協奏曲第9番〔No.13〕 ハ長調(K.415)
1782年の夏あるいは秋(原注1)
アレグロ:4分の4拍子(C)
アンダンテ:4分の3拍子(ヘ長調)
アレグロ:8分の6拍子;アダージョ:4分の2拍子
オーケストラ:弦;オーボエ2、バスーン2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ2
(原注1)全集版番号で第13番。
この年最初の2つの協奏曲は、楽想、技術そしてオーケストレーションともに中庸なレベルのうちにとどまっていた。前に引用したモーツァルト自身が下した評価が正しいとすると、“輝かしい”という形容はこの年の3番目の作品によりふさわしく、少なくともそのオーケストラのパートは、それが真に解放されたことの証である。当初の用心深さの後、モーツァルトは次第に大胆になり、彼が好む対位法と豊かな楽器使用をほしいままにする。オーケストラはこれまでで最も規模が大である。残念なことに、ピアノ・パートは依然としておとなしいままで、ピアノが登場すると対位法も止めてしまい、その結果、むらのある不均質な作品となり、非常に美しいものも、弱点や凡庸さと隣り合わせになっているために、気づかれないままになってしまう。ピアノが入った後、曲は独創性のない技巧的展開のうちに自らを見失ってしまい、ほほえみ輝きながらもむなしく、それは、未完のまま残された野心的な中世の教会を思わせる。そこには、仰々しいフランボワイヤン様式の入り口の後ろに資金不足のためやっつけ仕事で後に建てられた粗末な身廊があるのだ。それでも内部には偉大な時代からの数本の柱廊があるのと同様に、総奏は開始部の輝きを幾分か取り戻す。しかしその度にピアノが口をはさみ、その際限のない音階とアルペジオは対位法を退けて、曲をつまらなく終わらせる。それはちょうど、後の品質劣化の時代に取り繕われた支柱や漆喰の天井がフランボワイヤン様式の残存物を完成させるようなものだ。
申し分ないとは言えなくとも、この作品がつまらないものとは程遠いことはこれまで十分に示してきたと思う。何よりも、モーツァルトに与えた対位法の大家たちの影響を示す点で興味深い。この影響はまさに1782年に始まり、協奏曲において最初にその影響が認められる作品なのである。モーツァルトが経験してきたすべてのことと同様に、それが続く限り没頭し、いくつかのすばらしい作品を生み出す力となった。これらの中で最も良く知られている2つの作品はハイドンに捧げられた弦楽四重奏曲で、ト長調〔No.14 K.387〕での小フーガがホモフォニーにとって代わるフィナーレ、それとハフナー交響曲K.385〔No.35 ニ長調〕の第1楽章である。同様に時代遅れの形式にモーツァルトの個性がその刻印を残したいくつかの試みもある。すばらしいファンタジアとフーガK.394〔前奏曲とフーガ ハ長調〕、ヘンデルのスタイルの組曲K.399の中のフーガなどであり、それらの楽章は決して“誰々の模倣”を行った習作とは言えない煌めきに満ちている。さらに、残念なことに未完であるが、ヴァイオリンとピアノのための前奏曲とフーガK.402(原注1)、また非常に美しいが、謎めいた点ではほぼベートーヴェンの大フーガに匹敵するハ短調の4声部のフーガ、それは一般には2台のピアノのための編曲版〔2台のピアノのためのフーガハ短調K.426〕として知られている(本当に知られていると言うことができればだが!)。そして、モーツァルトがそれから弦楽四重奏用に編曲したものにはっきりと表れ、前奏曲として付け加えた、苦悩に満ちたアダージョK.546がさらに光彩を添えている。ポリフォニックな作品の頂点は、1世紀以上にもわたって無視されたがついにその姿を現した宗教音楽の傑作、ハ短調ミサ〔K.427〕の合唱パートである。Qui tollis〔世の罪を除きたもう主よ〕、Cum sancto spiritu〔聖霊とともに〕、Hosanna〔オザンナ〕(対位法の曲のみを引用するが)は、バッハの最も素晴らしい合唱の傍らで演奏されたとしても、その偉大さを何ひとつ失うことがない、最高レベルの作品である(原注2)。ここでは、対位法がハーモーニーと同じく極めて重要な表現手段であり、そこに似非考古学的な(回顧趣味的な)好奇心を見ることほど不当なことはない。この作品にはモーツァルトのポリフォニーの魅力である澄んだ、歌うような特色があり、その最高到達点がジュピター交響曲〔No.41 K.551 ハ長調〕のフィナーレに見出せるのである。
(原注1)このフーガはシュタッドラーによって完成された。ケッヘルの原本の補遺Ⅱに収められた1台あるいは2台のピアノ、弦楽トリオ、弦楽四重奏のためのフーガの非常に多くのスケッチは、同様にモーツァルトがこの時期にポリフォニックな作曲へ熱中したことを証するものである。
(原注2)この点について書かれた最も優れたものは、サン・フォアの第3巻、アンリ・ゲオンの『モーツァルトとの散歩』である。
またこの協奏曲の第1楽章は、1780年にかけてモーツァルトの音楽的個性に現れるのを見たオリンピア的な曲調のもうひとつの例であるという点でも興味深い。それが対応するムードはしばしばハ長調の調性で表現され、協奏曲K.503〔No.25 ハ長調〕、弦楽五重奏曲〔No.3 K.515 ハ長調〕、そしてジュピター交響曲がその注目すべき例である。時に、オリンピア的な晴朗さは物理的なエネルギーと結び付けられることがあり、この曲においてそうなのである。
