協奏曲第14番(No.18) 変ロ長調(K.456)(原注1)
1784年 9月30日 完成
アレグロ ヴィヴァーチェ:C(4分の4拍子)
アンダンテ ウン ポコ ソステヌート:4分の2拍子(ト短調)
アレグロ ヴィヴァーチェ: 8分の6拍子
オーケストラ:弦、フルート、オーボエ2、ホルン2、バスーン2
(原注1)全集版番号で第18番
今こちらに著名なマントヴァ出身の、非常にすばらしいヴァイオリニスト、ストリナザッキが来ています。彼女の演奏にはとても豊かな趣と情感があります。私は今、木曜日に劇場で行う彼女の演奏会で一緒に演奏するためのソナタを作曲しています。(原注1)
(原注1)1784年4月24日付け、父親への手紙;E.アンダーソンの翻訳、第3巻、1304ページ
この“著名な”マントヴァ人が今日知られているとすれば、それはただモーツァルトが彼女のために作曲したソナタによってのみなのである。そしてそれに関わる“驚くべき”話があるが、それはモーツァルトに関するこの種の数多くの話の中でも信頼に足るもののひとつである。
いつものように、モーツァルトはその曲全体を頭の中でつくりあげていたが、怠惰にもぎりぎりになるまでそれの書き起こしを先延ばしにしていた。時が迫り、モーツァルトはヴァイオリンのパートのみを書き下ろすことで善しとし、自分のパートは記憶に頼って演奏した。皇帝は自分の席からオペラ・グラスで演奏を追いかけていたが、驚いたことに、ピアノを目にすると、総譜の代わりに、そこにはヴァイオリン・パートとわずかな指示書きのみのシートがあるだけであった。
五重奏曲K.452と同様に、その様式においてこのソナタ(原注1)は協奏曲との近さを示している。それぞれのパートは交互に協奏的であり、この作品がヴァイオリニストのために書かれたものであるがゆえに、ヴァイオリンのパートはピアノと対等なものとなっている。モーツァルトの他のソナタが未だその範疇にあるヴァイオリンの伴奏つきのピアノ・ソナタの痕跡はもはやここには無い。そのインスピレーションは変ロ長調協奏曲K.450〔No.15〕のものに近く、同じ自信、同じ能力と成功の喜びを反映しているが、堂々としたアンダンテでは、出発点がその協奏曲と同じであっても、インスピレーションはさらに深い。モーツァルトの天才は20歳の名演奏家の魅力と才能に刺激されたのかも知れない。1年後にザルツブルグで彼女の演奏を聴いたレオポルド・モーツァルトが、“彼女よりもさらに情感を込めてアダージョを演奏できる者は誰もいない。彼女は自らが奏でる旋律に心と魂のすべてを込め、その音色は強くまた美しい。”と断言しているからである。
(原注1)K.454〔No.40 変ロ長調〕。ペーター版では第15番。
このソナタは、モーツァルトが2月以降に作曲した一連の傑作の最後の作品である。3か月で6曲の偉大な作品! モーツァルトの場合このように驚嘆すべき出来事は珍しいことでなく、伝記作家たちも集中的な創作の時期をあまりに取り上げているため、モーツァルトがその短い生涯にわたって同じように作曲し続けたと容易に考えてしまうのである。実際は、このような感嘆すべき時期は例外的で、11年間のモーツァルトのウィーン時代で4回以上数えることはできない。この時期と、6週間で最後の3つの交響曲〔No.39 K.543 変ホ長調、No.40 K.550 ト短調、No.41 K.551 ハ長調 ジュピター〕を作曲した1788年の夏が最も並外れたものなのである。通常は彼の創作活動ははるかにまともで、数か月にわたって何も書こうとしなかったこともあった。疲れも知らずに作曲し、休息もとらず、何の苦労もなく宝物のような旋律を生み出し続けたモーツァルトという存在は神話に過ぎない。
1784年の4月末から9月までの間、作曲はほぼ完全に停止した。演奏会のシーズンは終了し、貴族や上流階級は各地に散らばってしまった。この期間にモーツァルトが作曲をしていたとしても、それは彼自身のためのもので、譜面には何も記されなかった。8月の姉の結婚式の時でさえも、彼がウィーンを離れたとは思えない。モーツァルトは翌年の春に行くと手紙で約束しているが、その約束が果たされることはなかった。彼の生涯についての主要な情報源のひとつである父親への手書きはこの時点で終わっている。父親と息子との通信が止むことはなかったが、この時以降の手紙は、ひとつの例外を除いて、全く保存されなかった。これらの破棄された手紙にはフリーメイソンへの言及があるとの憶測があった。モーツァルトは、少し前にフリーメイソンに入会し、レオポルドも間もなく加わることになっていたのである。
