アンダンテでは、トランペットと1本のオーボエ、1本のバスーンが沈黙する。憧れに満ちた、心に訴えかける旋律がこの楽章を開始し、蔦のように自ずからヴァイオリンにからまり1原文はA yearning , sensuous melody opens the movement, entwining itself around the fiddles である、旋律を奏するのはヴァイオリンであるが、その旋律が自ずからヴァイオリンにからまる、となる。日本語訳は困難な表現である。、そしてその蔓の輪の中へフルートとバスーンを引き入れる。あの活力にあふれたアレグロからどれだけ遠くに来たことか! だが、蔦をその根元で押さえつける保持低音が、この悩まし気で魅惑的な音型はたった今静まり返った鳴り響く諸主題と同じ血筋のものであることを我々に告げる。その半音階進行もまた第1楽章に近く、その陰鬱な魅力はすでに譜例125のシンコペーションのモチーフで感じられたものである。その憧れに満ちた気だるさはまさにモーツァルトのものであるが、彼の他の作品でこれほどまでにショパン的な密度の表出を見出すのは難しいだろう。何に聴衆は最も驚嘆すべきなのだろうか、そのアレグロとの形式上の類似性なのか、その保持低音や半音階進行なのか、その力を奪われた状態が生み出す冒頭の楽章の力感との絶対的な対照なのだろうか(譜例136)。主題全体が反復され、それぞれの半分がしなやかな音型を持って計4回奏される2原文通りに訳すとこうなるが、「主題はそれぞれしなやかな音型を持った前半と後半に分かれ、全体が3回反復され、計4回奏される」という意味である。が、スコアはそれ毎に異なった光を投ずる。最初はピアノpで低弦とホルンの保持音を伴った弦で、次にフォルテでヴァイオリン、オーボエとフルートで、やはり同じ保持音32回目の反復で同音型の保持音には、ホルンにオーボエとビオラが加わるが低弦は異なった音型になる。を伴い、3度目は伴奏なしに独奏がピアノpで、そして最後にピアノのトリルを伴った木管である。交響作曲家にしてオーケストレーションの大家、そして木管を愛する人となった名演奏家兼作曲家は、ここで、己の想像力のすべてを嬉々として誇示する。

 この楽章は、モーツァルトが気遣って注意を促している通り、アダージョではなくアンダンテであり(原注1)、2つのクプレをもつロンドである。最初のクプレはニ長調で、ピアノによる連続した短い息つく間もないフレーズからなり、お気に入りの木管がそれに一種のエコーで答える(譜例137)。“木管のオブリガート付き協奏曲”という特徴はますます明確になり、リフレインと同様にしなやかでノスタルジックな長いフレーズ4「長いフレーズ」は譜138の4小節のことであるが、フレーズをこの楽節全体と見ても直前のものと同じ長さ、またヴァイオリンのものと見ても「長い」と言えるものではない。直前のものに比べ「息の長め」程度の意味であろう。が続き、小休止もなくオーボエとバスーンからピアノへと受け渡されていく。もちろん保持音も欠けてはいないどころか、さらに低音とフルートで重ねられ、その保持力によって、中間部が不安定さおよび揺れ動きに陥ることから救われる。このように、モーツァルトはこの楽章全体を通して、旋律の不確かさを保持音で補完するのである(譜例138)

(原注1)1784年6月9日付の父親への手紙

 しなやかな音型がピアノの歌を伴って弦を、そしてピアノ自身の中をうねりながら進む。それは6小節以上にわたってしなやかな旋律が絡みそして離れ離れになりながら、ピアノと弦が親しみやすい寛ぎと浮き浮きするような魅力をもって現れるのである。この6小節は独奏とオーケストラの協働のみごとな例である(譜例2)5譜例2のガードルストーン手書き譜には木管(フルート、オーボエ、ファゴット)が抜けている。譜例の第2、3小節の各末尾に8分音符によるオブリガートの3下降音がある。。そして、上昇し下降しながら、最後にまた上昇を試みるが、その高みから木管の軽やかな吐息に導かれ、旋律は主音のニ音へと落ち着くが、そこから、フルート、オーボエとバスーンが2小節でト長調へと連れ戻す。一体これはどうなっているのだろうか、低弦に足場を置いて補強された保持音を除けば、ピアノのトリルによって修飾されるだけなのだ? リフレインは変更されることなく、独奏によって、次いで総奏により反復される。そして、不意にピアノが第2クプレをホ短調の和音で始めるのである。

