モーツァルトの短調作品においてはアレグロとアンダンテがある程度対照をなすことがほぼ規則的である(原注1)。この曲における対照は完璧である。音楽において、嵐の後に太陽が顔を出し最後の雲の一片を追い払う瞬間を描写できるとすれば、この協奏曲の第2楽章を開く主題はそれを行っているのだ。すべてのモーツァルトの作品の中でも、これ以上にかぐわしく、これ以上に春を感じさせるものはない。空気には嵐が残した湿り気がまだかすかに残っており、再び静けさを取り戻しているが、立ち込める水蒸気のベールを通して空はその面を覗かせる。すべては輝かしい色彩を帯び、すべては嵐の後で生命を取り戻す(譜例241)

(原注1)ト短調の五重奏曲〔No.4 K.516〕のアダージョ・マ・ノン・トロッポは例外である。

 その主題が導き入れる楽章には速度記号が記されていないが、明らかにアンダンテである。冒頭には「ロマンツァ」と表記してあるが、必ずしも特定の形式を指し示す言葉ではなく、どのような緩徐楽章、ロンド、変奏曲にもつけることができ、その主要主題の性格は声楽曲の“ロマンス”を思い起こさせる。これはゆったりとしたロンドである。すべての協奏曲のロマンスと同様にこの曲も独奏で始まるが、これによって個人的かつ詩的な性格が与えられ、それはまさに、作曲者自身が我々の目の前にいて、思いのたけを述べるようである。要約によってその構造が明快に示される。

リフレイン:  主要主題―主調―ピアノ、そして総奏(1~16小節)
        副次的な主題、それに主要主題の後半が続く―ピアノ、
            そして総奏(17~36小節)
        コデッタ―総奏(36~39小節)
第1クプレ:   主調、そして属調;主調に戻る―総奏の伴奏を伴うピアノ(40~63小節)
        リフレインのコデッタ、そして推移部―ピアノ(63~67小節)
リフレイン:  短縮された形―ピアノ、そして総奏(68~83小節)
第2クプレ:  ピアノ、重要な木管の伴奏を伴う
        1つ目の主題―二重区切線が記され反復(84~91小節)―近親短調
        2つ目の主題11つ目の主題と同様、二重区切線が記された反復である。、1つめの主題に戻る(92~107小節)
        ―主調、そして近親短調
        長い推移部(108~118小節)―主調に戻る
リフレイン:  主要主題―ピアノ(119~126小節)
        副次的な主題、同上(127~141小節)
        コデッタ(142~146小節)
コーダ:    総奏、続いてピアノ、伴奏を伴う(146~162小節)

 調性はニ短調の近親長調2変ロ長調は、ニ短調の平行調であるヘ長調の下属調である。の下属調である変ロ長調である。

 リフレインと第1クプレでは、弦は木管以上の働きをし、木管はフォルテの時に弦を補強するために入ってくるだけである。さらに、オーケストラがピアノとともに奏する時には、それは伴奏のみに止められている。リフレインの主要主題(譜例241)では、モーツァルトの“羽ばたく2度”を、そしてリフレインと第1クプレを閉じるコデッタでは、彼のリズム構成の顕著な特徴でもあるフレーズの3つの部分への分割3第1クプレのコデッタに入ってからのピアノで奏される3小節である。を認めることができる(原注1)

(原注1)第1クプレの独奏、特に44~55小節4譜例242の例示を原著では48~55小節としているが、正しくは44~55小節である。明らかな誤りであるため、原注1の本文を修正した。の独奏はアウトラインに過ぎないものである。ピアニストはそれを埋めなければいけない。(様々あるそのやり方のひとつを示唆しよう 譜例242)。また同様にピアニストは、56~67小節の低音の和音も埋めなければいけない。