おそらく姉の結婚式に出席できなかった理由であろう比較的重い病の後、9月に、新たなピアノ協奏曲で作曲活動が再開された。演奏会が再開される前の時期の、この作品は誰のためのものだったのだろうか? 翌年の2月14日、レオポルド・モーツァルトは息子のところに滞在しており、娘に次のように書いている。“日曜日(12日)に、お前の弟はパリの(nach Paris)パラディスのために書いた堂々とした協奏曲を演奏した。”(原注1)
(原注1)“Dein Bruder spielte ein herrliches Konzert, das er für die Paradis nach Paris gemacht hatte”
マリア・テレジア・パラディスは盲目のピアニストで、モーツァルト一家の友人であり、以前ザルツブルグに滞在しこともあり、パリへの旅行を計画していた(原注1)。この手紙で言及されているのは、変ロ長調の協奏曲K.456〔No.18〕だと考えられている。この“堂々とした協奏曲”は、それ以前に作曲されたものではありえない。というのもモーツァルトはこれ以前の作品についてしばしば手紙の中で触れ、バベット・プロイヤーと彼自身以外の誰かのために書かれたとは一言も言っていないのである。一方、ニ短調〔No.20 K.466〕は同じ手紙の中で別途レオポルドによって言及されているので、残るは1784年12月のヘ長調K.459〔No.19〕とこの曲のみである。しかしヘ長調は、変ロ長調やニ長調、K.450〔No.15〕と451〔No.16〕と同様の自信と誇らしい喜び、そして幾分似通った外面的特徴がある。これらはモーツァルト自身のために書かれたことが分かっているが、一方で、K.456の親密感および華やかさが抑えられたピアノ・パートは、この曲を、他人のために作曲された変ホ長調とト長調、K.449〔No.14〕およびK.453〔No.17〕に結び付けるのである。
(原注1)ハイドンは彼女のためにト長調の協奏曲を作曲した。
しかし、これが、レオポルドが言及している協奏曲であるとすることへの反論もあり、それは同様にK.459〔No.19 ヘ長調〕にも言えるのだ。
マリア・テレジアのパリ滞在は、その年の前半のことであった。彼女は4月1日から6月10日の間に14回演奏した。『パリ通信』 に掲載された彼女の演奏会のプログラムには、コジェルフKozeluch、ジャーヴェイスGervais、ハイドンの作品が含まれているが、モーツァルトのものには何も言及がない。
nachという言葉は多義的である。もしそれが、マリア・テレジア・パラディスがパリに(nach Paris)持っていくため、との意味ならば、レオポルドの言葉は、ウォルフガングが彼女の旅行のために協奏曲を作ることを約束し、K.456は、彼女のフランスへの出発後4ヶ月も遅れてその約束が果たされたもの、または、彼女は、実現しなかった2回目の旅行を計画しており、そのためにモーツァルトがこの協奏曲を作曲したと想定した時にだけ説明可能である。
もしnachが、彼女がパリに滞在した後に、という意味に取るならば、レオポルドの言葉は理解できる。すなわち、マリア・テレジア・パラディスは、オーストリアに戻った後、モーツァルトに協奏曲を依頼し、彼はそれを9月に作曲した。しかしnachをこのような意味で受け入れるには無理がある。したがって、堂々とした協奏曲(herrliches Konzert)の正体は疑問が残らざるをえないのである(原注1)。
(原注1)H.ウルリッヒ:『マリー・テレーズとモーツァルト』(音楽と手紙、1946年10月)参照
