なく語るのであり、他者を否定したり、対立したりすることはない。というのも、両者の語る言葉は違っていても、ともにメッセージは同じであり、考えが一致しているからである。言い換えれば、ピアノとオーケストラはめったに同一の主題を提示することがなく、それぞれが分担する要素は性質が異なるのである。偽の第2主題は主にオーケストラのものであり、それが2度目かつ最後に出現する際のみにピアノがそれに関心を示しはするが、オーケストラがそれを扱い終える前に、ピアノはすぐにそれを放棄してしまう。真の第2主題は、一連の協奏曲の数多くのものと同じく推移的なものだが、オーケストラが再度取り上げはするものの、どちらかと言えばそれはピアノのものである。長い独奏が総奏によって提示された素材に負うものは何もない。そして楽章を通して執拗に付きまとう第1主題でさえ、ピアノはほとんどそれを避けるのだ。最初の独奏が開始される時にその後半部が展開されるだけであり、それにはこれといった特徴がない。確かにピアノはヴァイオリンが行った模倣(143~144小節、297~298小節、328~329小節)を再び始めようとはするが、すぐに技巧に逃げ込み、傲慢かつ冷淡な態度で、それを総奏による伴奏の音型としてしまう。素材を2つの部分、ひとつはオーケストラに、もうひとつは独奏に分割するやり方はこの協奏曲に限ったものではない。他のほとんどの曲では、対抗者それぞれに割り当てられた主題があるが、モーツァルトが両者の分離をここまで進めた例は他にない(原注1)

(原注1)K.415〔ハ長調 No.14〕でさえも、ここまでは行っていない。

 以前のいかなる協奏曲よりも輝かしい独奏パートの存在にも関わらず、オーケストラがないがしろにされることはない。最初の総奏および3つの長大な間奏は、紛れもない交響曲的展開であり、それによってモーツァルトが対抗者それぞれの勢力を均衡させるのだが、持続力に満ちており、その流れは絶えることなく、何物もその進行を押しとどめることはない。主題も流れの中から頭をもたげ、その堂々としたよどみない進行の流れを中断させることもほとんどなく、終止によってその統一性が切り刻まれることもない。第1主題、少なくともその最初の4音がこの総奏全体に浸透し、支配しており、ちょうどヘ長調協奏曲〔No.19 K.459〕での(図1)というリズムと同様に、その中に頻繁に現れる。それはいつもそこにあり、他の要素たちが油断するや否や、すぐに舞台上に忍び込む用意ができているのである。それは最初の総奏で3回以上にわたって主導権を握り、偽の第2主題が束の間それを追い払うものの、それは対位法を装って再び現れる。第44~63小節、譜例254の長大な展開部分がしばしの間それを遠ざけるが、それは議論を切り上げるために再び現れ、総奏の最後で、始めは徐々に、そしてニ短調で行ったのと同じように、アレグロが開始時のモチーフで終るに至るのだ(譜例263)

 独奏のパートについては何を語るべきだろうか? そこではパッセージ・ワークが優勢だが、旋律面では、それらがいかに個性的なものでも、より重要なものへと渡っていくために架けられた橋に過ぎない。楽章の5分の2に及ぶその長さにもかかわらず、これらのパッセージは常に作品全体を満たす壮大さと力感の生命力によって支えられ、作品の雄々しい魂をそれぞれのやり方で表しているのである。それはト長調〔No.17 K.453〕のいくつかの小節、あるいは、ニ短調〔No.20 K.466〕のロンドでのように、おしゃべりへと後戻りしてしまうことはない。一貫した和声的な工夫、下属調による進行、音階に基づくパッセージの数の多さ、それらが一貫性と抑制を与えているのである。その書法は、モーツァルトとしては新しいいくつかの特徴を示しており、両手の同時使用はニ短調〔No.20 K.466〕も含めたこれまでのいかなる作品よりも持続的である。ピアノ・パートの雄大さと豊かさは、この曲の野心的な前触れである1782年のハ長調協奏曲〔No.13 K.415〕21原著ではthe ambitious prelude of the C major concerto in 1782である。preludeを第1楽章(特に提示部)とするとNo,13のオリンピアンな特性からの想起、一方ofを同格と見るとこのK.467と同じハ長調であることを先駆けとしてのプレリュードと呼んでいることになる。しかし「野心的」という言葉に値するピアノと総奏との協働がみられるのは第3楽章のロンドのみである。を思い起こさせる。ついにピアノは総奏に追いついたのであり、モーツァルトはピアノをオーケストラと同様に自らの思考表現を可能にする手段とすることに成功したのである。

 これらすべてがひとつになって、この曲をひたむきで、堂々として力強い作品にしているのである。これは以前の作品ではニ短調の協奏曲〔No.20 K.466〕のみがこのような期待を抱かせることが可能であろう。これらの2つの協奏曲は疑いなく同じ魂の奥深い場所から生じたものだが、ただし、その深さには違いがある。ニ短調は同様な力感に溢れているが、さらに激しく、大胆さ、リズムの滑らかさでは劣る。この曲はまさにオリンポス山の如く、次の3年間の偉大なハ長調の作品群の最初の作品であり、モーツァルトの多面的な才能におけるこの面の才が完全に発揮された最初の作品なのである(原注1)

(原注1)モーツァルトの“オリンピア的”なインスピレーションは、協奏交響曲K.364〔変ホ長調〕に最初に認めることができる。最初は、私がこのように表現したムードを変ホ長調が表していた。1780年、ハ長調はいまだ祝祭的な歓喜の序曲の調であった。ハ長調がこの特性を失うことなく、神々の山に登るにふさわしい作品の調になるのは、1785年に至ってからなのである。

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