 このクプレは性格の異なる2つのパートから成っている。最初のパートはこれまでのものと同じ性格を持ち、哀調を帯びたアクセント、喘ぐようなフレーズ、木管のエコーとけだるい旋律、そして、弦が完全に沈黙している。そして、木管がホ短調の和音の上を上昇し、導音を羽ばたかせるロ音のトリル6バスーン、オーボエ、フルートとホ短調の上昇4音が受け渡され、次に転調するハ長調の導音であるロ音のトリルに至るが、これを「導音を羽ばたかせる」と表現している。に至って、突然風景が変り、気が付くとハ長調の白い光の中にいるのだ。

 続くパートが示すのは何もない譜面の姿である。これはその最初の3小節である(譜例140)。譜面で見たものだけを演奏しそれ以上は何もしない、知識のない演奏家は(偉大な独奏者の間でさえ、知識があると言える者がどれだけいるだろうか)、このパッセージの取るに足らなさに驚く。“(譜例139)。この演奏家は間違っている。中身がないどころか、モーツァルトは、ここで彼に必要最小限の旋律の制約の内で即興演奏家としての才能を披露するすばらしい機会を残してくれているのだ。その楽譜上の貧弱さに名演奏家はうんざりするのだが、数少ない音符はカンバスにすぎず、作曲家がスケッチした輪郭を保ちながら、ピアニストはその上に自らのパートを作り上げるのである。

 歌手が(1880年にコッタによって出版された協奏曲集を編集したジグムント・リーベルトがその中で述べている)舞台やコンサートルームでアリアを歌う場合と同様に、ピアノフォルテの奏者もまた音色の貧しさを非常に多くの音符で補わざるを得なかったため、カンティレーナをより豊かな装飾を施して演じたものである。……我々が若いころに、自身で実際にモーツァルトの演奏を聴いたことがある信頼できる人間が、モーツァルト自身がその演奏を飾り立てるために行った豊かな即興的装飾と変奏について語るのを耳にしなかったのだろうか?  当時ピアノフォルテの演奏では装飾が非常に重要な要素であったため、それをして欲しくない作曲家は、わざわざ注意の記号を付けざるを得なかったのだ。修飾の小節(senza ornamenti)と。

 この流儀は18世紀を生き抜いて、ロマン主義期にはそれが乱用されるまでに堕落した。フンメルがリトルフ(Litolff)から出版した編曲版で師の協奏曲の上辺に彼が施した変奏はすでにもはやモーツァルト流ではない。しかしながらモーツァトの協奏曲のアンダンテでは、あるパッセージがスケッチに留まり、独奏者自身の才能によって、あるいは、望ましいことではないが、編曲者の技によって補完される必要があることも事実である。第1クプレの抒情的な歌うような旋律部分が実際にそれに該当するものであった。ここでは補完が不可欠である。

 スコアの中にモーツァルトの完全なそして最終的なアイデアが見えると思っている現代のピアニストたちのために言い訳をするならば、当の作曲家の姉がこれらの小節について説明を求めている事実を述べなければならない。というのも、1784年6月9日付のウォルフガングの父への手紙の中で彼は、“私の代わりにお姉さんに、お尋ねのニ長調の協奏曲のアンダンテでのハ長調の独奏は、そうですね、間違いなく何かが欠けています…… できるだけ早くカデンツァと一緒にお姉さんに送りますと伝えてください。”と書いているのだ。

 ナンネルに送られた追加された小節は、150年間編集者たちに気付かれずにいたが、1936年、アルフレッド・アインシュタインがケッヘルの改訂版を出版した際に、やっと日の目を見ることになった。それらは824ページでNo.626a,草稿(M)という番号がふられている。サン‐フォアが、それらがこの楽章のものだと同定し、アインシュタインが1941年(原注1)にそれを追認した(譜例141)7新全集版でもこのモーツァルト自身による補完例の独奏譜が併記されている。