Ⅰ1前の曲K.453までガードルストーンは、曲の流れに従って叙述していたが、この曲、特に第1楽章はそのスタイルを変え、要素を主体とした叙述を行っている。本楽章の後半で示されるこの楽章の非継時的、非ドラマ型という特異性が、この叙述のスタイルを選ばせたものと思われる。そのため、述べている箇所が大きく離れていたり、順序が逆行する箇所が頻出するため、読むにあたっては注意が必要である。 オーケストラはト長調〔No.17 K.453〕と同程度に規模が大だが、作品の構想は小さく、またその狙いもそれほどは野心的でない。この協奏曲は非常にモーツァルト的だが、モーツァルトのすべてがそこに込められているとはとても言えない。変ホ長調〔No.14 K.449〕では、作曲家は、その気質の多様さと不安定さを、変ロ長調〔No.15 K.450〕では成功の喜びを、ニ長調ではその誇りと強さを、そして、ト長調〔No.17 K.453〕においては狭い空間を縦横に扱うことの喜びを表に出していた。ここでは、モーツァルトは引き下がり、己が持てる富のわずかな部分のみを示している。
アレグロを開始する総奏は、楽章の重要な要素ほとんどすべてを含んでいる。ただひとつ欠けているのは、ピアノ独自の主題である。楽章の個性は穏やかさを漂わせる。ト長調協奏曲[No.17 K.543]における変ホ長調への飛び込みのような突然の転調はない。概ね調子の良いリズム、ここでその前の3つの協奏曲にあった行進曲が聞き取れるが、それは確固としてしなやか、荒々しさや性急さはなく、すぐに弛緩し、4分音符と8分音符は2分音符と全休符へと移ってしまう(譜例179)2譜例175の例示から入らない点に注意。譜例179は第1提示部の結尾主題直前のものであるが、譜例177なども同様、休符と2分音符による弛緩が見られる。確かにモーツァルトの行進曲による第1提示部でこのような弛緩が見られるのはこの協奏曲だけである。。K.451〔No.16 ニ長調〕やK.453〔No.17 ト長調〕の活力にあふれた反復音の代わりに、分解された3度、4度、5度のゆるやかな起伏が伴奏を支配し、それがこの楽章にビロードのような穏やかさを与える3「分解された3度、4度、5度」の事例としては譜例176の伴奏部が最適である。譜例176は後に言及されはするものの、手書き譜には伴奏部が記されていない。。
この楽章の諸主題自体にこの穏やかで控えめな特徴がある。それらはすべて強い同族的な類似性を示している(原注1)。そのうち3つは同じ音型を持つ(譜例175の音型a)。その4つでは反復音が目立ち、そのうちの3つでは、反復音は主音である。それらは主調に戻り、そこに落ち着こうとする。下降し上昇する音型(譜例175の音型b)はそれらの2つに共通している。そしてすべての主題は広い音程幅を避け、通常2度か、少なくともそれに近い度数で進行する。静謐で、抒情的とも言えるが、輪郭がはっきりしたものではない。ここにはドラマも雄弁さもなく、それらは旋律的に際立ったものではない。
(原注1)この第1主題は、ヨハン・クリスティアン・バッハの協奏曲、作品13のⅣ(第1楽章第5~6小節)で使われており、モーツァルトではすでにヴァイオリン・ソナタ変ロ長調K.378のアンダンテでモーツァルトによって使われている。4ヴァイオリン・ソナタ変ロ長調K.378アンダンテの第2主題の前半部である。
それでも、この総奏は単調ではない。穏やかさを失うことなく、2回以上、変化を取り入れ、1回は第2主題の冒頭、もう1回は結尾の主題の前に行われる。どちらのパッセージにおいても、リズムが減速し、情緒は和音へと集中される。最初のものは第1楽章で最もすばらしい瞬間であり、そこではそれに先行するものから静寂が際立ち、神秘的な進行が変ロ短調へと導いていく。そして最後に、聴衆はそこで第2主題が短調で登場することを予期するのだが、それは際立った簡潔さで長調を回復するのである(譜例177)。主題そのもの(譜例178)はそれに先行するもの5譜例177の推移部の存在である。がなければ、気づかれないまま過ぎ去ってしまうことだろう。この手はずにより驚くほどその魅力が高まる。すなわち、モーツァルトがその主題を遠く迂回させて導き入れることで、その単純さをほとんど劇的なものとするのだ。モーツァルは手元に持っていたものをはるか遠くにまで探し求めることで、それを非常に重要視していることを信じさせる。彼がこれほど遅れて主題を開始することはめったになく、また、主題をこれほど重要視していると思われることも稀なのである。