  第2クプレの開始は、それより前のものと驚くほど強い対照を生じさせる。ここまでは、ロマンスがそれで始まった清澄で純真な歌の微笑みと矛盾するものは何ひとつなかった。リフレインと第1クプレの安らぎが聴衆を陽の光があふれ水の豊かな田園の中へと導き、そしてようやくリフレインへと立ち戻ったのである。ロマンスの半分が過ぎ、そしてピアノpで、また変ロ長調で終わった時、突然弦と独奏のフォルティッシモ5新全集版ではフォルテ(f)である。がト短調の和音で迸る。アンダンテはプレスト(原注1)に突入し、独奏は、息もつかせない3連符で神のみぞ知る奔放な幻想を追い求め始め、苦悩と激情に満ちて、高音部から低音部まで、頻繁に両手を交差させながら、その探求を続けるが、一方で木管はそのまどろみから唐突に目覚めさせられ、ピアノの16分音符に誘われて、8分音符、4分音符のメロディックな旋律でそれを追いかける(譜例243)。ロマンスの平穏は見せかけの、上辺だけのものだったのである! モーツァルトの静けさは深くもなく長続きもしないのだ。聴衆は再び何の予告もなくアレグロの極めて熱狂的な時のムードの中へと投げ込まれる(原注2)

(原注1)速度記号は付けられてはいないが、音価の変化がそれを証している。
(原注2)私はすでにこのエピソードとK.459〔No.19 ヘ長調〕のアレグロの展開部との類似性を指摘した(p.300原著)。レオポルドはナンネルにこのパートのことを“恐ろしく難しい”と書き送っている。彼はまた、これは“この曲を明瞭に演奏する能力の限り、できるだけ速く”演奏されるべきであるとも書き加えている(1786年1月14日付手紙)。

 二重区切線の後で、オーケストラ書法はさらに巧みなものとなる。バスーンがピアノの高音に重なり、そしてオーボエはその低音に重なり、その他の木管は保持音を響かせ続ける。そして、エピソードはその開始部に戻り(100小節)、出発したト短調の和音の上で終止する(108小節)。

 幅の広い音域の推移部6原文breadthは音域の幅の広さとも、その長さともとれるが、ここでは音域の幅の意味で訳した。低音を含め、3~4オクターブの幅を持つ。がこのセクションをリフレインに連結する。その役割はこの楽章を前の穏やかさへと連れ戻すことである。始めピアノは穏やかになるのを嫌がる風で、乱れた3連符7左手でオクターブ和音を奏し、その高音に続けて右手が3連符の後ろ2音を付ける。これより前に出てくる形は一部を除き、左手が単音であるため、大きく印象が異なる。でまだ前に進み続け、鍵盤の最高音部から最低音部までを両手のユニゾンで高速で駆け抜け、その間弦と木管が拍子を刻む。しかし、ようやくそれは壮麗な小節の連続の中でその勢いを失う。そこでは木管は、音域の最低音から最高音までピアノとは逆の動きをし、木管が8分音符、ピアノが16分音符、続いて3連8分音符で、そして最後は単純な8分音符となる。この推移部の見事なリズムは、馬術家が愛馬をギャロップから早足、早足から並足へと手綱を操り、馬に痛い思いをさせることなく、一歩たりとも停滞させることなく制御しながら進めていく様を思い起こさせる(譜例244)

 ピアノの書法には第1楽章同様、ベートーヴェン的な特徴がある。ト短調のエピソードは鍵盤のすべての音域をカバーしている。コーダを構成する見事な保持音で、両手は十分に間隔を置いて、時折ベートーヴェンに見られるように中間声部は総奏に任せられている(譜例245)。一方で、総奏のパッセージをそれが再現する時にピアノが装飾するというモーツァルト的やり方はただ一度しか使われていない(142~145小節;これは32~35小節の反復の箇所)。

 平穏に満ちたロマンスの中間部における嵐のようなエピソードの出現が、この楽章を独自なものにしている。エピソードそれ自体は、フランスのロンドの短調部を拡張したものに過ぎないし、モーツァルトには、ロマンスのロンドが短調のアレグロによって乱される例がもうひとつある(原注1)。しかし、緩徐楽章内におけるこのように激しい対照はモーツァルトの作品では類がないのである。

(原注1)木管楽器のための変ロ長調セレナーデ、K.361 〔13管楽器のためのセレナーデ〕。

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