Ⅲ フィナーレは、モーツァルトの他の2曲の変ロ長調のウィーン協奏曲〔No.15 K.450、No.27 K.595〕と同様、8分の6拍子である。これはこの曲のリフレインがその他の2曲と共通する唯一の特徴である。一方、これは、アンダンテの主題に不思議と似通っている(譜例192)。しかし、この類似性は、目には入るが、耳には訴えない類のものである。これを意図的なものと考えるのはおそらく間違いだろう。しかし、理由もなしにこうなったのではない。モーツァルトがこの協奏曲を作曲するにあたって、楽章の違いにも関わらず、3つの曲で顕著に認められる(図2)の音型と反復音を伴う主題に取りつかれていたので、これが起きたのである。主題の選択にあたって、思わず、このおそらくは無意識のこだわりが出てしまったのだ(原注1)。
(原注1)A.コジェルフ1ガードルストーンは触れていないが、マリア・テレジア・パラディスはL.A.コジェルフの弟子である。モーツァルトにとってはライバルの作曲家であったが、モーツァルトは出版を手掛けていた彼に自作を出版させようとしたこともあった。のト短調トリオ、“作品24あるいは27”(ママ)、は譜例184および192との興味深い一致を示しており、さらに不思議なことには、目で見てのみならず耳で聴いても(コジュエルフとモーツァルトのものの)2つの主題は似ているのだが、それ(譜例184と192)を聴いた時にこれらの主題を相互に思い浮かべることはないのである(譜例193)!2ガードルストーンの原文は、A Kozeluch trio in G minor affords a curious coindence with exs.184 and 192 and, more curiously still, recalls for the ear as well as eye these two themes which, when we hear them, do not recall each other. であるが、やや悪文である。these two themesはコジェルフのものと譜例184が、またコジェルフのものと譜例192が目にも耳にも類似しているのであるが、不思議なことに、譜例184と譜例192は聴いた時に相互に思い浮かべることはない、と言っているのである。これは本文で両者の類似性が「目には入るが、耳には訴えない」と語っていることの補足説明である。なお(原注1)の訳文は意味がとれるように補足的に訳した。 メロディーはアンダンテを、リズムはロンドを思わせる。ロンドのリフレインはまた、ヤーンとアーベルトによって補作された未完成の弦楽五重奏曲変ホ長調(補遺Ⅱ、アインシュタイン-ケッヘル、No.613 a)で遭遇するのである。
これはモーツァルトの大半のウィーン協奏曲のフィナーレと同じく、ソナタ・ロンドであるが、その構想は、これまで見てきたソナタ・ロンドのそれとは大きく異なっている。ピアノがこれを開始するが、リフレイン(譜例192)のごく一部分を提示するのみである。オーケストラがそれを反復し、その後約50小節にわたってメロディーの流れがあふれ出し、そのメロディーはひとつのアイデアを形作るように思われるが、後になって分裂し、4ないしは5つのモチーフをもたらし、それらが別々に再帰して主要な部分を連結するものとして働くことになる。この構造的な工夫はモーツァルトのロンドに特有のもので、K.413〔No.11 ヘ長調〕の第1および第3楽章ですでに言及した3K.413やK.415での主題の分裂は、主題そのものが分裂するものであるが、本ロンドの場合はリフレイン主題から派生したもので、主題そのもの分裂ではない点が異なっている。。ここではこれらのモチーフの3つを引用しよう(譜例194、譜例195、譜例196)。
この長い前奏曲は、そのほとんどすべての要素がロンドの進行の過程で使われ、第1楽章の総奏に相当するが、主調のまま終了する。この時点で開始される第1クプレ、あるいはエピソードは、ソナタの提示部の形式を持っている。第1主題(譜例197)はピアノによって提示され、それにかなり長い独奏が続くが、そこではその最初の数音が随時入り込むことが4原著ではfrom time to timeであるが、最初の数音が介入するのは、ピアノに木管がエコーするセットが2回だけである。次の文の「1小節の木管」はこの木管のエコーのことである。、出発点を思い起こさせるのである。オーケストラはほとんど語ることなく、かなり間を置いて、1小節の木管が独奏の異なる旋律を連結するのみである。変ホ長調から、ハ短調、ト短調と急速に転調し、ヘ長調に着地する。