Ⅰ 曲は、楽章の残りの部分で裏切られることになる穏やかさで、行進曲(図1)のリズムにより開始される。このリズムはすでに耳にしたことがあるもので、これ以降、頻繁に現れることになる。これは協奏曲において特有なものであり、モーツァルトがこれを採ったのは単に慣例に従っただけなのである(原注1)。
(原注1)このテーマは、そのリズムではなく外形で、ハ長調ミサ曲K.337の第1小節の変形されたものである。
第1ヴァイオリンが単独でこの主題を提示する。一瞬それはフーガの始まりかとも思わせる。しかし、2小節目が終わるとこの主題(譜例57)が2度上1原文はtwo degrees higher upである。実際には3度の関係である。ガードルストーンの使い方では、one degree up(down)は2度の関係を、two degrees up(down)は3度の関係で上昇(下降)することである。次の文の3度下はa third belowで通常の使い方がされている。混乱がある場合のみ訳注を付す。で再び始まり、第2ヴァイオリンが元の高さで、第1ヴァイオリンの3度下で重なりつつ繰り返す。フーガでなくカノンだったのである! そしてビオラと低弦が第2ヴァイオリンに加わり、その間第1ヴァイオリンは不規則なリズムで対位主題を奏で続け、他の弦は行進曲を放棄して、最後にはそれに合流する。
そこでオーボエ、バスーン、ホルン、トランペット、ティンパニ、そして弦のオーケストラ全体が、新たな主題をフォルテッシモ2新全集版での指示はf(フォルテ)である。で突然開始する。誇らしく力強く、堂々と、しかし快活さを失うことなく、音階を8度駆け上る。次いで低弦が新たな断片を取り上げビオラが1オクターブ上のカノンでそれを追いかける。その間にヴァイオリンが和音で弱拍を際立たせ、全体が全終止へと進む。
全オーケストラの参入から情緒的な緊張感が急速に高まり続ける。聴衆は全終止が休止をもたらすだろうと予期するが、モーツァルトは、停止して新たな主題で出発するのではなく、最後の和音の根音であるG音3基調ハ長調の属和音の根音である。を低弦、バスーンとホルンで保持し続け、突然フォルテからピアノへと弱め、そしてこのG音を低音部とし、その上を12小節にわたって3声部の颯爽とした対位法を展開させるのだ。それはこの作品の中で最も真正なポリフォニックの部分である。この低音部の上を、ビオラが動きのある音型をたどり、一方第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンは、お互いに似てはいるものの同じではないフレーズで対話を行い、そして結び合い、ひとつになって語る(譜例58)4譜例58の自筆統合譜は弦部(Quartur)だけのものであるが、その最初の2小節の下声部はビオラのものでそれに続く下段上声部に続くものである。冒頭を除けば上段は第1ヴァイオリと第2ヴァイオリンの対話である。。8小節が終わったところで緊張がゆるみ、低音部は繰り返しの中で力強さを失い、対位法は消えてしまい、第1ヴァイオリンの新しい主題が聞こえてくる。それは4番目の主題で、それは古めかしく、ヘンデル風な役柄のものである(原注1)。このパッセージはすべて高度に詩的であり極めて活気にあふれ、それは若き神のイメージであり、それが聴き手にこの作品が荘厳なものだと思わせる。しかし、残念なことに、それは見かけだけなのだ! はじめの部分―12小節のうちの8小節5第24~35小節までの12小節、第32~35小節の8小節は再帰することはない。―は何ひとつ再帰して来ず、ポリフォニーは単なる見せかけ以上のものではなく、独奏が入ってから後のものとはほとんど何の関連もないのである。
(原注1)ベートーヴェンはそのZur Weich des Hauses〔「献堂式」作品124〕序曲において、この様式を精力的に試みているが、その作品自体が擬古的作品である。
保持低音の開始以来の強弱記号はピアノ(p)である6上記第24小節から強弱記号はピアノ(p)、第35小節終了後にフォルテ(f)となる。。ここで第1主題の変形とともに、フォルテの白日の世界へと戻る。それは第1主題同様に、疑似フーガを装い、また同じく、その約束を反故にするのである。束の間ピアノに戻った後、結びの主題が全オーケストラをフォルテで連れ戻す。それはひとつのまとまりであるにも関わらず、K.413〔No.11 ヘ長調〕の主題のように、後に分裂する定めにあるのである。第1の部分は音階に基づく、ゆったりとしたもので、カデンツァの後まで再帰しない。次のものは、モーツァルトお好みのイタリア序曲のモチーフで作られたもので(譜例59)、第3のものは提示部と後の再現部をも閉じる単なる形式的なものである。
もう一度この正統的ではない総奏を振り返ってみよう。これは実験であり、全て新しいものがそうであるように興味深いものである。しかし、果たしてこれは成功と言えるだろうか? これは59小節からなる。ところが、このうち23小節、すなわち総奏全体の5分の2が再び耳にされることがなく、その中には総奏で最もすばらしく最も力強い素材が含まれているのである。一度あるいはそれ以上再帰する32小節のうち、ピアノが使うのはわずかに9小節だけであり、残りについていえば、17小節は楽章の最後、あるいはカデンツァの前後まで耳にすることはない。最後に残るのは、最初の7小節(行進曲)と最後の8小節(総奏を締めくくる主題の第2と第3の断片)、それと半ばにかけての4小節(ヘンデル様式の音型)であり、これらのみがアレグロの本体で数回出会うものなのである。このことからどのような結論を引き出せるだろうか?
