第2楽章は8分の6拍子のアレグレットであり、幾分かブラームスの間奏曲を思わせるものがある。緩徐楽章がないのがこの作品の特徴だが、この作品の陽気で高揚した気分は瞑想とは相いれないものである。この曲のような第1楽章に続くアンダンテ、あるいはアダージョはそれと対照的なものになるのだが、モーツァルトはト長調の協奏曲〔No.17 K.453〕にインスピレーションを与えた同質性の理念に立ち戻り、対照を避けている(原注1)

(原注1)モーツァルトは最初、より通常のテンポの楽章を構想したのかも知れない。モーツァルテウムの協奏曲の断片の中に、ケッヘル-アインシュタイン番号466aのアンダンテの冒頭があるが、ケッヘル第3版は誤って“バスーン”の代わりに“トランペット”とし、この間違った前提に立ってこの断片楽章をニ短調協奏曲に結び付けているのだが、その管弦楽法がこの協奏曲に完全に合致している。しかし、調性と管弦楽法は同様にト長調協奏曲〔No.17 K.453〕にも合致している。37小節の断片(25小節の総奏、8小節の独奏4小節の総奏、それにスケッチ的に示された新しい独奏の入りが続く)のインスピレーションは、K.453〔No.17 ト長調〕のアンダンテによく似ており、最終的に出来上がったものには劣る最初のスケッチだったかも知れない。このことから、この断片をこの協奏曲に結び付けることは、ひとつの議論を起こすかも知れない。しかし、モーツァルトはこれをこのヘ長調協奏曲のために書き始めたのだが、それがすでにト長調協奏曲ですでに語ったことを、下手に繰り返すに過ぎないと気づき、それで完全に新たな楽章を作ろうと決め、そこでアレグレットにしたのだとも、全く同様に言えるかも知れない。間違いなくはっきり言えることは、おそらくそれがこの2つの協奏曲のどちらかのためのものだろうということである。

 このアレグレットには、アレグロの心軽やかさと清澄さに加えて、寛いだ美しさがあり、移り気で、時折、物憂げな表情も見せる。より緩やかなテンポであれば、これは第1楽章と完全に対照をなすものになる。これはモーツァルトのいくつかのアンダンテとアダージョ同様に2部構成形式である(原注1)。総奏が先行するが、本体は2つの同じ部分からなり、最初に総奏が提示した主要主題と、最初はト短調の、2度目にはハ短調の悲しげな主題、そして小さな結尾部によって構成されている。この楽章は第1主題で構成されたコーダで終わる。それゆえ、これは展開部を欠くソナタであり、3つの部位の中で展開部が常に最も短い部分であるモーツァルトにとっては、より満足のゆくものであったに違いない。

(原注1)ハ長調ピアノ協奏曲K.503〔No.25〕、ハ長調とト短調の五重奏曲〔No,3 K.515、No.4 K.516〕、弦楽四重奏曲ト長調“狩”〔No.17 K.458 ハイドン・セット第4番〕、ピアノ四重奏曲ト短調〔No.1 K.478〕他。

 総奏は序奏の域を超えており、楽章に接頭辞としてつけられた独立したセクションとさえ言えるものだ。第1主題(譜例212)の後、ヴァイオリンとオーボエが、転調ぎみの、しなやかで上昇する音型を導き入れるが、瞬時へ短調にとどまり、物憂げな色合いの第2主題を予告するが、それきりで消え去ってしまう。ハ長調へ回帰する転調の仕方は、K.456〔No.18 変ロ長調〕の第1楽章における第2主題への推移を思い起こさせる(参照譜例177)。

 今度はピアノが総奏の第1主題を展開し、それに回音を付け加えるが、それはブラームスの弦楽六重奏曲ト長調の主題との予期せぬ類似性を示す(譜例213)(原注1)。ピアノはそれを反復しようとするが、2小節目でオーボエが6度上で同じモチーフをエコーしてそれを妨げる。独奏がその3度下で答え返し、オーボエとバスーンはさらに3度下で繰り返す。そこでニ短調へと導き、転調しながらピアノのパッセージがト長調の属和音での停止へと導いて行く。

(原注1)この六重奏曲には、ブラームスとモーツァルトがともに使っている音型がもうひとつある。それは、第1楽章の、(図1)だが、これはプラーハ交響曲K.504のアンダンテの重要な要素でもある。

 ここで、“規則正しい”楽章であれば、第2主題を導入するだろう。しかし、この協奏曲は、規則正しくあるにはあまりに独創的なのである。さらに、この楽章は、単一主題を好む点で他の2つの楽章と共通している。新たな主題を提示せず、フルートに高音部で、開始部の第1主題(譜例212)を再展開させる。そして第1ヴァイオリンはそれにアルベルティ・バスの音型で伴奏をつけるが、それはアレグロにおけるかの3連符とほぼ同じくらいに際立つようになるのだ。フルートとバスーンが第1主題によるカノンを開始し、すぐにピアノがそれを奪い、ヴァイオリンは上下するアルペジオ音型を続ける。このパッセージは後半部でさらに展開されて回帰する。

