Ⅱ アンダンテは変奏曲だが、これはモーツァルトの重要な作品では稀な形式であり、概ね彼は変奏曲を取るに足らないものとして扱っているのである。これは、協奏交響曲K.364〔ヴァイオリンとビオラのための 変ホ長調〕以降初めての、ピアノ協奏曲では、1777年の変ホ長調K.271〔No.9〕以来の協奏曲の短調のアンダンテである。モーツァルトのアンダンテでは、変奏曲形式と悲しみとの間に何らかの関係があるように思われる。というのは、モーツァルトの成熟期の重要な作品でこの形式を採用しているもののほとんどがある種の憂愁の情を表現しているからである(原注1)。
(原注1)ディベルティメントニ長調K.334〔No.17〕のニ短調の変奏曲;ヴァイオリン・ソナタヘ長調K.377〔No.33〕の変奏曲もそれに似ている;ピアノ協奏曲変ホ長調K.482〔No.22〕ハ短調のアンダンテは、変奏曲とロンドの折衷的なものである。
ト短調の楽章がアレグロと完全な対照をなすことは言うまでもない。もちろんモーツァルトは、メダルの表裏、柔らかさと情熱を隣り合わせに置いた唯一の音楽家ではない。しかし、特にモーツァルトでは、2つのムードの間の対立は鋭く、それは、楽章間のみならず、同じ楽章の中の異なった部分においてもそうなのである。時に衝突の形をとる推移部は、ベートーヴェンやフランク的には暗闇から光へと進むのだが、モーツァルトではそれは非常に稀であり、突然イメージの裏表をひっくり返し、ひとつの顔から他の顔を見せることを好むのである(原注1)。
(原注1)この点についての第Ⅳ章、Ⅰ、327~9ページ(原著)の議論を参照されたい。
変奏曲は、モーツァルトが真摯な作品ではめったに使わない形式だとすでに述べた。しかし、1784年および1785年に幾度かそれに頼るということが起こるのだ。それは3つの協奏曲〔No.15、No.17、No.19〕とイ長調の弦楽四重奏曲〔No.18 K.464 ハイドン・セット第5番〕においてである(原注1)。これらの4つの楽章は、ハ短調のセレナーデ〔K.388〕および協奏曲〔No.24 K.491〕のフィナーレ、弦楽三重奏曲K.563のアンダンティーノとともに、この変奏曲形式でモーツァルトが残したもっとも興味深い例である。
(原注1)変奏曲K.455は数に入れていない。
モーツァルトが重要ではない作品に変奏曲を用いる時には、他のギャラントな作曲家たちのように、変奏された主題の旋律線の装飾に才能を費やしているのだ。いくつかの表面的なリズムの変更を採り入れるが、和声づけはひとつの変奏から次のものへとほとんど同じままである。18世紀末の音楽愛好家たちは変奏曲の途方もない消費者であり、お気に入りの主題を可能な限り何度も耳にすることを好んだので、作曲家のなすべきことは、それに十分な多様さを加えて提供し、単調に陥らないようにすることであった。
変ロ長調協奏曲K.450〔No.15〕の変奏曲〔第2楽章〕が目指したものは、概して、このようなものであり、変更は主に伴奏(原注1)の上に加えられている。しかし、この年の他の3つの例が目指すものはさらに上を目指しているのである。ト長調協奏曲〔No.17 K.453〕の第4および第5変奏は、主題の新たなバージョンを提示し、プレストではそれを分解し、そして再構築する。イ長調四重奏曲の変奏曲のコーダはさらにその先を進み、壮大な展開を開始するが、その視野の広さはその楽章の他の部分を凌駕している。
(原注1)この用語にはピアノによる修飾も含まれる。