まず、総奏と独奏には共通要素がほとんどないことである。オーケストラとピアノはそれぞれ独自の主題を持っている。ギャラント協奏曲として、これは異例なことである。我々が知る慣例では、両者にほとんどの主題を提示させ、独奏あるいは総奏のために割かれるのはひとつないしは2つに過ぎない。モーツァルトはこの面での先駆者であり、この協奏曲をそれぞれの楽器が独自のモチーフを持ち、隣人から借りたり貸したりはしない近代協奏曲の前身であると考えたくなるかも知れない。しかしこれは一種の懐古趣味で、前の時代の慣例への回帰であると見るべきだろう。古い時代の独奏協奏曲では、ハープシコードとオーケストラは、自らの主題を用心深く守り、旋律的な素材ではほぼ何も共有しない傾向があるのだ。これは、フィリップ・エマヌエル・バッハにおいても、また、この作品よりわずか15年前に作曲されたショーベルトの6つの協奏曲の中の最良の作品12変ホ長調などでもこのようなことがしばしばあり、独奏が第1主題から受け継ぐのはシャコンヌ的な低音部が全てなのである。この協奏曲の導入部のほとんどすべてが古風な側面を持っていることを思うと、この特徴はバッハおよびヘンデルの時代の作曲法をモーツァルトが学んでいたことに由来することが明らかであろう。
モーツァルトの時代にやっと協奏曲のアレグロの構造は、独奏と独奏との間に総奏提示部での主要主題がリフレインのように回帰する初期のロンド協奏曲ではなくなったのである。モーツァルトの協奏曲はソナタ協奏曲であり、主題の共有はまさにその形式の暗黙の条件なのである。その結果7このNo.13の協奏曲において、新しいソナタ協奏曲様式の中に独奏と総奏が主題を共有しない古い様式を取り込んだことの結果である。生じるのは、均衡の破綻であり、すでに感じたような印象を強める不均一な特性であり、その美しさにも関わらず、この楽章をモーツァルトの成功作とみなすことを難しくさせるのである。
ピアノが7小節8厳密には8小節目の初拍までである。の新たな素材で入ってくるが、それには大した独創性もなく、その前に過ぎ去ったものに比べ色彩に乏しい。そして、総奏が冒頭で耳にしたとおりに第1主題を繰り返すが、第4小節目の半ばで、つまりビオラと低弦がはいってくる直前に、ピアノが対位的にトリルを付け加え、そして単独で奏で続け、そのフレーズを終了させる。この時点から提示部の最後まで、オーケストラの役割は、伴奏か、ひとつの独奏のフレーズと次のものを連結するだけの非常に短いありきたりな音型を挿入するだけに限られる。
独奏の独自主題はない、というよりも、第2主題は完全に独奏のために用意されているのである。オーケストラの沈黙(第1主題が終わった後の)と、第2主題をわける華麗なパッセージは極めて平凡なもので、それは主としてト長調の音階の上の異なった音の上で7回も繰り返される1小節の音型からなっている。第2主題については、それは他のハ長調の協奏曲、K.246〔No.8〕とK.503〔No.25〕、そしてロンドK.386で耳にする主題の係累である。実際には、これら4曲での主題は同じ曲想の変形に過ぎず、それは1786年の偉大なK.503 において完全な実現に至るのである(譜例15および譜例54)。ピアノはそれを2回にわたって詳述するが、ピアニストはそれを変奏すべきであり、譜面の通りに2度演奏することは無意味である。そして、もうひとつの華麗な技巧的なパッセージがより独創的なものをもたらし、それは導入部のヘンデル様式の主題で9第1提示部対位法パッセージの後の第32~34小節のモチーフ。あり、16分音符の速い音型の中を、二重対位法で最初は右手で提示される10右手のヘンデル様式のモチーフに左手が対位音型をつけるが、これは左右逆転しても対位法が成立する二重対位法であり、「最初は右手で」とあるように第124小節から逆転した形で一度反復される。。聴衆は通常のトリルが提示部を終えることを予期するが、それはピアノのおしゃべりを妨げることがない。ピアノは途切れることなく、総奏の結尾の第2の断片(譜例59 前出)を使って進み、高揚した新たな気分を示し、一連の音階を奏した後で、ようやくレースを終えるのである。
通常この段階で重要であるべき総奏の介入は短い。それはビオラと低弦とバスーンのユニゾンによる第1主題の再確認であり、それに結尾の主題の第3の断片が続く。