 ピアノは新たなコデッタで続け、そしてト長調で終える。そこで第2オーボエと第2バスーンが1反復和音提示はオーボエは第2のみだが、バスーンは第1、第2ともに行う。第1オーボエは次に述べられるように2小節目から入って主題提示を行う。、今到達したばかりのト長調の和音を繰り返すように響かせる。そして1小節後、それは3度の和音にフラットをつけ22本のバスーンによるト音およびロ音による3度の和音の、ロ音にフラットをつけ短3度化したことを言っている。これにより、ト短調に転じる。、同時に第1オーボエ、続いてフルートが哀歌を悲痛に歌い上げるが、これは前奏曲のヘ短調の数小節を除けば、この協奏曲でここまで耳にしたすべてのものから遠く隔たったものである(原注1)。ピアノがそれをわずかに修飾しながら反復する(譜例214)。木管がその後半を提示するが、それは単に音階を下降するが、各段階に3拍ずつ留まって下降中断する、ためらいに満ちたものである。今度は弦が微妙にパートを組み替えて3最初(第62小節~)の木管の下降を第70小節からヴァイオリンとビオラで反復するが、最初のフルートと第1オーボエのオブリガートの下降は第1ヴァイオリン(単音)に移され、2小節目からの第1バスーンは1オクターブ上で第2ヴァイオリンに移される。さらに第2ヴァイオリンの1小節目は新たに付加、ビオラのパートは第2オーボエおよび第2バスーンが併奏した低音を移してパート化したものである。それを取り上げ、同時にピアノがうねるような変奏を展開する(譜例215)

(原注1)これはヘ長調ピアノソナタK.332〔No.12〕(50小節以降)を思い出させる。

 非常に簡潔かつ直截的に表現されるこの悲しみは、すぐに静まって、長調が去った時と同じように突然戻ってくる。2つの短い断片で、ピアノと木管がボールの投げ合いのゲームを行って提示部に結末をつけ、独奏による推移パッセージが主調へ、そして第1主題へと連れ戻す。

 後半部は、ピアノ・パートの音型を若干変更して第1部を再現し、ト長調に転調したパッセージへ到るが、今回はハ長調から離れることはない。第1主題は形式通りに再帰するが、自らをカノンとみなす傾向を示す。ピアノ、オーボエそしてバスーンは4カノンの進行順序はピアノ右手→バスーン→オーボエ→ピアノ左手の順で、これが2回繰り返される。、前回以上のものを求めようとはせず、そしてゲームはより幅広い土台の上で再開される。その場で主題に付加された上昇音階はきわめて有用な参加者で、その直線的な進路は他のうねる道筋と優美な対照をなす(譜例216)。

 第2主題はハ短調へ入っていき、提示部と同じ断片とコデッタがそれに続く。それは再び第1主題を回帰させ、コーダはそれに基づく。最初の総奏の結尾が繰り返され5第1部79~83小節、第2部では第141~144小節で、次のピアノによる推移句は第1部では3小節であったが、ここでは1小節に短縮されている。、そしてピアノとオーケストラによる主題の最初の小節を回想する。コーダそれ自体は4小節の持続低音で、その上に音階が作られ、ピアノが最後に入ってくる。短い一連の回音は、第1主題を最後にもう一度惜しむかのようである。音階が再び始まり、そして楽章はフルートの翼に乗って高く運ばれ、大空高くその姿を消していくのである(譜例217)。

 モーツァルトの協奏曲の中でも、この楽章はそのテンポによって他に類を見ない。しかし、これには独創性以上の魅力がある。これは、見かけの単純さが繊細さと最も緊密に結びついたモーツァルトの作品のひとつなのである。この楽章において我々を魅了するのは、その旋律線の曲線とその対位非曲線であり、またアレグロの統一性に慣れてしまった耳には尋常でなく聴こえるある種の対照の存在と、リズムの多様性である。2、あるいは4小節単位のフレーズはここにはなく、この楽章では、主題やその断片は、しばしば非常に短いが、その長さはきわめて多様である。優美な不規則性、第1主題および主要な主題(譜例212)の魅力的な気儘さはこのアレグレット全体の特性であり、これが何等かの痛切なあるいは深みのある経験を具体的に表現するものではないとしても、調和した、形を変え続ける世界を呼び起こし、そこでは悲しみが語り掛けるが、却ってこのことが、我々がその中を進む安らかな大気をより楽しませてくれるのである。

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