続いて提示される第2主題は、重心の偏った姿を示している。それは松葉杖の片方を盗まれ、もう片方を振り回しながら盗人を追いかける跛の人のように軽快に急ぎ足で進んでいく5現在では問題のある表現であるが、本書が出版された当時の時代制約もあり、原著を尊重してそのまま訳した。(原注1)。木管がそれを真似てからかい(譜例198)、そして交替してそれがオーボエとバスーンに委ねられると、今度はまたピアノがそれをあざける。もうひとつ別の独奏、そこではオーケストラが、前ほど控えめではないが、リフレインの断片、譜例195が聞こえ6ここでの記述はやや短縮されている。「聞こえる」のは、まずピアノ独奏の伴奏部で、第111小節、第114小節で譜例195の2小節目の音型が弦で奏され、ヴァイオリンがそれを、同時にビオラと低弦がその転回形を奏する。その他、ピアノと木管による譜例195の変奏的な音型も出てくる。そしてこれらが第128小節からの木管による譜例195の再現を導き出す働きをしている。なお、第130小節からのピアノによる譜例194の変形はエコー的な「答える」ものというより、譜例195に重ねた協奏的なものである。、それは木管によって提示され、それが反復される間に、ピアノが譜例194の変形されたものでそれに答える(譜例199)。3番目の断片、譜例196の後、変ロ長調の属7の和音の上で停止するが、その時即興的な独奏のカデンツァ7アインガングである。がリフレインへと連れ戻す。
(原注1)ト短調弦楽四重奏曲K.516のロンドのリフレインと比較されたい。
ひとつ前の協奏曲〔No.17 K.453 ト長調〕の幻想曲展開部の後で、アレグロの展開部にがっかりさせられたとしても、これから聴くものは慰めを与えてくれるだろう。リフレインが繰り返された後、オーケストラは急いで自らを変ロ長調とヘ長調の交替と第1クプレの温和で祝祭的な世界に結び付けていた絆を解きほどき、大胆さと情熱の高まりのうちに、変ホ長調、ハ短調を縦走し、そしてその音型、リフレインの断片、を変更することなくロ短調を宣言する8第163小節から第2クプレに入るまでの部分についての記述である。リフレインの断片とは譜例195の8分音符の6音音型であるがここでは上昇音階である。。そしてその陰鬱な支配がロンドの中間部を覆っていくのである。
しばし沈黙。そしてピアノがこのロ短調の宣言に確証を与える。そして今や各々が異なったリズムで、各々がその旋律とその目標に深く専心し、バスーン、ヴァイオリンと独奏が新しい調を強調する9調を確定できる明確な旋律は、この3楽器である。。フルートとオーボエのみが保持音を保つ。そしてヴァイオリンが激しくはじけるような鋭い音で入り、バスーンが大きな歩幅で歩むその嵐の大空をピアノがアルペジオで稲妻のように横切る。(譜例200)(原注1)。これらすべては、どれほど劇的ではあっても、単なる準備に過ぎない。舞台の準備はできた。世界は呼び起こされた。語るべき時が来たのだ。
(原注1)バスーンとヴァイオリンのパートは伴奏ではない。したがってそれはピアノと同等の強さで目立つように演奏されなければならない。ピアノのアルペジオが独奏のように支配的になってしまうと、このパッセージの特性は表現され得ない。
バスーン、オーボエとフルートは沈黙している。弦が反復和音で伴奏を開始すると、このせわしない様を背景にピアノが悲劇的なレシタティーヴォを提示する(譜例201)。それは懐かしい響きで、それを伝聞でしか知らない我々にさえも、18世紀の音楽が表現した悲劇を連想させ、さらに少なくともその時代のひとつの傑作、ヨハネ受難曲のコントラルトのアリアを思い浮かばせる。そして、これ以降に経過した年月がベートーヴェンのイ長調のソナタ〔No.28 作品101〕および作品110〔ピアノ・ソナタNo.31 変イ長調〕(原注1)によってそれをより豊かなものにしたのだ10ヨハネ受難曲は第30曲 Es ist vollbracht! (ことは終わりぬ)。ベートーヴェンのイ長調のピアノ・ソナタは第2番作品2-2と第28番作品101の2曲があるが、「反復和音の伴奏」(左手)を背景に「悲劇的なレシタティーヴォ」(右手)が奏されるのは、作品2-2、第3楽章スケルツォの中間部である。。