展開部は冒頭の総奏以降、この楽章で最も興味深いパートである。ピアノは、2分音符と全音符とそれに続く16分音符の活気にあふれ、メリハリの利いた主題で出発し、模倣で扱われて、4小節の間再び冒頭のポリフォニックな雰囲気に飛び込んでいく(譜例60)。2小節の総奏がト長調からハ長調へと導き(楽章全体、転調は極端に少なく、主調あるいは属調から離れることはほとんどない)、そして活力ある音型が繰り返される。それは聴衆をホ短調に着地させ、そこにオーケストラがおずおずと加わろうとする。しかし、その冒頭の豊かさにもかかわらず、残念なことに、ただ第1主題のみが保持され、あたかも聖書の言葉を暗唱するかのように進み続けるのである。それのみならず、第1ヴァイオリンだけがその言葉を知っており、他の弦とオーボエはただ保持音だけで、それらを伴奏するのみである。その間、6小節にわたり最初の主題の伴奏部は、次々と調を変え、イ短調からハ長調、ハ長調からホ短調へと昇っていく。しかしピアノは超然としているわけではない。それぞれの主題の反復に、それ自体がポリフォニーである下降する音階と保持音11譜例61のピアノ・パート。1小節ごとに右手、左手が交替する。右手の場合は小指、左手の場合は親指で連打する音が保持音である。で成る優雅な対位旋律を付け加える(譜例61)。これはこの協奏曲の中で最も心を惹き付ける瞬間のひとつであり、またこの楽章の中で唯一、ピアノとオーケストラの間でインタープレイがなされるところである。6小節目の最後に、とうとうピアノは弱々しい対抗者を追い払ってしまい、楽しげに突き進み、異なった調で6回も特徴のないアルペジオ音型を繰り返す。そこで突然ハ長調へ戻る。なんと単純かつ非常に独創的とは言えないものか!
しかしここで、屈託ない技巧的なひと騒ぎの後、1音の変更(ホ音から変ホ音)で突然に短調へと進む。モーツァルトは、あっけないと言ってよいほど突如立ち止まり、分解された音階をテナーの領域に落とし込み、カデンツァを通って第1主題に戻る前に12この後に戻るのは、第2提示部でピアノが入った最初の独奏主題であり、その後に第1主題が再帰する。、お気に入りの印象的なはばたく2度音型とともにしばらくそこに留まる。モーツァルトはまるで、遊んでいるうちに顔つきが曇り、そのゲームを途中でやめてしまう子供のようで、一瞬真面目な表情をしたかと思うと、それをかなぐり捨て、元の気晴らしの世界に戻ってしまうのである。
独奏の終わりとともに、大きな変更もなく、またもちろんハ長調を離れることなく提示部が再現されてそれに続く。モーツァルトの協奏曲で第1部をこれほど独創性の片鱗もなく、そのまま再現するものはほとんどない。最後のトリルの後、オーケストラが開始部の総奏で第1主題に続いた“誇らしく堂々とした”主題13第10小節からの副次的主題のことである。で入る。それは再び低弦とビオラの小さなカノンで終わり、カデンツァのための属和音で停止する。モーツァルトはこの楽章のために最も活力に満ちたカデンツァを残している。それはたった今終わったばかりのカノンをそれぞれの手がオクターブで奏する、激しい飛翔で開始される。そして第2主題を、そして最後に独奏のパートで扱われた形でヘンデル様式の主題を回想する。締めくくりとして、オーケストラは第1提示部を閉じた最後の主題の全体を提示し、これが最初の総奏であるかのように、一音一音違えず、アレグロを閉じるのである。
Ⅱ アンダンテは3部構成の楽章であり、A―B―A―Codaという構成である。これが全く取るに足らないものであることはすでに触れている。これにはK.413〔No.12 イ長調〕のアンダンテのような一瞬の個性のひらめきさえもない。その凡庸さは最初から最後まで一貫している。のみならず、これは繰り返しの病に侵されており、退屈な第1主題を全部で6回も耳にするのである! モーツァルトは最初、ハ短調の楽章を構想したが、4小節半ほど書いたものの、線を引いて消してしまった。この楽章がおそらく表現したであろうムードは、フィナーレのハ短調の間奏曲のものと間違いなく同じである。
Ⅲ このロンドはこの曲で最良の楽章である。その構成と素材の巧妙な使い方によって、これはモーツァルトの最も独創的なフィナーレのひとつに数えられる。ウィーンでの最初の数年間モーツァルトは、思いもかけないところでリフレインが回帰したりエピソードと混ざり合ったりする、定まった形式にとらわれないロンドの作曲を楽しんだ。この曲やK.449〔No.14 変ホ長調〕のものは、これらの中でも最も自由気ままなものである。心地よく不規則な構造に動きの変化が加わり、2回にわたって4分の2拍子のアダージョが挿入されるが、残りの部分は8分の6拍子である。
その性格は第1楽章のアレグロとは異なったものである(この不均一な楽章について一般的な性格を云々することができるならば)。開始部のすばらしいオリンピア的な清明さ、“若き神”の活力はその姿を現さない。形式の意外性はその音楽的思考を反映し、その活発さ、陽気さ、気まぐれ、天真爛漫さ、そして常に変わらないモーツァルトの移り気さ、これらによって、このロンドが、巨匠モーツァルトの、最も深みがあるとは言えなくとも、最も魅力的な作品のひとつとなっているのである。