結尾の間際でモーツァルトはト長調〔No.17 K.453〕で成功した手法(譜例153a およびb)を用いる。弦によって提示される定旋律〔cantus firmus〕の上に、それが繰り返される時に、彼は木管の随唱を挿入する(譜例179)。
その強弱記号によってこの楽章は、これらの協奏曲でもしばしば使われる、お気に入りのギャラントの慣習を示している。ピアノ(p)で第1主題が提示され、推移部なしにフォルテのパッセージがそれに続く(原注1)。第2主題とそのための長い手はずは静かに提示され、結尾はフォルテである。
(原注1)細部には違いがあるが、モーツァルトのウィーン時代の約半数の協奏曲でそれに出会う。K.414〔No.12 イ長調〕、K.415〔No.13 ハ長調〕、K.450〔No.15 変ロ長調〕、K.453〔No.17 ト長調〕、K.456〔No.18 変ロ長調〕、K.459〔No.19 ヘ長調〕、K.466〔No.20 ニ短調〕、K.467〔No.21 ハ長調〕、K.488〔No.23 イ長調〕、K.491〔No.24 ハ短調〕、K.537〔No.26 ニ長調〕
直前の3つの協奏曲〔No.15 K.450 変ロ長調、No.16 K.451 ニ長調、No.17 K.453 ト長調〕と同じく、スコアリングは木管にも弦と同等の重さを与え、木管が贔屓されているのではないかとさえ思うくらいである。木管と弦の2つのグループはK.450〔No.15 変ロ長調〕と同じ様に、第1主題では、集団対集団として対峙しあい、そしてそれに続く推移主題において両者は入り混じる(譜例176)。転調しながら第2主題の導入に向かわせるすばらしいパッセージ6前出の譜例177のことである。が両者を結びつけるが、それぞれに個性の余地を残しながら、速やかに問と答えに引き継がれるが、それぞれのパートは明確に異なっている。第2主題そのものは木管に託されるが、最初は弦がそれを反復する3度で伴奏し、コデッタでは木管のみで奏される。結尾の主題でも同じグループの間の対抗がある(譜例180)7本文の叙述には省略がある。第2主題が弦の分解された3度に支えられて木管が提示(譜例178)、コデッタを木管のみで、さらに弦と木管が協働でそれを半終止させ、その後に弦と木管協働の推移パッセージ(譜例179)、その後で結尾主題が最初弦(譜例180)、次いで木管と対抗的に、そして両者協働して結尾に至る。。この協奏曲の調性の進行、リズムおよびメロディーは直前の協奏曲ほど凝ったものではないが、オーケストレーションにおいてはそれらに匹敵するものである。
独奏提示部は総奏と同じ道をたどる。それは総奏の内容のいずれも無視することなく、2つの新たなパッセージを付け加える。最初のものは第2主題の直前で、独奏の主題であり、もうひとつのものは結尾の前である。つまり、独奏提示部の新たな試みは挿入なのである。その他の面では、開始部の総奏をほとんど小節ごとになぞっていくが、独奏主題の初めに属調に転じ、ピアノ・パートによってオーケストレーションを装飾し、豊かなものにするのである。この独奏の介入が最も興味深いところである。ピアノと木管は、譜例175で主題のそれぞれの部分を区切っていた休止部分を埋めていく8この文の対応箇所は第2提示部でのピアノ独奏による譜例175提示後、第73小節以降である。対応箇所は逆もどりしているので要注意である。。また推移主題、譜例176の反復では、ピアノの右手が分解されたオクターブの音型でオーボエとフルートを伴奏するが、これはアンダンテで重要な役割を演じる。譜例1799譜例177の誤りである。の木管の随唱はピアノの奔流で置き換えられ、オーボエ、フルートとバスーンは単に弦に重なるだけである。総奏と同じく、最も魅力的な瞬間はこの第2主題の登場を告げるところである。飾り気のないオーケストラ進行のまわりをピアノが金線細工のように翔りめぐり、その厳しさを波打つ音線ときらめくような半音階で和らげていくやり方は、他のところが忘れ去られてしまっても、記憶に残るのである(譜例181aとb;譜例177と比較されたい)10譜例181が譜例177に対応するものとするなら、もう1つ前の第118小節からとすべきである。。