(原注1)第1楽章の中間部、アリオーソ・ドレンテ。モーツァルトは2年後に、この曲同様悲劇からはほど遠いもうひとつの作品、ホルン協奏曲K.495で思い出すことになる。
レシタティーヴォが終わると、しばしの間収まった嵐が、その怒りの路をまた進み始める。ロ短調、ホ短調、ニ短調、変ロ短調と短調の大空を移動して、そのたびに荒々しい譜例200が確認され宣言される。レシタティーヴォのメッセージはそれを宥めるどころか、却って、怒りに油を注ぐのである。そして緊張はピアノ(p)へと弱まり、嵐は過ぎ去り、短調は長調へ転じて、以前の第1クプレで譜例198に先立ったパッセージ11第85小節からのピアノ左手によるフレーズである。が回想され、ひとつの世界が消え去り、もうひとつの世界に戻って来たことが告げられる。
このエピソードは、30小節に過ぎないのだが、ロンドの中で、また、おそらくこの協奏曲全体の中で最も感動的なところである。当たり障りなく開始されたこの楽章は、アレグロの柔和で時間の区切りがない12原文はdulationless world。dulationは動画などの「長さ」などの意味で使われるが、時間をあるまとまりで区切ったもののことである。第1楽章本文では「開始部、中間部、結末」という言い方がなされているが、より直感的には能でいう「序・破・急」のような概念が把握しやすいと思われる。そのような区切りが認められないことをdulationlessという言葉で表しているのである。これはすなわち第1楽章後半で展開された2つの芸術典型のひとつ「非山場型」「非継時展開型」とでも呼べる典型のことと同じ概念である。世界と変奏曲の葛藤の世界を無分別に隣り合わせるのである。この2つの世界の区別をこれほどはっきりと見せてくれる例は他にないだろう。それは大胆ではあるが、先行例がないわけではない。というのもこれは、フランスのロンドの短調クプレの伝統に従っており、見分けがつきにくいがその非凡な成果なのである。
通常のソナタ・ロンドでは、ここでもう一度リフレインを耳にすることになるはずである。しかし、今通り抜けて来た嵐がそのステージの先へと我々を連れていく。もしものんきに跳ね回る譜例192が現れたならば、聴衆の不安定な神経にはひどく障るだろう。そして楽章はまっすぐに譜例197による第3クプレへと進んでいくが、その抑制された陽気さは、不作法な対照によって聴衆の耳障りになることはしない。
2度目のリフレインの回帰が省かれていて、第2クプレが休止もなく再現部に連結されている13第3リフレインが省かれていて、第2クプレが第3クプレ(再現部クプレ)に連結されている、ということである。なお、この操作によって第2、第3のクプレ部は、劇的な譜例200で始まり、松葉杖の喩えのブッファ的な主題で終わることになり、上述のdulationless性はリフレインが無いだけさらに印象的なものになると言える。ソナタ・ロンドは、モーツァルトでは10回ほど、ピアノ協奏曲では3回出現する(原注1)。リフレインの省略がこれほど劇的な意味を持つことは常にあることではない。それらの例のいくつかでは、第2クプレ自体が非常に短くされ、形式は2つのクプレのロンドのそれに近いものとなり、最初のリフレインの回帰の後に第2クプレは第1クプレを反復して展開部としての痕跡は数小節の転調のみとなっている(原注2)。
(原注1)K.456〔No.18 変ロ長調、この曲〕、K.459〔No.19 へ長調〕、K.488〔No.23 イ長調〕。この形式の他の例としては、2台のピアノのためのソナタ〔K.448 ニ長調〕、ピアノと木管楽器のための五重奏曲〔K.452 変ホ長調〕、2つのピアノと弦のための四重奏曲〔No.1 K.478 ト短調、No.2 K.493 変ホ長調〕、弦楽トリオのためのディベルティメント〔K.563 変ホ長調〕などがある。
(原注2)五重奏曲ハ長調〔No.3 K.515〕とト短調〔No.4 K.516〕、戴冠式協奏曲K.537〔No.26 ニ長調〕。