ピアノが8分の6拍子でゲームを開始する(譜例62)。ジーグを思い起こさせるが、実際、そのリズムはいかなる決まった舞曲のものではない。それは先祖に妖精を持つ田園暮らしの人物が奏でる独奏を思わせ、遠い祖先から受け継いだ軽やかでいたずらっ気のあるタッチを田園暮らしの仲間に加えようとしている。これは簡潔で、最初は当たり障りのないもののように現れるが、その懐の中にはいくつもの企みが隠されているのである。これをAと呼ぶことにしよう。
総奏がそれを繰り返し、やや特徴に乏しい第2のモチーフを付け加えるが、これをBと呼ぼう14ここでの文はモチーフBが譜例62のシンコペーションのコデッタと読めるが、これは誤りである。第2クプレのモチーフBの説明でもこれは譜例63直前の第17~22小節のモチーフである。これは譜例として示されていない。。これはシンコペーションのリズムのコデッタで、Aと同系であるが、さらに茶目っ気があり、属7の和音の終止へと導く(譜例6315譜例63はpianoとなっているが、正しくは弦4部によるものでありQuarturの間違いである。)。再び第3のモチーフC(譜例64)で出発するが、これも同様にAに基づくコデッタ(譜例65)で停止し、ト長調の主和音で終止する長い導入部が終わった後で初めてピアノが再び語り始めるのである。
その位置で言えば、この開始部はロンドのリフレインに対応するものだが、その内容からは、アレグロの最初の総奏により近い。それは5つの要素から成り、やや恣意的に区別してきたが、単なるリフレインにおいてはこのように豊かなことは例外である。さらに言えば、これに続く挿入節であるアダージョを除いて、全ての楽章はこの開始部の素材の上に構築されている。他では新しい旋律が出現しないのである。これは、特に現在子細に見ているこの曲のアレグロを含め多くのアレグロの総奏にさえ言えないことである。それらはしばしば主要な主題をずらりと並べて見せることだけで事足れりとしているのである。しかしここではすべての役者たちが聴衆の前を列をなして通り過ぎてしまう。それゆえに、このような導入部をリフレインと呼ぶことに躊躇してしまう16ソナタ・ロンド形式のリフレインは2つの主題から構成されるのが普通である。が、どのように呼ぼうとも、まさにこれはモーツァルトの最も巧みなフィナーレの開始部のひとつなのである。
戻ってきたピアノが吐露する嘆き、はこれとは非常に違ったものである。ト長調の和音で終止したばかりだが、今度はハ短調で出発する。1777年の変ホ長調の協奏曲〔No.9.K.271〕以降、これほど侘し気な悲歌を聴いたことはない。協奏交響曲〔K.364 変ホ長調 ヴァイオリンとビオラのための〕のものや、これから数年後1785年の変ホ長調の協奏曲〔No.22 K.482〕で耳にすることになるような“悲劇的”アンダンテのひとつがほぼ15小節にわたって展開される(譜例6617譜例66および次の譜例4は転調先のハ短調で記譜されたものである。)。この間奏曲は、レシタティーヴォのような音調である。それは、集団の歓喜のただ中に突如として起こる孤独の声、苦しみの歌である。オーケストラはこの知られざるものの侵入に驚かされ、最初はほとんど沈黙させられてしまうが、最初の旋律の結尾に至って、ヴァイオリン、オーボエとバスーンがそれにエコーするのである(譜例4)。それらは同じ音型を1小節の後に繰り返し、ついに結末に到着した時に全オーケストラが加わり、ピアノと完全に一致してその表明を強固なものとするのである。そして再び、この間奏曲が始まる前と同じように、ト長調の和音で停止する。同じ地点への回帰は、この15小節の挿入節的性格、楽章のロジックを損なうことなしに飛ばしてしまうことも可能な挿入物であることを強調するのである。
休止、これは短く切りあげるべきではないが、その後に主題Aが最初ピアノで、次いで総奏で、あたかも何事もなかったかのように回帰する。しかしその後に続くものは異なっている。アダージョまでに至るロンドの前半部分を第1楽章の導入部と相等させたが、それが展開部のように幕を開けるのである。それは全体に属調(ト長調)で展開し、BおよびC、それにリフレインの2つのコデッタのひとつ18モチーフBに続く譜例63、シンコペーション音型のコデッタである。に基づいている。総奏がAを奏し終わると、ピアノがBでさらに進み、中声部を奏する弦に支えられて19珍しい形であるが、ピアノの右手が最高音域を、左手が最低音域を担当し、弦4部がその中間音域で、ヴァイオリンは対位的なアルペジオ、ビオラ・低弦は保持音を奏することを言っている。