独奏の主題にも他のものと同じ特徴があり、そこには、反復音、上昇し下降する音階、波打つ3度や4度を見出す11第102~109小節である。反復音はピアノ左手、右手は冒頭の最高音から波型の音型が音階に沿って下降する。3度は左手の上声部、4度は波型音型に見出される。。概して、ピアノ・パートは、モーツァルト自らのために書かれたことが分かっている協奏曲にくらべ技巧的華々しさはやや劣る。その記譜法はト長調〔No.17 K.453 ト長調〕を思わせるものがあるが、ピアノのために移調されたオーケストラの主題譜例179やそれに続く、数小節おいて繰り返される独奏パッセージに見るように、和音の使用はより頻繁である(譜例182)。これはモーツァルトではあまり例のない特徴であり、この点で、そのスタイルは、彼の同時期のいくつかの作品に立ち後れている。
前の2つの協奏曲〔No.16 K.451 ニ長調、No.17 K.453 ト長調〕においてと同様に、オーケストラが忙しく働き、独奏主題においてさえも、弦が、目立たないが、必要不可欠な存在としてそれに加わる。第2主題は木管により提示され、反復される時にピアノがそれを取り上げる。独奏が完全に自由裁量権を握ることはなく、すばらしい技巧的パッセージでさえも、木管がそれ独自の音型を伴奏として付け加えるのである。
展開部は、幻想曲でも主題展開的なものでもなく、両者の混合物である。冒頭と最後に新たな要素、ピアノによるカンタービレなパッセージ(原注1)を含んでいる。しかし中間部は、明快なリズムの素材である譜例180をオーケストラが連続して繰り返し、ピアノの音階パッセージを押し進める。音階と音型は4度を保ちつつ12これはピアノによる音階と木管の音型の間が4度であるのにとどまらず、ひとつの音階フレーズと同一手の次の音階フレーズ、ひとつの譜例180の音型フレーズと同一木管楽器の次の音型フレーズも、4度の関係で上下しつつ進行する。非常に手の込んだ技巧が使われている。、ニ短調から変ロ長調へとさまざまな調を経ていく。この音型の存在がこの展開部にある種主題展開的な性格を与えており、その一方、立て続けの転調と独奏パートの特性が、この前の協奏曲の幻想曲と似たものにしている。しかし、それらはさほど高邁なものでは決してなく、これはこの楽章の中でも最も魅力のない部分であり、モーツァルトの偉大な協奏曲の中でも最もつまらない展開部のひとつなのである。
(原注1)これらの構成物の最初のものは新たな主題である。展開部の冒頭での新たな主題の導入は、その慣例的使用はトレフランカがサマルティーニの功績と評したものであり、モーツァルトの室内楽では頻繁に使われているが(K.458〔弦楽四重奏曲No.17 変ロ長調〕、K.478〔ピアノ四重奏曲No.1 ト短調〕、K.575〔弦楽四重奏曲No.21 ニ長調 プロシャ王セット第1番〕参照)、協奏曲においては稀である(K.414〔No.12 イ長調〕参照)
再現部は楽章全体を特徴付ける穏やかさで開始される。展開部の最後での情緒の高まりもなく、お決まりのオブリガートも付いた短いピアノのカデンツァのみで、伴奏されイン・テンポで、そして、長い音符の木管による3小節の推移部が、静かな音から大きな音へ上がって、第1主題を連れ戻すが、それが到来すると同時にすべてはピアノ(p)へと再び下がる。