この協奏曲のアンダンテは上記の2つの楽章の隣人たるに値する。形式的にはそれらに比べてさほど野心的ではないが、情感の強さと深さでは凌駕している。それは主題と5つの変奏曲で、それに第6変奏に相当する長さのコーダが続く。(図1)のリズムが支配する主題は、2つの部分に分割され、前半は8小節だが、2小節単位の4つにグループ分けされ1原文はthe first has eight bars grouped two by two である。この主題は(2+2)+(2+2)の構造をとっており、この構造を表現したものと思われる。、後半部はコデッタで対称を崩し、13小節に引き伸ばされる(原注1)。第1変奏は主題同様に反復を持つが、第2、第3と第4変奏は二重変奏、つまり反復それ自体が変奏される。すなわち、主題は事実上、各々の変奏曲で2回変奏されるのである。しかし第5変奏は単独変奏であり、コーダへと流れ込む。
(原注1)長調の変奏〔第4変奏〕を除く。ここでは後半部は前半と同様に8小節である。
長調の変奏曲を除いて和声の基盤は同一のままで、最も重要な変奏は第3変奏であり、そこではまたリズムとメロディーの変更が最も大胆に行われる。主題の旋律的な外形はこれら(第2と第5変奏)ではそのままで、旋律は総奏に、装飾はピアノに委ねられる。第3変奏ではピアノと総奏が対比され、第4変奏は非常に大きく変更され、事実上新たな主題と言えるほどであり、顕著な変化を経るのである。原型のリズムは第3変奏で変更されるのみである。
再び長調の変奏曲を除き、変更は、ピアノによる旋律の分解と縮小(第1と第3変奏)に、また32分音符による主題の装飾(第2と第5変奏)、またオーケストレーションの違いに、そして旋律、特にリズムの更新にある(第3変奏。オーケストラが変奏の役割を担わされている唯一の短調変奏曲である)。
ピアノは主題をその原型から拡張させることがない。第1変奏では、ピアノは節度を持って主題を装飾する。第3変奏の反復部では、ピアノのやることに変わりはないが、変更は単なる修飾というより、より意味を帯びたものとなる。長調の変奏では、ピアノは木管が提示した新たな形の主題をほとんど装飾することなしに繰り返すに止まっている。第2と第5変奏で加えられる装飾は、前者ではアルペジオと音階の断片、後者では反復される分解されたオクターブである。後者は一種印象主義的な性格を与え、そのスタイルはモーツァルトの通常のピアノの書法とはやや異なり、神秘的な効果は珍しい。コーダでは、独奏とオーケストラ間の対話が始まり、装飾は単なる主題の断片の反復に道を譲る。
これらの変奏曲の順序は劇的なインスピレーションを示すとすでに述べた。これらの変奏曲はその通り苦悩に満ちた情緒的経験の物語であり、その劇的な苦悩は、ト短調五重奏曲を満たすことになり、またこの協奏曲のフィナーレで全く不意に一瞬のみ再現するのだ。主題はドイツやイタリアの歌曲というよりもフランスのアリエッタに似たものであり、ほとんど肉体的苦痛の域にまで達する絶望感を表すものの、そこには動揺も反抗の素振りもない。我々は、反抗の後の段階、悲劇の最後の時にいるのだ。それは完全なる失望感、真の幻滅感の表出であり、反抗的態度も多くの言葉を費やすこともなく受容されたために一層痛切なのである。これは18世紀の音楽が熱心に表現しようとしたものであり、ロマン主義の情熱的かつ熱狂的な叫びによってもほとんど超えられることがなかったのである(譜例184)(原注1)。
(原注1)譜例は上声部だけを提示した。
ピアノがこの悲歌を非常にかすかな夢想あるいは瞑想の感覚を伴って反復するが、音価を縮減して動きを抑制し、それをレシタティーヴィに似たものにする。それはあたかも、自らの感情にひるみながら、それに喜びを見出しているようである(第1変奏;譜例185)。木管がそれをその原型のまま再び提示し(第2変奏)、そしてその反復で、弦とピアノが連合する。主題は第1ヴァイオリンによってまだ変形されないまま拡張され2第1ヴァイオリンが変形されない主題を奏し、第2ヴァイオリン、ビオラ、低弦が対位旋律をつける。これを「変形されないまま拡張」と表現している。、ピアノはそれをアルペジオが支配する表現豊かな装飾で囲う(譜例186)。後半部も同様に扱われる。緊張がわずかに高まっていくが、感情の質はそのまま変わらない。