、華麗なパッセージへと入る(譜例67)。しかしバーチュオーシティはこの楽章ではほとんど場所を得ず、10小節後20モチーフBの後の10小節と読めるが、実際にはモチーフBのピアノの左手も華麗なパッセージに数えられている。なお正確には11小節後である。に終わってしまい、譜例63のシンコペーションのコデッタが、最初総奏で、次いで1オクターブ上でピアノによって提示されるCへと導いていく。さらに別のやや長めの独奏パッセージが続き、そして再びシンコペーションのリズムが、転回された形で現れる(譜例68)21完全な形の転回ではない。。カデンツァ22アインガングである。がそれを引き伸ばし、Aの回帰によってロンドの第2部の結末が記される。
モーツァルトが半数の協奏曲で使ったソナタ・ロンド形式では、第3クプレは再現部である。しかし、この楽章では、そのように規則的なものは全く見られない。ここで開始される第3部は確かに再現部ではない。実際のところ、これは展開部の続きというべきものである。ここで手品の鞄を開けるのはあの世間知らずのモチーフAだ。これまでそれは静かに自分の居場所を守り、小妖精の不調法さが許す限りの遠慮がちな態度で、必要な時だけにその姿をピアノあるいはオーケストラの中に現わしていた。この後、それは仮面を取り去り、すべてが変わってしまう。総奏がハ長調の和音で止まるか止まらないうちに、いきなり、フォルテッシモで23新全集版では強弱記号の指示はない。ただし、イ短調に転じる直前にピアノ(p)の指示がある。ホ短調に入り、確かめるような3小節の後、ピアノ(p)のイ短調へと転じる。そしてこの協奏曲の最も魅惑的なページが開かれるのである。
もう少し長く続いて欲しいと思いたくなるしばしの間、弦とピアノはこの主題(譜例62を参照)の2つの断片24譜例62でⅠおよびⅡのギリシャ数字がつけられたものである。を使って、妖精のゲームに携わる。それは、最初の小節と、主題のそれぞれの半分を締めくくる“はばたく2度”である。演奏者の動きは、イ短調、ニ短調、ハ長調、イ短調、そしてト長調を経ながらそれらを導いていく。伴奏の一部はその断片で演じられ、独奏はその右手でアルペジオと音階のパッセージを奏する。そう感じるのももっともではあるがそれらを伴奏として、または主題的な断片だけを中心的なものと見なさなければ、の話である。
まず第1の断片が3度を保って第1、第2ヴァイオリンに、次いでビオラとチェロで現れる。次に“はばたく2度”がオーケストラの高音部から低音部まで震えながら舞い降り(譜例69)、今度は一方でヴァイオリンが6度を、他方にはビオラとチェロが3度を保って奏でる25ヴァイオリンの6度とビオラ・チェロの3度は“羽ばたく2度”音型である。。翼のざわめきのように、ゲームは新たに第1の断片が回帰してくるまで続けられる。そして、ピアノは慎みを捨て、自らその競技の中に引きこまれていく。感染力のある“羽ばたく2度”が侵入し、それがピアノの右手に現れる。主題はさらに粉々になり、頭の3音にまで小さくなって、断片(Ⅱ)と交互に繰り返す。それはヴァイオリンからピアノへ、ピアノからヴァイオリンへと行き交いながら、ハ短調からト長調の間を揺れ動く。ホルンがそれを支えるが、他の楽器は沈黙する。聴衆は、この結構な楽しみが終わり、本来のものに戻るのも近いと感じるのだ。そして、再び転回されたリフレインの第1のコデッタと主題Cが、馴染の場所へと連れ戻すのである。しかしこのロンドは幻想の小道からそう簡単に離れてしまうことはない。主題Cを弦が取り上げると、それ自体が転調しはじめハ短調へと入っていく。しかしながら、放浪は束の間に過ぎず、主調ですでに耳にしたことがある華麗なパッセージへと戻り、リフレインの第2のコデッタ26最初のリフレインを閉じた第44小節からのコデッタである。で結ばれる。過ぎ去ったものが消し去られたかの如く、楽章が新たに開始されるかと思われた時、このコデッタが昔そうであったようにト長調の和音で停止し、そして“悲劇的”なアンダンテが悲嘆の声をあげる。我々はそこから遠く離れてしまっており、この嘆きに満ちた幽霊の再登場は極めて異様である。
大きな喜びの時に、底の見えない深淵が突如口を開き、そして閉じてしまう。
と、この巨匠を深く理解するヨゼフ・バルジは言う。そして、モーツァルトを何よりも他の作曲家と区別するものは何かと言わねばならないのなら、それは、まさに両者の間に“開いた大きな隔たり”と答えるだろう。彼の作品には2つの無限が結び付けられているのだ……と。