(原注1)『ミュージック・レビュー』第2巻(1941)、242ページ

 つまり、カンタービレを完結させる仕事は、モーツァルトの時代でさえも、必ずしも常に演奏家に託されたわけではなかった。モーツァルトが姉のために行ったことを現代の編集者は今日のピアニストのために行わなければならない。リーベルトはコッタとともに、ライネッケ(原注1)はブライトコップとともに、このことを理解していた。これらの協奏曲を聴衆の前で演奏するピアニストに、このようなパッセージについての彼らの示唆に従うことを求めても求めすぎることはない。つまり、長い音符の主題は楽器が出しうる以上に歌う力を常に求めるということである。

(原注1)ライネッケは常にそうではないが、この協奏曲に対しては特にそれを行っている。

 この独奏の最後の部分で、すでに2度耳にした木管の上昇するエコー(譜例137)がピアノに答え、低弦とホルンの保持音が、再現が近いことを告げる。しかしここでリフレインと主調に連れ戻すには2小節では十分ではない8第69~70小節の2小節。第71小節で冒頭主題(譜例136)に入りそうになるが、入りきれず、さらに6小節の推移部(譜例142)を経る。この部分の説明が以下に続く。。推移部は長いが、この楽章にはふさわしい。(ト短調の属音としての)ニ音の保持音の上で、譜例136が弦による模倣によって自らを飾り立て、それ自身にとっては非常な驚きであるが、束の間ではあるが対位法で懐かしさと憧れを歌い上げる役割を担う。そして、すべてが強力な保持低音の中に消え去るが、同時に天上からフルート、オーボエとバスーンがなめらかに下降し弦の隊列へと加わる(譜例142)。フルートとオーボエはまっすぐだが乱れた足取りで9オーボエがフルートに対し半拍遅れていることを言っている。、バスーンは優雅で表情豊かにうねりつつそれを行う(原注1)

(原注1)ここでは再び、ピアノパートはスケッチにすぎない。5拍も保持され1オクターブ上で2分音符で繰り返される右手のニ音が無意味であることは明らかである。この2小節は簡潔に音階か、あるいは装飾やトリルで補完されなければならない。

 その最後の出番となるリフレインは、ピアノにより、そしてオーケストラで全体が提示されるが、木管がその最後の小節を変化させるという違いがある。コーダはかなり長く、他と同じように波打つ悩まし気なフレーズから成り、ピアノで提示され、木管が独奏に伴奏(単なるスケッチ)されて反復される。弦は最後になって初めて入るが、その時でもその役割は補助的なものなのだ。最後の小節までこのアンダンテは、ピアノと木管との対話という特性を保ち続け、また最後の小節まで、柔らかなリズムと音の流れは、保持低音の固い地盤の上に乗り、それに支えられている(譜例143)

 この楽章にはひとつ前の作品〔No.15 K.450 変ロ長調〕の雄大さがない。その世界はより狭く、その楽想が聴衆に訴えかける部分もより小さい。しかし、これは真摯で独創的なものであり、憧れと懐かしさはしばしばモーツァルトの音楽の源泉となる感情であるが、このアンダンテほど激しく、また持続的なものは他にはほとんどない。一方、ここにはそれ以外のものがほとんどないのだ。これは最も感動的なもののひとつであると同時に、モーツァルトの“夢のアンダンテ”の最後の事例のひとつである。

 モーツァルトはしばしば緩徐楽章でロンド形式を使用したが、概してそれはABA-C-ABA-Codaという形のロマンスに変形されたものである。ここでは構成がより単純で、A-B-A-C-A-Codaである。モーツァルトの作品でこの構成のものは8ないし10例あるが、そのほとんどすべてはこれと続く2つの協奏曲〔No.17 K.453 ト長調、No.18 K.456 変ロ長調〕の年のものである。それらはトリオそしてソナタに、セレナーデ、さらにはホルン協奏曲に見出すことができるが、ピアノ協奏曲では他に例を見ない10No.20 K.466ニ短調の第2楽章はロマンスであるが、A-B-A-C-A-Codaである。

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