再現部にはほとんど驚きはない。モーツァルトは、最初の総奏で提示された主題を独奏提示部で省略し、それを最後でもう一度取り上げることをよく行う。ここではそうするチャンスを自ら封じ、再現部は独奏提示部の主要な進行を、もちろん変ロ長調から離れることなく、再現する。主な変更は、ピアノが第1主題に加える装飾のみである。華麗なパッセージさえも忠実に再現されるが、それでも最後の場面で、文字通りにやりすぎたことに当惑したかのように、モーツァルトは独奏の只中に木管の驚くべき2小節を付け加え、それは半音階によってきわめて個性的なものになっている(譜例183;それは、再現部での譜例182にあたるものに続く)。これはモーツァルトのすべてのウィーン協奏曲にあって最も行儀がよく、最も伝統に沿った第1楽章の中で唯一の真の“驚き”である(原注1)。独奏の最後のところでの譜例180の再帰はピアノの音階によって伴奏され、展開部の開始部の巧みな回想である13これは第331小節からの譜例180の回想であるが「展開部の開始部」ではなく、第201小節からの展開部の中間部の回想である。。この協奏曲のために作曲家自身が書いた2つのカデンツァでより心地よいのは第1のもので、それは譜例179に基づく注目すべき和音のパッセージを含み、それは最後の総奏でフルートの歌14フルートおよび弦による再帰である。を伴って再帰することになる。
(原注1)K.537〔No.26 ニ長調 戴冠式〕のアレグロの同じようなところでの同様の噴出を参照。
芸術の名に値する作品はすべてそれ独自の世界を創造する。それに近づく者にある独特なムードを引き起こすが、おそらくそれは、芸術家が構想し実行した際にその中に見出したものと同じものではないだろうし、鑑賞者ごとに異なるだろうが、それが存在することは否定できない。それぞれの作品で異なるこのムードの知覚が、いわゆる世界を構成する。
このような世界の間には違いが無限に存在し、2つの異なる偉大な作品が同じムードを引き起こすことはない。しかし、概して、作品が我々を導いていく世界は、作品が時間の流れの中にあるかその外にあるかによって、2つのうちのどちらかに属するのである。これはその表現手段には左右されない。詩や音楽のように、その形式的制約により一定の時間の持続性が必要な芸術に属する作品でも、時間の外にあるものがあるだろう。一方、ある絵画が、ここで考えている意味において、時間の存在を感じさせることもある。芸術の時間への関与は、その形式にではなく、それは芸術家が創造を宿した瞬間の精神の状態によるのである。
山場型芸術作品というものがある。その存在のすべてが時間を経ることによって生じ、ドラマのように、開始部、中間部、結末がある。その世界は、その中に入ってみれば、その持続性に限界があり、解決されるべき葛藤が、進行の道筋があり、そして、ひとたびその務めが終了すれば、その世界は消滅する。その中にあるすべてのものは動きと生成であり、直感的に我々はこれらの作品と一体化し、そしてそれらを劇的と呼ぶのである。このことは表現手段とは無関係であり、文芸や音楽に比べ、絵画、彫刻、建築で生じることは稀だが、そこでもまた、作品がドラマ的特性を持ち、明確でこの上なく重要な瞬間を必然的に伴うかもしれない。このようなことは、例えばオータン教会のティンパナムの彫刻やヴァン・ゴッホの絵画、多くのフランボイヤント様式やバロック様式の建築作品においても認められるのである。
その他の作品は、それとは逆に、時間が何らの役割も演じない領域に属している。それらは時間の外で、作者の生活における特定の時間の外で生み出され、その世界が変化することはない。それはその作品のどの部分でも同じである。それは未来永劫存在しているように思われ、その世界に入れば、その支配を感じ、その雰囲気に浸されるのだが、山場型作品のドラマでそうしたように、それに自らを一体化することがない。その世界は我々がそれから立ち去った後でも生き続けるのである。すべての芸術の形式は、他の世界同様にこの世界も生み出すことができる。しかし、音楽および建築ほど完全にこれができるものはない。バードやパレストリーナのモテット、あるいはバッハのフーガに、ウェストミンスター寺院に入るように入り、同じようにそこから出ていく。教会にはどれでも好きな扉から入ることができ、数多くのフーガ(もちろんすべてではない。フーガには劇的なものもあるからである)は異なったところから始めることが可能である。もちろん作曲者はそれらが最初から最後まで通して演奏されることを意図しただろうが、それにも関わらずどこからでもから始めることができるし、それによって作品が無意味なものになることはない。その世界は、教会のようにいくつもの扉から入ることができる。そして、教会を立ち去る時、その世界が存在し続け、好きなだけ何度もそこに再び入ることができ、その敷居を跨ぐたびにその世界を再度見出すことを了解しているのである。フーガやモテットの世界も同様に、我々がそれを耳にする以前に存在し、その楽の音が鳴り終わった後でも、変わることなく存在し続けるのである。我々は意の赴くままにそこに入り、そこから立ち去るのだ。