アダージョはほとんど変形されることなく進み、最初の時と同様に突然消えてしまう。そしてそれまでのものすべてと同じくすばらしいコーダが始まる。最後に主題Aが変型されず全部が奏された後、ずっとそれにつき従ってきたピアノは、これまでのようにオーケストラにそれを反復させるために停止せずに、もう一度、断片(Ⅱ)を用いて前進し、両手のユニゾンで進み続け、それにヴァイオリンと管楽器が断片(Ⅰ)を変形したものでささやきかけ、そして新たな結尾を付け加える。そして、役割が交替する。ざわめきはヴァイオリンとビオラに移り、断片(Ⅰ)はピアノへ移り、そこで両パートは重なっていく27ピアノと弦の役割が交替した後もそれまでとほぼ同様に独立して続き、両パートは重なることはない。ガードルストーンの勘違いと思われる。。この手法は音調を強調するもので、19世紀にはよく使われるものとなったが、モーツァルトでは稀なことである。少しずつ、断片(Ⅱ)の翼のざわめきがヴァイオリンからビオラへ、ビオラからチェロとコントラバスへと広がっていき、同時にピアノ(p)からピアニッシモへと弱まっていく。ついに最後にピアノが主題Aの変形したものを取り上げる。そして最後に2小節を付け加え28第260小節の主和音がカデンツと見做せるが、その後に2小節が付加されている。、弦とピアノの和音、そして木管の持続音は、あたかも美しい一日の終わりの田園のさざめきのように、結末のpp〔ピアニッシモ〕の中に消え行くのである。
これまで、これら3つの協奏曲〔K.413~K.415〕に共通する特徴を指摘してきた。度を越さない技術的難易度、“並み”レベルの情緒、展開部から再現部にカデンツァで移るという特異性、あるいはテンポの変更などである。加えて、このうちの2曲、K.413〔No.11 ヘ長調〕およびK.415〔No.13 ハ長調〕において、ロンドがアンダンテより優位なことが、このグループを、それ以前の、またその後の協奏曲と区別する上で役に立つのである。
これらの協奏曲が今日の我々にとって持つ意味は何であろうか。人気という点では最初の6曲以上のものは期待できそうもなく、少数の聴き手や演奏者のものである以上のことは決してないだろう。それだけではなく、ハ長調〔No.13 K.415〕は、その不均一性のゆえに、まぎれもないその美しさが気づかれないままになってしまう恐れがある(原注1)。しかしヘ長調〔No.11 K.413〕とイ長調〔No.12 K.414〕(K.271と同じく)は、さらに有名な作品の技術的難しさにくじけてしまうようなアマチュア愛好者たちのレパートリーに入る価値がある。この2曲は、統一性では申し分ない作品であり、優美で卑しくなく、また温和だが凡庸ではない。さらに、イ長調〔No.12 K.414〕は、アレグロの微笑みかける物悲しさ、またアンダンテの厳粛さによって、より深い感情を呼び起こすのである。これらの魅力的な作品をよみがえさせることをアマチュアのオーケストラと独奏者に切に勧めたい。というのは、これらの作品はまだ室内楽に近いもので、大きな演壇上ではなく、小編成グループの親密さにおいて最もその魅力を発揮できるからである29モーツァルトは1782年の3曲の出版とともに、弦楽四重奏曲伴奏による編曲版の出版を意図していた。原曲で木管の扱いが軽いのもそのためと思われる。弦楽四重奏曲版は現在数多くの録音は出ているが、さすがに木管がないことによる物足りなさを隠せないのが正直な感想である。。
(原注1)この協奏曲の録音が望まれるのは、まさにこの美しさがあるからであり、現在この曲が蒙っている完全なる埋没よりふさわしい価値があるからである。
さて、論考の目的のために、作曲家の作品全体の中からこれらの作品を取り出してきたが、ここまで検討してきたこの協奏曲のグループをもとの場所に戻してみることにしよう。
このジャンルの以前の作品に比べて、これらが進歩を示していると言えるだろうか。いまだにその理念はザルツブルグの協奏曲に息吹を吹き込んだギャラントの理念であり、第2楽章の物憂い静けさ、第3楽章の数小節でのオリンピア的な運びなどが、その主な個性の表現である。しかし、すでにザルツブルグ時代の作品でも個性的な特性を耳にすることができ、これらに新しいものは何もない。形式に関しては、ヘ長調〔No.11 K.413〕とハ長調〔No.13 K.415〕のロンドの自由さに言及してきた。しかし2曲の変ホ長調〔No,9 K.271 ジュノーム、No,10 K.365 2台のピアノのための〕のフィナーレも同じく自由さを示していたし、そのうち2台のピアノのための協奏曲のフィナーレには、加えて有機的な統一性もあった。1782年の作品では、このような統一性がより顕著になっていることも真実であり、ここに幾分かの進歩はあったが、それは二次的なものである。