そしてオーケストラがスフォルツァンドで突発的に開始し、その後すべては再びピアノ(p)に落ち込むが3ピアノ(p)に落ち込むと記しているが、新全集版では木管でsfpであり、明確にピアノ(p)の記号はないが、手書き譜例186にはsfpが記入されている。実際に聴覚的に音楽がピアノに落ち込むというものではない。モーツァルトでは珍しく細かな強弱記号づけがなされているところである。、ビオラと低弦のみは、32分音符の音階で性急に攻撃を開始する(譜例187)。それは他の弦を伴い、一連の突き上げるような音型(a)4手書き譜の指示は見にくいが、音型(a )は上段高音部の右から下段の第1音までである。これは木管部の反復和音であり、それに音型(a )の記号がついているが、本文では「突き上げるような音型」なので 低弦部による音型が音型(a )である。を与えて終わるが、それらに木管が反復和音で対応する。ピアノはこの激情に抗い、前よりもさらに夢見心地に第1変奏のムードへと戻っていく(譜例188)。この尊大でお高くとまった様を目にしてオーケストラは忍耐を失っていらつき、ピアノに完結させる時間をほとんど与えず、それが結尾に到達すると再び怒りの音階が沸き上がる。今回これはすべての楽器に感染し、お互いに劇的な模倣を繰り返す。休戦状態が2小節続いた後、活気のある音型(a)がオーケストラ全体に鳴り響き5休戦状態の2小節とは第104~105小節であり、第106~第107小節で「突き上げる音型(a)」が若干変形され全オーケストラによって対位法的に処理される。、音階が再帰して終わる。今度のピアノの答えは、やや動揺を隠せないが、全体としてはオーケストラに対する己の位置を守り続け、この両者の対立がこの変奏曲をアンダンテの中で最も感動的なものにしている。
楽章の中で唯一のこの激情の噴出の後、再び穏やかさが支配的となる。絶妙な長調の変奏曲では、主題はオーボエに委ねられ、そしてフルートが1オクターブ上の自由なカノンでそれに答える(譜例189)。ピアノがそれを新しい形で繰り返す。これは平穏なのだろうか、希望のないムードが消えたことで突然天国への扉が開け放たれたのだろうか? ト短調が回帰することで、それが単なる静かな小康状態、絶え間ない苦難の日々の最中の幸せな夢見る一夜に過ぎないことが分かるのである。
ヴァイオリンが最後に主題を取り上げ、ピアノがそれに注釈を加えながら変形させていく。低弦の修飾旋律とピアノの右手の分解されたオクターブが抑制された震えを付け加えるが、それがピアノ(p)であるために一層印象的なものとなる(譜例190)。繰り返しはなく、後半部では主題は弦と木管に分割され、伴奏はもっぱら自らを高音の打ち震えるオクターブにとどめる。動きは、今回は主題の終止とともには停止せず、オーボエとファゴット6原文はhautboy and basses であるが、「拍動に逆らった軽いスフォルツァンド」なのは、オーボエとバスーンである。チェロおよびコントラバスは拍動通りの動きである。なお新全集版ではスフォルツァンドでなく、mfpである。の拍動に逆らった軽いスフォルツァンドと情熱の高まりとともに、属調の終結、クライマックスへと昇って行き、その後に静かではあるが絶望感では劣らないコーダが展開する。戦いの後の夜に戦闘中の出来事を振り返る戦士のように、木管とピアノが主題の冒頭の音で会話を交わし、その背後で弦の伴奏がますます暗さを増していき、楽章は、ヴァイオリンの熱っぽく鳴り響く音とともに次第に静まっていくのである(譜例191)。