山場型の作品とは何と違うことか! 山場型作品は、作者の生活のある一時点の証であり、歴史的、あるいは少なくとも伝記的な意味を持っている。ドラマのように、それらは時間の流れに従って展開し、いかなる順序の乱れがあってもそれは理解不能なものとなる。そこでのエピソードはそれが発生した葛藤と同様に必然的に連続し、自ら選んだところから進むことはできず、ある扉を通り抜けるしかなく、その扉はひとつしかない。その世界は葛藤が演じられている間のみ存続し、それが終わった途端に四散して、受け手が自ら再びそのドラマの中を生きる選択をするまでは、その世界が再び命を得ることはないのである。
たった今後にした楽章の世界は、このカテゴリーに属するものではない。その中のすべてが叙述であり、ドラマではない。状況であり山場ではない。休息であり行動ではない。静止であり変化ではない。ドラマのように、ただの幸福な劇のようなものでさえも、時間に縛られて展開する体験はこの静的な音楽の背後に隠れて全く見ることができない、モーツァルトが我々に残した数少ない完全に静的なアレグロのひとつである。その世界には境界や周辺がなく、意思に従って自ら選んだ門から入ることができ、その書かれた音符の順序通りに楽章を追う義務は純粋に形式的なものである。提示部の最後でやめたり、展開部から始めたり、またあれこれの部分を反復することを妨げるただひとつの理由は、調性の流れを混乱させてしまうからである。これは疑いなく正当な理由であるが、形式上の理由であり、いかなる形でも作品の意味に影響を及ぼすことはない。異なった部分の順序を変更し、主調-属調-主調の流れを変えても、この楽章に続くアンダンテの変奏曲の2つを入れ替えることほどには深刻な影響はないだろう。それらはひとつを除きすべて同じ調だが、劇的な楽章であり、そのエピソードは規則ではなく自らの情緒のおきてに従って予め定められた順序で連続するからである。一方で、アレグロは、その世界が時間的には始まりも終わりもない教会や、静謐な輪郭線と限りない眺望を持ち、どこからでも近づくことができ、好きなだけ長く留まることができる景観に似通っている。
この年の他の協奏曲について同じことをあえて言うことはない。K.449〔No.14 変ロ長調〕は高度にあるひと時の経験であり、K.451〔No.16 ニ長調〕は情熱の作品である。それが幸福と勝利感の表出であることは確かだが、情熱的でもある。K.450〔No.15 変ロ長調〕とK.453〔No.17 ト長調〕については情熱という言葉が激し過ぎるかもしれないが、それでも、そこでは第1楽章は物語的であり叙述ではない。純粋に形式的な分析という手段によって、K.456〔No.18 変ロ長調〕にどの程度劇的な要素が欠けているかということを示すことは難しいことではない。すなわち、その主題の輪郭がぼやけていて相互に識別が難しく、各々の個性が混ざり合っていること、そして特に、モーツァルトが一遍にほとんどすべての手の内を見せてしまい、最初の独奏で総奏のすべての要素を繰り返してしまったために、聴衆に驚きを生じさせる可能性を自ら奪ってしまったことである。驚きがなければ劇的な面白みはあり得ないのだ。しかし、このことは外面的な特徴に触れているだけであり、この楽章の静的で非劇的な性格はそれに息吹を吹き込む楽想の中にこそ存在するのだ。
ゆえに、驚きと対照が存在しないこと、情緒の強弱の変化に欠けていることをとがめないようにしよう。これらの穏やかな谷間を気楽に逍遥しようではないか。心置きなくそのにじみ出る感化の力に身を委ねようではないか。我々がそれから強烈な印象を受けることに固執しても、それを発揮することはできない。そもそも、そのような力を及ぼすことを望んでいないからである。