概して、この年の末の時点では、モーツァルトがザルツブルグを離れた時以上に成熟期の偉大な協奏曲に近いところにいたとは言えないと認めなければなるまい。これらの3つの協奏曲はいかなる本質的な面でもそれ以前の作品よりも際立っているとは言えないのである。オーケストラは、そこかしこに散らばるいくつかの小節を除けば、“自由になって”はおらず、木管楽器は後にそうなるような独奏者とは程遠く、弦と対等なものでさえない。ハ長調〔No.13 K.415〕で、モーツァルトはいたずらに楽団の規模を大きくするが、それは本質的に弦のオーケストラに留まり、木管の参加は随意なもの(ad libitum)でしかない(原注1)。モーツァルトが9番目の作品〔No.13 K.415〕以降にそれ以上協奏曲を書かなかったとすれば、今でも我々が楽しく耳を傾ける魅力的な作品を残しはしたとしても、近代協奏曲の“父”となることはなかったであろう。
(原注1)モーツァルト自身が1782年4月26日付の父親への手書きの中でそう語っている。
また、このグループを同じ年の主要な作品と比べてみると、その重要性がさほど大きくは見えない。1781年、1782年そして1783年の交響曲30交響曲N.34 K.338ハ長調は現在1780年、No.35 K.385 ニ長調『ハフナー』が1782年、No.36 K.425 ハ長調『リンツ』が1783年の作曲とされている。と同様に協奏曲は、室内楽、オペラ、そしてポリフォニーな作品に比して、さほどモーツァルトの関心を引かず、彼の力を最大限に引き出すことがなかったとすでに述べた。2つの偉大な木管のセレナーデ変ホ長調〔No.11 K.375〕とハ短調〔No.12 K.388〕はモーツァルトのウィーン生活の最初の18ヶ月の間のものであり、1781年に作曲した4曲のヴァイオリン・ソナタのうちの3曲31ガードルストーンが高く評価するのは、ヴァイオリン・ソナタNo.25 K.377 ヘ長調、No.27K.379 ト長調、No.28 K.380 変ホ長調、の3曲である。はモーツァルトの最も偉大な作品に含まれるものである。1781年の夏にモーツァルトはすでに『後宮からの逃走』の作曲に携わっていたが、彼の脳裏からいつも離れることがなかったオペラを作るという考えが1783年に至るまで彼の関心を占めていた。未完に終わった『カイロの鵞鳥』や『だまされた花嫁』もこの年〔1783年〕のものなのである。ハ短調ミサ〔K.427〕はこの3つの協奏曲を作曲していた頃に書き始められたに違いない。
そして、とうとう1782年に、8年の間顧みなかった弦楽四重奏曲を書き始めたのである。そして、ピアノ協奏曲より以上に、ハイドンに献呈された6曲のうちの最初であるト長調の四重奏曲の中にこそこの時期のモーツァルトの全てを探し求めねばならない。これに先立って、同じくらいに真実かつ感動的な作品はあったが、これほど完全なものは皆無であった。ハ短調のセレナーデ〔No.12 K.388〕は実際に極めて個性的な作品であり、対立する一方で補いあう2つの感情だけを発していた。それは悲しさと清澄さである。しかし、この四重奏曲では、支配的な情緒をひとつに特定することができない。ここでは、その感情的な生命力が魂そのものと同じく豊かであり、モーツァルトの多様な感性がひとつひとつ照らし出されるのである。この作品の情緒の質について一言で語るのは極めて困難である。この面で、セレナーデのカノンのメヌエットに対してこの曲のメヌエットは何の進歩も示してはいないが、その他の3つの楽章はそれ以前の作品よりはるかに豊かかつ充実しており、作品全体から活力の泉の生気が湧き出ているのだ。
このようにモーツァルトの室内楽は管弦楽作品より先を行っている。ザルツブルグの最後の年、そして変ロ長調のセレナーデ〔No.10 K.361 13管楽器のための〕からの成長は著しい。ハフナー〔No.35 K.385 ニ長調〕とリンツ〔No.36 K.426 ハ長調〕交響曲、および1782年の3つの協奏曲は、ハ短調セレナーデ〔No.12 K.388〕、この四重奏曲や数か月後のニ短調四重奏曲〔No.15 K.421 ハイドン・セット第2番〕の傍らにあっては取るに足りないものである。1786年そして特に1788年になってやっと交響曲が追いつく〔No.38 K.504 ニ長調『プラハ』〕が、協奏曲はそれよりも早く、1784年と1785年には2曲の偉大な協奏曲となって追いつき、そして、我々は今、これまでの探求が導いてきた偉大な作品の入り口にいるのである。
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