第3クプレあるいは再現部は、ヘ長調に転調しないということ以外は、第1クプレの進路に従っている。いくつかの違いは、ピアノ進行の音型、そして最後の独奏の末尾での機転の利いた3小節14第270~273小節。新全集版では第2ホルンだけではなく、2本のホルンがオクターブのユニゾンである。の挿入などだが、そこではオーボエと第2ホルンがピアノのパッセージに対しリフレインの頭の数小節を強調することで、総奏の入りの機先を制する15「リフレインの数小節」とあるが、「数小節にわたってリフレインの冒頭の4同一音を使って」強調するのである。。譜例194が休止へと導くが、モーツァルトはそのために短いカデンツァを残している。それはリフレインと譜例198と201、そして最後の独奏の走句などの断片を統合したものである16現在新全集版に標準採用されているカデンツァではなく、K.624 No.58のものと思われる。譜例201は大きく変形された形で最後に出現する。最後のリフレインの回帰は、オーケストラとピアノに振り分けられ、お互いに2、3小節おきに楽し気に交替する。譜例19917譜例195の間違いである。および196がこの楽章を締めくくる。
この協奏曲には全く似ていない双子が存在する。それは4日後に完成した、熱烈なピアノ・ソナタハ短調〔No.14 K.457〕である。その生涯の数度にわたってモーツァルトは2つの重要な作品を矢継ぎ早に書いているが、それらの間にはインスピレーションの完全な対比があり、それは、この協奏曲の第1楽章と第2楽章との間に、またこの協奏曲全体とこのソナタとの間にも存在するのである。ニ短調の協奏曲とハ長調、すなわちK.466〔No20〕と467〔No.21〕、1787年のハ長調〔No.3 K.515〕とト短調〔No.4 K.516〕の五重奏曲、1788年のト短調〔No.40 K.550〕とハ長調〔No.41 K.551 ジュピター〕の交響曲、これらはすべて2つの対照的なものがこのように結び付く、広く知られた例である(原注1)。このように互いに異なる作品が矢継ぎ早に連続することは、現実のある局面から他の面へと過渡期を経ずに進むモーツァルトの性向のひとつの現われで、つまり、突然メダルの裏面を見せるのである。明らかに、この協奏曲の変奏曲とロンドの劇的なエピソードがこのソナタとのつながりを形成すると言えるだろう。しかし、モーツァルトのすべての短調作品間の類似性にも関わらず、この協奏曲の旋律的で劇的な悲しさとソナタの燃え盛る熱情との間には天地の違いがある。後者のアレグロは炎の先のようにまっすぐに立ち上り、その表現力は旋律よりもリズムに凝縮されている。
(原注1)他にいくつかの例がある:ニ短調〔No.15 K.421〕と変ホ長調〔No.16 K.428〕の四重奏曲(1783年6月-7月)、イ長調〔No.23 K.488〕とハ短調〔No.24 K.491〕の協奏曲(1786年3月)、そして情緒的な対比はないが、イ長調〔No.18 K.464 ハイドン・セット第5番〕とハ長調〔No.19 K.465 ハイドン・セット第6番〕の四重奏曲(1785年1月)、協奏曲ハ長調K.503〔No.25〕とプラーハ交響曲〔No.38 K.504 ニ長調〕(1786年12月4日と6日)、変ロ長調〔No.22 K.589 プロシャ王セット第2番〕とヘ長調の四重奏曲〔No.23 K.590 プロシャ王セット第3番〕(1790年5月-6月)などである。
この協奏曲の5週間後にモーツァルトはもうひとつの変ロ長調の作品、「狩」として知られている四重奏曲〔No.17 K.458 ハイドン・セット第4番〕を作品リストに書き加えた。これはK.456〔No.18 変ロ長調 この協奏曲〕の世界に近いものである。“ハイドン”シリーズの前の3つの四重奏曲と比べると、これは幾分表面的に思われる。演奏会の舞台に立つ習慣がモーツアルトにより当世風の作品を作らせることになったのだろうか? いずれにしても、これがこの協奏曲とストリナザッキ・ソナタ〔No.40 K.454 変ロ長調〕の系列に属することは間違いない。アンダンテでは、K.456の変奏曲にインスピレーションを与えた苦悩の残響が聴きとれるが、その一方、フィナーレの光あふれる対位法が、ヘ長調の協奏曲〔No.19 K.459〕の登場を告げるのである。